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第八話 奇襲


 私たちは今、とあるマンションの前にいる。まだ損傷の少ないタイルが整然とが並べられている外壁とオートロックのドアが設置された玄関はそれだけで内部の高級感を私たちに想像させる。しかし上を見ると、数カ所のベランダには布団カバーや衣類などの洗濯物が干されており、例え高級マンションといえども中に住むのは私たちとさして変わらない人間なのだということを教えてくれる。

 だがこのマンションが高級であろうと無かろうと、私の隣に立つ女性にはさほど重要な物事ではないらしい。その証拠にその女性は先ほどから携帯電話に注目して、マンションの外観を見ようともしていない。


「……とりあえず、その男から何か手がかりがあるといいんだけど」


 その女性――黛瑠璃子は、メールに記載された文章を見ながら誰に聞かせるでもなくぽつりと呟いた。


 

 昨日、『レプリカ』からの脅迫を受けた私たちはまず今後のことを相談した。


「……状況は不利と言わざるを得ないわね。『レプリカ』は私の家まで調べている。それに対して、私たちはヤツの情報をまるで掴めていない。おそらく樫添さんの前に現れたときも変装した姿でしょうしね」

「くく、全く情報のない存在に狙われる……これが『レプリカ』でなければ、心地よい気分でどうやって殺されるのかを予想したりもするのだろうね」


 柏ちゃんが名残惜しそうに呟くが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「でもセンパイ。『レプリカ』はM高の生徒である可能性が高いです。そうでなければそもそも私たちのことを知る機会がないですし」

「確かにそうね。萱愛、私たちのことはM高では有名なのよね?」

「は、はい。ですが特定の誰かが柏先輩たちに強い思い入れがあるという話は聞いたことはないですね」

「そう……」


 そこまで聞くと黛センパイは少し考え込んだ後に私たちを見回す。


「……とりあえず、私たち四人は全員M高の関係者なわけだし、知り合いに片っ端から連絡を取って『レプリカ』の手がかりを掴むしかなさそうね」

「そうですね」

「あ、あの……」


 しかし、黛センパイの提案に萱愛は申し訳なさそうに手を上げた。


「……ああ、アンタはまだあの学校で評判よくないんだったわね」

「申し訳ありませんが、俺がM高の生徒に聞き込みをしても答えてくれないと思います」


 実は萱愛は一年前のとある出来事がきっかけで、M高のほとんどの生徒から嫌悪の感情を向けられている。そんな彼が生徒たちに聞き込みをしたとしても、相手が答えてくれる可能性はかなり低いだろう。


「そういう意味では、私もあまり聞き込みには向いてはいないだろう。高校時代も今も、君たち以外で私に関わってきた者たちは皆、嫌悪や好奇の視線を向けてきたのだからね」

「それはあなたの行動に問題があるんじゃないの、柏ちゃん?」

「まあ、私としては大歓迎だったのだがね、くふふ……」

「……もういいの」


 とにかく柏ちゃんと萱愛は、『レプリカ』を追う役目には向かないようだ。


「どちらにしろ、『レプリカ』が狙っているのが私である以上、エミには私から離れてもらうつもりだったから丁度いいわ。萱愛、エミのことは任せていい?」

「わかりました。柏先輩は俺が守ります!」

「おやおや、萱愛くんが私の監視役か。この柏恵美、君に命を預けようではないか」

「萱愛……本当に頼んだわよ」

「ま、任せてください!」


 黛センパイに凄まれて動揺する萱愛に少しの不安を感じながらも、その日は解散して翌日から『レプリカ』の手がかりを探すことになった。


 

 そして翌日。

 私と黛センパイはまず自分たちの後輩から話を聞き出すべく、携帯電話の連絡先の中からM高の関係者に片っ端から連絡を取ることになった。しかし……


「樫添さん……私、連絡先に殆ど人が連絡されてない……」

「……そうなんですか」


 私にそう言った黛センパイの顔は、この世の終わりかの如く絶望に染まった顔だった。


「あ、はは、いいのよ……私にはエミも樫添さんもいるもの……それに、この間のことで『あの子』とも知り合ったし……私にだって友達いるし……」

「センパイ、取り敢えずこの話は止めましょう。私には何人か後輩で知り合いがいますからそこから当たってみましょう」

「ごめんなさい樫添さん……こんな、社交性ゼロの女でごめんなさい……」

「……」


 ダメだ、このままセンパイを放っておいたら『レプリカ』と戦うどころじゃない。心が折れてしまっている。


「センパイ、携帯電話の連絡先が多いことってそんなにすごいことでしょうか?」

「え?」

「連絡先なんて、一回会っただけの相手とも交換することはできます。ですけど、その相手と親密になることは相手と真摯に向き合わないと出来ません。センパイは私たちと真摯に向き合ってくれたから今こうして付き合いを続けている。私も、そして柏ちゃんもそう思っています」

「樫添さん……」

「だからセンパイが劣等感を抱くことなんてないですよ」

「……ありがとう」


 私の言葉で、センパイはどうにか立ち直ったようだ。よかった……

 だけど私自身は、自分の言った言葉に少しながらの疑問を感じていた。確かに黛センパイは私たちに真摯に向き合ってくれている。それは事実だ。

 でも私はどうだろう。柏ちゃんや黛センパイに真摯に向き合っているのだろうか。一歩引いた位置から見ているのではないだろうか。

 

 こんな私が、柏ちゃんたちの友達でいいのだろうか。


 私にもかつて『親友』と呼べる存在がいた。その『親友』ほど柏ちゃんたちが私にとって大きい存在だと胸を張って言えるのだろうか。

 その疑問を拭うことはまだ出来ない。だけど信じるしかない。私も柏ちゃんを守ると決めているのだから。


 

 そして私たちは今、連絡を取った後輩が住むマンションの前にいる。『黛センパイがストーカーに悩まされている』という体で相談をしたら、直接会って話をしてくれることになったのだ。


「お、遅くなってすみません、樫添先輩」


 その声と共に、マンションから一人の少年が出てくる。休日だからか長い髪をヘアピンで止めて整え、部屋着であろうパーカーを着た彼は、私を見るなり一目散に頭を下げた。


「突然ごめんね、菊江くん。この間はお疲れさまでした」

「いえいえ、俺のほうこそこの間突然呼び出してすみませんでした」


 少年――菊江教理は、相変わらずの大きな声でハキハキと喋った後、もう一度頭を下げた。


「いいの。それより、M高校に黛センパイに恨みを持つ人間がいるかどうかを聞きたいんだけど」

「はい。えっと……そちらが黛先輩ですね?」

「そうよ。何か文句ある?」

「い、いえ……話で聞くより落ち着いた人だなあって思って……」


 そう言いながら菊江くんはチラチラとセンパイに視線を送る。やはりM高の中ではセンパイは有名人らしく、物珍しいものでも見るかのような態度だ。少し腹立たしかったので、さっさと話を進めることにした。


「それで、菊江くんはセンパイを恨む人間に心当たりはあるの?」

「それなんですけどね、少し前にうちの学校を退学した生徒がいるんですよ」

「退学?」


 M高は進学校ではあるものの、ここ最近あらゆる事件が多発しているせいであらぬ噂が立つことが多くなっている。やれ自殺した生徒が幽霊になって生徒に取り憑いているだの、少し前に変死した教師が実は幽霊に殺されただの。

 ……実はそれらの事件の背景には柏ちゃんや私たちが関わっていることはあまり大きな声では言えないが。

 とにかく在校生としてはいくら進学校といえども、評判の悪い学校にいたくないという気持ちもあるのだろう。退学を申し出る生徒がいたとしてもおかしくはない。


「それで、その退学した生徒がセンパイに恨みを持っているって言うの?」

「そこまではわかりません。ですが、その生徒なんですけどね……」

「……!! 危ない!!」

「え!?」


 黛センパイが突如私の体を抱くような形で、私を庇いながら跳躍した直後。


 バチャッ!!


「きゃああっ!!」


 先ほどまで私たちがいた場所に、何かが落ちてきて水っぽい音を放ちながら潰れた。


「な、なに!?」


 地面に落ちた物体をよく見ると、それはコンビニなどに置かれているような防犯用のカラーボールだった。コンビニに強盗が入ってきた際に、逃げる犯人に向かってこのボールを投げつけて液体を付着させることで目印にするためのものだ。


「なんでこんなものが……」

「ぐ、うう……」

「え? セ、センパイ!?」


 私の目の前で、先輩が地面にしゃがみ込む。そして両手で右足のふくらはぎ辺りを押さえて呻き声を上げていた。


「センパイ!? 大丈夫ですか!?」

「だ、大丈夫よ……ちょっと、捻っちゃった、だけ……」

「そんなことないでしょう! 見せてください!」


 センパイの手をどかして、捻ったという右足を見る。するとそこは、小さなセンパイの足とは不釣り合いなほどに腫れ上がり、青く変色して内出血を起こしていた。

 おそらく私を庇って跳躍したときに、無理な体勢で着地したことによる捻挫だ。しかも腫れ上がって内出血を起こすくらいだと、普通に歩くのも困難だろう。

 どうしよう、私のせいだ。センパイは私を庇ってこんな怪我を……


「樫添さん……」


 センパイは苦痛に顔を歪めながら、私の顔を見る。


「センパイ、病院に行きましょう! 放っておいたらよけいひどくなります!」

「私のことはいいの……それより、多分これは『レプリカ』の仕業よ……」


 確かにそうだ。あのカラーボールを落としてきた犯人は明らかに私たちを狙って落としたはずだ。そしてそんなことをする人間は『レプリカ』以外には考えられない。


「でも、今はそんなことを言っている場合じゃ……」

「お願い……『レプリカ』を追って! ヤツは多分まだこのマンションにいる……今ヤツを追えるのは、樫添さんしかいない……」

「何言ってるんですか! 今はセンパイの怪我の方が深刻です!」

「お願いよ樫添さん……今『レプリカ』を捕まえられないと、今度はエミが狙われるかもしれない……それだけは絶対に避けたいの……」

「で、でも!」

「樫添さん……」

「……!!」


 私に縋るように見つめてくる黛センパイの目。この人がこんな目をしたのは初めてかもしれない。それほど状況は切羽詰まっているし、なにより柏ちゃんが心配なのだろう。


「樫添先輩、黛さんのことは俺が見ています。先輩は犯人を追ってください!」


 菊江くんも真剣な表情でセンパイに同意する。

 確かに、どちらにしろ救急車を呼んでもそれまでには時間がある。それなら、出来ることをするしかない。


「わかりました……菊江くん、黛センパイを頼んだよ」

「はい! あ、マンションのオートロックは俺が開けます!」

「ありがとう!」


 私は菊江くんと共に全速力でマンションの玄関に向かう。そして彼にオートロックの自動ドアを開けてもらった後に彼と別れ、マンションの中に入った。

 エントランスには一階の各部屋に通じる廊下への通路とエレベーターが一基、そしてマンションの端にある非常階段への入り口があった。

 確か、先ほどまで私たちは非常階段の近くで話をしていた。そうなると、『レプリカ』も非常階段のどこかの階にいるはず。そう考えた私はドアを開け、非常階段を駆け上がった。


「はあ、はあ、はあ……」


 慣れない運動をしているせいで、私の息が荒くなっていく。こんなことなら日頃から体を鍛えておくべきだった。そういえば黛センパイは柏ちゃんを守るためにジムに通い始めたとか言ってたっけ。私もお金貯まったらジムに行こうかな……

 そう考えながら階段を駆け上り、おそらく五階くらいに到着すると、踊り場に白い紙が置かれているのを見つけた。


「はあ、はあ……これは?」


 白い紙はその上に石で重しをされて、風で飛んでいかないようにされていた。これは明らかに『レプリカ』が残した物だ。そう思って紙を拾い上げると、そこにはこう書かれていた。


『死にたくなければ柏恵美を見捨てろ』


 ……これは、『レプリカ』は本当に私たちの命を狙いに来ているということだろうか。だけどそうだとすると、カラーボールを落としたのは少し不自然だ。確かにこの高さからあれが直撃したら怪我はするかもしれないが、致命傷を与えるためにしては少し心許ない。

 考えてもヤツの目的はわからない。しかもこんなメッセージを残す余裕があったということは、おそらく『レプリカ』は既に逃げた後だろう。仕方がない、とりあえずメッセージを見つけたことをセンパイに伝えて彼女を病院に連れて行こう。

 そう考えて、私は上ってきた非常階段を今度は急いで下りることにした。


「黛センパイ! ……あれ?」


 階段を下ってマンションの玄関前に戻った私だったが、そこに黛センパイはいなかった。彼女に付いていたはずの菊江くんまでいなくなっている。


「もう救急車を呼んで、病院に連れて行ってもらったのかな?」


 しかし私が非常階段を駆け上がっていたときも救急車のサイレンらしきものは聞こえなかった。それにそうだとすると、私に何の連絡もないのはおかしい。

 私はしばらく辺りを探してみたが、黛センパイたちは見つからなかった。


「どういうこと……?」


 マンションの玄関前に再び戻ってきた私は考える。どうして二人がいなくなったのかを。

 黛センパイの隣には菊江くんがいた。もしセンパイがどこかに行こうとしたら菊江くんが止めるはず。なのに彼もいなくなっている。これはどういうことだろう。


 ……いや、待って。


 そもそもどうして『レプリカ』はこのマンションに入れたの? このマンションの玄関はオートロックになっていて、住民以外は入れないはず。それなのに『レプリカ』はマンションの非常階段からカラーボールを落としてきた。そうなると考えられるのは、『レプリカ』はこのマンションの住人? いや、もしくは……


 マンションの住人の中に、『レプリカ』の協力者がいる?


 そこまで考えて、私はある可能性に気づく。

 今、行方がわからなくなっているのは黛センパイだけじゃない、菊江くんもだ。もし二人が『レプリカ』に何かをされるとしても、怪我を負っているセンパイだけならともかく、男である菊江くんをどうにかするのは難しい。だけど、それなのに彼もいなくなっている。


 だったらもし、菊江くんが『レプリカ』側の人間だったら?


 そう考えるとあらゆる辻褄が合う。『レプリカ』がそもそもこのマンションで待ちかまえることが出来たことも、『レプリカ』が私の電話番号を知っていたことも、『レプリカ』が黛センパイを連れ去ることが出来たことも。


 菊江教理が、『レプリカ』の協力者でないと説明が付かない。


「なんてこと……」


 驚きの言葉が思わず漏れる。どうして? どうしてこんなことになったの?


 決まってる。全て私のせいだ。


 黛センパイは私を庇って怪我をした。私が菊江くんから情報を聞こうと相談した。私が黛センパイから離れてしまった。


 私は、黛センパイの足を引っ張ることしか出来なかった。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!

 『レプリカ』の目的は黛センパイを自分と同じ境遇にすること。だとしたらヤツがセンパイに何か酷いことをするのは目に見えている。

 でも、私一人でセンパイを助け出せる? 足を引っ張ることしか出来なかったこの私が? 

 こんなの、どう考えたって……


「おや、どうしたのだね樫添くん?」


 その時、聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。


「か、柏ちゃ……え?」


 そこにいたのは萱愛と一緒にいたはずの柏ちゃんと……


「あれ、樫添さん? どうしてここに?」


 私のバイト仲間、後小橋川ついこばしがわさんだった。



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