第六章 魔王スライム
街から山を一つ越えた先に小さな村があった。さらにそこから少し離れた先には小さな家、そこはアリアの生家であった。祖母と暮らし、そして、魔に憑かれた祖母が自ら命を絶った家だった。家の中は村の神父が片づけてくれていた。悲惨な痕跡はなく、今にも祖母の声が聞こえてきそうだった。
三人は、正確には二人と一匹はその家で暮らした。それはとても静かな時間だった。つい先日までの争いが夢だったと言われれば信じてしまいそうなほどに穏やかだった。
アリアには両親の記憶がない。生まれたときから祖母の家で暮らしていた。その理由を祖母から聞かされることはなく、両親が生きているのか死んでいるのかもわからなかった。
この奇妙な共同生活にどこか家族の温もりを感じながら、こんな時代でもどうか両親も幸せに暮らしていて欲しいと思いを馳せた。
(そんなことは今まで一度も思ったことがなかったのに……)
アリアはクスッと笑うと目の前にいるスライムの体をつついた。スライムは驚くとその体をプルプル震わせ、アリアの方を見た。すると、アリアはいっそうクスクス笑って見せた。
三か月が過ぎるころ、ベル一行は魔王を守る三騎士のうち生存している二匹を討ち取ったという噂が聞こえてきた。
一人倒しては傷を癒し、次へ向かう。治癒の力を持つ者が仲間にいない一行は予想以上に時間を要した。
噂が聞こえ出してからアリアは毎日天に祈りを捧げた。必要になるかもしれないと野草から薬草を作っていた。それは時に村の人を大きく救っていた。戦いに身を置いていた生活から一変、この平穏すぎる日々がずっと続いて欲しいと思っていた。
スライムもまたこの暮らしを愛おしく感じていた。過去のことを思い出とし、新たな生活を考えるのも悪くないと思えるほどに穏やかな日々だった。しかし、自分は魔者。今後来るかもしれない戦いの日に備えて己の能力の強化を続けた。ベルジュの力を借り、村の人たちの理解を得ながら、スライムは生き残るための術と守るための力を身に付けていった。
平和な日、その生活が最後まで続くことはなかった。
それから半年ほどが過ぎるころ、ベル一行が魔王を討ち取ったとの噂が世界中に広がった。その際に世界中で大きな亀裂が発生し、魔者の多くが自分たちの世界へ還っていったとのことだった。
勇者となり、地位も名誉も手に入れたベルは真っ先に残党狩りを行わせた。
さらに数か月が過ぎるころ、ベルが好き放題暴れているとの悪評が広まった。先の街にいるとの話を聞き、ベルジュは様子を見に山を越えた。
それと同じ日、村へ食材を買いに行ったアリアが日が暮れても戻ってこなかった。嫌な予感しかしなかった。足のないスライムは這いつくばって村まで向かった。夜が更け、日が昇り始める頃にようやくたどり着くと、見張り台に見たことのある姿を見かけた。
「リュトス」
それはベル一行で風を操る男だった。幸い眠っているようだったがスライムは警戒心を高めて村の中へ向かった。
村の中央には火刑台が組まれていた。その傍らには黒い檻が置かれ、見せしめのように一人の人間が入っていた。村の人は一人も家から出ておらず、人ひとりいないような静けさだった。
スライムはもしやと思い、近づき確認しようとした。しかし、すぐ近くには見慣れた大剣を携えた男が目を凝らしていた。それは忘れもしない、スライムの家族を一瞬で土に還した男だった。
どうしようかと物陰に隠れていると、人影が檻に近づいてきた。
ベル、その男は最後に見た姿から風変りをしていた。左目には眼帯をつけ、さらには左肘から下が無くなっていた。うっすらと見える体は傷だらけで魔王討伐が如何に過酷だったかを物語っていた。
「さて、アリアよ。お前は勇者となった俺を裏切り、魔者を助けた異端者として裁かれるわけだが、少しは反省したか?」
ベルは檻の前で腰を下ろすと、嘲笑するように尋ねた。アリアはその姿から目を背けると、静かに目を伏せた。
「おい、目を逸らさずにこの姿を見ろ。お前が裏切ったせいで傷は癒えることなく、下手をすれば魔王がこの世界を牛耳るきっかけを与えるところだったんだぞ」
ベルは眼帯を取ると、無くなった左指でアリアを差した。
「傷に関しては申し訳ない気持ちで一杯です。でも、魔者がすべて一掃されるべきだとは思わない。元は人間だった人たちもいるのよ。ましてやそのために人間をも犠牲にするなんて……」
「黙れ異端者。誰のおかげで平和が取り戻せたと思っている」
ベルは大声で怒鳴ると、右手で檻に掴みかかった。
「心に魔の巣くう者など滅んでしまえばいい」
ベルの残された瞳は闇に陰っていた。ブルーノは憐れむように二人のやり取りを見ると、ため息交じりで首を横に振った。
「あ、あの……」
震えながら村の娘が声をかけてきた。
「勇者様、お食事の用意が整いました」
ベルはゆっくりと立ち上がると威風堂々と娘を見下した。
「ブルーノ、食事の前に裏切り者を張りつけておけ。村の娘よ。食事が終わったら火刑を執り行う。異端者の最期がどうなるか村の者すべてに見に来るよう伝えろ。これは勇者様からの命令だ」
ベルはそう言うともう一度アリアに目を移した。
「先に言っておくがベルジュは来ない。先の街で黒い影が暴れているからな。その対応で数日はかかるだろう。出来ることならば師として魔者と戦って栄誉ある死を迎えて欲しいところだ」
「彼を引き離すために魔者に暴れさせているの?」
アリアが顔を上げると、ベルは答えずに鼻で笑った。
「何てことを…… 魔が巣くっているのはあなたよ!!」
アリアは珍しく感情的に大きな声を上げた。その言葉にベルが激昂するのではないかと緊張感が走ったが、意外にも冷静な態度だった。
「娘、リュトスにも食事を持っていくように」
それだけ言葉を残すとベルは一つの民家に入っていった。
ブルーノはアリアの体を檻から引っ張り出し、火刑台に張りつけた。途中何度もアリアが話しかけていたが、ブルーノは目すら合わせずに坦々と作業を行った。
「すまない」
最後にたった一言だけ呟くと、アリアは優しく微笑んだ。
「彼をよろしくね」
アリアの言葉にブルーノは小さく頷いた。
時間がない、焦るスライムだったがどうすることもできなかった。ブルーノやベルでは近づくことさえできずに斬り捨てられるだろう。何か手はないか。そう辺りを見回していると、食事を運ぶ少女の姿が目に入った。
日が昇りきる時間、先ほどまで雲一つなかった空が暗雲に覆われた。中央には人が集まり、張りつけになった娘の姿を悲観していた。
神父が歩み寄ると、神の言葉を語りかけた。その姿は満身創痍で、顔と体そこらじゅうが腫れ上がっていた。幼少期に祖母を失くして以来、身寄りのないアリアを娘のように育ててきた神父は何度もベルに慈愛を求め、その都度叩き返されていた。
アリアはその姿に涙を溢し、昔のように屈託のない笑顔を神父に向けた。
「アリア・テレジア、最期に言い残す言葉はありますか?」
神父の問いかけに、アリアは村の人々を見まわした。
「世界中の家族が幸せでありますように」
アリアは切に願うと、ニッコリ笑い、そしてそっと目を閉じた。村人は涙を流した。それぞれが胸の前に手を合わせ、祈りを捧げていた。
空からは雨が降り出した。ベルは木が湿気る前に火をつける指示を出した。
その瞬間、ベルに向けて一本の矢が放たれた。間一髪急所は避けたが、死角から放たれた矢はベルの左肩を貫いた。
「誰だ」
ブルーノが声を上げると、ベルは怒り狂った表情で一点を見つめていた。
見張り台。その上にいるリュトスが弓を構えていた。ベルは剣を抜くと、体を捻り、溜めを作った。
「おい、ベル。止せ」
″貫く雷″
押し出す様に伸ばされた剣先から雷が走り、一瞬で見張り台が消し飛んだ。
「貴様、正気か? 操られている可能性だってあるんだぞ」
ブルーノの言葉にアリアはハッとした。思い当たる節が一つあった。アリアは嬉しさ半分、できれば逃げて欲しいと願った。
「リュトスを操るほどの者がいるのなら、消去していくより他はない。何ならお前も消えておくか?」
ベルの挑発にブルーノは珍しく感情を表に出していた。
「貴様、どこまで魔に堕ちるつもりだ?」
ブルーノはベルの胸ぐらを掴んだ。片手でベルの体が持ち上がりそうになると、ベルは不愉快だと軽く電流を流した。
「失礼な奴だ。俺を魔者扱いするつもりか? お前の大切な妹を殺した魔王にでも見えるか?」
嘲笑するように言葉を続けるベルにブルーノの怒りは収まらなかった。頭では妹の姿がちらついた。
「俺は妹の仇討ちを成し遂げてくれたお前に最大の敬意を払ってきたつもりだ。俺には何もできなかった、あの圧倒的な力に対して成果を示してくれた。しかし、もうお前にはついて行けない。お前はまた俺から家族を奪った。さらに今も奪おうとしている。これ以上悪行を重ねるのならば相手になる」
ブルーノはその大剣を抜くと、肩を支点にして大きく振り下ろした。その衝撃は火刑台を壊し、アリアは地面に投げ飛ばされた。
「力一杯にそんな大剣を振るうことしかできないやつが、俺に勝てるわけないだろう」
ベルは嘲笑うように振り回される剣をよけると、背後に回った。そして、剣を振るおうとした時、地面から土で形作られた無数の槍が襲い掛かった。ベルは宙返りを繰り返してそれを避けると、民家の屋根に上がった。
ブルーノは土を操る力を持っていた。ベルの繰り出す雷撃を土の壁で凌いでは周りに受け流した。
「やはり、一対一ではお前の力は面倒だな」
ベルは暗雲に剣をかざすと、空全体から稲光が轟き始めた。
「おい、よせ……」
ベルはブルーノの制止も聞かず剣を振る下すと、村中に雷が落ち始めた。
アリアに岩で防壁を作ると、目の前で落雷に打たれそうな娘に目を向けた。しかし、その瞬間に背後から剣が突き刺さった。
「優しいな、ブルーノ。だが、それがお前の弱さだ。故にお前は何も成せない」
血を噴くブルーノに、今まで感謝する、と最期の言葉を投げかけると、ベルは剣を抜いた。
ブルーノは落雷の中で怯える娘に目を向けていた。最後の力でその娘に防壁を作ると、アンリ、妹の名前を一度呼び静かに目を閉じた。
ベルはアリアの元へゆっくりと歩いていた。仲間という絆を一つ、また一つと絶ち、最後の絆を絶ちに向かった。
(なぜ、まだブルーノの能力が活きている?)
岩壁に守られているアリアを見てベルは疑問を持った。そして、後ろから駆け寄る足音を文字通り光の速さで避けた。
ブルーノは大剣で突きを繰り出すと、避ける方向が分かっているようにそのまま薙ぎ払った。ベルは剣でそれを受けたが力で押されて大きく吹き飛んだ。
「お前、ブルーノか?」
傷口は開いているものの、血は流れていなかった。意識を保とうとしっかり目を凝らし、薬物でも使用しているような表情だった。
まさか本当に操られているのか、リュトスも同じ状態だったのだろうか、一瞬で多くのことが頭をよぎった。
「お前を止めるために魔に体を預けることにしたよ」
ブルーノは地面を力強く蹴ると、戸惑うベルに向けて一瞬で距離を詰めた。そして、避けられることを承知で剣を振るい続けた。
「何度やっても無駄だ。魔に落ちたお前は俺が開放してやろう」
ブルーノが肩に剣を置き、得意の大振りがくることを察したベルは止めの準備をした。そして、肩が動いた瞬間、鈍い音が響いた。
それはブルーノの大きな拳がベルの顔面を強打する音だった。
ベルは面を喰らい、その後数発打撃を受けた。途中で何度も反撃を繰り出したが太刀筋が読まれているかのようにかわされ、その隙に強い攻撃を受けた。
「その動き、どうして……」
ブルーノの身のこなしには見覚えがあった。何度も教えられ、何度も真似をしようとしたが高度過ぎてできなかった師の動きだった。最低限の動きで剣先をよけ、最短距離で攻撃を繰り出すその動きは対峙するものに絶対的な力の差と絶望感を与えた。
渾身の一撃をくらうとベルは民家に激突して、動けなくなった。
「ハハハハハ、もういい。滅んでしまえ」
ベルは手のひらを天に伸ばした。すると、その体は光を帯び始めた。
″Light of despair″
そう唱えると全身から天高く雷が走った。その雷は暗雲に呑まれると、雲全体が光り始めた。
一つの落雷が民家に落ちた。力が高密度に圧縮された落雷は民家を一瞬で蒸発させ、そこには何もなかったかのように更地となった。そんな雷がいくつも落ち始めた。雨で湿った地面は村人を痺れさせ、逃げることもできなくなっていた。
その場の全員が絶望的な光景にどうすることもできずにいると、ブルーノの中からスライムが飛び出た。その姿にベルはさらに高く笑った。
「アリアといたスライム。俺はそんなものに負けたのか。愉快だな」
自分を睨み付けるスライムを見て、沼の出来事を思い出した。それを思い出せたのは奇跡的だった。当たり前のように数百もの魔者を殺してきたベル、自分がしたことは生き物を理不尽に殺すということ、復讐の種を増やすということ、そこに人間も魔者も関係なかった。
「胸を張ると良い。勇者と呼ばれる俺を倒したお前は正真正銘魔の王として名を轟かせるだろう」
「そんなもの、どうでもいいよ。僕は生きるものすべての幸せを願う」
スライムは雨、地中の水分から自分の分身を次々作り始めた。雷の力も手伝い、その一個一個はスライムと同じ意識を共有できた。
それは頭上高くに飛び上がると一つに集まり、アーチをかけるように村全体を覆った。雷はスライムの体に落ち、村の外へ流れた。
幾百もの高密度の雷がスライムの体に打ち付けた。
アリアは防壁から出ると、必死にその体へ治癒の魔法をかけ続けた。しかし、液体は少しずつ蒸発していた。
村にいる人はその光景を見守ることしかできなかった。雷の光、治癒の光、光が溢れて思わず見惚れてしまうほど綺麗だった。
そして、幾千もの雷が落ちきると、暗雲からの雨が止み、放電が止んだ。スライムの体はかろうじて形を保っていたが、自力で元に戻れる状態ではなかった。それでもアリアは必死に魔法をかけ続けた。
「ありがとう、アリア」
天から声が聞こえると、アリアは杖を下し、真っ直ぐに涙を流した。
「待って、スライムさん。死んじゃやだよ」
祖母の死と重ね、長年堪えてきた悲しみが溢れだした。その涙は止まることを忘れ、アリアは子供のように大きな声を上げて泣いた。
「大丈夫。君には家族が一杯いるよ。僕だっているから」
頬に落ちた一つの滴がそう伝えると、空にかかっていた薄い膜が光の粒子になって空に還っていった。
大きく破損した村に再び雨が降り始めた。村人は身動きできずにその雨に打たれていたが、次第にその痛みが消えていくことを感じた。
「これ……」
アリアは手のひらで雨を受けた。そこからは自分と同じ治癒の力を感じた。アリアの治癒魔法を存分に含んだスライムの一部分が村全体に降り注いでいた。
村人の傷は忽ち癒えていった。ブルーノの傷も塞がり、安心したようにその場で倒れこんだ。その奇跡を目の当たりにして、アリアはベルの姿を探した。やらなければならない、そんな覚悟が目に宿っていた。
「君がする必要はないよ」
背後から肩を叩かれて振り返ると、傷を負ったベルジュの姿があった。その傷は雨に打たれると瞬く間に癒えていった。
「この雨は彼の?」
「……ええ」
「そうか、やはりな。彼らしい、優しい力だ」
ベルジュはゆっくりと歩きだした。その先には今だ身動き取れずにいるベルがいた。
「影は?」
「倒したよ。お前、自分の手に負えないから私を向かわせたな」
「あいつは心の闇を広げる。濁りきった俺には倒せなかった」
「馬鹿だよ、お前は」
「師匠、俺に止めを。また、魔が差す前に終わらせて欲しい」
ベルはスライムの力で浄化されているようだった。子供のころのような真っ直ぐな眼差しはこのまま心が入れ替わってくれるのではないか、そんな期待を抱かせた。
しかし、怪我が癒えるにつれ、不穏な影が瞳に現れた。
「黒い風が吹いた日、一番厄介な魔者に憑りつかれたのはお前だったんだな」
気付いてやれずにすまなかったと、ベルジュは奥歯を噛みしめた。
村で新しい幸せを手に入れようとした時、ベルは親に捨てられたことを思い返した。幸せが一瞬で手のひらを反すことを自分は知っている。間の悪いことに怯えた心を黒い風が包んだ。
自分に手のひらを反すものは皆、魔者に見えていった。止めようとする師や婚約者も、人間や仲間たちも、いつからかこの世のすべての生物が魔者に見えていた。毎日怯え、近づくものを傷つけた。
あんな思いはまっぴらだ。そんなことはもうしたくない。せめて自分を取り戻している時に、大切な人の姿がわかる今のうちに、そう縋る様にベルジュを見た。
ベルジュは泣き出しそうなわが子を見るような瞳でその姿を見ると、膝をついて目線を合わせた。そして、懐から短刀を取り出した。
「婚約者には謝っておいて欲しい。それと、短い時間だったけれど愛し合えたことは俺の生涯一番の幸せだったと……」
「わかった」
ベルジュはベルの目を見つめながら、刃を突き刺した。
「ありがとう、父さん。愛しているよ」
その言葉にベルジュは真っ直ぐ涙を溢した。
「もちろん、私もだ。愛しているよ、ベル」
ベルジュはベルの頭を抱えると、強く抱きしめた。ベルの体から逃げるように上がった黒い影は雨に打たれるとそのまま蒸発していった。
雨が上がると、その雲間から光が差した。村の人々の傷は癒え、先ほどの悪夢のような光景が嘘みたいだった。
ベルジュはわが子の亡骸を抱えると、神父に事情を話し教会へ向かった。アリアとブルーノは村を歩き、傷を残したものを治癒して周った。その途中、気を失っているリュトスを見つけ、ブルーノはその再会を喜んだ。
リュトスに事の顛末を話すと、悲しそうに目を伏せた。そして、体をスライムに預けた話を始めた。
リュトスは食事を運んできた少女の水を口にすると、体に電気が走り一瞬硬直状態になった。それはスライムの半身が含まれた水だった。その瞬間に少女の胸元に潜んでいた残りのスライムがリュトスの体へ入っていった。
抗おうとするリュトスにスライムは優しく話しかけた。
(君は彼女を見殺しにするつもりかい?)
その言葉に今度はリュトスの心が固まった。
「どうすることもできないよ。ベルは変わってしまった。世界のために俺たちができることは彼の機嫌を取ってやるしかないんだ」
リュトスの言葉にスライムは首を横へ振った。
(力を貸してほしい。彼女を、世界を守るためにその力を貸してほしいんだ)
その言葉を聞いてリュトスは昔を思い出した。それはベルに魔王退治に誘われた時の記憶だった。
――森で動物たちと仲良く暮らしていたリュトスの元に黒い風が通り過ぎた。森の動物の一部は狂暴化し、仲良くしていた動物を殺し始めた。やむを得ずリュトスは彼らに弓を引いた。生き残った動物たちは疑心暗鬼になり、散り散りに去っていった。
一人で悲しみに暮れるリュトスの前に男が現れた。複数の魔者の亡骸を見て彼はリュトスに手を差し伸べた。
『世界は魔者によって脅かされている。世界を守るためにその力を貸してほしいんだ』
そう語った男の目は真っ直ぐに、力強い覚悟を持っていた。
リュトスは立ち上がった。去っていった家族が安心して暮らせるように。世界中の人が安心して暮らせる世界を作るために――
リュトスは頷いた。スライムは彼を信じると体から飛び出した。リュトスは自分を操っていた者の姿に一瞬驚いたが、すぐに納得したように笑った。
「ありがとう、これで僕はもう一度大切な人を守ることができる」
リュトスはそういうと立てかけていた弓を手にした。その一矢は風をまとい、魔を貫くように飛んでいった。
それから先は気を失っていたと語った。弓を放った後、すぐに見張り台から飛んで逃げたが雷の放電を浴びて気を失ったと説明した。
一同は胸に手を当てた。彼を動かしたのはスライムの力ではなく、心だった。
村中の人々が喜び、また、いつもの日常を取り戻そうとしている中、アリアは自分の身体に異変を感じていた。
心の奥が温かく、いつも優しい気持ちを感じていた。
「スライムさん?」
呼びかけても返事はなかったが、確かにその温もりを感じていた。
アリア胸元で拳を握りしめると、空を見上げた。
晴れ渡った雲一つない青空はどこまでも大きく世界に広がっていた。