7話 獅子狩り
スパルタでは高い運動量にもかかわらず食事量は比較的に少ない。
なのでスパルタの女性なんて体の曲線が美しく、男性もどこぞの映画で描かれているようなムキムキの筋肉ダルマと言うより、肩幅が広いだけの細マッチョと言ったところ。
要するにスパルタでは美男美女が多いと言うことだが……。俺も水溜まりで自分の顔を見る時、未だに信じられない。
だがまあ、顔は二の次である。大事なのはどこまでも洗練された心と体を保ち続けること。
筋肉はしなやかで柔軟、重い一撃より早い一撃を見舞う。
だからと一撃が弱いわけではない。
スピード中心のスマートな戦いをするのも、敵を無力化することにそれほど多くの力は必要としないから。剛力を発揮する時はそうする。何事も時と場合による。
ただ脳筋と力だけがスパルタ戦士の強みではない。
細マッチョなのは仕方ない。重量級戦士は遅いので、そうなるしかない。
だけど幼年期から成長期に向かう時期にはちゃんと食べた方がいい。朝食以外は食糧を殆ど支給しないとか、ハングリー精神にもほどがあるだろう。
スパルタは年齢によって何もかも決めちゃうようなことをしているが。
食事だってその決めごとに含まれているのである。家に行けば暖かいご飯が待っているわけではない。
アゴゲと言う年齢による教育制度の中に入っている時に、まだ成人とも認めてもらってない男が家に戻ったら親に追い出されるのが落ちである。
なので昼食からはサバイバル。盗み食いをするか狩りをして食べるか。
自然と食べる量に差が出る。俺は結構しっかり食べていた。主に野鳥を。毛を抜いて、焼いて、食べれる野草は市場で見てるのでわかるから。
それでもある程度は融通を利かせた方がいいと思わずにはいられない。
脱落して死ぬ奴も出てくる。さすがにそれはいけないでしょう。
だけど子供が食う量を増やすと食糧供給も増やす必要がある。
農地を増やせばいいんじゃないかって、そうもいかない。
ヘレニア連邦で農地は戦場になりやすい。森を切り開くから、重装歩兵が衝突する場所に適している。
それに平野ではなく丘が殆どで、そこの木々を伐採したら土砂崩れが起きるだろう。
なので元々決めた土地から無理やり拡大するようなことはせずとも、今までは問題なく過ごせたけど。
それでいいのかと。
子供に分配する食糧を増やしたら子供の成長にもつながる。
それだけじゃない。心に余裕も生まれる。
心に余裕があると物事を客観的に見る目も育ちやすい。
だがそうするには食糧が足りない。北に植民地を作ったところで増えた人口を支えるだけで精いっぱい。
ならどうする。
「食糧が足りない時には狩りをすればいい」
などと言う暴論を議会で展開。
動物を殺すのにも当然ながら罪悪感も少しはあるけど、人間と動物が正面から食糧をめぐって競争していない状態なら平和に暮らせるだろう。だが今はそうもいかない。
皆してまたお前かと見てくるが。
狩りは割と理にかなっていると思う。狩猟をするだけでも部族単位で食料が賄えるんだから。
俺は前世からの知識で狩猟民族の存在を知っている。
まあ、農作物も幾分か育てて森から採集もするようだが。
レウフコスは狩猟もする遊牧民なので、知らないだろう。
狩猟だけでもそこそこ行けるのである。
だが狩猟を始まる前にやらなければならないことがある。
それは何か。
このミケーネ世界は蛮族の侵攻以外にも脅威となるのは少なくない。
肉食獣の数も割と多く、定期的に駆除しないと家畜だけにとどまらず人まで攻撃してくる。
別に肉食獣は人間に対して無条件で敵対するようなことはしない。
それは生態系での自らの役割を己を形作る遺伝子が理解しているからだろう。
ある意味本能とも言える。
群れ単位でも人間と敵対的な行動をとることは、自然界では滅多に見られるものじゃない。
じゃあどんな人間が標的となるのか。
都市から離れた人間。弱い子供や怪我人、障害を持つもの、そして一人で旅をする旅人。
スパルタでは老人ですら弱さには程遠い。むしろ筋肉の使い方を熟知しているため、七十を超えても調子に乗った若僧くらいは素手で制圧できる。
奴らは自分たちが手を出してもいい人間とそうでない人間の区別くらいは出来る。
それが出来なくなるのは、余程のことがあって狂ったか、群れの数が人間を圧倒しているか。
ヘラクレスの神話にも人を獲物にする獅子の話があるが。
ちなみに、この時代のミケーネ世界。普通に獅子がいる。
そしてヘラクレスは実はスパルタ王家の祖先なんて語っているが。建国神話みたいなものだろう。神様が本当に存在してるとか、そんな神話世界なら良かったかもしれないが。
残念なことに地球はそういうファンタジーな世界ではないようである。
そうは言うけど、実際に住んでると先なんて真っ暗。夜には星の光だけが頼りである。
星座の形にするにはこじつけが過ぎるのではないかと、前世では思っていたものだが。そうでもない。
真っ暗な夜には天の川と星が無数に見える。大きな星から小さな星々を繋げると何となくそう見えなくもない。
ヘラクレスが踏み潰したとされるさそり座とか。
スパルタ人にとってヘラクレス神話とは、スパルタが耐えてきた苦難の歴史を象徴している。
十二の試練はそのまま二百年ほど前にミノア王国の崩壊からスパルタが解決せねばならない出来事を意味していて。
そしてその中に獅子を殺した話があると言うのは、スパルタが地中海に多く生息している獅子の群れを駆除していたことを意味する。
獅子狩りと聞くと人間なんて一たまりもないと思えてくるけど、実際は逆である。
こっちが多数だと獅子の方が逃げる。逃げるのを追いかけて殺さないといけないが、こればっかりはどうしようもない。獅子の方が人間より早く、森を住処にしているため追撃が困難な場合も少なくない。
持久戦を挑むにも、森の中である。平地を走るならともかく、森を走るのはいくら鍛えても躓かないようにするため、かなり遅くなるのである。
ならどうするか。獅子側から挑んできてもそちら側が勝算があるように思わせるほどの少人数で殺しつくせばいい。
それか馬を使うか。
アレキサンダー大王は馬に乗って獅子狩りをするのが趣味だったらしい。
だがこの時代はまだ馬具なんてものもなく、スパルタに騎兵なんて兵科は存在しない。
山岳地帯に馬は扱いづらいこともさながら、ファランクスは大きな盾を持って防御をするので。
あまり意味がない。いや、今は剣士があるからいいかもしれないが。
弓のような飛び道具を防ぐために重装歩兵はアスピスと言う重い盾を使う。馬に乗ったら飛び道具に狙われ放題ではないかと。
とまれ、獅子狩りは少人数で挑むしかないと言うことで。
二人か三人で獅子の群れを殺すという無茶なことをするわけだが。
まあ、いうほど難しくもない。
槍を投げて仕留めるのはそう難しくもない。一頭を殺せば襲ってくるので、それをもう一人か二人が網を投げてで防ぎつつ仕留めるだけでいい。
簡単だろう?
まあ……、確かにスパルタは脳筋かもしれない。
そして俺は妻とエウメリアと組んだ。
別に他の男と組みたくなかったとかじゃない。俺が行くと言ったらエウメリアが自分と組んで行かないかと提案してきて、拒む理由がなかった。
男性とほぼ同じ訓練を受けるスパルタの女性が獣に負けるんじゃないかって、それはもう侮辱以外の何物でもないから。
「嬉しいな、グレゴリウス。あなたと肩を並べて狩りをする日が来ようとは」
「ああ、俺も君のような妻を持てて嬉しい、エウメリア」
獣は人間に比べて圧倒的に強いと良く言うが、それは人間を甘く見ている。人間が弱いわけじゃない。動物だからと勝てないなんて、素手なら確かに勝算が低いのは事実ではあると思うが。
道具の力を借りたらそうでもない。
動体視力なんて他の動物と比べても割と優秀なほうで、時速200キロ以上のシャトルコックを打ち返せるのが人間である。
誰でもスパルタの戦士のような訓練を受けていたなら、木の槍一本でも獅子一頭は狩れるだろう。
獅子を見つけたら、正確な姿勢を取り槍を投げる。
エウメリアは襲ってくる獅子を網で動けなくして、日本刀のような形をしたカラマイで止めを刺す。もはやスパルタでは女人ですら使う主武装となっている。
腕の細さは動きの速さにも繋がってて、俺より細い腕の彼女の剣は刹那の間に獅子の首に深々と斬りこむ程の速さである。
切れ味も抜群だけど、骨ではなく肉を切れたのは何度か獅子を狩ったことがあってのことだろう。
獅子狩りはスパルタの戦士なら誰でも一度は経験するものであるからして。
狼も狩る、獅子も狩る。
ラケダイモン地方において生態系の頂点はスパルタの戦士でなければならない。
油断なんて言葉は我々の辞書には書かれてない。襲ってくる獅子を何頭か殺したら逃走を始めるが。
その方角には別の戦士がいる。すぐに仕留められるだろう。
獅子が減ると鹿が増える。増えた鹿はスパルタ人にとって良質なタンパク質を提供してくれるはず。
スパルタの戦士はギリシャ全体でも身長も高く体格に恵まれている。
他のギリシャ人は肉よりパンの、それも柔らかいパンの消費が激しい。イオニア人なんて特にそうで、柔らかいパンに果物や蜂蜜、焼いた小魚などを少し添えて食べるという。
炭水化物だけで大きくなれるものかと。こっちは脱穀なんて眼中にない、硬い黒パンを食べているのにだ。
本人たちはあまり自覚してないと思う。スパルタも他のギリシャのポリスでも。なんで柔らかいパンを食べてはいけないのかと言われたら……。体を大きくしやすいからと答える?
ミケーネ世界にタンパク質を多く取る文化を補給すべきなのか。
それで迫りくるレウフコスや砂漠から来る小アジアの軍隊を相手により洗練された戦い方が出来るようになって……。
そんなことを思いながらエウメリアと心躍る思い出を一つ作って家に戻って。
血を見たせいかその日の夜激しかったのは言うまでもない。
しかしこれで終わりじゃなかった。
本当に他のポリスから獅子狩りを頼まれることになるなんて、この時の俺は思いもしなかったのである。
なぜって、グレゴリウスの名前はもはやギリシャ連邦では誰にも一度は耳にしたことがあるから。
「あの奇妙な黒い模様が刻まれた細い曲剣はなんだ?戦場で見た時、途轍もない威力を発揮していたではないか。カラマイと言うのか。ラケダイモンの貴族が開発したと?グレゴリウス……、あの剣聖グレゴリウスか」
道端でテーベから来た商人がそんなことを本当に語っていた。
本人が隣にいるとは思わなかったんだろう。
俺こそがかのグレゴリウスである、なんて現れるのも躊躇われたので、建物の陰に隠れてこっそり聞いていた。
ちなみに黒い模様と言うのは積層鍛造をした時に剣身にできるノイズのような模様のことである。
剣聖に続いて獅子狩りのグレゴリウスと言う二つ名が出来たわけだが……。
意図したわけではない。転生者だからとヒャッハー!がしたかったわけじゃない。
エウメリアの名前まで有名になっていく。
エウメリアの夫、グレゴリウスであると自己紹介をするので。
今更だけど、エウメリアと俺の間に子供は六人も生まれた。
男の子が三人と女の子が三人。
アゴゲの途中なのであまり見る時間はない。顔と名前くらいしか。
長男カリアス、次男へスぺロス、末っ子のダミアヌス。長女アガサ、次女テオクレイア、三女ライサンドラ。
ベルニケとは四人生まれた。念のため彼女の夫にも確認してみたが、自分はやってないんだと。
こいつ……。
ベルニケとは男一人に女の子三人で。男の子の名前はアルカディアス、女の子は上からコリンナ、ドリス、アガサ。
ベルニケとの子たちとエウメリアとの子たちには決して互いに結ばれないようにときつく言い聞かせたが。
遺伝子疾患になる確率が上がるので。
全員すくすく成長してて、特に長男のカリアスと次女のテオクレイアは独自の剣術がもう様になっているんだとか。
俺は一応、指揮官と言う地位にあるのでアゴゲで子供を指導する立場ではないためそれが実際にどのような形をしているのかは見たことないのだが。
後でわかったことだけど、カリアスの剣術は神速の抜刀術、テオクレイアの剣術は攻撃を受け流す柔の剣術だった。
二人とも旅に出てテオクレイアはエーゲ海にあるたくさんの島にその剣術を広め、カリアスはイオニア人に広めたという。
そして俺の剣術はグレゴリウス流と言って、マケドニアとスパルタが主に使う軍用剣術となっている。
別に意図したわけじゃないのだが……。
まあ、子供に言っても聞かないのは親なら誰でも経験するものだろう。
末っ子のダミアヌスだが、ベルニケのところで生まれたコリンナに惚れて求婚して、コリンナもまんざらでもなかったようで。
すったもんだあったけど、結局結婚を許可する流れとなる。生まれる子供が心配だったけど、俺の世代まで少しでも弱そうな赤子なら殺していたからか、遺伝子疾患の孫が生まれることはなかったが……。
そんな俺と俺の愛する女性たちと生まれた可愛い子供たち。
獅子狩りをしていたせいでアゴゲの時は鹿狩りをしてお腹いっぱい食べれたんだと。
鹿肉、美味しいんだよな……。アゴゲの時に食べれたのは数回くらいだったけど。懐かしい味である。
今は豚の内臓しか食べないぞ。




