三(一)
平井将監の家臣に、柊薫宋という男がいる。
武蔵国領主である平山将監が嫡男、平山小太郎の後見人でもある薫宋は、いま自身の置かれた立場の、その転換期に置かれていた。
もともとは銀座で対外貿易を請け負う商人だった。貿易に手を出す前は廻米問屋をしていて、そちらのほうのもうけはいまひとつだったが、ある時江戸の湾口にある小さな湊を買い取ってからは、面白いように船の出入りが増え、瞬く間に金が転がり込んできた。もっとも、そこには偶然の仕業ではなく、薫宋の商人としての手腕と知恵が働いていたのだが。
薫宋が銀座の商人の中でも、群を抜いた長者になったちょうどその年、おりしも平山将監が武蔵を平定するために蹶起した年と重なっていた。
当時武蔵の国は、多数の豪族が勝手に独自で地方を治めていたのである。将監はその中でも小さな勢力であった。ゆえに、兵を集めても統制がとれず、集まったところで金もないので、それらを養うこともままならなかった。
その時に将監に出資したのが、薫宋であった。薫宋にしてみれば、余興のようなものであった。手元には、金など掃いて捨てるほどある。どうせ捨てるなら面白い使い道がある、と思っていた。武蔵野を統一する、というような気概を持つ男は、当時誰もいなかった。そんな中、統一を目指すために立ち上がるような男など、よほどの馬鹿か狂人であろう。それほど武蔵は乱雑としていて、まるで猛犬の群れのような状態だった。その気概を薫宋は買った。それだけのことで、はなから期待などしていなかったのである。
が、統一は成った。細かいところではまだ従属を拒んでいる地方もあるようだが、一応は泰平が成った、と言っていい。運命とは斯様に気紛れなものか、と薫宋はすこぶる驚嘆した。もっとも、自身の経験がある程度示唆しているように、あるものはある。世はいつまでも強者を王座に座らせておくわけではない。時に真の弱者が強者を打ち倒すこともある。その弱者は、私欲が少なく、公に尽くし、志が豊かな者が望ましい。そう言った意味では将監は世間を漂流する、運命という得体の知れない異物にとって絶好の弱者だったわけである。
とにかく、薫宋の働きは大きかった。将監は感謝のしるしとして、各地から徴収したありったけの金銀趣向品を送ろうとした。しかし薫宋はそれを拒んだ。それを知ったどの人間もが、拒んだことに驚愕とし、その理由を知りたがった。
「金銀の代わりに、ひとつの都市を任せて欲しい」
と薫宋が将監に返答したのは、人々を驚かせ、不審に思わせた峻拒から十日のことだった。
商人を商人たらしめているものは、大きく分けると、欲の深さか、あるいは純然たる奉仕心であろう。薫宋は前者の型の商人だった。
薫宋にしてみれば、金はもういらないのであった。それよりも権力が欲しかった。権力を金で買うには限界があるということを、薫宋は知っている。