閑話 ニケ
だぁ〜!
また失敗したっ!
これで何回目だ⁈
魔素の動かし方を習い始めて2週間。
朝と晩の練習以外も時間を見つけてやってはいるものの失敗ばかりで流石に凹む。
シグはとっくにコツを掴んで次の段階に進んでいる。
兄さんも何か掴んだみたいで、今朝の練習の時は何回か成功してた。
俺だけまだ全然出来ない。
薬師様は「焦らず気長におやりよ〜」と言ってたけど、焦らずにはいられない。
今日は午前中から薬師様の採取の手伝いで町の近くの森に来ている。
薬師様が採取してる間の護衛って言われたけど、俺が気づく前に石飛礫飛ばして一撃で倒してるんだぜ。
俺、いらなくね?いらないよね…
「ほらほら、何淀んだ空気醸し出してるの?あっちでお昼ごはんにしよう。」
薬師様はへにゃって笑顔で森の中の小さな池に向かって歩き始めた。
「ニケはさ、なんでそんなに焦っているわけ?」
シグが作った弁当を食べて食後に薬師様が入れてくれたお茶を飲んでたら、そう聞かれた。
「なんでって、そりゃあ、俺だけ全然出来ないから…」
「別に同じスピードで出来る様になる必要無いでしょ。早さ競ってるわけじゃないんだよ。魔素を感じ取るのはニケが一番早かったでしょう?内在する魔素を何年経っても感じ取れない人も多いし、むしろそれが普通。」
心底不思議そうに薬師様は言う。
競ってるわけじゃない。
確かにそうだけど、そうなんだけど…
小さい頃から大抵の事はちょっと頑張れば出来る様になった。
狩りの腕だって同年代の中では一番だって言われてきた。
兄さんにも「良くやった」って何度も褒められた。
いつだって兄さんの背中を見てきた。
兄さんみたいになりたくて。
何よりも誰よりも強くて優しい兄さんみたいに。
兄さんが病に倒れて、ドンドン悪化して行って、世界が揺らいだ気がした。
立ってる地面がグニュグニュになってドンドン足元が覚束なくなるような。
シグと話し合って村を出てからも底無し沼にはまり込んでもがいてるような気分は酷くなる一方だった。
薬師様に出会って、兄さんが元気になって、ホッとした。
これからも兄さんの後を追っていける。
「良くやった」って褒めて貰える様に頑張っていけば良いんだ。
なのに、なんでだろう。
時々、凄く不安になる。
ほんとは全部夢なんじゃ?
目が覚めたら兄さんは病気のままで、町に向かう途中で。
薬師様は夢の中にしかいなくて。
そんな事無い。
大丈夫。
これは現実。
何度も自分に言い聞かせる。
大丈夫。大丈夫…
「そっかぁ…」
何が起こったのか一瞬わからなかった。
ふわっと優しく薬師様に頭から抱き抱えられていた。
「え…⁇」
「怖かったね。」
薬師様は俺の頭をゆっくり撫でながら言う。
「怖かったねぇ。ニケ。良く頑張ったねぇ。」
まるで小さな子供をあやすみたいに。
「大丈夫。ちゃーんと全部本当の事だよ。もう大丈夫。怖かったねぇ。ニケ。良く頑張ったねぇ。」
何度も何度も薬師様はそう言って頭を撫でてくれた。
気がつけば、声を出して泣いていた。
怖かった。
そうか、俺、怖かったんだ。
兄さんがいなくなるのが。
シグと二人残されるのが。
置いていかれるのが。
追う背中が見えなくなるのが。
俺の年で兄さんは小さかった俺たち抱えて育ててくれてたんだ。
怖いなんて言えない。
言うわけにはいかない。
だから必死だった。
俺、怖かったんだ。
泣いて泣いて泣いて。
涙の分だけ心に澱んでいたものが流れて出ていった気がした。
目を覚ませば自分のベッドだった。
「あれ?」
大泣きして…あれ?
森にいたんじゃ?
帰ってきた記憶が無い。
夢??
あれれ?
不思議と心は軽かった。
ジャーン!
そんな音声が聞こえた気がする。
その朝、いつもの練習を始める前に、満面の笑顔で薬師様が、テーブルに振り子のついた道具を置いた。
「なんですか?これ」
新し物好きのシグがまず食いつく。
「結局、リズムの問題なのね。一定の速度を守るって言うのが大事なのよ。これはメトロノームって言って、リズムを一定に保つ為の小道具。ほら、見てて。」
台座につけた魔石を軽く押すと振り子が動き出した。
右から左、左から右。
同じ幅を同じ速さで。
動きに合わせてカチッ、カチッ、と小さく音がする。
「この音と動きに合わせて魔素を動かしてみて。」
最初は要領が掴めずできなかったが、段々長く合わせていけるようになった。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ…
目を閉じて音に合わせて魔素を動かす。ゆっくり、ゆっくり。
大丈夫だよー。
上手だよー。
ほぅら、出来た。
そんな声が聞こえた気がした。
目を開けると薬師様がフニャと笑って見ててくれていた。
今日はシグが旅立つ日だ。
魔道具作成に行き詰まりを感じたシグは一流の職人の下で修行をしたいとギュンダルに行く事に決めた。
兄さんと2人、シグを見送る。
「納得するまで頑張って来い。」
「店の事は任せとけ。お前が帰って来るまでにあと2つ3つ支店を増やしておいてやる。」
「うん。頼む。」
3人で右手の中指に嵌めた指輪を合わせる。
新しく何かを始める時の俺たちの決まり事。
狩りをやめて店に専念した俺は、試行錯誤しながら顧客を増やしてきた。
兄さんの背中を追うのはやめた。
背中が見えないと不安を覚える事はもう無い。
俺は俺の立ち位置で、兄さんと、シグと肩を並べて生きていく。
メトロノームは俺の宝物になって部屋の棚に置いてある。
折に触れボタンを押して作動させる。
カチッ、カチッ、カチッ…
右、左、右、左…
魔素をゆっくり巡らせる。
いつか薬師様に言われたい。
「頑張ったねぇ、ニケ。」
あの柔らかな笑顔で。
シグが帰って来てからのある夜。
3人呑みながら昔話に興じた時の事
「え、お前、あの日、薬師様に抱っこされて帰って来たぞ。」
「爆睡してたもんねー。子供みたいな顔で。全然起きなかったんだよ。」
「薬師様がベッドに寝かしつけてくれたんだったな。」
「そうそう、布団の上からポンポンってされてた」
う、うっわぁ……
穴掘って埋まりたい…