幕間物語 剣師ベルジュと黒い影
それはアリアが村でベル一行に捕まる少し前。ベルジュは先の街に到着していた。
昼間なのに濃い霧がかかったように薄暗く、視界が不鮮明だった。
ベルジュは感覚を研ぎ澄ませ、街を歩いた。当然のように人ひとり出くわさなかったが、家にも人のいる気配がなかった。
どこかに逃げたのだろうか、それはそれでよかった。そんなことを思っていた。
キン
一瞬鞘から剣を抜く音を聞き、ベルジュは体を捻った。剣先はベルジュのわき腹の数ミリほど横を通って行った。
ベルジュは珍しく焦りを感じた。なぜならば気配がまるでしないからである。少しでも殺気があれば取り押さえることもできようが、何も感じることができなかった。
ベルジュは一旦逃げ出すと、家の屋根に飛び上がった。そして、屋根づたいに駆けだし、一番高い時計台から街を見下ろした。そこからみた景色は雲の上にいるかのようだった。
霧が街中に充満し、地面が見えなかった。さらに異常なことに、灯り一つ点くことなく、物音一つしなかった。
ベルジュは黒い影の仕業だと直感した。騎士団長の心を操ったように、街の人々の心も操っているのでは……
「正解」
突然後ろから声が聞こえると、ベルジュはその方向に短剣を突き刺し、少し低い家の屋根へと飛び移った。
そこには黒い影があった。影はベルジュの形となって姿を現すと、次にベルの形になって見せた。
「貴様、何なんだ?」
ベルジュが尋ねると、影は不気味に微笑んだ。
「僕は影。君たち人間の心の影さ。君にもあるだろう?」
影が尋ね返すと、ベルジュの頭に過去の風景が駆け巡った。ベルジュは脳を揺さぶられるような感覚に膝をついた。子供の頃にした悪戯やベルを止められなかったこと、一番鮮明に思い出したのは傭兵時代の悪逆非道だった。
「みーつけた」
影はニンマリと笑うとベルジュに飛びかかった。
ベルジュは自分の下唇を嚙み千切ると、影に向かって剣を振るった。影は二つに割れてベルジュの横を通り過ぎたが、すぐにまた元の形に戻った。
「危ない危ない、しぶとい、しぶとい。その身体欲しいのになぁ。次の魔王にうってつけなのになぁ」
影が言うとベルジュは眉を潜めた。
「どういうことだ? 魔王はベルが仕留めたはずだろう?」
影はベルジュの周りを歩いて回ると、クスクス笑った。影は四方に伸び、複数の何かが屋根に上がってくる音がした。
姿を現したのは騎士団だった。しかし、その意識はなく、目は黒く濁っていた。
「影が濃いものほど魔王になる素質がある。先の魔王はなかなか良かったのだけれどね。元が戦いに向かなかったからあんな子供に負けてしまった。一応あれにも種は植えてあるけれど、君ならより戦いに秀でているし、何よりも……」
影は騎士団たちの肩を叩きながらおどけて笑っていた。そして、一人の騎士の後ろに隠れると、いないいないばあでもするようにおどけて顔を出した。
「君は闇が濃い」
影が言うと、一斉に騎士団が襲い掛かった。ベルジュはこめかみを抑えながら数々の攻撃をいなした。隙を見てはみねうちをするが、すぐに立ち上がると操り人形のように攻撃を繰り返した。
「君はどれだけの人間を殺した? 女を犯した? 欲望のままに暴力を繰り返し、物を奪っただろう? まさに魔王の所業ではないか」
影の言葉にベルジュは滝のような汗を流した。それは確かにベルジュの犯した過ちだった。傭兵時代に繰り返した非道だった。
ベルジュの心に闇が広がった。そして、手に持つ剣で襲い掛かる敵を切り殺そうと力を込めた。
(ダメだよ)
(ダメよ)
二つの声が聞こえた気がした。そして、フラッシュをたくように一緒に暮らしてきた女の子と魔者の姿が思い浮かんだ。
ベルジュは咄嗟に柄を捻り、剣の腹で騎士団を打ち飛ばした。そこを見計らったように影が動いた。影はベルジュの全身を包むと体の中に入っていった。
ベルジュはうねり声を上げたが、すぐにその声も止んだ。そして、目を開けるとニンマリと笑った。
「何という力だ。これならこの世界を征服し、闇の世界までも掌握できる。フハハハハハ」
高らかと笑ったが途中で、その体は動かなくなった。
(何だ、この体? 浄化されていく……)
ベルジュの体はたちまち震え出した。そして、次に鼻で笑って見せた。
「体を乗っ取られるのには慣れているが、お前の場合は心地よいものではないな」
ベルジュは剣を屋根に突き刺すと、遠くを見つめた。
「確かに私は過去に悪行を多く行った。この先どんなに善行を積み重ねても償いにすらならないだろう。しかし、その過去があって今の自分がいるのも確か。道を外れたからこそ見える景色もある。私は他の人では手に届かないところで償いの手を差し伸べていく」
だからお前にやる気はない、とベルジュは全身に強く力を入れた。すると影は押し出される様に外へ飛び出した。
「何なんだ? お前の体は?」
影が尋ねると、ベルジュは優しく微笑んだ。
「世界で一番優しい人間と魔者の心に支えられているもんでね」
ベルジュは屋根から剣を抜いた。影は慌ててどこかへ隠れようとしたが、騎士団がその体を取り押さえた。
「き、きさまら……」
影は何度も騎士たちの体に入ろうとしたが、うまく出来ずにいた。ベルジュは鋭い眼光で睨み付けると、頭上に剣を掲げた。
「闇は誰にだってある。それを反省し、教訓にしていけるから人は強くなる。優しくなれる。人間を舐めるなよ」
ベルジュは剣を振り下ろした。すると、影から強い風が吹き、ベルジュと騎士団は吹き飛ばされた。
そして、その空間に亀裂が入った。風は影を巻き込みながら亀裂に入っていった。
いずれまた来る、そう言葉を残し、亀裂は瞬く間に塞がった。
ベルジュは流石に疲れ果て、その場で膝をついた。
しばらくすると霧が晴れ始めた。それと同時に街の人たちは意識を取り戻した。
事の顛末は簡単なことだった。
街の人は魔を恐れるあまりに魔者を殺したことを悔いていた。街全体が罪の意識を持っていた。黒い影はそこに付け込んだ。次の魔王を立てるために黒い影はベルを唆し、ベルジュを呼び寄せた。
(また、このような争いが起こるのだろうか……)
ベルジュは影の存在を懸念していた。そうなる前に何とかしなければならない。
一つの決意を胸に、先ずは今やるべきことに目を向けた。
街の人の様子を見回りながら情報を集めていたベルジュはベルの行き先を耳にした。
ベルが山を越えた村に向かったと知り、ベルジュは馬を借りて村に急いだ。
雲行きが次第に怪しくなっていった。分厚い雲が村を覆い、無数の雷が落ち始めた。
闇に落ちてはいけない。
ベルジュは最愛の家族たちを救うために馬を走らせた。




