あなたには婚約破棄を突き付けてさしあげるわ
「ユウナ。おはよう」
「リュウ兄。おはよう」
私が家から出ると隣の家の幼馴染みのお兄ちゃんが私の家の前で待っていました。
これが私達の日課です。
二人で一緒に駅まで向かいます。
私はユウナ、高校三年生の普通の女の子です。
頭が良い訳でもなく、顔が良い訳でもなく、運動神経が良い訳でもなく、髪の毛は真っ黒でストレートロングの女の子です。
そして隣の家の幼馴染みのお兄ちゃんのリュウ兄は社会人で二十三歳のスーツが似合う大人の男の人です。
とっても優しくて、とっても格好良くて、とっても頼りになって、とっても大好きな私の婚約者です。
「ユウナ、髪の毛が跳ねてるよ」
「えっ」
リュウ兄は私の跳ねた髪の毛を手櫛で整えてくれます。
優しい手に私の心は温かくなります。
「あらっ、おはよう。ユウナちゃんったらまたお兄ちゃんに甘えてるの?」
「おばさん、おはようございます」
近所の噂好きのおばさんが私達を見てそう言います。
「おはようございます。ユウナはいつまでも俺の妹みたいで可愛いんですよね」
リュウ兄は苦笑いでおばさんに言います。
私はリュウ兄の妹じゃありません。
私はリュウ兄の婚約者です。
私は拗ねながら黙って早歩きで駅へ向かいます。
私の早歩きにリュウ兄はちょうど良いのか私の少し後ろを普通に歩いています。
「リュウ兄」
私は立ち止まってリュウ兄の方を向いて呼びます。
「ユウナ?」
「リュウ兄は私の婚約者でしょう?」
「またそれなのか?」
リュウ兄は少し困った顔で私を見ます。
どうしてそんな顔をするの?
「だって昔の約束は覚えているんでしょう?」
「覚えているけどあれは昔の話だからユウナは他にいい人がいればその人を選んでもいいんだよ?」
「何よそれ? 私はリュウ兄の婚約者なんだからリュウ兄しか選ばないよ?」
「うん。ありがとう」
リュウ兄はそう言って私の頭を優しくて撫でます。
こうすれば私が落ち着くことを知っているリュウ兄。
リュウ兄は私の婚約者なのに、一度も婚約者だとは言ってくれません。
もしかして婚約者だと思っているのは私だけ?
もしかしてリュウ兄は、私のことを妹だって思っているの?
もしかしてワガママで子供っぽい面倒な女子高生と思っているの?
◇
「ねぇあの人、格好いいよ」
「本当。スーツ姿がお似合いね」
「一緒にいるのは妹さんかな?」
この会話は駅で電車を待っている時にいつも聞こえます。
女性達がリュウ兄と私を見た時の会話です。
リュウ兄は格好いいので目立ちます。
そして私はいつも妹だと思われます。
私は婚約者ですって言いたいけれど、そんなことを言うのは子供だけです。
なので私は黙って聞こえないフリをします。
「ユウナ。電車が来たから気を付けて」
リュウ兄はそう言って私の腕を引っ張りました。
私はバランスを崩し、リュウ兄の胸に背を預けます。
リュウ兄はそんな私をちゃんと支えてくれます。
電車に乗るといつものようにリュウ兄は私を電車の端に追いやり、リュウ兄と電車に挟まれる状態になります。
満員電車なのに私に触れる人はリュウ兄だけです。
私を他の人から守るように立ち、誰からも触れられないようにするリュウ兄は、まるで私を独り占めにしたいと言っているように感じます。
「狭くない?」
リュウ兄は私を心配するように訊きます。
「大丈夫だよ。リュウ兄は狭くないの?」
「俺は大丈夫」
そう言っているリュウ兄はちょっと顔が困っています。
何かあったのでしょうか?
「リュウ兄。どうしたの?」
「ん? 何もないよ?」
「嘘よ。何か隠してるでしょう?」
「えっ」
「狭いならもう少し、私の方に来ても大丈夫だよ?」
「えっでも」
「リュウ兄、大丈夫だから」
私はそう言ってリュウ兄の腕を引っ張り、見上げます。
「分かったよ」
リュウ兄はそう言って私を抱き締めるようにくっついてきました。
「リュ、リュウ兄?」
「このまま俺の話を聞いて」
「うん」
リュウ兄は私の肩に顎を乗せ耳元で言います。
「さっきから俺のお尻に何か当たるんだ。ずっと当たるから少し嫌だったんだけど今はもう当たらないみたいだ」
「そっ、そうなんだね。良かったね」
私はリュウ兄の話よりもリュウ兄との距離が近すぎてドキドキが止まりません。
リュウ兄にはこのドキドキが聞こえませんように。
「ユウナ」
「何?」
「良い香りがする」
そうリュウ兄は言って私の首元をクンクンと嗅ぎます。
「リュウ兄ったらワンちゃんみたい。くすぐったいよ」
「ユウナ。可愛いね」
「えっ」
「ユウナが妹だったらずっと一緒にいられるのかな? それだったら俺はユウナを誰にも渡さないだろうな。ユウナは俺のだよってね」
「私はリュウ兄のモノだよ?」
「それはまだ決めたらダメだよ。ユウナには俺よりもいい人が見つかるかもしれないだろう?」
「リュウ兄だけだもん」
「そうだね、ありがとう」
そしてリュウ兄は私をギュッと抱き締めてくれました。
どういう意味なのでしょう。
リュウ兄はありがとうとは言うけれど、俺もユウナだけだよとは絶対に言いません。
やっぱり私はリュウ兄の婚約者ではなくて妹なのでしょうか?
「ユウナ。駅に着いたよ」
「あっうん」
そして私は電車から降ります。
リュウ兄はまだ電車の中です。
リュウ兄の会社は私よりまだ先の駅です。
「ユウナ。いってらっしゃい」
「うん、いってきます。リュウ兄もいってらっしゃい」
「ああ。いってきます」
そして電車のドアが閉まります。
電車が見えなくなるまで見送って学校へ向かいます。
「いいなぁ」
「えっ」
私の後ろから友達のカナがいきなり声をかけてきました。
「おはようユウナ。リュウさんはいつ見てもイケメンね」
「おはようカナ。当たり前でしょう? 私の婚約者なんだからね」
「あんたまだ婚約者なんて言ってるの?」
「そうよ。だってそうだもん」
「それは子供の時の約束でしょう? そんなの本気だとまだ思ってるの?」
「だってリュウ兄は否定したことないもん」
「肯定はしたの?」
「してないよ」
「それってあんたはキープをされてるってことなの?」
「その逆かなぁ?」
「逆?」
「私に他にいい人がいればその人を選んでもいいって言われるの。だから私がキープをしてる感じなのよ」
私がそう言うとカナは考えだしました。
「ねぇ、リュウさんは今まで恋人はできたことはあるの?」
「ん~。どうだろう? 恋人がいるとは聞いたことはないよ」
「好きな人の話を聞いたこともないの?」
「ない、、、ん? あっ、あるよ」
「あるの?」
「一度だけ、少しだけリュウ兄がお酒を飲んでほろ酔いの時に眠そうになってて言ったの」
「なんて言ったの?」
カナは興味津々に私に訊いてきます。
「俺って彼女のなんなんだろう? って言ってたよ?」
「おっ彼女? リュウさんには好きな人でもいるのかもね。それでそれを言ったのはいつなの?」
「私が高校入学した頃よ」
「二年前ね。その彼女とはもう、終わっているかもね」
「でも、その時だけだからその人とは何もなかったよね?」
「大人には色々あるのよ」
「カナはまだ大人じゃないんだから分からないでしょう?」
「彼が大人だから分かるのよ」
カナの恋人は大人の男の人です。
女子高生と大人の男の人との恋愛は大変なようです。
私もリュウ兄には迷惑をかけちゃうのかなぁ?
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。私達は後、一年もすれば高校を卒業するんだから。制服を脱げば大人に見えるわよ」
「そうかなぁ?」
「私達も大人に甘えてばかりじゃダメなのよ」
カナの言葉はまるでカナ自身に言っているようでした。
カナの気持ちが痛いほど分かります。
早く大人になりたいのに制服がそれを邪魔をするようです。
「カナ。一緒に大人になろうね」
私はカナに抱き付きながら言いました。
カナは、重いと言いながらも嬉しそうに笑っていました。
◇◇
「ユウナ、遅くなっちゃったね」
「そうだね、カナ」
放課後、カナと話をしていたらいつの間にか時間が過ぎていました。
外は真っ暗です。
「彼に迎えに来てもらおうか?」
「えっでも、忙しくないの?」
「仕事は終わったって連絡は入っていたから大丈夫よ」
「仕事が終わったら連絡があるの?」
「あるよ。彼のこと何でも知りたいからね」
カナはそう言ってウインクをした後、恋人に連絡をしていました。
私もリュウ兄から連絡が欲しいなぁなんて思いました。
私もリュウ兄のことをもっと知りたいとも思いました。
それからすぐにカナの恋人が学校まで車で迎えに来てくれました。
私の家まで三人で色んな話をしました。
面白いカナの恋人は素敵な大人の男の人でした。
「ありがとうございます。ってアレ?」
私は車から降りようとしてシートベルトを外そうとしているのに外れません。
モタモタしている私を助ける為にカナの恋人が外からドアを開けてシートベルトを外してくれました。
私はやっと車から降りてカナの恋人にお礼をもう一度言いました。
「ユウナ?」
聞き覚えのある声に私は振り向きます。
そこにはリュウ兄が会社から帰ってきた所でした。
「リュウ兄。今、帰りなの? 遅いね」
「ユウナもね」
リュウ兄はカナの恋人を睨み付けながら言いました。
どうして睨むの?
初めて会う相手にはいつもニコニコと笑顔を見せるリュウ兄なのにです。
「あっリュウさん。こんばんは」
「あれ? カナちゃん?」
カナが車の中からリュウ兄に挨拶をしました。
そんなカナを見てリュウ兄は驚いています。
「それでは僕はカナを送るので」
カナの恋人がそう言って車に乗ろうとしています。
「カナちゃん。知らない人の車には乗ったらいけないってお母さんに言われてるでしょう?」
「「「えっ」」」
カナとカナの恋人と私は声を揃えて驚きました。
「リュウ兄、この方はカナの恋人だよ?」
「えっそうだったんだ? 不審者かと思ったよ」
リュウ兄は無表情で言います。
「リュウ兄、失礼だよ」
「でも女子高生を車に乗せてるのを見て、そう思う人もいると思うけど?」
「そうですね。以後、気を付けます」
カナの恋人はニコニコと笑顔で大人の対応をして帰っていきました。
リュウ兄がすごく子供っぽく感じました。
「リュウ兄、どうしたの? すごく失礼だったよ?」
「ごめん」
「リュウ兄? 何かあったの?」
「ごめん」
「彼女のことを忘れられないの?」
「彼女?」
リュウ兄は意味が分からないと首を傾げて訊いてきました。
「私が高校に入学した頃、リュウ兄が少しほろ酔いで言ったでしょう? 俺は彼女のなんなんだろうって」
「それは、、、」
「リュウ兄には好きな人がいたんだね。だから私に他にいい人がいればその人を選んでもいいって言うんだね?」
「ちっ違うんだ」
「何が違うの? 私がバカみたいじゃん。私はリュウ兄の婚約者じゃなくてずっと妹だったんだよね?」
「ちっ違うって」
「いいよ。リュウ兄との婚約はなかったことにするよ。昔のプロポーズはなかったことにするから」
そして私は走って家へ入りました。
リュウ兄の前で泣きたくなかったからです。
カナと約束しました。
大人に甘えてばかりはダメだと。
リュウ兄に甘えてばかりだと私はいつまでも妹のままです。
ちゃんと大人にならなければいけません。
でもリュウ兄もいけないんだからね。
いつまでも私を妹扱いなんてするからよ。
でも私の為に婚約を続けてくれてたんでしょう?
もう、いいよ。
リュウ兄を諦めてあげるから、、、。
だからもう、私なんて気にしないで。
自由にさせてあげるから。
好きな人の所へ行きなよ。
悔しいけど私が悪いから悪役令嬢のように言ってあげる。
『あなたには婚約破棄を突き付けてさしあげるわ』
そんな言葉をリュウ兄には言えません。
だから心の中で叫びます。
何度も叫べば私の涙も止まるかもしれません。
私は泣きました。
リュウ兄への想いを忘れる為に涙と一緒に流れていくように。
読んで頂き誠にありがとうございます。
楽しく読んで頂けたら幸いです。