6話 愛に狂う
スパルタの市民が受ける訓練、それはミケーネで最も過酷と言える。
俺が生きていた時代では短期間で成果を出すスパルタ式をよく言っていたが、実際は日々の積み重ねである。
そんなスパルタの訓練を一言で言うと、終わらない自分との闘いである。
重い石を皮の紐に括り付けて、腰に巻いてから丘の上まで走りこみ。
体が温まったところで川を泳いで遡る。
背中に重い石を載せて腕立て伏せから何種類かの筋トレをこなす。
次に丸太を担いでスクワット。
筋トレが終わったらでパンクラチオンとボクシングの時間が待っている。
この時打撃耐性や痛み耐性を上げるために一人が真ん中に立った状態で、複数人に囲まれ四方八方から殴られる。
嫌なら全員を制圧するしかないが…、それが言うほど簡単に出来たら苦労しない。
その次に木製のレプリカ武器を使っての戦闘訓練。
槍投げ、こん棒、木剣での模擬試合。アクロバティックな動きをする時もある。
ここまでして午前の訓練が終わる。
宿舎に集まって昼食を取る。豚の血と内蔵に野菜を煮込んだどす黒いスープに硬いパン。そこに果物を少し添える。
午後はファランクス陣形を組んでの訓練と歴史のおさらい。
ご飯を食べた後に激しく運動するのは良くないことを経験で知っているので、先に歴史の時間。
と言っても知らないことを学ぶのではなく、詩の朗読と言う形で繰り返して覚えるのである。ここ数百年の間に起きたいくつものの出来事を詩にして歌うんだけど、当然その内容はと言うとこれ程かと長い。
ミケーネの歴史とスパルタの歴史。
それをリズムに合わせて口にしながら合唱をするのである。
それが終わったら歌を歌い、踊りを踊る。
簡単なステップを踏む単純な踊りで…、ちょっとダサいかもしれない。
次にファランクス陣形の訓練。ファランクスを組んだ状態で、いくつものの状況を想定して移動をしたり槍衾を作ったり槍投げをしたり。
これが終わると自由時間だけど、まあ、基本的にはスパーリングをするか自分が好きな方法で筋力を鍛える。
これを、成人してから殆ど毎日休まずやっているのである。
十歳から二十歳になるまでは重いものを背負ったりはしないが、ファランクス訓練の代わりに隠密訓練と山岳地帯でのサバイバルが含まれてる。
女性の場合はサバイバルの代わりに集団で狩りをするという。
弓矢を学ぶのである。筋トレも戦闘訓練もこなす。
そうやって山と森に入るサバイバル生活を一年ほどしているとどうなるか。
石を投げて一発で鳥を落とせるなんて造作もない。
一石一鳥である。
祭典がある日や納得できる理由を提示したら休んでもいいが。
誰も進んで休みたいとは思わない。
お祭りの時や祝日とかは休んでいるが。この時は劇を見に行けて、散歩を楽しめる。
お酒を飲んで、いたずらをして、狩りをして。
それはお祭りの時だから。
休み期間がちゃんとあるんだから、俺だって別にこんな厳しい訓練を続けるのをやめて休みたいなんて、全然思わないのである。
皆やっているから自分もやらなければならないとか、そういうものではなく、自分が好きだからやる。守りたいから、隣に立つ仲間を、愛する女性を、祖国を。
だが…、そんな祖国が…。危機的状況である。
何に。
出生率がマイナスなところに。
老若男女合わせて貴族の人口は二百、参政権を持つ市民は合わせて三万ほど。
百年前は貴族が四百、市民が五万ほどだったようだが。
貴族は進んで自分の家で生まれた弱そうな赤子を処分したことから市民より人口の減少が激しい。
これが後になったら二十三家まで減ってしまって、元老院を構成することになるようだが…。そんなことを俺がさせるものかと。
赤子を処分するのを辞めさせたところで、出生率が低い。それはなぜかと言うと、ほぼ宿舎生活をしているから。
異性との交流はあるが、宿舎生活をしているので結婚しても夫婦が一緒に暮らしてないとか普通にあって。すると当然子供が出来ない。
こいつら馬鹿かと。
そんなやってたら人口が減って当然だわ。もっと積極的に目合うようにしないと。お酒の力でも借りるか…。別に恥ずかしがっているわけじゃないんだよな。
互いが嫌いあうとかでもない。
単純に生活を離れた場所でし過ぎ。宿舎生活はやめろ、なんて言えないので。夕食を取ったら家に戻るように…、いや、家を所有してない人も少なくない…。
だがまあ、やりようはある。俺は幾度か提案してみることにした。
先ずはダンスの時間は男女でペアを組む。肌が密着するとその気になるだろうという安易な考えだが…。これはそこそこうまく行った。
次に結婚した夫婦のために共同生活の出来る建物を作って、結婚した後3年間はその建物で生活するようにする。
これでまた議会でひと悶着あって、結局また遠征に行くはめになったが…。人口減少を防ぐためにはこうするしかなかったんだ。
そして最も重要なことだが、スパルタの市民に向けて啓蒙活動をする。
そもそも男女で愛し合うことは気持ちいいことだろ。訓練で汗水だけ流すことだけが正解じゃない。
このままだと人口は減る一方。
いずれ祖国は蛮族に蹂躙されることになるだろう、それでいいのか。
そんなことを多くの人たちが集まった食事の時間などで演説をして徐々に説得していくという。
ほかならぬ同胞の、それも実績のある優れた戦士の言葉を、ただ聞き流すなんてことはあるかと。
王様でも納得をしていたんだ。
まあ、すると当然なことではあるのだが。
人口が増えて増えた分の人口を支えるために何かをしないといけない。
丁度その時期だった。
スパルタで急激に人口を増やし剣士部隊を新設、その力は想像を絶するほどだったということで。
いくつかのポリスから提案がなされたのである。
北方遠征へ行って、奴隷を連れてきて増やそうじゃないかと。
農地を増やそうじゃないかと。
植民地を作ろうじゃないかと。
レウフコスは放っておいてもしつこくこっちを狙ってくる。奴らからしたら土地なんて先にそこに住んでる人間を皆殺しにして奪えばいいだけのものらしい。
それからどうするかって、破壊と略奪の限りを尽くすだろう。
実際にローマ帝国に敗北してからのヘレニア地方ではそのようなことが起きている。パルテノン神殿が破壊され、ゼウス像が壊され。
マケドニアなどではレウフコスに市民権を与えるようなことまでしているようだが、それは彼らの地理的条件がそうせざるを得ないようにしているから。
「だがいいのか、イオニア人よ。ラケダイモンは今躍進の時、君たちからしたら面白くないだろう。」
我らの王様の一人が言う。
「俺たちからしたら旨味も少ない。地中海での貿易を邪魔されるくらいならその分の土地をラケダイモン人が支配した方がこっちも助かる。」
そのようにヘレニア連邦の二大勢力が合意をした結果、遠征が決まった。
俺ももちろん剣士部隊を率いて参加。北方は地理的には問題ないが、如何せん少し北上しただけで気温が下がってて。
それに耐えるために毛皮のマントまで用意した。イオニア人が提供してくれたのである。イオニアからは物資を提供してもらって、動くのは我々スパルタ。
ちなみにイオニア人は別にアテナイだけではなくペロポネソス半島の東側にあるポリスは殆どイオニア人が回しているので、アテナイ以外も賛成をしていると言うことである。
補給の半分以上をイオニア人に任せっきりではあるが、これは別にイオニア人が実際に口にしたことだけが理由ではないだろう。
イオニア人からしたら小アジアの方が競争相手で、そっちから侵略を受けることを心配するべきだろう。
だがスパルタでは商業が生活に必要な範囲でしか回さない。贅沢もなく、余剰生産分は備蓄するだけにとどまらずポリスに回されるのである。
つまりスパルタが植民地を増やしたらヘレニア連邦全体が潤う。それでもやらなかったのはそうする必要性を今まで感じなかったから。
だが人口が増えたことでそうもいかなくなった。心配するべきは奴隷の反乱ではなくなった。
奴隷の数が足りなくなったらどうなるか。軍人たるべく日々の鍛錬に明け暮れる市民が、食糧生産などの労働に駆り出される。
するとスパルタ全体の戦力が低下するだろう。それだけではない。
戦士が戦士であることを諦めたらスパルタ固有の戦士文化が維持できなくなるだろう。
スパルタの固有の特色が消え、他のポリスと大差なくなるという…。
だがそれでいいのではないかと、別の時代を生きたことのある俺からしたら考えなくもないが。
そもそも奴隷制は良くないことだ。いくら相手が残虐な蛮族だからと…。いや、残虐な蛮族なのに奴隷にしてはいけない理由とは一体…。
教育を施せばいいのでは?いや、そこまでする理由はあるのか。マケドニアのように市民権を与えるか。
わからない。わからないけどそれはいいか悪いかの問題でもないだろう。
古代とは、国が起きては滅ぶことが当たり前な時代。
文明一つが滅んだら、そこに住む人間たちはどうなるか。
残さず殺されるかもしれない、流浪の民になるかもしれない。
わからないのである。苦悩しても仕方ない。神様ではないんだから。超自然的な力なんてない。ただの人間である。人間である以上、人間だからできることをする。
劇で見る神々はよく人に嫉妬していた。
刹那を生きて命を燃やし輝く人を、自分たち神ではできない生き方をする人を。
後の世で戦場で地獄を作り出した化け物と呼ばれようと。
今を生きる人間は精一杯自分で出来ることをするしかない。
それがたとえ見ず知らずの他人を食い物にする行為だとして、法も規則も通じない世界で一人でいい子として生きようとしてもそうはいかない。
奪われるくらいなら奪う。
滅ぼされるくらいなら滅ぼす。
よく殺される覚悟がある時だけ剣を抜くものだと言うが、俺たちは既に祖国がもたらす栄光と言う枷に魂の在り方を決められている。
それは最後に死をもって証明されるもの。
スパルタの人間に取って、死は殺されることで達成されるべき一つの終着点でもある。
戦士の死が忌避されることでない。
殺される覚悟があるものだけが剣を抜くか。
だが俺たちは既に死を決めている。
死ぬべき時を決めている。
祖国が死ねと命じたら死ぬだけ。
剣を抜いた瞬間、死はあるべき救いの一つとなる。
だが死を目的とするとは本末転倒。
死ぬなら祖国のためにやるべきことをやりつくしてから死ね。そうしなかったら生きる資格もないという。それは老若男女、誰でも同じ。
血も涙もないのかという話だが。
スパルタがこうなったのにも理由はちゃんとある。ミノア王国が崩壊してからはただの戦国乱世のようなものだった。
違いがあるなら誰も統一王国を目指さない点。
そんな中スパルタはミケーネを平定に導き、抑止力となっている。
こっちに勝手に期待するんじゃないという話だが。
そうもいかない。ミノア王国時代から戦士だった人たちがここに集まってスパルタを立てたという話なので。
本当かどうかはさておき、他の国ではそうしないのに一つの国だけ戦士文化を持つと自然と周りにあるすべての国のまとめ役となるのはある意味当たり前と言えよう。
背負っているのは祖国だけではない。
運命そのものである。その故に涙する時も少ない。
だが今更他の国にその役割を譲れるか。それともヘレニア連邦に戦士文化を広めるか。だがヘレニア連邦はイオニア人もそうだが、地中海貿易で栄えている。
スパルタでスパルタのやり方が出来るのも肥沃な農地があるから。
海軍はそこまで強くもない。何せ船の建造なんて誰も気にしちゃいないので。船の力がものをいう海戦のからくりはスパルタからしたら面倒なことこの上ない。
ならどうする。
だから増やす。このまま責任と言う名の重圧に押しつぶされて終わりだなんて、それはただ悲惨なだけではないか。泣いても誰も救っちゃくれない。赤子を殺してまで維持しても人口が減って滅ぼされると言う。
そんな運命を変えたからには、それが引き起こした結果も自分が責任を取らないといけないだろう。
たとえ我らから侵略へ向かう罪深いことをし、この手をレウフコスの血に染めようと。
抜いたカラマイは一段と鋭く光った。
殺すのは向かってくる奴だけ。負傷して戦闘不能になったところを追撃することもしない。
戦意を失った奴も殺さない。
だがこっちに刃を向けたら容赦なく殺す。
飛んでくる矢を切り落とした。
マントは血に濡れ、その目は栄光の先にあるものを見つめる。
隣で仲間を殺されたレウフコスの一人が恐怖に引きつった表情で武器を捨てて俺に向かって何か叫んでいた。
化け物、とでも言っているのかな。
なんとでも言うがいい。
俺は自分の行動に対してこのような形で責任を取っている。
人の道理を忘れたからこんなことをしているわけではない。
理解されなくても構わない。
なんて思いながらレウフコスの集落をいくつも落とし、多数の奴隷を確保して、植民地を築き上げた俺たちの兵隊は戻ったら祖国では英雄扱いをされていた。
「おかえりなさい、愛しの我が伴侶グレゴリウス。」
ああ、エウメリア。
俺は君のためならなんだって出来る。君が愛してやまない祖国のためならなんだって出来る。
愛はこのようにどこまでも残酷で、人を狂わせるものだったのかと。
生まれて初めて、責任をもって生きることの果てしなき重さを実感したのである。