四(一)
ある日のこと。
窓から漏れる晩春の陽射しが心地いい午の刻であった。新太郎が部屋で書物を読んでいると、襖の向こうから下男が声をかけてきた。
「商人の方が、お目通りを願っていますが、どうなさいますか」
「商人?」
新太郎は、聞き返した。
「どのようななりだ?」
「齢は四十がらみ、やや肥り気味の、穏やかな表情の御仁です」
「ふむ」
「それから、樂翁先生の紹介も得ていると仰っております」
襖を開け、下男が一片の紙を差し出した。
それを手にとり、見てみると、確かに樂翁の字で、紹介する旨が書いてあった。
樂翁は街医者で、父が懇意にしている医者であった。不愛想だが腕はいい。
父が病気にかかると、必ずそこへ行くため、自然、息子である新太郎もなにかあるとそこへ通うようになっていた。
その樂翁の紹介なら、信頼できるだろう。
「会おう。客間に通してくれ」
言うと、下男が下がった。
しばらくして、新太郎が客間に向かうと、襖の向こうから光と、人の気配が漏れ出ていた。
ゆっくりと襖を引き、中に入った。
「これは、楠どの」
壁の方を向いて座っていた商人は、新太郎のほうに向き直り、慇懃に礼をした。
「わたしのような者にお目通りの機会を与えていただき、感謝いたします。以後、よろしくお見知りおきを」
商人は、名を吉右衛門と言った。
「貴殿が、楠有徳どので?」
「いや、それは父です。わたしは有徳の息子で、新太郎と申します。いま父は多忙ゆえ、わたしが変わって対応させていただくことをお許し願いたい」
「あ、ご子息どのでしたか。いや、お心遣いには及びません。こうしてご自宅にあがらせていただくだけでも、光栄なことでございます」
「お手前は、どちらのご出身で?」
「長州でございます」
「すると、商いも長州のほうで……?」
「いや、店は京のほうに構えております」
「ほう、では京から参られたと」
「はい、今回は京を出発し、近江、美濃を通り、加賀、越後を経て、信州、上州へ向かい、こうして武蔵野へ参りました」
はるか昔、江戸のことを東京といっていた時代は、東京こそが日本の中心であり、政事にはじまり、物流、銭、人、情報など、有形無形のもの問わず、古今東西あらゆる事象の終着する場所として成り立っていた。潮流のような変化の可能性を内包しつつ、しかし確かに変わらないものも存在し続けた東京は、すべてのものを受け入れる包容力という点では、天下の中心たり得る場所として当然だったのではないだろうか。
いまは違う。いまの中心は山城国のお膝下、京である。公卿という生き物が復活し、跳梁跋扈をはじめた以上、その生き物を押しとどめておく場所が必要であった。それは名実ともに京が相応しかった。京という、歴史と風情と美意識が集約された場所は他になかったし、公卿の虚栄心を刺激する、という意味でも京はうってつけの場所だった。
朝廷も再び京に腰を置き、この国の中心地は京で決定したのである。