悲惨な最期と転生
波打つ音。
潮の香りと、日に当てられ熱を帯びた太陽の香りのついた砂。
自分は浜辺にうつ伏せで寝ているらしい。顔に砂がついている。目を開けてみると日差しが眩しく目がしばしばする。日差しの光に目を段々と慣らしていき、周囲を見れば海がすぐ後ろにある。
「う、く……生きてる、のか?」
ずっと海の中で手足をバタつかせもがいていた記憶がある。疲れ果てて気を失い、気づけば浜辺に寝転んでいる。体を起き上がらせてさらに周りを見れば前方には木々の生い茂るジャングルが見える。
「生きてる……いや、死んだんだっけ」
そうだ。俺は死んで、女神に転生させられて今ここにいる。
ここは異世界で、転生する先の肉体は海から人体を形成する素材を集めて生成された。完全なる真っさらな存在であり過去も未来も何もない。親もいなければこの世界で生まれ落ちて過ごしたという歴史も経歴もない。
自分は出身も身寄りもないためまずは、素性があやふやでも役に立てば入れてもらえる冒険者ギルドへ向かう。
「目の前のジャングルを抜ければいいのか? とにかく、進もうか」
身体の調子を確かめる。
腕も足も動く。目も見えるし鼻も機能している。言葉も喋れる。
少し頼りなさを感じるが、しっかりと人間として機能している。これなら歩けるだろう。
「服は……なんだこれ?」
上は胸に大きくタコのワッペンが刺繍されたフード付きパーカーで、下は膝上までの短い丈の半ズボンだ。靴はサンダル。
水色のパーカーの首元をめくって中を見ると、真っ白なTシャツを着ていた。ちなみに半ズボンは深い青。
まるでビーチに海水浴に来た客だ。どういうファッションセンスだあの女神。
しかしまあ、ここで何かを求めても何も得られないだろう。もう女神はいない。意気込んでジャングルに足を踏み入れると同時にこれまでの事を思い出していた。
成人式前日に死んで女神に拾われた時のことを———
△▼△▼△▼△▼△▼△
人生は一度きり。
そしてその人生の終わりはいつ来るのかわからない。
アホみたいな話、それが分かったのは自分が死ぬ瞬間ようやくだった。
両親が他界し、実家の優しい爺ちゃんと婆ちゃんに仕送りしてもらう日々。駄々こねて、甘えて、それが心地良かった……ラクだったからずっとそうしてただけ。自分は不幸者なんだと言い聞かせていた。
その環境を変えようと行動したのは上京した時の一度きり。上京したその時も仕送りを頼りにしていたし、大学の学費も助けてもらっていた。
ほんと情けない話だ。
「天ヶ瀬くん! 天ヶ瀬くん! そんな……そんな! 貴方がいなくなったら私、どうしたらいいの……! ドウスレバイイノヨッ!」
最後の言葉はヒステリックに聞こえた。
血まみれで倒れる俺のそばで泣いている、場違いな浴衣姿の少女の名は藤宮留衣。
彼女とはここに成人式前の記念旅行に来ていた。
彼女は上京して来た俺と同じ大学に通い、同じボロアパートに住み、同じ一人暮らしをしていた。親を亡くしているのも同じ、親戚の仕送りを頼りにしているのも同じ。
上京したての頃からずっと一緒で、一人暮らしで不安塗れだった俺らは互いに助け合って、慰め合って生きて来た。こうして記念旅行なんてしてるのもそんな縁からだ。
そんな縁があるこそ、何もして来なかった甘ちゃんな俺でも車に轢かれそうな彼女を助けることが出来た。夜中に旅館から出たところで2人で歩いている時に、思い悩んでいた彼女が俺から逃げるように駆け出して、その先で彼女の元に車が迫って来ていた。
身体が勝手に動くとはこの事だろう……漫画やアニメでしか聞いた事なかったが、本当にあるとはな。彼女を助けたい一心で身を挺して庇った。
代わりに自分が轢かれる事も厭わずに。
(いや厭う暇もなかったか……カッコつけ過ぎたな……)
「天ヶ瀬くん! お願い! 生きて!!」
(……藤宮)
……多分俺は藤宮が好きだ。
けどそれを伝えることはできなかった。
今伝えると彼女の重みになる。
それはとてもできなかった。
もうできない。
もうできないんだ。死ぬんだから。
お爺さんやお婆ちゃんに感謝したっけ。
大学の友達に借りてたボールペンも返してない。
藤宮にも沢山、苦労をかけた。
本当、俺ってやつは……。
死に際思い浮かぶのは後悔の念ばかり。
(…………まだ、生きたいッ!)
生きたいのに死ぬんだ。
「あ、天ヶ瀬くん……⁉︎」
藤宮の驚く声が聞こえる。
気づけば俺の身体は起き上がっていて、血が溢れて止まらない、足もふらつくのに、何故か歩き出した。歩こうとしたわけじゃない、ただまだ生きたいと思った。それだけの念で俺の身体が動いたんだ。
ドシャッ!
しかし一歩、二歩足を動かしただけで全ての力を使い果たし、その場で倒れ込んだ。
「天ヶ瀬くん! 起きれるの⁉︎ し、死なないで!」
今、力が蘇っている。
彼女に何か伝えられるなら今だ。
「ふじ、みや……」
「天ヶ瀬くん……」
「元気に、生きろよ……後悔しないようにな……」
それだけ言って、力が抜けていく。
ようやく死ぬんだ。
頭上からは藤宮の泣く声が聞こえてくる。
「そんなの、今だよ……! 後悔してるなら今だよ!! 好きだって、伝える勇気がなかったから……こうなったの⁉︎ ねぇ! ねぇ! 天ヶ瀬くん……天ヶ……く………———
藤宮の声が、聞こえなく、なって……———
———気づけば俺は自分の部屋にいた。
「…………………………え?」
見覚えのある扉。
見覚えのある壁。
見覚えのある天井。
俺はいつも外出する時に見ている自宅の玄関の光景を見ていた。さっきまで夜の旅行先にいたはずなのに、目の前には見慣れた光景が広がっている。
「な、なんで……藤宮と成人式の祝い旅行に行ったのに……」
どうして自分は自宅にいる⁉︎
そもそも死ぬと思っていた、なのに……生きている?生きてるのか?俺は。
目を動かして、後ろを向くと目を惹き、目を見張るほどの金髪の美女が俺の布団にアグラを描いて座っていた。
「え……?」
シミひとつない顔に、目鼻立ちが整っていて人形のような完璧な造形をしているが……どこか不安を覚える。左右非対称というやつだろうか、顔の左右に違いが一切見当たらない。
癖っ毛の多いボサボサな金色の長髪が真っ直ぐ頭の後ろに伸び、背中に一本も髪の毛がかかっておらず重力を感じさせない。
胸部は豊満なもので見た事ないくらい大きい。服装は無地の落ち着いた白色の和服のようで丈が短く、真っ白な足が露出して、胸元からは中に付けているフリルのついた純白ブラジャーが見えている。
あぐらを描いているため中に履いているレースの真っ白なパンツも見えていた。
「だ、だれだ⁉︎」
美しさの中に見える怪しさ、異様さ。
一目見ただけで只者ではないと感じる。前に天皇陛下をテレビで見たことがあるが、それだけでも何だかひれ伏したくなるオーラを感じた覚えがある。それと似た感覚を直に、明確に感じている。
「私が何者ぉ〜?」
鈴の音のような透き通った声。
気だるそうに言葉を口にすると、おとむろに手を本棚に向けた。するとカタカタと本棚にしまっていた漫画本が震えて、ひとりでに浮いて彼女の手の中に収まった。
それを開いて呑気そうに読み出す。
「あ、あの……」
「私は神よ、女神だよ」
「……女、神?」
「そ。女神女神女神。正真正銘の女神」
耳を疑った。
目の前の女を怪しむ。
当然そんなこと急に言われたって信じられなかった。
俺の布団の上にアグラを描いて呑気にマンガ読んでるハレンチな格好の女が、女神だなんて。
しかし次に彼女がした行動で信じざるを得なくなる。女神だと確信しなくても、異様な存在であると確信した。
女神と名乗る彼女は今度はおもむろに、俺のため込んでいたカップ麺の方に手を伸ばして、そしてウルトラカップというカップ麺の中でもトップクラスに量の多いカップ麺を手に収めた。
そして2本の指でトンッと軽く蓋を叩き、すぐ後に蓋を剥がした。すると中からホカホカとした湯気が広がり、中にはほぐれた麺が出来上がっていた。
「なっ⁉︎ ゆ、湯を入れてなかったのに……! 一瞬でラーメンが出来上がっている⁉︎」
この人、只者ではない!確実に!
まるでマジックだ!
「じゅるるるるるるるる!!」
どこから出したのか真紅に塗られた長ーい箸で勢いよく麺を啜る女性。美味しそうに頬張る。
彼女が女神だと仮定して、なぜ俺の目の前にいるのか。そもそも俺は死んだんじゃないのか。なぜ自分の部屋にいる?藤宮はどこだ?
「んむんむ……ごくん。げぷっ」
「な、なあ! お、俺はどうなったんだ? アンタが女神だってことは信じる……だから教えて欲しい!」
「どうなったって死んだけど」
何でもないように言われた事実。自分でもどこか目を背けようとしていた真実。しかし突きつけられる、本当に死んだんだ。
自分の足元を見れば身体が透けていて、床が見える。
「死んでる……幽霊なのか?」
「ええ、魂だけの状態でここに移動させたの。話すなら馴染み深い場所がいいでしょ? わざわざ神域に連れていく必要もなし」
「……ま、まだ納得できないが、本当に死んだんだな。それで女神だっていうアンタが連れて来た……俺の部屋に。じゃあ藤宮は⁉︎ アイツはどうなった⁉︎」
「知ったところでどーなるの?」
「え?」
「貴方は死んで、もう生きている彼女には何もできない。そんな貴方が彼女の今を知ってどうするの? 知る意味ある?」
「……生きてはいるんだな」
「ええ」
「俺は、安心したい。藤宮がどうなったのか」
「———彼女は貴方の死を嘆き悲しみ、首吊り自殺を図ったわ。未遂に終わったけどね」
「え……?」
「と、言えば本当に安心できる?」
「は?」
「安心したい、は、自分に都合のいい情報しか欲しくない時の言葉でしょう? あなたは藤宮という女の子の安否が聞きたいんじゃない、君が彼女を守って彼女が幸せに過ごしているという英雄的な都合のいい情報が欲しいだけよ」
俺を見透かしたように女神は言う。
「ほ、本当のところはどうなんだ!」
「さて、これから貴方には異世界に行ってもらいます。いわゆる異世界転生というやつ」
「は、はあ? な、何言って……藤宮は!!」
「でもちょっとめんどい事が色々あってねー、最近は転生先を慎重に決めないといけないの。転生する先の肉体に知性や感性があれば、その人間の人生を奪うという事に他ならない。であるからしてもう面倒くさいから一から肉体を作ることにしたの」
「話を……」
「ねぇ貴方、タコは好きかしら? あれなら人の脳を再現するのに必要な脳細胞を補えるから、貴方はタコから人に進化させた肉体を使ってもらおうかと」
「話を聞け!!!! 藤宮はどうなったんだ!!!!」
「えー、もう一度聞きたいの?」
「え……?」
「彼女は貴方の死を嘆き悲しみ、首吊り自殺を図ったわ。未遂に終わったけどね」
「……そ、それは本当なのかッ⁉︎ お前がでっちあげた、俺を揶揄うためだけの作り話とかじゃなく!」
「はいタコ決定〜」
女神は自分の目の前の、何もない虚空に向かって指を動かす。まるでタッチパネルを動かすように。
この女神の言いようからして……本当に藤宮は、自殺未遂を?
じゃ、じゃあ!じゃあ!今もどこかで死のうとしてるんじゃないのか!
「なんで死ぬような事……!」
「で〜、どこに作るかだけど〜、んータコのいる海域がないとねー。あ、日本に近い環境のこの場所とかいいかな。うん、ここにしよー」
「ふ、藤宮はどこなんだ?」
「ん? 知ってどうするの?」
「た、助けないと! 今にも死にそうなんだろ!」
「はあ。でも貴方がいなくなって絶望して死のうとしてるんだし、死んだ方が彼女の救いになるんじゃないの?」
「そんなわけないだろ! アイツには……アイツには、生きてて欲しいんだよ!」
「生きてたってしょうがないと彼女が選択して決定していたとしても、そう言えるかしら」
「……っ……それでもっ」
「いい加減五月蝿いわね」
彼女がそう言い放つと、どこからともなく俺の周囲に女性の腕が伸びて来た。壁から、床から、天井から、虚空から。四方八方から女性の腕が伸びて来て俺の腕や足、腰を掴みそして首を掴み上げて来た。
幽霊という話だったのに痛いという感覚があって、掴み上げられる首から強い痛みを感じる。
「ぐ、ううっ!」
「あのね、もう遅いのよ。死んだ後にあなたが何したって何を知ったって無駄。わからない? あなたは神の与えた“猶予”を無碍にしたのよ」
いつのまにか女神は俺の背後に立っていた。
「ぐ……ど、どういう、イミ、だ……」
「生きている間、あなたは色んなことが出来た。自分を育ててくれた親にありがとうを伝える事も、友達とさらに親交を深める事も、好きな女の子に好意を伝える事も、なんだって出来た」
「ッッッ!!」
「それを死ぬまでにしてこなかったのだから、あなたの制限時間は終了。さよならなのよ」
ブゥン!と投げ飛ばされて、さっきまで女神が座っていた布団まで吹っ飛ばされた。
「ぐはっ!」
「それを次の、新しい生を授けると言うのよ。拒むなんて選択肢はあり得ない。そんな選択権はお前のような生きることを舐め腐った大ボケ野郎に与えるほど世の中甘くはない。お、わ、か、り?」
ダンッ、と顔を裸足で踏んづけられて、俺の心を抉る言葉を喰らう。
「この世界で再び生きる事も許さない。だから異世界転生なのよ。さて人の子よ……貴方に力を授けよう」
「ち、から……?」
「そう」
顔から足が離されて口が動くようになる。まともに話せる。
「ち、力ってなんだ?」
「特典やらチートやら与えるって言うところでしょうけど、お前にそんな“ちんけ”なものを与えたところでタカが知れてるわよね。んで、他のなんか別のものを上げようにも選ぶの面倒くさいのよね……というわけで」
ブジュッ!
グシャァ!
「———え?」
なんの躊躇いもなく、女神は自身の左目を手で潰した。そして引いた手の中には目玉が転がっていた。
そしてそれを俺の口元に持って来て……抵抗もままならず、女神の目玉が口の中に入れ込まれた。
「んん、んぐっ、ぐほっ⁉︎ んん、んんー!!」
味がしない。味がしないのに脳が“食べてはいけないもの”だと警鐘を鳴らす。だが女神は口の中に手を突っ込んできて無理矢理にでも目玉を飲み込ませてきた。
ゴクリ、と喉を通過したそれは俺の中に入ってくる。
「た、魂だけの、俺の、中に……! 神の目が———ッ⁉︎」
巨大な喪失感。そして巨大な取得欲の快感。
俺の中の何かが消える。そして新しく何かが形成されて、無くなったものの代わりに生まれて宿る。
今俺は目の前にいる無銘の女神カウの一部と魂が同化している……!
さっきまで女神だということにも半信半疑だったのに、今はハッキリとわかる。
俺の中に形成された彼女の記憶によって、彼女の名を知る。
彼女の名はカウ。女神、カウ。
神との同化……それがもたらす幸福と不幸を俺は想像できない。
「が、あう、ぐ……が、ああああああああ!!!」
「おめでとう。君は神になった」
さっきからイラついていた女神カウの言動も、それが当たり前のものだと捉えられる。
叫び、悶絶する混乱した思考の中でも彼女の声はよく聞こえて、彼女の身体の感覚なども全て共有されていき……彼女は俺で、俺が彼女。
頭の後ろに真っ直ぐ伸びる髪の長さと重さ。
片目を失い隻眼となった感覚。
乳房の重さ。
ブラを付けているという感覚。
腰の細さとくびれた体の形の感覚。
足の細さとその足で立っているという実感。
もう彼女との境界線などなくなっていた。目を開けて自身の体を見下ろし、男の、人間の体だと言うことに戸惑いすら感じるほどだ。
「お、俺は……天ヶ瀬海音……なんだよ、な」
「ええ。あなたは間違いなくカイン君よ」
「カイン君か……」
藤宮にそう呼ばれたかったな、という心残りがあった。ずっと苗字呼びだっあもんな、互いに。
まさかこんなイケすかない女神に呼ばれてしまうとは。
「そんなに私が嫌い?」
「……ああ」
「ま、そうだろうと思って神の力は限定的にしか使えないようにしておいた。これで私に攻撃する事も、藤宮とかいう女の子に会いにいく事だってできない。異世界に行ったら存分に活用しなさい」
「……か、神の目。まさかそれを直に呑ませてくるなんて、何考えてんのかわからないが……同化した今なら何となくわかる。でも全部の記憶を植え付けられたわけじゃない。なんで俺に神の目なんてものを与えたんだ……?」
「さて、それではいよいよ異世界への旅立ちといきましょうか」
女神カウは部屋のタンスの方に歩き出すと、それを開いた。中には俺のダサい服しかないはずだが、彼女が開いた先から眩い虹色の光が溢れ出していた。
「お、俺のタンスが……!」
「さあここが異世界への入り口よ。演出的には凝ってるでしょ」
「行くのか」
「ええ、行くのよ」
身体がタンスの中に吸い込まれていく。
拒否権はないらしい。
女神カウはサムズアップさせた指を俺の方に向けて来て、言い放つ。
「GOOD LUCK」
こうして俺の異世界への旅が始まった。