4話 スパルタの剣士
スパルタは別にこもって守るだけではない。
何が何でも統一王国の建設には踏み込まないヘレニア連邦ではあったが、こもって守るような政策だけを取っているだけではなかった。
外へと侵略を行うことも時には辞さない。これには様々な理由があった。
地中海は古くから貿易が盛んに行われたことから様々な政府が各地に建てられている。
すると政府同士で利権をめぐっての争いも絶え間なく行われるわけだ。以前はミノア王国が地中海の覇権を殆どすべてと言っていいほど握っていたが、今はそうもいかない。
俺が生まれる数十年ほど前、スパルタも地中海にあるタラントという港町を植民地にしたという。
豊富な食糧を糧にできて何も困ることのなさそうなスパルタだけど、一つ足りないことがある。それは製鉄技術。
すぐ前まで青銅器文明で、しかもミノア王国からの直系のようなことをしているスパルタにとって製鉄技術は比較的にハードルが高いものであった。
それにラケダイモンの支配階級たる我々は基本的には軍人で、鍛冶屋ではないからね。
じゃあどうする。製鉄技術に優れた都市を丸ごと植民地にしてしまえばいい。そんな脳筋的発想によりここら一帯で最高の鉄を打つ都市へ攻め入った。武具は青銅器だった、奴らの城壁なんて身体能力に優れたスパルタの戦士にとってはあってないようなもの。迫りくる鉄の矢じりを潜り抜け、味方の盾に飛び乗ってからジャンプすると六メートル以上は飛べる。
そしてタラントは落ちたのである。
たわいない。
俺は参加してないが、想像はできる。実際に城攻めの訓練とかもするので。ファランクス陣形を維持したまま。味方の盾に乗ってジャンプ。
結構楽しい。こんなに楽しいからみんなやめられない、みんなしてファランクスに毒されている。
このようにスパルタは他はいらぬ、タラントだけでいいと植民地にしてしまっているけど、別に圧制をしているわけではない。金に目がくらんだイオニア人ならともかくスパルタはただ優秀な鍛冶屋が欲しかっただけだから、奴隷のように扱うこともしない。だが同じ言葉を使い、彼らが打つ鉄の武具はラケダイモンだけに納品してもらう。我らが提供するのは鉄。彼らも職人に集中できるのでそれなりに喜んでいたという。だってね、それまでタラントは製鉄技術を発展させた結果それなりの武力を手に入れてしまって、そうなるとどうなるかって、独裁者がすぐに現れちゃう。
そしてそいつの圧制が始まるわけだ。
スパルタは解放軍となって独裁者を退け、職人を守るようにしたんだ。そりゃ感謝されるわな。
実は地中海はどこもかしこも王や独裁者、お金持ちや有力家などに支配されるような状況である。スパルタだけが例外となっていた。
かのアテナイだって有力家とお金持ちたちによって回されている。アテナイの黄金時代となった民主主義に至るまではまだ遠い。
アテナイが民主主義状態になって50年ほど後にペルシア戦争が起きていたんだったか。なのでペルシアが急に攻め入ってくることを気にせず眠れるのである。
しかしまあ、スパルタだってヘレニア連邦に入っているんだ。イオニア人が増え続ける人口を支えるために植民地を増やしたいと申し出て、その対価を支払うというなら否もない。
積極的にイオニア人が引き起こす戦争に参加したいわけではないが、それでもヘレニア連邦の脅威となりうる地中海に存在する様々な政府や勢力の勢いをそぐのはゆくゆくはスパルタのためにもなる。
だから使節団が来て、兵の派遣を頼んできたら、まあ、少しは送ってやらないこともないということになるわけで。
兵の多くを割いて送ることはしない。
ラケダイモンの兵士は一騎当千。
安売りしたら舐められるしこれからも多くの兵を送ってくれるものかと期待されるだろう。
こっちにおんぶにだっこな姿勢を取られて、こき使われるとか。
特に権力者の連中は自分が国の中では偉いからと勘違いしがちだからね。
増長してプライドが天元突破するなんて時間の問題。
それで収拾が付かないことになってしまったらそれこそスパルタの責任問題となってしまう。二者の問題ではなく、多くの勢力が軋み合う中に突出した力は存在するだけでも軋轢を生むので。
大いなる力には大いなる責任が伴うものである。古くからの習わしなのだ。別にどこぞの不憫なことに定評のあるスーパーヒーローだけに該当する話ではない。
「四十人でいいだろう。長子は送らない。」
イオニア人の使節団の要請に王様の一人が答えていた。彼は政の執行を主に行う王。指揮官となる王は宿舎生活で、毎日訓練ばっかりしてる。
後の世に現れるはずのレオニダス王も多分こっち。
それで俺はその遠征に参加したくても長子なので行けない、と思っていたら。
「それと新たに組織した部隊を三十人ほど追加だ。」
「それは一体?」
「剣士部隊だ。見ればわかる。」
「剣士とは、ファランクスと同じではないのですか?我々と同じファランクスでなければ隊列を揃えないでしょう。揃った隊列こそ我がヘレニアの強み。ファランクスでなければ何となりましょう。命の保証もできかねましょう。後に賠償を期待してでのことではないんでしょうな。」
やはり会議中にこれほど話すのはスパルタでは考えられない。俺は…、まあ…。仕方ない。言いたかったんだから。
「目で見てないことに口で語ることはない。」
ほらね。
「なら拝見させていただいても?」
「グレゴリウス。」
「はっ!」
「見せてみろ。」
そういわれたので俺は使節団のところへ走り、抜刀と同時に奴らの服の留め具を切り落とした。一瞬で裸になる使節団の男たち。ギリシャ人は基本的に運動量が多いのでみんなして引き締まった体つきではあるが、まあ、別におっさんの裸を見たくてやったわけじゃない。
「無礼な!」
一人が怒声を上げたが。
「クレタの子孫を侮辱した対価をもらったまで。」
俺は剣を納刀しながら答えた。
「今のでわかったはず。」
王様の言葉に使節団は一応納得の様子。怒声を上げた男以外はみんな冷や汗をかいてるし。
このようにスパルタは使節団に舐められないようにしないといけないわけだ。
「活躍を期待しますぞ。それと留め具のことですが。」
その中でも冷静だった男の言葉に王は手を挙げて命令を下した。
「ああ、彼らに予備のものを渡してやれ。」
「ラケダイモンの地に金を持ってくるのは禁止されているんだ。」
近衛兵の一人が肩にかけていた皮のバッグから奴らに鉄の留め具を渡した。金の留め具だったからね。
顔を赤くする使節団の一同。有力家の連中に言われたのだろう、こっちが下手に出ることはないとか、そんな風に。だからスパルタの規則を無視したと。
使節団の面々が何も言えずに議会場を後にすると中からワハハと笑いが響いた。
「見たか!イオニアの奴ら、腰を抜かしておったぞ。」
「ああ、グレゴリウス、よくやった。」
王様の言葉に俺も口元がほころぶ。
「恐悦至極。」
この後は会場から出て宿舎に戻り肩を組んで酒を飲みながらみんなで歌った。
ラケダイモンの大地にアポロンの栄光
永劫に続く我らの誇り
祖国に血をささげよ、魂を響かせよう
我らの前ではどんな敵も震えるだろう
愛しい妻のもとへとその魂が戻る時にも
華々しい栄誉と共に迎えられるだろう
我らの盾はヘレニア全域を守る
我らの槍はミケーネ全域に届く
永遠なれ、その名はスパルタ
同じ歌詞を何度も繰り返して歌う。
俺も歌う。
しかし俺はそんなに楽しくても宿舎では寝ない。家で妻のエウメリアが待ってるので。彼女も昼間は宿舎で円盤投げとかやり投げとか砲丸投げとか、とにかく投げまくっているが。
家に戻りながら剣士部隊のことを考える。この剣士部隊、実はスパルタの貴族だけではなく応募者は誰でも構わないと募集している。ただし言葉が通じない第一世代の奴隷階級は例外。
俺が教えている剣術は槍と盾のファランクスとは少し勝手が違う。
臨機応変と身体能力に任せるのではなく、同じ動作を繰り返して体が考えるより先に動かせるようにする。心は常に明鏡止水。
ここには呼吸がある。剣の呼吸。気が付いたら切っていたくらいで丁度いい。意識より先に動くこと。この精神は実は格ゲーとアクションゲームでの感覚を再現したらそうなってしまったということではあるんだけど。
剣を握ると人が変わると言われるのは普段は考えてから動いているのが動いてから考えるようになるからなんだと思う。
剣士部隊を作る時に実はデザインを発注制作している。一般的な重装歩兵が使う両刃の剣であるカイポスではなく、刀である。少し前はただグリップの長さを片手剣のそれから両手剣に変えただけだったけど、これではいけないと剣から刀に変えた。
切る動作をする時に少しでもスムーズになるのは強みとなるためである。さすがに打ち刀ではなく、ペルシアの曲刀のような感じだが。刃渡りは70センチほどで、グリップは30センチほど。この時代では見られない作りだと思うが、まあ、作ってしまったからには使うしかない。
剣士部隊の初めての実戦だ。この時の俺の年齢は24歳。
妻に見送られながらイオニア人たちが用意した船に乗る。目的地はナクソス島。後々ペルシア戦争の原因となっている貿易の中心地であり、イオニア人からしたら喉から手が出る程欲しい重要拠点。
イオニア人が彼らを手中に収めなかったら別の勢力のものになり、そのままギリシャへ侵攻の拠点になりうる。
なのでスパルタも兵を送ることを選んだ。
船は揺れがちょっと厳しいが、三半規管は幼少期から鍛えているので船酔いなんて情けないことはスパルタ戦士がするわけがない。
震える心を叱咤して、戦場に思いを寄せる。戦場で死ぬことはスパルタ人の誉れ。
何を恐怖することがある。
怖いわけではない。ただ妻を置いていきたくないだけ。
そのためにも生き残ってやる。剣士部隊の実用性を証明しないとせっかく防いだ赤子ジェノサイドが復活するかもしれない。祖国が滅びる未来を避けるためにもそれは避けねばならない。
少し雨が降っていたが、航海は順調だった。俺はさっぱりわからない。イオニア人はこういうのに強い。彼らは根っからの商人なのだ。戦う商人。海を渡り貿易をする。現在、ナクソス島はギリシャとアッシリアを繋げていて、中継貿易で巨大な富を蓄積しているのでその旨味がどれほどのものとなるか。
島に上陸する前から当然ながら領海に入ったわけだから、海戦が行われる。アテナイの三段櫂船が敵の船と正面からぶつかると奴らのそれに比べ物にならない程の強度で粉々に。
衝突の中でも船に乗り込んでくる連中もいる。
そして剣士部隊の指揮官は俺だ。
「抜刀!」
来た。
剣を握りしめ走る。奴らの粗雑な動きなんて軽く捻る。受け流し、踏み込んで首を切り飛ばす。
血が騒ぐ。祖国に栄光あれ!
切る、突く、斬る、受け流す。
足払いをし、転んだ敵兵の腹を貫く。
圧倒的。ファランクスはかさばる重い盾で動きが少し鈍重だが、剣だけだとそうはならない。
船に乗り込んだ連中を全員切り殺したら死体は海に蹴り飛ばしてそのまま魚の餌。
海岸部へ到着すると船からジャンプ。
三メートル以上の高さだけど、そんなの高さのうちには入らない。お城は海岸から二十メートルの距離。なのですぐさまファランクスの展開しないといけない。矢の雨が降ってくるから。これほど近いと曲射ではなく直射となる。城壁からダイレクトに狙って撃ってくるので、そのまま走って突破するなんて自殺行為でしかない。
けど一回射てから次の射撃まで時間があって、止むとみるや前進。
俺たち剣士部隊もそれがファランクスの後ろに隠れて少しずつ前進する。
城壁まであと少しのところ。先に段取りをつけてある。盾を踏み、ジャンプして城壁を飛び越えると。
スパルタ人じゃないんだから重装歩兵の重さに耐えるなんて出来るわけがないと言っていたが、じゃあ二人が一つの盾を支えればいいじゃないかと。
まさかそれもできないとは言わないよな。
それくらいはできるかもしれないということで一回試しにやってみたら問題なかった。スパルタ人なら盾をそのままジャンプの勢いにできるよう突き上げることはしてくれるはずだが、専業軍人じゃない奴らにそれを頼むなんて酷なことだろう。
なのでここは自分たちでどうにかするしかない。
「乗れ!」
俺が号令をかけると盾が水平に向いて二人がそれを支えた。隠れていた俺たちはそのまま盾の上をジャンプ、そして勢いを落とさずもう一回ジャンプして城壁を越える。五メートルの城壁なんてどうと言うことはない。
俺が指揮する三十人全員が一斉に城壁の上へ。梯子なんていらない。スパルタ人ならこれくらいできて当然。ただまあ、今回は平民とかは連れてきてない。全員が俺と仲のいい同年代の貴族連中である。
今こそが、我らの狩りの時間だ。
弓を握っていた兵たちは腰から剣を抜ける間もなく絶命する。
我らによって振り下ろされる剣撃は嵐のごとく。
スパルタ人の身体能力に剣士としての明鏡止水が合わさるとどうなるか。我らの動きはもはや目では追えない。
城壁の上にいた兵士たちをあっという間に制圧して、城壁の門を開けた。
すると待機していた兵士たちがなだれ込んでくる。ファランクスの中でもスパルタのファランクスはひときわ活躍していた。動きの切れが違う。
俺たちの役目はこれで終わりではないが、さすがに真正面ではファランクスの方が強い。隙のない構えで制圧し続け、王の住んでいる宮殿まで向かった。
国王は許しを請うこともなくこう言っていた。
「いつかお前たちにも天罰が落ちるだろう。」
「だがそれは今ではない。」
そういって、イオニア人の将は王の首を刎ねた。
言うじゃないか、あの将。さてはスパルタ人に感化されたか?
王宮には王の子供たちや王の妻たちもいた。こいつハーレム作ってたのか。
そいつらはどうするのかと聞くと奴隷にするんだと。
「今までぬくぬくと生活していた奴らが奴隷の生活に耐えられるわけがないだろう。」
俺がそういうと。
「いや、女は娼婦になるだけだ。王の娼婦だったころと変わらないだろう。」
そんなんでいいのか、イオニア人。
「かつてトロイアの恨みがテラに起こした災禍を忘れたか。」
俺の言葉に少し迷っているようだった。
「ならどうする?」
「誰かの妻に迎えればよい。王妃や姫を抱けるなら喜ぶ奴はいるだろう。」
「よく考えるじゃないか、ラケダイモンの若造。」
まあ、何となくね。こういうのに禍根はなるべく少なくした方がいい。
それで今回の戦に参加した結構見目のいいアテナイの兵士数人が女たちを貰ったのである。
「男の子はどうする?」
「そいつらはこっちによこせ、スパルタの軽装兵にする。」
「あい、わかった。」
そんなわけで、戦いは終わった。
イオニア人は宮殿でたくさんの金銀財宝を見つけて喜色満面である。俺たちは冷めた目でそいつらを見ていた。
金は名誉の足しにはならない。
俺たちは命を用いて自分たちの価値を証明する。それだけでいい。
剣士の価値を証明したのだ。
俺はそれで満足である。死者も出していない。盾を持ってないので肌がむき出しになったところに軽い切り傷はいくつか残しているが、刃に毒が塗られたわけではないようでぴんぴんしてる。
その日の夜、ナクソス王宮で宴会が行われた。
イオニア人は騒いでいたが、スパルタ人は敵地でそんなどんちゃん騒ぎなんて出来ない性分なので、城の周りを交代しながら巡回していた。
暖かい潮風を浴びながら時折星空を見上げてラケダイモンの土地に思い描く。美しく咲き乱れる花々、燥ぐ平民の子供たち、静かに淡々と働く奴隷たち、そして訓練に明け暮れる貴族。
エウメリアは今頃どうしているのだろうか。そう思っていると後ろから気配がしたのでいつでも抜刀するようにして間合いまで音を立てず近づく。
「誰だ。」
俺の言葉に若い女性の声が戻ってきた。
「どうか驚かないでください、私はナクソス宮の女官であり、王の情婦の一人でございました。あなた様に救われたことをみんなを代表し感謝したく。」
グリップを握ったまま返事をする。
「わかった。感謝の気持ち、確かに受け取った。」
「もしよろしければあなた様のお名前を聞かせてもよろしいのでしょうか。私たちはあなた様ではなかったら今頃兵士たちの慰み者になっていたでしょう。」
「イオニア人の、な。俺たちは自らの名誉を汚すような真似はしない。」
「まぁ、するとあなた様はかの誇り高きクレタの子孫でございますね?」
「そうだ。」
「私めにどうかあなた様のお名前を知る栄誉を授けてください。」
「エウメリアの夫、グレゴリウス。」
スパルタの男は結婚する前は親の名を先に言い、結婚した後は妻の名を先に言う。
「その名、しかとこの胸に刻みました。グレゴリウス様、あなた様に神々の祝福がありますように。」
「君にもな。」
「はい、ありがとうございます。」
まあ…、いいことが出来てよかったのかな。
残虐なことが簡単に起こりうる時代だ、これくらいのことがあってもいいだろう。
歌の歌詞は作者の自作です。