8話 スパルタとアテナイ
都市国家で王政が崩壊すると家が支配するのが一般的なようである。アテナイの場合、四百年ほどまえまで王政をしていて、王家の子孫は未だに支配的立場を持つ階級の一員として残っていた。
ペロポネソス半島の西側から東側へ徒歩で半月をかけて移動して、たどり着いたアテナイは思った以上に色彩豊かな場所であった。
支配階級と被支配階級が明確に分けられているだけではなく、政治を決めるのは有力な家から生まれたエリート。
王様からの命令である。ペロポネソス半島の安全のため、害獣となる獅子狩りに従じろと言う。
特にこれしか選択肢がなかったわけではないのだが。こんな時代に名声が高まったらどうなるか。
独裁的な傾向の強い都市国家でだと、自分たちの命令なら誰でも聞くと思い込む連中も少なくない。
スパルタ全体を敵に回すわけでもない、俺一人を自分のところへ招待して動物園のパンダよろしく一目見たいと言われれば、何かしらの対価を貰える場合は断るにも断れない場合もあるわけで。
物質的なものは必要としていない。肥沃な土地と鉄を打つ植民地があるんだから。
だけど、外交的に譲ってペロポネソス半島の平和のために自分たちが一歩譲るなどと言うことを言われてしまえば、争いが起こることを拒むスパルタからしてもうまい話となるわけだ。
たかが時の人を見たいがためにそこまでするのかと言う話だけど。
独裁者とて見栄を張りたいだろう、そうすることで自分たちの権力に正当性を与えられるという。
とはいえ、こっちも守りたいものはある。二人の王様だって俺を犠牲にしたいわけじゃないだろう、ましてや祖国のために尽力してきたことは誰もが認めている。
それでもすべての要求を突っぱねるには足りない。
何より、これはもうどうしようもないことだけど、占いをした結果、俺が一度は外に出て何かしらの功績を上げるのが吉と出ていた。
古代世界において神官によって行う占いは王様の言葉より重い価値を持つ。
奴らは別に買収されて好き勝手に占ってるわけじゃない。古代世界の神事とは、必ず権力とは別のところで行うものとして受け入れられていた。俺も最初はこれでいいのかと戸惑ったが、なぜかよく当たるのだ。
今年が豊作になるかそうでないか、災害が起こるか否か。遠征を決める時や政策に取り組む場合も含めて、これでもかと当たる。意味不明過ぎて面食らったものだが。神様でもいるってか。見たことがないんだが。
方法は様々で、調合した薬草を燃やした煙を吸って行うもの、怪しいキノコを食べてするもの、神像の前に祈りのポーズで何日も眠らずにいてからいきなり喋りだすものまである。
共通点はと言うと、占ってる時の神官が正気ではないと言うこと。俺が生きていた時代に占い師がやっていたものとは根本的にやり方が違ってて、星座やら誕生日やら、そういうものは一切必要としない。いるのはただ一つ。トランス状態になること。占ってる時の神官の雰囲気も普段とは違ってて、白目をむいた状態で、大声を出す。
だから権力なんて通じやしない。ちょっとした恐怖まで感じる。
ここまでするのかと。確かに科学なんて発展してない世界で、気象予報も存在しないのに農業で依存しないと食糧の生産が間に合わないだろう。
そしてスパルタで主神としているのはアポロ。よく戦神のアレスじゃないかと思われがちだが、土地を基盤に成立している農業国家なので、太陽の恵みを最も重んじるのは仕方ない。
好きになった女性を追っかけるようなろくでもないイメージもついてるアポロではあるのだが……。
ただ主神だからと主神だけを崇めるわけではない。農業限定。安定した食糧の供給こそ国の基盤となるという考えから来る実用的な発想……。神様頼みな時点で実用もくそもあるかと言う話だけど。
まあ、俺も一応アポロ神像の前では祈りをするようにしてる。単に手を合わせてラケダイモンの土地に恵がありますようにと呟くだけだが。
ギリシャの神像と言えば白い大理石というイメージだけど。普通に色が塗ってある。多分植物由来の染料を使ってるから、時間が経つにつれ色あせてしまったのだろう。彫刻だけじゃなく、大理石の建物にはほぼ色が塗ってあるのが殆どで色彩豊かな都市の風景である。
とまれ占いで行けと言われた以上、行かないわけにはいかない。だが王様や独裁者が支配しているところには避けた方がいいと言うことで。
じゃあ寡頭制のところへ行けばいい。今の時代に少数の有力な家が支配している場所と言えば、イオニア人が幅を利かせているペロポネソス半島の東側。
また一人旅かと言う話だけど、そうでもない。イオニア人と一緒である。
やけにイオニア人と絡むんだよな。別に好きでも何でもないのに。毛嫌いしているわけではないが、あまり好きになれないのも事実である。なぜって、名誉より商売とお金を取る連中だから。
権力にもそこまで執着していない。面倒な奴は嫌いだが、面倒だから政治はそう言うのが得意な連中がすればいいという発想から寡頭制が続いている状態をいつまでも許容している。
と言ったのは、俺を連れに来た若造の話である。俺ももう六人…、正確には十人かそれ以上だが、まあ、そんな子供たちを持つ、今は三十代半ばのベテラン戦士である。アゴゲも終わって、好きに過ごしても構わない。貴族なので財産も土地もある。まあ、親が健在なので俺はまだ今の時点でやれることなんて一つもないのだが。
宿舎と家を行き来しながら、平和な日々を過ごしてのである。剣術にも身が入り、今じゃ俺が考案した独自のカリキュラムもアゴゲの中に入るようになった。
瞑想をして雑念を飛ばし、心が動く前に体が動くようにすること。
宿舎のすぐ外はただっぴろい野山が広がっていて、座禅を組むにも丁度いい。禅の心得とかはないが、要は明鏡止水を目指すだけだから、宗教的な概念は必要としない。いるのは己を研ぎ澄ますこと。
呼吸を安定させ体の調子も整いやすくする。
そうしていると訓練によって痛み付けられた体からもそれがスッと消えるのを感じるのである。
実際に傷の治りが早くなる気がする。気のせいではないと思うのだが、どうだろう。
そんな充実した生活の邪魔をするのかと、ちょっとした苛立ちはあった。だが迎えに来た奴がアテナイの名門家、しかも旧王家の子孫だと言うじゃないか。
それで実際に会ってみたら、結構面白い奴だった。気さくで親しみやすい性格。まあ、イオニア人なんて論争をしない場合は大抵はそうなのだが。だが旧王家の子孫がそういう性格だとは思えなかった。名前はソロン。どっかで聞いたことあるような気がする。どこだったか。年齢は二十にもなってない。
ギリシャ人らしく運動量が多いのだろう、健康的でそこそこ筋肉もついてる。あまり強そうには見えないが。いや、これはスパルタを基準にしているせいか。
彼は十人ほどの従者たちと来て、王様たちと何やら話し込んでいた。あまり興味がないので聞いてないが。政治は面倒くさいと感じるのは俺だけじゃないから。いやまあ、スパルタの政治は単純明快で好きなんだが。派閥が存在しないので。
意見が対立する時がないわけではないが、結局は祖国第一主義が最終的には勝つので、あまり論争をする理由がないという。
それで祖国のためならと赤子まで殺害するようなシステムを作ってたんだから、意見が対立しない状態が続くと言うのも考え物だなと思わずにはいられない。
この旅が終わって祖国に戻ったらスパルタ政治に変革をもたらすべきかと悩むところ。
ソロンはまあ、エリートなのだろう、色々考えているのが多いようで、こっちに聞くことが多かった。俺が今まで戦ってきた戦場のこと、スパルタの在り方、独裁者で溢れている今のヘレニア連邦をどう見ているのか等々。
良くないとは思う。有能な独裁者でも最終的には堕落するのが落ちだから。
権力は人を堕落させやすいものである。責任に押しつぶされるのもそうだけど、自分が権力を握った途端どうなるかなんて誰もわからなければ、人に、歴史に、世界に見られているという感覚は単純に精神的に疲れやすい。その疲れを十分に癒してもらえなかったら暴君になるんじゃないかと。
スパルタでは貴族だからと特権なんてこれっぽちもないので、堕落どころか進んで自分から死地に飛び込むようなことをしているが、果たしてヘレニア連邦の他の国々でもそれが出来ているとは思えないのである。
その言葉にソロンは目をキラキラして俺を見つめてきた。やめんかい、俺はお前たちと違って妻一筋……、まあ、ベルニケもいるが……、ほぼ一筋なんだぞ。
「なるほど、ではグレゴリウス殿は権力と言うのは本質的に堕落を助長させる性質があると見ているんでしょうか。」
まあ、大抵の場合はそうだろう。単純に考えて、権力を持つ人間は自分がやりたいようにすることを制限されない。心にどのような闇を抱えようと、それが実現できてしまう。悪いたくらみをしても誰も止められない。だから権力を持った人間は内側から湧き出てくる自らの闇に飲まれ、狂う。
そうしないためには無数の規則でがんじがらめにでもするべきだろう。俺が前に生きていた時代なんてそんな感じだった。それで徐々に権力者は規則の体現する存在となってゆくという。
ソロンはそんな俺の話を聞いて感銘を受けているように見えたが……。何か企んでいることがあっても俺を巻き込むなよ。獅子狩りをして街道の安全を確保するだけだから。それと獅子狩りにおいてのコツも教える。
道を行く途中でも何頭か仕留めた。
エウメリアが隣にいてくれたらよかったんだが、いないことには仕方がない。
ヘレニア連邦の服装なんてただの布を巻いてるだけなんだよな。
それで激しく狩りをしてたらどうなるか。そんなあられもない姿をイオニア人の男に見せてたまるものかと。
アテナイにたどり着いてから早速、俺はソロンと共に狩人たちを集めて近くの森にある獅子の巣に向かった。ソロンもついて来ようとしたが、家の人に連れていかれた。
カラマイは使わない。槍とは違って剣術は一朝一夕で身につくようなものじゃない。槍も深めようと思えば神髄に至るまではどこまでも行けるが。
そもそも人間は棒切れを握ることから進化していたようなものだろう。
直感で何とか出来る領域が殆どで、槍術と言うのはその直感を深めるものに他ならない。
人類進化の悠久な歴史からしても、数千年ほどでしかない剣に比べても、百万年の年月分が遺伝子単位で組み込まれているようなものである。
人間は、四肢がある状態なら、棒切れを握った途端に戦闘力が飛躍的に上がる生き物なのである。なぜ万物の霊長となっているのか。優れた頭脳ももちろんあるが、人間は身体の外側にあるものを自分の手足の延長線上で使えるからだ。
老若男女関係なく。
単純にカラマイは使わせたくないと言うのもあるんだが。独裁者から解放させることで植民地となったタラントで作り出したスパルタ固有の兵器である。いくら同じ連邦の住民だからとおいそれと握らせるわけにはいかない。
形だけは真似し始めているようだが。果たしてどうなることか。
腰にカラマイをぶら下げたまま、その場で折った枝を手入れし、先を鋭くさせて試しに地面を突くと深々と刺さった。それを数回繰り返し、五本ほど作る。毒を塗るのもありだが、まあ、そう簡単に回るようなものじゃなければデモンストレーションに搦め手はご法度である。
鋭い木の棒を五本だけ。これでいい。
森の近くに俺は多くのイオニア人が見ている中、遠くであくびをしている獅子たちに堂々と近づいた。獅子は気にすることなくこっちを見ていたが、そうはいくかと。一つを遠くから投げたら胴体に深々と刺さった。
脅威を感じ取ったのかその場にいた獅子たちが一斉に襲ってきた。攻撃を躱しながら胴体に適格な一撃で仕留めるのを繰り返す。
やがてその場に立っているのは俺一人となった。
イオニア人たちは苦笑していた。自分たちにもそんな神がかった動きが出来たら苦労はしないと。
瞑想すればできるんじゃないかとその場の乗りと勢いで瞑想を教える。アテナイでは一か月ほど滞在していることになっていて、周辺都市をも回りながら似たような方法で獅子を狩り、瞑想を教えた。
これが後に『狩人の瞑想』と言う文化にまで発展して、地中海全域に広まるのだが、それはまた別の話。
だがまあ、名目上では獅子狩りでもそうはいかないだろう。ソロンの住んでる家で寝泊まりをしていたんだが、それはもう豪華であった。
基本的にこの時代に建てられたギリシャの家は、内側に開けられた空間があって、外側で囲むような作りをしている。それも殆どの場合は二階。
しかしここではその規模が段違いで、神殿にも劣らない大きさを持ち、内側の開けられた空間は普通は庭なのだが、丸っと浴槽となっていた。浴槽と言うか、サウナと言うか、プールと言うか。暖かい水が詰められて、柱に囲まれている。
同じ上流階級の人間でも、家具なんて殆ど持ってないこっちとは正反対である。柱にの下の部分は朱色で着色され、壁には壁画も描かれている。
裸で踊っている男女の絵。
真ん中の部分が開けられており、日光の注ぐ天井には緑と青で幾何学模様が描かれていた。
外側はただの真っ白な壁なのに、内側は全体的に色彩豊か。
侍従も何人いるのかと。多分奴隷なのだろう。
よくこんな時代にこんな建物の中で住めるものだと感心せずにはいられない。
晩餐会には引っ張りだこ、案の定、英雄譚を聞かせてくれとせがむ人たち。
別に英雄のつもりではないのだが。特に自慢するようなものじゃない。するべきことをしたまで。そう言ったらもう……。
イオニア人ってこんなにうるさかったのか……。
ちょっと印象は変わったかもしれない。なんというか、現代人に近い感覚な気がする。
ミーハーで、おしゃべりで、うるさい。何かを思い出させると思ったらあれか。リア充な連中か。
最初のころなんか生理的に受け付けないと思ったらそう言うことかと納得。
ただまあ、口調とか話術とかも学んでいるのだろう。それなりに気品を感じる。
偏見があったのは認めるしかない。彼らは彼らなりの生活をしている。
ある意味必然とも言えたが、論争があった。ただそこまで激化したわけではなく、落ち着いた声で淡々と。他の誰でもない、最初からずっと俺に興味を示したソロンとのことである。
真夜中。
俺たちは腰に布を巻いただけの状態で、温かい水のたまった浴槽から星空を眺めていた。晩餐会も終わって、お酒の余韻もすっかり消えてる。寝る時間だが、心は妙にざわついていた。
祖国とそこまで離れたわけでもないのだが。エウメリアが恋しいのか、それとも自分の中で何かが変わったことに対しての不安なのか。だからか、自然とそんな言葉が口からこぼれたのである。
「イオニア人にとっては富がすべてで、それさえ守ることが出来たらそれ以外はどうでもいいと思っていた。違うと思うか?」
「さて、私はすべてのイオニア人を見ていたわけではありません。ですがこれだけは言えます。富とは、人々の願望の上に作られるものです。一つ一つの願望が集まり、大きな線を描く。自分が生きるためだけではなく、他人のために何かをして、そうやって作られたものが他人の手に渡る。素敵なことだと思いませんか。」
結構ロマンチックだと思うが、まあ、間違ってはいないだろうな。
「だがその願望は何の上に立つ。国があってこその生活ではないのか。」
その言葉にソロンは少し考えてから答える。
「ラケダイモン人にとってラケダイモンとは生まれながらの祖国で、何もかもを提供させてもらっているのでしょう。生き方のすべてを学ばせてくれる。だからこそ守るようになると。ですが人々は貿易を通して自らの心に豊かさを求めます。遠くにいる誰かを思い描き、自分なりの形で神々との関係を、人生の意味を形作る。確かにラケダイモンにはラケダイモンしかできないやり方があって、それがミケーネ全域にどのような政治的影響を与えているについては理解しているつもりです。しかしすべての国々がラケダイモンのようにはなれない。それはラケダイモン人であるグレゴリウス殿、あなた自身が最もよく理解している事柄ではありませんか?」
頷く。
「結果的にミケーネの平和は守られている。だがな、少年。それがいつまで続くと思う。地中海には俺たちだけが住んでいるわけではない。小アジアも、エチオピアも、イタロイだってある。国を守らずして富だけを求めたらいつ彼らに背中を打たれるかなんてわかったものじゃないだろう。」
イタロイは、イタリアのことである。エチオピアは北アフリカのこと。
「なるほど、かの剣聖グレゴリウス殿はラケダイモン人らしからぬ広い視野をお持ちでいらっしゃるようだ。」
「それは褒め言葉として受け取ろう。」
「実際に褒め言葉ですからね。あなたが行ってきた改革は、こっちまでも伝わってきています。同じヘレニア連邦の一員であろうと、他国での戦争英雄を招こうだなんて、考えの足りない独裁者ならともかく、こっちではそのようなことは致しません。だからあなたの王もあなたがここに来ることを許可したのでしょう。直接あなたの口から聞きたかった。私はですね、ヘレニア連邦の未来を憂いているのです。確かにあなたの言う通りかもしれない。人々は富だけを求めて、守るべき価値を忘れ、商売でも相手を騙して自分たちがどれほど多くの利益を残すだけを考える。このままではいけない。そう思っていました。」
エリートと言っても別に皆彼のように真剣なわけでもないと思うのだが。まあ、それなりの信念はあるだろう、それがいかに歪んでいるものだとしても。
「その年齢でよくそこまで考えるものだ。だが少年、君はそれに対して何か答えは出しているのか。」
「怒らないでくださいね。私はですね、こう考えています。愛国心は良い枷となる。国を愛するためには、国がもっと機会を増やさないといけない。やがて誰しもが政治に参加するようにまでなる、そうすればきっと、富以外の価値にも心を向けるようになるでしょう。」
何だろう、こいつ。実は俺みたいに逆行転生しているんじゃないんだろうな。
「人はそれを自由と呼ぶ。」
「なるほど、それこそが自由なんですね。」
自由主義を知らない?少年は笑顔のままこっちを見ていた。本当に感心しているようで、うんうんと頷いている。
「だが少年よ、それは果てしなき道のりとなるだろう。一人で出来るのか。」
「あなたのような人物が隣にいてくれたらいいんですけどね。」
そう言って俺の腕を触ってくるが。
「俺には守るべき祖国がある。それと少年、俺が最初に自分をどう紹介していたのか言ってみろ。」
「エウメリアの夫、グレゴリウスでしたか。」
「そうだ。君の人柄に惚れこむ人間はきっと少なくないはずだ。その中から探してみろ。」
「一人で出来るものかと聞いたのはそっちなのに…、それと男と男の関係は男女関係とは違うものなんですよ?」
だからやめろと……。
まあ、ちょっと可愛いかもしれないが。
その後、特に何もなかった。本当に何もなかったよ。本当だぞ。
そしてソロンのことだが…、スパルタに戻ったころになって思い出したのである。
アテナイに民主主義の概念を広め、独裁者が現れた後にアテナイが民主主義となったのは彼の功績だと言うことを。
と言うか、古代ギリシアって、ちょっとやばくないか。危うく違う扉が開くところだった。次生まれたら同性愛を経験するのも悪くないかもしれない。まあ、今はエウメリア一筋だけどな。ベルニケもいるが……。全く……、自業自得とは言え、しまらないものである。
この時の俺はまたまた知らなかった。
アテナイで行われた改革が、ヘレニア連邦でのスパルタの責任をも考慮に入れるようになったのを。
そして俺自身と、俺が変えてゆくスパルタの姿もまた、アテナイを、イオニア人を認めるように変わっていた。
結果どうなったかと言うと。
後の時代に、アテナイとスパルタの間にペロポネソス戦争が起きないことにまで発展している。
アテナイを改革しようとしていたソロンとスパルタを改革してきた俺の出会いは、そのように歴史の流れを大きく変えたわけだけど。
それからも年月が過ぎた後、立派な青年になった彼とも何度か会って、そのたびに有意義な時間が過ごせた。
これもまた友情の形なのだろう。友情であってるよな?いや、これ以上考えるのはやめよう…。