第七章 奇跡の村
勇者ベルがその命を落としたことは瞬く間に広がった。彼の功績は間違いなく多くの平穏を生み出した。世界の大半はその訃報に心を痛め、涙を流した。一方で一部の者は喜びの声を上げた。彼によって犠牲になった人々は嘲笑うように空を眺め、神に感謝をした。
少し時間が経つと一部の魔者やベルの名に怯えていた野党は足枷が外れたかのように表立つようになった。リュトスは悪い噂を聞いては持ち前の能力を使って風のように漂い、その元を消して回った。いつしかその名はベルに代わって世界中に轟き、正義の象徴として崇められるようになった。
ブルーノはその力を活かし、村の再建に尽力を尽くした。そして、その後は壊れた街や橋などを直して回った。途中、身寄りを失った子供たちを集めては生活できるように支援を整えた。その姿はさながら父親の様で世界中の人々に慕われた。
村はすぐに復興した。村で作られる食物は不思議と人々の体を癒すという評判が広まり、思いがけない発展をしているほどだった。中には怪しげな薬を使っているのではないか、噂だけで効果はないなど心のない言葉が浴びせられることもあったが、事実として人々の治癒力は高まっていた。
『奇跡の村』
難病をも回復に向かわせる、寿命以外で亡くなる人がほとんどいないこの村はいつしかそう呼ばれるようになった。
アリアはその理由を知っていた。それは村人を守るために命を懸けた勇敢な魔者、死してなお生物に癒しを与え続ける優しい魔者の力だった。
アリアはその力を耐えさせてはいけないと研究を始めた。異端だ、魔の力を育成しようとしていると時には命を狙われることもあった。しかし、途中までとはいえ元は勇者一行の一人、そして、夫は勇者ベルの剣師であることで不用意に行動を起こせなかった。
アリアはベルジュとその間に生まれた娘アンネに支えられて最大の幸せの中で人生を過ごした。ベルジュはしばし旅に出ていた。そして、ある日使命があるとだけ残し、家を去った。アリアは一言も止めなかった。一杯の幸せをもらい、きっと多くの人にさらに多くの幸せをもたらすための旅だと信じていた。ベルジュはアリアの最期まで帰ってくることはなかったが、いつも、いつまでも幸せそうに笑っていたと娘のアンネは葬儀の席で語った。
アンネにもこの優しい力は受け継がれた。そして、アリアの代わりに研究もまたアンネに引き継がれた。それから研究はひ孫にあたるエリザの代でようやく核となる細胞の培養に成功した。
『スライム細胞』
治癒力を最大限まで増大させ、細胞の数を減らすことなく傷を瞬く間に癒すこの力はそう名付けられた。
「そして、今、私がここにいます」
エリザは訴えかけた。この細胞が優しさに満ちていることを。
聴衆は言葉を失っていた。異端としていた人たちの心にもどこか優しい気持ちが届いていた。
「スライム」
一部の人は呟くようにそう言葉にした。それは唱えるたびに、体の中で優しさが呼応しているようだった。
しばらくの静寂の後、人々はエリザへ拍手を送った。それは多くが彼を受け入れてくれた証だった。エリザは胸に手を当てると、俯いて涙を流した。それは家族に報告をしているようにも見えた。
(やっと終わった。 ……いや、ここから始まるんだ)
エリザは自分に拍手を送る人たちを見渡すと、満面に笑顔を見せた。
スライム。それはslave(奴隷)から由来した名ではない。それはきっとsuave(優しい)気持ちから生まれた言葉。
魔王スライム、その優しい名はいつしか世界を優しさに包む魔法の言葉になっていった。