第四章 悪夢のような出来事
数日が過ぎ、荷馬車に揺られながら、スライムは久しぶりに一匹でいる時間を過ごした。牛や羊が放牧されているような風景をいくつも越えながら、空を眺めて少し前のことを思い返した。
兄弟たちとくっついて離れて、家族と過ごした日々。ベルジュと過ごした村でも同じように睦まじく暮らす家族の姿を何度か見かけた。ベルジュと過ごした日々もまた楽しかった。あんな日々が過ごせればと思うことも多々あった。
スライムはぬるっと分裂してみた。しかし、そこから自我が目覚めることはなく、寂しそうに元に戻った。
それは何度繰り返しても同じだった。少し自分の意志で動けるくらいで新しい生命体になることはなかった。
「どうやって兄弟は生まれたのだろう……」
そんなことを考えながら、街の近くの港町に到着した。
荷馬車が止まるなり、スライムは外に出た。人に見つかる前に隠れようと物陰に急いだ。
人にとっては数歩の距離もスライムにとっては随分遠かった。何とか誰にも見つからずに物陰に隠れると、息を切らせながら荷馬車に目を向けた。
そこには異様な光景があった。積み荷を受け取りに来たのはリザードと呼ばれる二メートル以上ある二足歩行のトカゲのような形をした魔者であった。
「いつもありがとよ」
「いや、問題ないさ」
「こんな風貌だと人間に襲われかねないからな」
「お互い様だよ。君たちのおかげで我々も魔者に襲われずに済む。感謝の気持ちでいっぱいだよ」
「お互いを認め合える日が来るといいんだか」
「まったくだ」
会話が続くと、賑やかな笑い声が聞こえた。
スライムが呆けていると、後ろから足音が聞こえた。
(しまった……)
慌てて振り返ると、物珍しそうにこちらをみる八歳くらいの女の子の姿があった。
「あなた、スライムね。わぁ、初めて見た」
ぱぁー、と明るい表情でまじまじ見ると、指先でスライムを突いた。
思わぬ反応に再度呆けていると、二つの人影が後ろから現れた。
「どうしたの?」
「にぃに、スライムだよ」
「へぇ」
肩ごしに覗かせた顔は女の子と瓜二つだった。一目で双子とわかるその容姿は同じように目を輝かせて笑っていた。
「二人とも、魔者さんを驚かせてはダメよ」
後から続いて、母親らしい人物が声をかけてきた。
「あら、可愛らしい魔者さんだこと」
「でしょ。ねぇ、ママ。一緒におうちに行っていい?」
女の子の言葉に母親は呆れ顔を浮かべた。また始まった、そんな表情だった。
「私に聞いても仕方ないでしょう。魔者さんに聞いてごらんなさい」
母親の言葉を聞くや否や女の子は素早く視線をスライムに戻した。
「ねぇ、スライムさん。おうちで遊ばない?」
スライムは言葉の意味を理解できずにいた。遊ぶ、それは今までは弄ばれる度に聞いた言葉だった。
この子たちも僕を玩具にして遊ぶつもりなのかな? そう身構えていると横で母親が腰を下ろした。
「警戒しないで。この子たちの遊ぶは一緒にお絵かきをしたり積み木をしたり、そんなものだから」
察したように言葉をかける母親の声色は懐かしく感じるほど優しかった。
「この町は魔者さんと人間が仲良くしようと活動しているの。私の父が町長を務めているからスライムさんも一度会ってあげて欲しいな」
スライムは母親の澄んだ目を見ると、後方で積み荷を降ろしながら楽しそうに話す人間と魔者の姿を見つめた。
こんなことって…… そう思ったが、つい先日まで人と暮らしていたスライムにはわからなくもないことだった。
「うん、じゃあ少しだけ……」
「やったー」
「ふふ、外からのお客様が来るなら今夜は頑張って美味しいものを作らないとね。スライムさんは好きなものあるの?」
「……水、かな?」
「わかった。美味しいの用意するわ」
そういうと母親はスライムを手のひらに載せた。いいな、いいなと口を揃える子供たちの手に乗せ換えたり、肩や頭の上に乗ったりしながら町を歩いた。
誰もその光景を異様なものとしてみなかった。あら、可愛いお客さんね。そんな言葉をかける人もいた。いつもは自分を見下すような魔者も気軽に挨拶をして通り過ぎた。町の全員がまるで友人に声をかけるかのように、まるで平等の生き物として扱うように接した。
町並みは石を切り出した建物が多く、船から自分の家が見えるようにと色鮮やかなものが多かった。
途中で寄り道をした展望台から見た景色はまるで宝石箱の中にいるような気分だと、町長に会った一言目に伝えた。
「それはよかった。どうぞゆっくりしておいき」
歳は九十を超えているだろうか。足もやせ細り自分で動けるのか疑問に思うほど容姿だった。町の人からは長老や仙人と呼ばれ、家には彼を慕う人や魔者が多く集まっていた。
子供たちはリザードの背中を滑り台にしたり、体にぶら下がって遊んでいた。この町の人からすれば当たり前のような光景もスライムにとっては異様で、しかしながら幸せと呼べるものだった。あの男からしたらどうだろうか。人間と魔者が仲良くしている光景は地獄絵図に等しいのではないだろうか。幸いまだこの町に訪れた形跡はないが、この先現れる可能性は十分にあった。
「あの……」
言いにくそうに切り出すと、周りの人たちは会話を止めて聞く姿勢を取った。
「ベルという勇者候補の一行は来ましたか?」
スライムが続けると、互いは目を見合わせ、首を傾げた。
「来てはおらんよ」
町長が答えると、スライムは安堵と落胆を同時に浮かばせた。
「その者がどうかしたのかな?」
町長の問いかけにスライムは目を伏せた。
「その男が先の街にいると聞いてここに来ました。彼は魔者を一掃しようとしています。この町が見つかったらここにいるみんなが危ないかもしれない」
心配そうに話すスライムを町長は孫を見るような優しい瞳で見つめていた。
「ありがとう、優しい者よ。でも安心して良い。この町には結界が張ってある。悪い心を持つ者にこの町は見えないよ」
町長は指先で床を叩いた。自分では動けないからこちらに来ておくれと言っているようで、スライムはゆっくり近づいた。
「念のため、見張りは出しておくことにしよう。それでいいかな?」
スライムは目を伏せるように頷いた。近くの者は誰かに指示されたわけでもなくすぐに腰を上げて出て行った。
「復讐かな?」
スライムは町長の言葉に驚き、顔を上げた。見透かされたことへの戸惑いと焦りを感じていた。
「魔者が人間を追う理由なんてそんなものじゃからな。逆もまた然り。奪われる悲しみを知っているのに奪おうと必死になる。 ……どうだろうか、復讐など考えずにこの町で暮らさないかな?」
町長はスライムの頭を撫でた。
「優しい心を持っているから、君はこの町に入ることができた。君の大切な人もそんな君の心を大切にして欲しいと思っていることだろう」
諭すように語る町長の言葉に涙が溢れた。家族の笑った顔ばかりが頭から離れなかった。
「どうか、ゆっくりしておいき。時間はあるから、じっくり考えると良い」
食卓からは温かい匂いが漂っていた。スライムは美味しい水を体に取り入れると、嬉しさのあまりにまた少し涙を流した。それからは双子の兄弟と遊んで過ごした。妹はスライムの絵を描いてくれた。兄とはごっこ遊びをした。二人は取り合うようにスライムを引っ張ると、スライムは二つに分裂して見せた。短い距離なら分裂しても静電気のような電気信号でつながり自我を保てるようになっていた。二人は驚き目を丸くしていたが、最後には大きく笑った。
町長が先の街まで遣いを出し、ベル一行が滞在しているか調べてくれることになった。その間スライムは町長の家に世話になっていた。非力で何もできないスライムであったが、周りの人は何一つ疑問に思うことなく、当たり前のように一緒にいた。
そんな日々が一週間ほど続いた昼下がりのことだった。このままこの町に来た理由を忘れることができる気がしていた矢先に危惧していたことが起こった。
それを否定するように町の入口に四つの影が現れた。当たり前に終わるはずだった一日が暗雲に包まれた。
「ここか、人と魔者が暮らしているとかいうイカれた町は……」
影の一つが入口の中に入ろうとすると、入口の外へ空間ごと移動させられた。
「不愉快だな。アリア、結界を解け」
「……」
アリアは杖を握りしめたまま動かなかった。これから行われるであろう惨劇を容易に想像できたからである。
「役立たずが。ならば俺の雷で町ごと失くしてやろう」
男が町の入口に手をかざすと、膨大な密度のエネルギーが集まってきた。
「待って、私が解きますから」
アリアは慌てて制止した。一つでも多くの命が残ることを切に願って、結界を解除した。
結界が解除された瞬間、町長は立ち上がった。
「どうしたの?」
双子の母親が声をかけると、町長は険しい顔をして奥の部屋に向かった。
「結界が破られた。お前は警鐘を鳴らしておくれ。それが済んだら子供を連れて一度町を離れなさい。ここにいる者はすぐに家族を連れて町の外へ」
「そんな……」
「家族を守るのが一番の務めだろう」
一同が混乱していると町長はいつものように優しく微笑んだ。
「君はもう私の家族だ。どうか孫の近くにいてあげておくれ。きっとあの子たちも安心するから」
その言葉に深く頷くと、スライムは双子の元に向かった。
警鐘が鳴り響くと、町の者は慌てて外に出た。警鐘がなったら町から離れる。これが決められた一つのルールだった。暗雲が広がり、気付くと町を覆いつくしていた。
「おいおい、本当に共存しているのか?」
苦笑を浮かべながら、ベルは目に映る魔者を切り捨てた。
町には何度も結界が張り直され、その都度アリアが解いていった。
「町ごと消した方が速そうだな」
ベルはそういうと空に手をかざした。すると、頭上の雲から放電が起こり始めた。
「ダメよ、それでは人まで殺してしまうわ。それに結界の張られている時にやったらどうなるかわからない」
アリアの言葉に、珍しくベルは躊躇った。町に近づけなくするのではなく空間ごと人を町の外へ移動させるこの結界はかなり高度なものだった。かなりの術師がいることは明白だった。
「あの家だな。この町の長か」
ベルは少し高台にある家に目を向けた。そこからは何度も術が発せられていた。
「リュトス、町長を町の中央へ連れて来い」
「はいはい」
リュトスは靴の先をトントンと地面についた。そして、次に結界が解除された瞬間、風に乗って一瞬で姿を消した。
「さて、我々は町の中央へ行くとしよう。その前に……」
ベルは自分のこめかみの横で指を鳴らした。すると、町を囲むように炎が上がった。人間も含め、何者も出入りさせるつもりはない。そんな悪意が感じられた。
町長の家ではすでにリュトスが町長の身柄を抑えていた。
「待ちなさい」
止めに入ろうとした母親に向かってリュトスは指先を向けると、そこから風の矢じりを飛ばした。それは母親の胸を刺さり、母親は血を噴き出して倒れた。
「ママ」
双子が近づくと、リュトスは二人にも指を向けた。
「やめなさい、まだ子供だぞ」
町長が声を上げると同じくらいに町の外から炎が上がった。
「まぁ、どの道だけれどね」
リュトスは指をしまうと、窓から外に飛び出した。
「早く逃げなさい」
「嫌だ。ママも一緒に」
双子は懸命に母親を引っ張るが、脱力した大人を動かせるはずがなかった。
「お願いよ。あなたたちだけでも逃げて……」
息も途絶え途絶えに何とか話す母親だったが、双子は首を振るばかりだった。そんな中、町の中央にある拡声器から声が聞こえた。聞き覚えのあるその声にスライムは全身を振るわせた。
「この町は大罪を犯した。事もあろうに魔者が生存するのに手を貸しているのだからな」
「何を言う。彼らが我々を生かしてくれたんだぞ。残虐な魔者の支配から我々を守ってくれたんだ」
町の人間たちは声を荒げた。
「そうか、ならばもう必要ない。俺が来たからにはこのあたりの魔者はすべていなくなる」
ベルは一匹の魔者に手のひらを向けると一直線に雷が走った。
魔者が倒れると同時に悲鳴が上がった。数匹の魔者が駆け寄ると、涙を流しながら一行を睨み付けた。憎悪の溢れるその目つきにアリアは言葉を失くし、目を逸らした。
「俺には力がある。魔者の支配に怯えることはない。 ……そうだな、こうしよう。人間は魔物を一体殺して首を持ってこい。そうすればその者の命は約束しよう」
「狂人の発想じゃな。しかも偽りの狂人じゃ」
「何?」
「狂人の九十九パーセントは子供の我儘。お主もその部類よ。天才でもなければ勇者にもなりえない。お主の心はどの魔の者よりもみにく……」
言い終わるより前に町長の首が落とされた。
怒りに奮えた町の人たちは一斉にベルへ襲い掛かった。
「蟻が何匹来ても変わらんだろう」
ベルは再びこめかみの横で指を鳴らした。そして、すべてを焼き払えと坦々と言葉にした。
火柱が町中を駆け巡った。四人は各々でシールドを張り、目の前の人たちは一瞬で灰になった。アリアは町の人にもシールドを張ろうとしたが、大剣を持つブルーノに止められた。
たかが知れたこと。これ以上ベルを刺激しない様に、そう目で訴えていた。
炎は石造りである家の中を駆け巡った。そこら中から悲鳴が聞こえ、すぐにその声も無くなった。
「早く逃げなさい!」
双子の母親は必死に声を上げたが、二人はその場で泣きじゃくるだけだった。スライムはその姿を後ろから見守っていた。家族を守りたい。そう強く想うと体中に電気が走った。
(やってみよう)
スライムは静かに決心すると、ゆっくり体を分裂させた。それはずっと試してみたいと思っていたことだった。分裂した体は磁石のように強い力で引かれあい、距離を取りすぎると戻ることができなくなりそうだった。
(あと少し、あと少し)
スライムはそれぞれ双子の体の真ん中まで離れ、意識を整えた。そして、強い心で双子の口の中に入った。
母親は唖然とその様子を眺めていた。
双子は急に泣き止み、立ち上がった。母親は一つの可能性を口にした。
「スライムさんなの?」
「うん。少し二人の体を借りるね」
状況を理解した母親は安心したように笑った。
「ありがとう。子供たちをお願いします」
その言葉を聞いて双子は力強く頷いた。
炎が迫る中、二人は自室のベランダに向かった。離れすぎない様に互いに手を繋いで懸命に走った。母親はうずくまりながらその背中を一秒でも長く心に刻みつけるよう見守った。
背中に何度もありがとうと大好きを聞きながら懸命に走った。
双子は炎に追い付かれ、押し出される様にしてベランダから飛び出した。家の四方から火柱が上がった。
下はすぐ海になっていた。水面から顔を上げると、急いで飛び散っている木の板にしがみついた。
すると、すぐに水の中にいた魔者と大人が駆けつけてきた。
「よく無事でいてくれた。近くに船があるから、そこまで急ごう」
それは先の街に遣いとして出された人たちだった。
救い出された人や魔者は崖に潜ませた船に身を隠し、ほとぼりが冷めるのを祈る様に見守っていた。
スライムは双子の口から吐き出ると、一つの形に戻った。周りの者たちは驚いていたが、それ以上追及することはなかった。それどころか、優しい目で見つめ、ありがとうと口にする者もいた。
炎は一晩中町を駆け巡った。その途中、町の中央から光に覆われた四つの影が立ち去るのが見えた。町の者は歯を食いしばりながら、その光を睨み付けていた。その瞳をスライムは冷静に見ていた。きっと自分もこういう目をしていたのだろう。この町で過ごした数日はスライムに復讐を遠ざけていた。今、戦う理由を聞かれたならば倒すことよりも守ることと答えるだろう。それほどまでにこの町の人は温かだった。
スライムは静かに寝息を立てる双子に寄り添った。
生き残ったのは十数名ほどだった。惨劇を目の当たりにした一同は人は人の、魔者は魔者の暮らす場所で分かれて暮らすことを決めた。
そして、スライムは先の街に向かうことにした。ベルたちが向かうであろう街で同じことが起こるとも限らない。あの悪災のような男から少しでも被害を少なくするためにできることをしようと強く決めていた。
「スライムさん、行っちゃうの?」
妹が涙を浮かばせて声をかけてきた。
「うん」
「あの人を追うの? だったら……」
次いで兄が口を開いたが、スライムは優しく口に体当たりをして言葉を止めた。続きを口にして欲しくない。この子たちには町の人のように、町長や母親のように優しく育って欲しいと強く思った。
「あの人たちから皆を守りに行くんだ。町長さんのように優しい世界を作るために」
敢えて町長のことを口にした。彼の思いを受け継いで欲しいと切に願った。双子は服の裾をギュッと握ると、涙を溢した。
スライムは分裂すると、二人の肩に乗った。
「また会おうね」
「うん」
スライムが笑顔を見せると、二人も笑顔になった。
スライムは安心して次に進むべき道を歩き始めた。