569.聖女の痴態
「……エレジーさん」
“湖の城”にある二階の屋内プールにて思いっ切りクロール泳ぎをした後、仰向けにプカプカと浮かびながら壮大な天使の絵が描かれた天井を見上げていた。
エレジーさんの第一印象は、優しそうな綺麗な人……だった。
リョウという人が居なくなって、死んで……どんどんおかしくなっていって……私のホナミさんへの対応が、エレジーさんとの溝を生み出したのは間違いなくて……。
「……ハァー」
どうするのが正解だったんだろう。
銀髪に染めた事で、何も選べない以前の私と決別したつもりだったのに……私は結局。
プールから上がり、置いておいたタオルで身体を拭きながら傍の洗面所に行こうとすると…………キクルさんが壁に背を預けながら立っていた。
「こんな所で、どうかしたんですか?」
『お前を探してた。話したいことがあって』
――心臓がトクンと跳ね上がって、冷え切った手脚とは逆に、一気に胸の奥が熱くなってきた!!
「こ、声を掛けてくれれば良かったのに」
待たせていた事が申し訳なくなる。
『考え込んでそうだったから、ここで待ってたんだ。自分と向き合う時間は大切だからな、成長するためには』
私の事を、そんなにも気遣ってくれて……。
「あ、ありがとうございます……それで、話って?」
『昨日のコセとアテルの戦いを見て思ったんだ。俺も、一人の男として強くなりたいって』
「キクルさんは、充分に強いですよ」
『だが、アイツらほど文字の力を操れない。むしろ今までは、あの力はこのゲームに対して邪道だとすら考えていた』
オリジナルプレーヤーのキクルさんは、私と違ってこの世界をリアルなゲームと捉えている節があった。
『俺は……《龍意のケンシ》を抜けようと思う。自分を追い込むために。アイツらよりも強くなるために』
「キクルさん……」
『それでだ…………レイナにも……付いてきて欲しい」
キクルさんの言葉を……すぐには理解できなかった。
「えと……」
どうしよう――もう死んでも良いってくらい幸せかもしれない!!
『人数が足りたら、俺がリーダーの新しいレギオンを起ち上げようと思ってる。実は、グダラやユウコ達はこの案に賛成でな。付いてきてくれるらしい』
ああ――私が最初じゃなかったんだ。
グダラさんが先なのは仕方ないとして、あのユウコの方に私より先に話を持っていっていただなんて……。
『実は、他にも当てがあって……レイナ?』
「ハヌマー達と相談をしなければならないので、少し時間をくださいね♪」
『……なんか……怒ってないか?』
「どうして私が怒るんです?」
『へ……いや……まあ、たしかに』
――確かにじゃないでしょうが!!
「フン!」
タオルをキクルさんの仮面に投げ付け、さっさと洗面所に入る。
『お、おい……』
「着替えるので入って来ないでください! ……まったく、キクルさんは」
こっちの気も知らないで。
「…………ぁ」
洗面所の鏡を見て気付く。自分が――V字の白いハイレグレオタード水着を選んでいたということに!!
「屋内で誰も居ないと思って……水着のことすっかり忘れてた」
こんな格好……キクルさんに、絶対痴女だって思われたじゃないですか!! 神様のバカタレ!!
●●●
コセとアテルの決闘からおよそ一週間後、俺達は無事に三十六ステージの“獣の聖地”へと辿り着いた。
《日高見のケンシ》は数日前に“明けの鬼京”を旅立ったらしく、完全に俺達がコセ達を待たせちまっている状況。
「ようやく会えたな、お前達」
ヴァルカが《獣人解放軍》の連中と一緒に、祭壇前で俺達を出迎えた。
「お久しぶりです、ヴァルカ様!」
「「お久しぶりです!」」
道中生意気だった獣人三人が、ヴァルカの前へと駆けて膝を付く……カリスマあんだな、あの男。
「ここまでの道中、此奴らを守ってくれて感謝する。ザッカル、キクル」
「そういう約束だからな」
ここまでで、度々揉め事に発展してたけれどよ。特にキクルとグロスが。
「おい、マウーサ! 何をしてる! お前もさっさと跪け!」
グロスの奴、意外と奴隷根性が染みついてやがんな。
「嫌よ」
赤毛の鼠獣人が、つまらない物を見るような目でヴァルカ達を見ていた。
「私、キクル達と一緒に行くことにしたから」
「お前、ヴァルカ様を裏切る気か!!」
「魔法使いになった私なんて、最初から《獣人解放軍》には要らないでしょ?」
解放軍側に気まずそうな雰囲気が流れる。
獣人だけのレギオンで、獣人は本来は戦士だけ……大体、マウーサがどんな扱いを受けていたのか読めた。
俺もレリーフェみたいに、獣人を色眼鏡で見すぎてたのかもしんねーな。
「――すまなかった、マウーサ。お前を庇ってやれなくて」
頭を下げるヴァルカ……へー。
「……変わられましたね、ヴァルカ様」
「戻って来いとは言わん。お前が皆のために魔法使いになったにも関わらず、俺は長としてお前への誹謗中傷を止めてやれなかった」
「クレーレちゃんには、感謝しています。あの子だけが、私を理解してくれていたから」
「……達者でな、マウーサ」
「今までお世話になりました。私を生き返らせてくれた恩だけは、忘れないでおきます」
意外と義理堅いというか、献身的な女だったらしい。
「というわけでキクル、これからもよろしく」
『ああ』
キクルの奴が、当たり前のように受け入れやがった。
さては、前もって話してあったな。
「マウーサ……お前、本気か?」
「じゃあね、グロス。アンタとの腐れ縁もこれまでよ」
マウーサの奴、もしかして……。
「キクル、ザッカル、持っていけ。これは、せめてもの礼と餞別だ」
ヴァルカの部下から渡された複数の包みの中には、大量の食糧や金袋が。
『良いのか?』
「礼だと言っているだろう。遠慮せず持っていけ」
「あんがとよ、ヴァルカ」
「お世話になりました、ザッカルさん」
「離れ離れになるのは残念ですが、お元気で」
俺のパーティーにいた二人の女獣人が、礼を言ってきた。
「おう、お前らもな」
俺以外には何も言わず解放軍側に加わるアイツらを見て、やっぱ一緒にはやってけねーなと確信しちまう。
「――レイナさん!!」
獅子獣人のグロスが、レイナの前で膝を付いた?
「俺と、番になってください!!」
コイツ、このタイミングで告白しやがった!
「……すみません」
困ったように笑いながら、さり気なくキクルの後ろに逃げるレイナ。
「…………決闘だ、キクル。レイナさんを賭けて!」
『は?』
「俺が勝ったら、レイナさんを貰うぞ!」
『おい、なんでそうなる? 少しはレイナの気持ちを――』
「よし、オクネル。“決闘場”の準備だ」
ヴァルカがお膳立てしようとしてる!?
『おい、何を言ってる!? コイツが俺の相手になるわけないだろう!』
「分かりました。グロスさんがキクルさんに勝ったら、その告白を受けます」
『レイナ!? お前まで何を言っている!』
「レイナさんの同意は得られた! 勝負だ、キクル!!」
その後、“決闘場”の舞台上にて、必要以上にボコボコにされるグロスの姿があった。
ザマー。




