ウチの魔王が勇者を好きすぎる件
「勇者が、氷竜の洞窟を、突破致しましたーー。」
玉座の間にて重苦しい沈黙を破り紡がれた言葉には、苦渋と恐怖が色濃く滲んでいた。
声の主は、済んだ清流の色を宿した髪の毛を背中まで垂らし、冷たく整った風貌の女性「のようなもの」であった。女性と断定できないのは、その下半身…臍から下が鱗に覆われた蛇のものと同一だったからだ。
ラミアと呼ばれる半人半蛇の魔物。
その美しく妖艶な顔立ちは、今は畏れに強張り引き結ばれた唇は微かに震えている。
怯えを露わにする彼女が前にしている存在は、玉座に座し、静かな眼差しで彼女を見下ろしていた。
客観的に見るならば、それは実に奇妙な構図だった。
何しろ、玉座に悠然と腰を下ろすその者は、人形のように美しい顔立ちをした幼い少女だったからだ。
陶器のように白く滑らかな肌は血が通っているか危うい程精巧な肌理で、玉座を照らす炎に揺らめく。金糸の髪の毛を二つに結わえて垂らし、長い睫毛に縁取られた緋色の瞳は二の句を待つようにラミアに向けられていたが、ふっくらと濡れた唇が薄く開かれた瞬間、ラミアが全身に緊張を漲らせる。
魔王……。
少女が冠する名。
圧倒的な絶対魔力。
少女がその細い指を軽く曲げるだけで、ラミアの身体は塵一つ残さず消え失せるだろう。がくがくと震える両手を握り込み、失態への叱責に下される断罪を待っていたラミアだったが…
「他には?」
「はい?」
見目通り、鈴を転がしたような可憐な声は、一切の非難も批判もなく、純粋な興味だけを持ってラミアに問う。質問の意図を図りかねて思わず問い返したラミアに対し、魔王は眉を寄せて小首を傾げた。
「他に報告は?」
「あっ…えっと…ですね、勇者はこの短期間に、炎の精霊の加護を受けており…。」
「そうなのか? 前回、サラマンダーに門前払い食らって大変だったって聞いたが。」
「えっとですね、なんか三日三晩頼み込んで誠意を買われたっぽいです…。」
「成程! 流石じゃの! 真摯な態度が精霊に火を付けたんじゃな! 炎だけに!」
なんだろう。
なんかこう、絶妙な違和感に包まれたラミアを置き去りにして魔王は続ける。
「他には?」
「え? …他にと…申しますと?」
「いやだから、あるじゃろ。元気そうだったーとか、どういう服着てたーとか」
「元気…? 服…?」
「氷の洞窟だぞ? 鎧とか身に着けてたらお腹冷えるじゃろうが」
「あ…えっと、…洞窟の入り口付近に住まうワイルドウルフの毛皮を羽織っていたと思います。
…あな憎し勇者、我が同胞の皮を剥いで装備にするな」
「サバイバルー!!! 生きる知恵ー!! さすが勇者ぁー!!!」
狼の皮を剥いだくだりで急にテンションが上がった魔王を前に、ラミアも流石に戸惑いの色を隠せない。
遥か高みに位置する、格が違う存在でなければ「えッなんでこの人味方に対する皮剥ぎでテンションあがってんの…ひくわ…」となるところだ。
軽く引いているラミアを余所に、魔王はグイ、と身を乗り出し顔を近付ける。玉座の間で最初に対峙していた際は、余りの精巧な顔立ちに圧倒されたが、今やその大きな瞳は喜色に爛々と輝いている。
「そんな畏まっては聞けるものも聞けぬ。ちょっとこっちに来い。お茶でもしながら楽しくお話せんか?」
「えっ、あっ? お話ですか?」
「そうじゃ、お話! 勇者がどうやって氷竜をやっつけたかとか、あと誰と一緒だったとか、レベルは幾つだったかとか、食べ物は何が好きそうかとか、お休みの日は何して過ごしてるのかとか、色々と話題は尽きぬのでな!」
戸惑うラミアを余所に目をきらきらと輝かせ、強引に彼女の腕を引っ張っていく魔王。相手の迷惑とか戸惑いとかお構いなしな辺り、ある意味絶対王者の風格はあるのだが…。
なすすべなく引きずられるラミアを連れて行こうとする魔王。玉座の後ろに勝手に準備しておいたお茶会セットをいそいそと支度する彼女だったが…
「魔王陛下ッ!!!」
怒号が響く。
魔王は、その華奢な肩をひゃっ、と窄めた。ラミアも、声の剣幕に身体を強張らせる。
怒りのオーラを漂わせ、玉座の間に踏み込んできたのは、魔界のナンバー2と名高い参謀。
黒衣のローブを身に纏い、闇色の瞳に怒りを湛えた長身痩躯の彼は牙を剥き、吠えた。
「本当にアンタは何回言えば…。
敗北者を捕まえて延々勇者の話を引き出すのはいい加減止めなさい! 後半、疲れ果てて全員ミイラみたいになるでしょうが!」
え、マジで、という顔で硬直するラミアを尻目に、魔王は瞳に涙を浮かべぶんぶんと首を横に振る。
その仕草は愛らしく、庇護欲を掻き立てるものだったが…訴える内容は、至極身勝手極まりないものだった。
「イヤじゃイヤじゃー! 勇者の話を聞くんじゃー!!
だって…だって…、余は…
勇者が、大好きなんじゃああああッッ!!!」
声を震わせて響き渡る魂の叫び。
そして、迸る魔力の波動が魔界に響き渡る。ラミアは泡を吹いて倒れ、魔王城の硝子は一枚残らず叩き割られた。空を舞う竜が、白目を向いてぼたぼたと地に降り注ぐ。
ああ…。
魔力の無駄遣いに参謀は眩暈を覚えて身を傾いだ。
ウチの魔王が、勇者を好きすぎる。
これは、勇者が大好きな魔王と、心労を一身に背負う参謀の物語。