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序章 魔の者たち

 それは人間同士の戦争が終わりを迎えてから少し先の話。多くの人が争いから遠く離れ、平和という言葉が当たり前になった時代の話。何の前触れもなく地が割れ、海が割れ、空が割れた。そして、そこから溢れだした黒い風は流れるように世界中を駆け巡ると、何事もなかったかのように亀裂の中へと戻っていった。

 亀裂は瞬く間に塞がった。それはあまりに一瞬のことで、気付かない人のほうが多いような出来事だった。

 少し強い風が吹いた。

 その程度の出来事で変わらない日常が続いていくはずだった。

 夜が来て、そして、朝が来た。

 少女は村から少し離れたところに祖母と二人で暮らしていた。そこは森の近くの平原で家というより小屋といった方がいいような些末なものだった。

 朝陽が昇り始めるころ、少女は部屋でいつものようにディアンドルに着替え、次にカーキ色の頭巾を被った。そして、足の悪い祖母の代わりに外へ出ると鶏小屋から卵を取り、井戸で水を汲んだ。

 澄んだ空気の中、少女は朝陽に照らされる森を見るのが好きだった。

「今日はやけに静かね。鳥さんたちはお寝坊かしら」

少女は朝の静寂に違和感を持っていた。どことなく緊張感のある空気。いつもなら鳥のさえずりが聞こえてくるはずなのに、今日に限っては聞こえてこなかった。

 少女は井戸の水で手を洗い、顔を洗った。そして、家に戻ろうと森に背を向けた瞬間、ピィー、と悲鳴のような鳥の音とともに一斉に鳥たちが森から飛び出した。木々は大きく揺れ動き、森全体が動いているような錯覚を起こすほどだった。

 少女は驚き、背筋を伸ばすと慌てて家の中へ駆け込んだ。

「おばあちゃん、おばあちゃん」

寝ている祖母に声をかけるとその声に反応してそれはのそりと体を起こした。

 それは少女に目を向けた。目は黒く濁り、黒い涙を流しながら口をまごつかせていた。声が出ないのか、言葉が出ないのか、自身の異変に気付いたそれは黒く変色した右腕と鋭利に尖った爪を眺めていた。

 それは少女の頭に手を伸ばした。しかし、距離がうまく掴めずに少女のこめかみあたりを傷つけてしまった。

 血を流す少女。それでも怯えることなく真っ直ぐそれを見つめていた。

アアア、ウウ

それはうなる様に声を上げた。そして、震える自分の手を再度眺めると、唐突に自らの心臓を貫いた。

「おばあちゃん?」

少女が戸惑いながらそれに近づくと、それは安心したようにニッコリと微笑んだ。

「良くないことが起きている。村の教会にお行きなさい。きっと神様があなたを守ってくれる……」

祖母は言葉を詰まらせると、まだ変異していない左の手で少女の頭を優しく撫でた。

(ああ、よかった。この子を襲わずに済んだ)

殺意の衝動を抑え込むために祖母がとった行動は自決だった。それは躊躇うことなく、最善の判断だった。

 祖母は安堵と哀しみで顔を歪ませながら、静かに息を引き取った。

 その日、世界は豹変していた。生物の一部は理性を失い、狂暴化した。少女の祖母のように他の生物を殺めるために体躯の変わった者もいた。

 天才と狂人は紙一重という言葉があるように、どんな世界にもイレギュラーは存在する。豹変した世界でのイレギュラーは高い理性と知性を宿したまま生物を殺めることに特化した存在が生まれたことだった。それは紙一重で狂人だった。

 その者は仲間を集め、従えた。そして、娯楽のように殺戮を繰り返した。

 人々はその者を魔王と呼び、従える者たちを魔者と呼んだ。魔王はただひたすらに生物の命を奪うように命じた。それはまるで魂でも集めているかのようだった。魔者は次々と街を襲い、世界を襲い、略奪と暴力を繰り返した。

 発展し始めていた世界の文明は一世紀ほど後退することとなった。資源に限りが見えていた地球では思い通りに文明を取り戻すことができず、人々は魔者に怯えながら、対抗する手段を探っていた。

 転機は身近なところにあった。人間の中にも魔王と同じように知性と理性を宿したまま力を授かった者がいた。彼らは紙一重で天才だった。一部の者は自然の力を操ることができた。大地を動かし、風を起こし、雷を落とした。王はとりわけ強い力を持つその者たちを″魔に対抗する勇敢なる者″すなわち、『勇者』の候補として数々の特権を与えた。

 このようにして、紙一重で天才だった人たちのおかげで世界は戦う術を持った。

 世界は彼らに魔者、魔王の殲滅を託すことになった。

 と、ここまではよくある話。しかし、この先紡がれる物語は勇者が紆余曲折しながら魔王を倒す冒険ファンタジーでもなければ、仲間との絆を描いた感動の物語でもない。

 水分に混ざった僅かな微生物。変異で生まれた最弱の生物が、幸か不幸か知性を持ってしまった最弱の生物が、家族の復讐をするために勇者に挑む哀れな物語である。

 

 

 物語の語り部であるエリザ・テレジアは祭壇の上にいた。そこは『奇跡の村』と名付けられた片田舎の村の広場。過疎化が進み、ほとんど人がいなくなってしまった村にその日ばかりは多くの人たちが集まっていた。

 エリザは周囲を見回した。村の子供たちから周辺国のお偉方。魔王を倒してから三世代が過ぎた今も魔者を恨む者、一方でその力に信仰心を抱く者。見た目格好からして幅広かった。

ンンッ

 エリザは喉を整えると、息を大きく吸った。

「随分昔の話になります。皆様も噂ぐらいはご存知かと思いますが、この地はかつて起こった戦いの中で多くの命を救う奇跡が起こりました。その力は以後土地に恵みを与え、この村で作られる食物には万病を治す力があると言われています。また、この村に住む人たちにはその戦い以降、奇跡の力が備わっています。傷は瞬く間に癒え、病気をすることもなく、天から与えられた命を最期のその時まで余すことなく過ごすことができます。私もその力を曾祖母アリア・テレジアから受け継ぎました。そして、ようやくこの力の根源にあたる細胞、『スライム細胞』を他者に分け与えることに成功しました」

 周囲の人々は反応に戸惑っていた。ついに来たかと希望に胸を弾ませる者。その力を異端とし、忌み嫌う者。

 ふとした一言が争いになりかねないと一同は口をつむんでいた。それほど争いにこりごりしていた。それほどに今は平和だった。

「この細胞は確かに魔者から生まれたものです。今となっては魔者の力のすべてが闇に還る中、この力だけが強く残りました。そのことに不安や疑念を持つ人が大勢いることも知っています。魔の力によって多くの不幸が生まれたことも知っています」

犠牲者の家族だろうか、黒い装束に身を包み、写真を持っている人たちが涙を溜めた鋭い目つきでエリザを睨んでいた。

「しかし、これは世界で一番優しい魔者から生まれたものです。この村を守り、傷ついた人々を癒した偉大な魔の王がもたらした恩恵です。皆にこの祝福を受け取っていただきたい」

エリザは気圧されることなく続けた。説得するように声を張り上げると、次に優しい調子で語りかけた。

 それは昔話。

 人と魔者とが争い、終わりを迎えるまでのお話し。たった一世代で終わるような短いお話し。

 拙い語り部ですがどうか最後までお付き合いください、と。

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