図書館の老女
等間隔に配置されている棚の間で、小柄な老女が1人、黙々と作業をしている。
床から天井近くまでぎっしりと書籍や資料が納められた棚。
台車に積んだ書物を指定の場所に戻したり、指示された物を棚から探し出し司書に届けるのが彼女の仕事だ。
光魔法で創り出した小さな球一つが窓の無いこの部屋の唯一の灯り。
本に付けられた印に従って一冊ずつ戻して行く。
歳を取った体では、台車を押すのも天井近くの指定場所に本を戻すのも中々大変だ。
貴重な書籍が傷まないように書庫は湿度と温度が一定に保たれているため暑さや寒さとは無縁でいられるのが唯一、この仕事の役得だ。
書庫から出した書物は司書に届けられ、司書は、書物の破損や瑕疵、申請された物と間違いない事などを確認し、貸し出し手続きを行う。
開架スペースの物を館内で読んだり写本する分には、入館料を払えば貴族、平民関係ないが、閉架スペースや書庫にあるものは、平民は閲覧不可で、貴族と王族のみに閲覧が許される。
中でも禁書に類する書物は閲覧どころか書庫のある区域への出入りも制限されている。
図書館外への貸し出しは、原則不可だが、申請され許可がおりれば、有料で持ち出しが許可される。
相手の身分により貸し出しできる物が変わるので、手続きには注意が必要だ。
数十年前に取り入れられた分類法により整理された書物は王国建国以前からの物も含めて膨大な数がある。
老女のいるこの書庫は、王族と一部の上級貴族にのみ閲覧が許された禁書が納められている。
王族や上級貴族達が自ら書物を探しに来る事はまずない為、実際のところこの区域に出入りするのは上級貴族の司書と上級貴族出身の下働きの老女だけだ。
領主会議の前後は普段よりずっと出し入れする物が多くなる。
ここ数週間、貸し出しや返却される資料や書籍は職員が総出で朝早くから夜中まで仕事をしても処理が追いつかない程多い。
疲労でイライラが募り、司書や下働きたちのストレスは溜まる一方だ。
禁書を扱える者が少ない為、老女が仕える司書も例外なく機嫌は最悪。
早く戻らないとどんな八つ当たりをされるか…
最後の一冊を最上段の指定場所に戻し、ほっとしたのがいけなかった。
梯子を降りようとした時、ふらっと目眩に襲われた。
あ、と思った時には遅く、段を踏み外した体は大きく揺れて床に向かって落ちていった。
老女の名前はマリーエレンと言う。
上級貴族の家に生まれた。
16才の誕生日を迎える直前、王の側近だった父が王に斬りかかりその場で殺され、連座で母と兄と義姉も処刑された。
成人前だったマリーエレンは処刑こそ免れたが、貴族院を追放され平民に落ち、罪人として生涯の労役を科せられた。
以来50年近くをこの図書館の下働きとして過ごして来た。
図書館での労役は、貴族院で文官コースの卒業資格を既に得ていたマリーエレンに対する温情だと言われた。
罪人の証しとして髪を短く切られ、魔封じの首輪をはめられた。
詠唱を封じるため、声を出せないように喉を焼かれたから、喋る事は出来ない。
魔封じの首輪によって魔石に魔素を吸い取られ、僅かな魔素しか残らない。
首輪の魔石は週に一度、魔法省から訪れる文官により空の物に交換される。
外された魔石は贖罪の一環として国に納められる。
無詠唱で唯一使える魔法で小さな灯りの球を出し手元を照らし仕事をする。
仕事終わりには魔素も体力も使い果たして、倒れ込む様に眠りにつく。
ずっと、そんな日々を過ごしてきた。
最初の頃は大変だった。
貴族令嬢として沢山の使用人に囲まれて大切にお世話される生活しか知らなかったから。
ベッドと木箱一つでいっぱいの窓の無い小さな部屋。
最低限の生活必需品と食事は支給されるが労役の為給与は出ない。
実家は取り潰しになり財産は没収された。
図書館の限られた区域から生涯出ることは無い。
父が何を思い大それた事件を起こしたのか。
家族への思い。
助けは来ない。
嘆きも、怒りも、悲しみも、強い感情を保つには気力と体力がいる。
そんな余力を持ち合わせてはいない。
淡々と命じられた事をやり、眠る。
命尽きるまでその繰り返し。
あぁ、ようやく終わる…
最後にマリーエレンが感じたのが安堵だったのは必然だっただろう。
いつまで経っても戻らないマリーエレンを不審に思った司書が書庫で見つけたのは、一塊の砂と砂に半分埋れた首輪と下働きの制服だった。
「魔素切れか…この忙しい時に余計な手間を!」
イライラする気持ちを抑えきれず乱雑に首輪を拾うと、司書は掃除道具を取りに戻って行った。
その様子をじっと観ていた視線に気付く事も無く。
この数週間は図書館に納められている書物に書かれた内容を片っ端から賢者の石に取り込んでいた。
初日に銀貨1枚を支払い、正規の手続きで図書館に入った以降は、転移と透明化と認識阻害を駆使して誰に気付かれる事なく読書に明け暮れる。
文字を追う事に飽きると気分転換に職員や来館者を覗いたりして。
100人以上いる職員は大きく司書と下働きに分かれている。
館長、副館長、司書は貴族院で文官コースを卒業した貴族、下働きは平民。
司書1人に下働きが十数名つく。
首輪をつけている数名の下働き以外は通いで、2の鐘から8の鐘の間、交代で働いている。
図書館の開館時間は4の鐘から6の鐘まで。
老女のことは何度も見かけていた。
常に平坦な感情。
他の人から話しかけられる事も無く、常に1人でいた。
どんな時も丁寧に書物を扱い、誰よりも早く、誰よりも遅くまで仕事をしていた。
さて、どうしようか。
老女が床に叩き付けられる直前、つい反射的に助けてしまった。
老女から感じた感情が安堵だけだった事を不思議に思い、意識の無い彼女の人生をざっと覗いた。
何、この人。
死を救いだと感じている。
ようやく生が終わると安堵している。
絶対、死なせない。
こんな風に人生を諦めて死ぬなんて許せない。
死ぬ時は、色々あったけど良い人生だったって思うか、未練たらたら未だ死にたく無いって思うかのどちらかであるべきだと思う。
こんな何も無い死に方を、私の目の前でさせるなんてあり得ない。
このままここに置いておくのはどうか思い、偽装工作したものの、こんな拾い物をするつもりは無かったので特に処遇を考えてはいない。
うーん。
今後の事は本人の意見も聞いてから考えよう。
とりあえず、森の拠点に連れて行こう。
拠点の家のベッドに寝かせ、状態を精査する。
体内の魔素は枯渇寸前。
長年、ろくな食事を摂っていないのだろう。栄養失調。
身体のあちこちに新旧様々な打撲や火傷の痕。
骨折して適切な治療を受けずに妙な具合に固まった痕もある。
しばらく目覚めないように魔法をかける必要も無い程に疲弊している。
これは回復魔法でパパッと治すより薬と併用する方が良いわね。
となると病室を用意しなきゃ。
家から出て拠点の結界の位置をずらしてスペースを作る。
領都や王都で見かけた白っぽい建物を造る魔法。
せっかく覚えたからあの方法を応用して造ってみよう。
機会が無くて未だ試してなかったのよね〜。
虹色魔石に魔素を限界以上に込めて液化させる。
それを使い陣を描く。
キラキラと輝く陣がグルグル回りながら
宙に浮く。
詠唱をする。
「アンゲルモーゲン。」
王族や領主の詠唱はもっと長くて神への賛辞や聖句がダラダラ続くんだけど、全部端折って魔法名のみ。
結界内にこの世界の神は多分関与出来ないからね。
カッと光って陣が白い粉になり地面に降り注ぐ。土が粉と混ざり合いながら持ち上がり私の思い描く通りの家が出来上がっていく。
ものの十数分で白っぽい建物が完成した。
うーん。
普通に土魔法で造る方が早いし簡単だわ。
二度目は無いかも。
出来たばかりの家に入り中を見てみる。
うん、初めての魔法だったけど、まずまずの出来じゃん。
さすが、私。
ここからは普通に使い慣れた魔法を使う。
指輪からシングルベッド位の浴槽を取り出し魔素でコーティング。
部屋の中央に設置する。
虹色魔石をもう一つ液化させ浴槽に入れ幾つかの薬草と素材を加えて混ぜながら魔素を注入して行く。
浴槽に八分目位の量になったところでマリーエレンさんのところに戻る。
身につけていた物は全て偽装工作の為置いて来たから全裸なのよね。
目覚めた時に驚くかもだけど、まあ、今更だよね。
シーツで絡んで浴槽に運び、薬液に浸けていく。
全身を薬液に浸けて状態を診る。
うーん。目覚めるまで一か月ってところかな。
魔素を浸透させて、細胞を活性化して全身の修復をして。
薬液は途中一度補充する位で足りるか。
目覚めた後の生活の為、家を整えておかなくちゃ。
まずは建具をつけなきゃね。
家の外に出て、アイテムボックスにストックしてある木材を取り出し入り口や窓の寸法に合わせて加工して取り付ける。ノブや把手も付けて、と。
不純物を取り除いた真水を凍らせて窓枠に嵌め込み定着させる。
開閉の具合も問題ない。
よしよし。
カーテンがある方が良いよね。
レース編みに凝った時作った物が大量にあったっけ。
えーっと、この水色のでいいか。
カーテンレールとカーテンの金具も作らなきゃ。
床は石が剥き出しだと寒々しいからフローリングにしてカーペット敷くでしょ。
カーペットは予備がいくつかあった筈。
家具も設置しなきゃ。
ベッドでしょ、タンスでしょ、化粧台でしょ。ライティングデスクに、椅子、ソファー、こんなもんですかね。
この人料理は出来ないみたいだから、キッチンはお茶いれられる程度の設備で良いか。
戸棚の一つに時間経過を止める陣を描いておく。
衣類やなんかも必要だね。
とりあえず蜘蛛もどきの糸で織った布で一式作るか。
サイズを目視して下着と靴下を数着とワンピース二着、マント一着をパパッと作ってタンスにしまう。
自分用に作り慣れているからすぐに出来る。
足のサイズは私と同じくらいだから予備の靴でいいね。
気がつけばすっかり夜が明けていた。
あら、やだ、完徹しちゃった。
しかも、私とした事が、飲まず食わずで。
自重しない物作りって楽しいのよね。
しかも久しぶりに他人の為にあれやこれや。
一度王都の自分の部屋に戻り買い物に行く。
市場で朝からやっているお店や屋台で売ってる料理やパンを何種類も買い、マジックバックにしまう。
最近気に入っている食事処で朝兼昼食を食べてから、雑貨屋などをまわり、食器やカトラリー、文具、日用雑貨なども一通り購入。
最近似たような買い物やったなぁ。
自分の部屋整えるのに。
まさか数週間でもう一度やるとはね。
気まぐれで助けたけど、拾った生き物の面倒は責任持ってやりますとも。
ええ、きっちりと。
買い物を終え部屋に戻り、再度拠点へ。
買ってきた品物をしまい、マリーエレンさんの様子をもう一度診る。
眉間にシワ。
ちょい薬液の濃度を下げておこう。
うん、これで良し。
穏やかな顔になりました。
さぁーて。
これで一段落。
時々様子診に来るからね。
ゆっくりお休みなさい。
目が覚めたら、新しい人生が待ってるよ。




