第二章 新たな力
スライムは沼に沈みながら、意識が途切れていくことを感じていた。
(気を失ってはダメよ)
(繋ぎとめるイメージをするんだ)
(僕たちも手伝うから)
聞きなれた声にスライムの心は次第に安らいでいった。切り刻まれた体を癒すような力を感じ、いっそこのまま溶け込んでしまいたいと思うほど安らかだった。
その中で家族と過ごした日々を思い返した。そして、林での出来事、最後の記憶は自分を投げ捨てた男の顔だった。
ベル、そう呼ばれていた。
家族を殺した人間たち。
許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。
心の中で反芻する度、体中に電気が走った。
バラバラになった体それぞれが電気を発し、リンクするように結びついた。その中には家族の記憶らしきものもあった。その欠片もすべて取り込みながら、スライムは自分の身体を構築しようと意識を集中させた。
意識を取り戻した時、スライムの目線はとても高いところにいた。林の木々と同じくらいの背丈で家の跡が随分小さく見えた。
「何だこれは?」
沼の近くにいたイノシシの魔者はこちらを見上げていた。
「生き残りがいたのか。僕の家族はみんなやられたのに……」
スライムはあからさまに苛立ちを浮かべた。体は空気を含み、ますます大きく膨らんでいた。
許せない、そう思いながらスライムは覆いかぶさった。その容姿は沼そのものだった。縦に伸びた沼は勢いよくイノシシに覆いかぶさった。
沼はそれ以上動くことはなかった。先ほどまで小さき聞こえていた家族の声も聞こえなくなった。
スライムは鼓動とともに自分の身体がどこかを流れていることを感じていた。
ゆっくりと目を開けると、イノシシの鼻が視界に入った。
(これは?)
イノシシはゆっくりと立ち上がり、感覚の一つ一つを確かめた。鼻をスンスンとすると数百メートル先の花の香りが嗅ぎ分けられた。顔を触ると高い鼻があり、全身は毛で覆われていた。
(この体はイノシシの?)
スライムは水たまりを覗きこんだ。そして、そこに映った自分の姿に驚きを浮かべていた。
次にイノシシは拳を強く握った。腕の筋肉は膨れ上がり、今まで感じたことのない力を感じていた。
(すごい力だ。これだけの力があれば……)
しかし、すぐに胴体を切り離された三体のイノシシの姿を思い返した。
(いや、これでは足りない。しかし、これは一体どういうことだろう?)
スライムは時折意識を失いそうになるのを感じていた。自分の身体がイノシシの中を流れ、その水分がイノシシの体に吸収されそうになった。
スライムは体と意識を繋ぎとめるように集中した。これが自在に生物の体をコントロールできる力ならば大いに武器になる。
色々と試してみたいこともあったが、今は意識を保つことで精いっぱいだった。イノシシの鼓動もどんどん弱まり、中に居続けるのは危険に感じた。
イノシシは口から勢いよく水を吐き出すと、その場で倒れて動かなくなった。その水はゆっくりと集まり、形を成した。
(まずはこの場を離れよう)
沼が地面に叩きつけられる音を聞いて、他の生物がくるかもしれない。先ほどの人間が戻ってきたら最悪だと、疲れと余計な水分の溜まった体を引きずるようにして林の奥へと進んでいった。
しばらく進み続けると自然にできた空洞を見つけた。人が入るなら子供でも窮屈な穴だったが、スライムには十分なものだった。
そこで一息つくと、スライムは先ほど自分の身に起きたことを考え始めた。
他の生物に入り、操作する力。力としては大きなものを手に入れたのかもしれない。しかし、自分が近づいて生物の体に入ることがすでに難易度の高いことだった。自分は最弱である。そのことは今日一日で何度も死にかけるくらい思い知らされた。それは迂闊なことをしないよう常に肝に銘じておかなければならないことだった。
それにしてもヤドカリのように生物に寄生するような力が何とも自分にはお似合いのように感じた。
『力の弱いものは強いものに従うことで生き長らえることができる』
フクロウに言われて一度は否定したことだったが、強きに寄生する力。それは自分たちの種族が最も得意とするものだった。
どうすればこの力を最大限に活かせる方法を考え始めた。どうすればあの男に復讐できるかを。
もともと知恵の働く生物だった。そして、忍耐強い生物だった。
まずは力の限界を知ろう。手ごろな魔者を見つけて……、どれくらいの時間体に入っていられるだろうか……
自分がすべきことをあれこれ考えているうちにスライムは眠りについた。その間に家族のことを考えることはなかった。考えない様にしていた。
この力で一番必要なものはきっと精神力。復讐という楔で鋭く尖らせるために、家族のことは意識の外へ追いやった。
次の日からスライムは力を試すための標的を探し始めた。
死んでいる生物に入ることができるか。これは早急にできないことがわかった。スライムでは心臓を動かすことができない。ポンプの生きている状態でなければならなかった。
生きている生物に入る。これはやはり難しいことだった。相手が起きている状態では難しく、また、眠っていても強い者ほど勘が鋭く近づけなかった。入っても吐き出されては意味がない。入ってすぐに相手の意識を奪う術も身につけなければならなかった。
林の動物を見つけては何度も繰り返し試行錯誤を行った。多くの動物は吐き出した後、驚いて逃げてくれるためリスクは少なかった。
魔者で練習するのは大変だった。この林の魔者は狩り尽くされたようで、スライムは動物の体を借りて別の林に移った。やはり寝込みを襲うしかなかった。念のために足の速い動物に寄生をし、近くで乗り移った。
意識を奪うのは割と簡単だった。相手の脳に電気信号を送り、のっとってやればよかった。そのための放電スキルは幸か不幸か沼へ落とされた時から体に備わっていた。ベルに浴びせられた落雷が体に帯電し、自ら生み出すことまでできるようになっていた。あとは強弱の調整。強すぎれば相手を殺めてしまう。それはそれで大きな力だったが、隠密性がないことが問題だった。
抜き身になってしまえば最弱。それに雷を操るような者にこの方法が使えるか疑問だった。できれば奴の身近にいる者に入って、隙を見て……
その時スライムの脳裏にはパーティメンバーで唯一の女が思い浮かんでいた。瞳に涙を溜め、花を添えていた女の姿。体を奪うなら彼女だろうが、なぜか少し躊躇いがあった。
スライムは気を払うように頭を振ると、もっと鋭くと自分に言い聞かせながら復讐の心を強くしていった。
人間の体は1か月で水分が入れ替わるという。しかし、一斉にすべて入れ替わるわけではない。入っていられる時間を考えておかなければならなかった。一度入った体は警戒されるから二度と入れないと思った方がいいだろう。そう考えると何手か先まで考えて行動する必要があった。スライムは考えた。相手を倒すためにどうすればいいのかを考え尽くした。その間に払う犠牲など勘定に数えずに目的を遂行することのみを考えていた。
実際に検証した結果、スライムの意識が問題なく保てたのは魔者の中で二週間ほどだった。時間が経つにつれ、意識を宿元に奪われそうになることもあった。強靭な意識を持っている者がいたとして、逆に自分が取り込まれる危険があることに注意しなくてはならない。
(人間でも試さないと……)
復讐のために日夜努力しているスライムだったが、時折不意に空虚さに襲われた。やめてどこか近くの沼で暮らそうか、同族を探して旅に出ようか。ただ生きていくだけなら十分な力を身につけた。
いつの間にか人間がどのような生き物なのかを知りたいと思うようになっていた。戦う意味が本当にあるのだろうか。それを確かめるためにも、スライムは人間の住む場所に降りていくことにした。