255.元アイドルの苦悩
「まさか、手動で動かさないといけないなんてね」
脱出ボート近く、ナオが座り込んだ状態で声を掛けてきた。
「コセさん、代わりましょうか?」
「いや、クマムは見張りを続けてくれ。俺は、TPもMPもほとんど残っていないから」
剣の形が変わった時に精神力もかなり持っていかれたから、動きや判断力も鈍っているだろう。
なので、クランクシャフトを反時計回りに回し、地道に脱出ボートを降ろす役目を譲るつもりはない。
……予想していたよりもかなりキツいし、コレ。
「あ、着水したみたい」
「フー……次は、鎖の連結部の切り離しか」
近くの説明板を見ながら、再度手順を確認。
安全が第一。こういうのはしつこいくらいに確認した方が良い。
「これ、船が動き出してから降ろすのは危険だったろうな」
船同士がぶつかって、ボートの方が海の藻屑になっていたかも。
「どっちかのみでの脱出を想定していたでしょうから、説明する気は無かったのでしょう。そもそも、思いもしなかったのかもしれません」
観測者側に対してなかなか辛辣というか、見下すような評価をしているな、クマムは。
まあ俺も、クマムの意見は的を得ていると思うけれど。
「モンスターも出て来ないし、なんだか不気味ね……先に行って準備してて、コセ」
「ああ、そうさせて貰うよ。二人とも、気を付けてな。“壁歩き”」
連結部の外し方を、イメージ出来るようになるまで何度も何度も頭に叩き込んだのち、船の外装部分を歩いて降りていく。
さっさと降りたい所だけれど、船が揺れるし風もあるから、慎重に降りないといけない。
風は大分弱まって来たものの、気を抜いたら海に真っ逆さまか、船に叩き付けられるように転げ落ちそうだ。
●●●
「コセさん……なんでそこのロープを使わないんでしょう?」
すぐそこに、明らかにそれ用のロープ梯子が用意してあるのに。
「コセって、結構抜けてるところあるから」
「そうなのですか?」
私が知る限り、そんな風には思えない…………なんかイライラしてきました。
私が知らないコセさんを、ナオさんが知っているって思わされたから?
……でも、ナオさんの方が付き合いは長いですし、一応は夫婦という関係性なのですから……と、当然と言えば当然なのですけれど。
「……ハァー」
深いため息……こんなの、グループメンバーに理不尽な嫌がらせをされた時以来。
その前は、冗談を装ったディレクターにお尻を触られた時だっけ。
それくらい些細な事って言う人も居るけれど、私にとってはこの上ない苦痛だったのに……。
思い出したら、この手のレイピアであの時のディレクターの目と喉を貫いてやりたくなってきた。
「クマムちゃん…………コセのこと……好き?」
――ナオさんのいきなりな言葉に、後頭部を雷で打たれたような衝撃に襲われてしまう!
一瞬遅れて――頬が熱を持ち始める!!
「……ひ、人としては……尊敬できるとは……思っています」
奴隷商館で出会ったときに言っていた言葉は、今でも私の記憶に色濃く残っている。
「アイドルって、人間を疑似神格化しているみたいで嫌なんだよ」
私は……私を私として見て貰えない事が苦しいんだって……大してアイドルで居たいなんて思っていないんだって……気付かせてくれた言葉。
あの言葉のおかげで肩の荷が降りたというか……大分心が楽になれた。
それまでは、一刻も早く元の世界に戻って、アイドルとしての活動を再開しなきゃって思っていたから。
そういう強迫観念に、まるで取り憑かれているかのように。
「私ね……あまり自分のこと……好きじゃないんだよね」
「え?」
突然のナオさんの告白に、少なからず動揺してしまう。
「自分自身に目を向けると嫌なことばっかり考えちゃってさ……でも、このレギオンのメンバーは自分をちゃんと見ようって人が多いって言うか……怖くても、ありのままの自分を見詰めようと戦っているって言うか……私は、コセが受け止めてくれたから……自分を見詰める勇気を貰えたって言うか」
紡ぎ出された言葉は、普段のナオさんからは考えられない物で……その弱々しい姿は、コセさんに買われる前の……奴隷から解放される前までの私と…………姿が重なってしまった。
「クマムちゃんて、結構コセと似ているっていうか……実は凄くコセと相性が良いんじゃ無いかって、そう思うのよね」
その自虐的な笑みに、胸が苦しくなってしまう!
「私が……ですか?」
「指輪だって初めから最高級だし、お互いに敬意を払っているって言うか」
「そんなことは……」
誰に対しても一定の敬意を払う。
私が芸能界に入って、いつの間にか身に着けていたスキル。
それが出来ないと……全ての人達をゴミと見下してしまいたくなるから。
……コセさんも、そうなのかな?
「辛いなら、コセに甘えてみたら?」
――ナオさんの言葉に、心を強く揺さぶられてしまう!!
「でも……」
心が誰かと近付き過ぎるのが…………怖いから。
ジャラジャラという鎖の揺れる音を通して、コセさんが下で作業している気配が伝わってくる。
たったそれだけのことに……安心感を抱いている自分が居る。
この想いは……一時の気の迷い? それとも……。
それでも、この感情に身を任せてしまうことが……私には怖くて堪らない。
「……なにあれ?」
ナオさんが見詰める先――青い粘体の化け物が、船首側からやって来た!?
「先手必勝! “氷炎魔法”――アイスフレイムカノン!」
――見た目よりも機敏な動きというか、身体に穴を開けるように変形して、ナオさんの魔法を避けた!?
「“天使法術”――エンジェルランサー!!」
天使の槍群を飛ばすも、濃い青の核を中心に収縮――躱されてしまう!
更に、すぐに肥大化してブヨブヨの人型上半身となり、鋭利にした左腕で斬り掛かってきた!!
「“尖衝武装”!」
赤い円錐の光を“一輪の華花への誓い”に纏わせ、水の刃を受け流す!
「うッッ!!」
予想以上に重い!
取り敢えず、動けないナオさんから引き離さないと!
「“竜巻噴射”!」
”白百合の竜巻脚甲”の効果で足裏から竜巻を放ち、粘性の化け物を押し出す!
数メートル程移動した所でモンスターが身体を変化させ、逃れられてしまう!
「“瞬足”、“天使剣術”――エンジェルスラッシュ!!」
粘性の怪物の身体を、大きく切り裂く!
「……傷が」
あっという間に塞がっていく。
「魔法を避けたということは、魔法なら通じるはず! “天使法術”、エンジェルリング!」
光の輪っかを飛ばして動きを止めようとするも、身体を変化させて逃れられてしまう!
「“雲魔法”――クラウドアーム!!」
雲の腕を生み出し、殴り付けます!
「これ、効いていない?」
もしかして、あの核が弱点で、核を破壊しない限り倒せないタイプのモンスター?
八歳の時に声優デビューしたアニメで、確か弱点を破壊しない限り倒せない怪物がいました!
そう言えば、お母さんの方針でアニメ関係の仕事はそれっきりだったんですよね。
私のお母さん、二次元文化を蔑んでいたから。
特に、アニメーションのアイドルを嫌悪してましたね……だからアイドル文化は衰退したんだ、とかなんとか言ってたな。
……元アイドルの不倫とか、枕営業とか、報道されていない物まで沢山耳にしてきたけれど。
むしろ、浮気しようのない二次元アイドルの方が健全な気がしてきました。
でも中の人達は、もしかしたら……。
「私……本当になんで……アイドルで居続けたんだろう」
問うまでもない事を、つい口にしてしまっていた。




