五(一)
有徳は、執務室で仕事に忙殺されていた。
仕事が多いのは、いつものことだった。細かいところで部署は分かれており、それぞれ担当する部下を配置してはいるのだが、その報告の仔細までもを有徳がつぶさに検分するのである。そういった事情にまで入念に眼を配るような君主はおらず、まして太守ともなると、有徳はいまだかつて聞いたことがない。
客が訪いを入れた、と部下のひとりが報せにきた。
「覚光、と名乗る坊主であります」
その名を聞いたとき、頭の中から追い出して忘れかけていたなにかを、ふっと思い出したような気分に襲われた。同時に、なつかしさがこみ上げてきた。
執務室に通すように言うと、部下が少しためらうような態度を示した。異を言わさず、通すように念を押すと、了承して引き下がった。
それからすぐに、法体姿の坊主がやってきた。
「久しぶりだな、弥次郎。いまは有徳と名乗っているそうだが」
「入道しているわけではないが、俗っ気に嫌気がさしてな。所詮は名であると馬鹿にしていたが、想像以上に役に立っている」
「そんなことで出家した気分になっていると、罰があたるぞ。それに、この部屋まで通してきたあの小僧の態度は感心せんな。わしを物乞い坊主でも見るような眼で見てきおった」
「坊主の説教は身に沁みるな。まあ、そこへ掛けろ。狭くて散らかっているが、我慢してくれ」
「乱雑な場所にこそ、却って静謐は潜んでいるものだ。それを探すことが、人の一生における、数少ない真の悦びでもあるのだぞ」
部下を呼んで、茶を運ばせた。
「ここへは、いつ?」
「十日前だ。師の供養のために、全国行脚していたが、もう成就したと思って帰ってきた」
「最後に会ったのは、何年前だったかな」
「わしがまだ野僧だったころだから、もう十五年も前か」
「そんな前になるのか」
「苦労しているようだな、弥次郎?」
「分かるか?」
「顔に出ている。おぬしは昔からそうであった」
「そう言っているのも、昔からおまえだけだったな。まったく、分に合わない仕事を引き受けてしまったよ。俺が一国の執政を任されるなど、器ではないんだがな」
「ま、人間、自分の身に何が降りかかるかは、自分ではわからんからな」