三(二)
屋敷の中を歩いていた。薫宋の屋敷ではなく、君主の嫡子である小太郎に与えられた屋敷である。
途中、渡り廊下に佇立し、中庭をじっと見下ろしている小太郎が眼に入った。小太郎は現在、薫宋のあずかりというかたちで面倒を看ている。
薫宋がこれまでに関わってきた印象からすると、小太郎はこれといった特徴のない、凡庸な少年であった。
むしろ、ときどき戦慄を覚えてしまうほどに、冷ややかな一面を見せるときがある。だいたい同じ年頃の世間の童といえば、噪がしかったり、大人のいうことなど耳を貸さないものだが、小太郎は気味の悪くなるほど聞き分けが良かったり、慎重だったりした。それが薫宋の心になにか得体の知れぬ不気味さを呼んでいる。
「どうされました、若君」
近づいて、まだ十三歳の、幼さを残した容貌を持つ少年に話しかけた。
「中庭を、気に入っていただけましたかな」
そう言って、満足げな表情で一間四方ほどもある中庭に眼をやった。
中庭の設計は薫宋自身の創作物である。自らの栄達を誇るかのように、屋敷には瀟洒なほどこしをした。それが気に入ってもらえたものとばかり思っていた。
小太郎はかぶりをふって、
「あの松の樹に、ほととぎすがとまっていたのだが、つい先刻、飛び立ってしまった」
と小さな声で言った。小太郎の眼は、憑かれたように庭の松に釘付けになっている。
端正な顔立ちをしていて、睫毛など鎌月のように高く反り返っている。背も高い。しかし父である将監の素質を濃く受け継いだようで、ひどく寡黙だった。物を考えるときの癖であるらしいが、話し手の立場としては、相槌も打たずに黙然として聴き入っているところを見ると、どうしてよいのか反応に困るところもある。
「ははあ、なるほど。若君は、ほととぎすを好いておいでですか」
と聞いても、視線を移さず無言で庭の松の樹を見つめるだけであった。
はじめはどう扱ったものか、と躍起になっていた薫宋も、いますっかりは慣れてしまった。というより慣れねばならなかった。今後自分の立場を強くしていくにあたって、この若者の存在は必要不可欠であり、決してぞんざいに扱ってはならぬのだった。ゆくゆくはこの若者を仰ぎ立て、その側近としてこの国の支配を任されねばならぬのだから。
「ほととぎすよりも、もっと大事な情報がわたしの耳に入ってきましたぞ」
「なんだ?」
「上州で、ふたつの派閥の抗争が激化しつつあるようです。それについて、片方の勢力から、父君宛てに救援の要請があったようで」
「それについて、わたしになにかできることが?」
「ふむ」
「それは、その抗争は、上州の君主の子息による、跡目争いから起因した、ということです」
「それとわたしと、どういった関係が?」
「これは異なこと。まさしく若君と弟君のご関係と、なぜ結び付けなさらない?」
「わたしが弟に、そのような不埒を働くとでも?」
「こういった問題に際し、若君や弟君の意思など、どこにも介入する隙間はないのです。大抵の場合、それは周りの邪知佞臣の気紛れか思い付きで起こるものですから」
「それはおまえのことを言っているのか、じい?」
豊かな睫毛の奥に隠された瞳が、鋭く光った。十三の小僧とは言え、さすがに君主の威容のなんたるかを備えている。
「わたしがそのような暴挙に出ると、お考えで?」
「言ってみただけだ」
再び眼を中庭にやった小太郎は、また無口な少年に戻っていた。
これは油断をしていると、こちらが喰われてしまうかもしれんな。
思いながら、薫宋も中庭に眼をやった。
空に、ほととぎすの啼き声が響いた。