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春秋  作者: South.K.Mackenzie
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五百年の時の移ろいは、人知の及ばぬ強大な力をもって、世界のありようと人々の考えを風化させるのに充分だった。

その力のほとんどは、民の暮らしを変化させることに終始していた。

その昔、人の生活には、天然ガスや石油といった燃料が必要不可欠だった。が、それらの資源は人類の無計画な採取によって枯渇し、それらの恩恵にあずかっていたのも遠い時代のものとなった。

電気という、当時の人にとっては当たり前のように身近にあったものも、いまは書物で存在したことが確認できるような過去のものとなった。

その風化の被害を免れたのは、鉄、銅、金や銀だった。これらはどんなに採掘しても枯れることはなく、あるいは枯れた、と思われた時でも、なんらかの作用によって再生成され、数年経てば必要な量が採掘できるまでになっているのだ。

そうでなくても、使わなくなった鉄などを、一度溶解してしまい、また別の物体にしてしまうことで、ある程度は使いまわすことができるようになっていた。

新太郎は街道を、馬を飛ばして帰路についた。

この道も、大昔は舗装され、自動車などが往来していたことだろう、と馬上で思いを馳せた。永遠とも思える歳月によって、コンクリートやアスファルトは崩れ、そこから新たな草木が芽吹き、景観は原初を偲ばせるほどの野性に戻っていた。

稀に、当時の面影そのままに、鉄柱や岩壁の残骸が残っていたりする。新太郎はまだ眼にしたことはないが、江戸の芝や押上のあたりには、巨大な塔の一部が、半分崩れながらも、天に向かって堂々とその姿をそびえさせているという。

約半刻ほど馬を駈けさせ、街に着いた。

家に戻ったときには、あたりは闇が眼醒めはじめたころだった。

門を潜り、土間を上がり、廊下を駈けた。途中、良い香りが漂ってきたのは、廊下を歩いていた下男に訊ねたところ、夕餉の支度によるものだろう、という返答だった。つまり、まだ誰も飯を食っていない。

新太郎はすぐに父のいるであろう部屋に向かった。普段は役所に詰めっぱなしで、ろくに家に帰ってくることもない父が、久しぶりに帰ってきていることを、帰り道に庄作から聞いていたのだ。早くても十日、長ければひと月も帰ってこないその姿を見るのは、よく行く茶屋の主人の顔を拝むよりも稀である。父は仕事になると周りが見えなくなる性質のひとだったし、それを他者に妨げられることも著しく嫌う男であることを知っていたので、心身が成熟し、改まって父と肚を割って話をしたいと思うようになった新太郎には、しかしどうする術も持っていなかった。

父の部屋の襖を開けた。しかし、そこにいるはずの父の姿はない。と、その時、廊下を渡った突き当りにある書斎から、なにやら灯りが漏れているのを発見し、そろそろと部屋の前にまで向かった。

襖を開けると、父の姿が眼に飛び込んできた。次いで、父を上座にし、その両脇に列をつくって端座している家中の主要な人物の顔。

父は腕を組み、眉宇を険しく瞑目しながら沈思していた。

「新太郎、おまえまたどこか城外へ遊び歩いていたな」

父の隣に座った叔父の兵衛が、静かだが刺すような声を発した。

「兵衛、まずはみなに話を聞いてもらうほうが先だ。新太郎への説教は、あとにしてくれぬか」

「は、……兄上がそうおっしゃるのなら」

兵衛は、父の弟にあたる。

「新太郎、座れ」

促され、座の末席に腰を下ろした。

部屋に入ったときから感じ続けていた、この部屋を満たしている重苦しい雰囲気は、新太郎の嫌な予感を呼び覚ますのに充分だった。

「父上、なにかあったのですか?」

新太郎は父に問うた。父はすぐに答えるでもなく、ただ黙って眼を閉じていただけだったが、やがて、

「上州で、内乱が起きたそうだ」

と小さく言った。部屋の中でみなが顔を見合わせた。

「もう、本格的な戦ははじまっているのですか?」

叔父の兵衛が訊ねた。

「いや、まだ小競り合いの段階だそうだ」

「なんだって、そんなまた」

「突然、湯水のように湧き出た話ではない。実はお屋形さまは、上州に流した間者を利用して、この気配をいち早く察知していたらしい」

「そうですか……」

「本格的な衝突になった場合、こちらからも援軍を出す可能性があるだろう。これはお屋形さまが、上州の浅田の次男坊から直々に書状を受け取ったので、直におっしゃったわけではないが、十のうち九は有り得る話だ」

上州は、後継者問題に揺れていた。前君主の浅田柿右衛門が、明確に誰に家督を譲るか、と宣言する前に病を得て急逝してしまったことに起因する。長男は嫡子であることを理由に相続の正当性を説き、次男は長男の政事能力、統率能力のなさを非難した。

「それでは、領民を戦に駆り出すことになる、と?」

新太郎は言った。

「いずれそうなるやも、という話だ。まだ確定したわけではない」

「では、絶対にない、とは言い切れないのですね」

「できれば、なにか別の方法がないか、探してみる。わしも民に戦をさせるのは、本意ではないのでな」

父の統治は、民が基礎であり、また絶対でもあった。

民の暮らしを安らかにということを第一に、統治をおこなっていた。父の人格を形成する骨子の大部分は狷介さであった。ゆえにそのためには自らが貧することも厭わない、という覚悟があり、そのおかげで新太郎は子どものころにたびたび貧しい思いをし、子ども心に父を恨んだこともあった。が、大人になったいまは、父のなしたことが、並々ならぬ慈悲の心と民を重んじる気質から生まれたものであったということも理解でき、それに伴い父に対する敬慕の念が新太郎の胸の奥で着々と大きくなっていくのを、まじまじと痛感するのであった。

父は、君主の武蔵守である平山将監の誘いに応じ、その平定に心を砕いた人物のひとりである。その時はただの地方豪族に過ぎなかった父が、信頼のおける側近と近隣住民を率いて前線で戦ったというのは、寝物語として聞かされ続けていた。

そんな父が、ひとたび提供した安寧を住民の手から奪い、再び戦火の中に身を投じさせることになるであろうということに対し、深い罪悪感を覚え、ひとり断腸の思いでいることは、父の性格、立場から鑑みるに、新太郎が想像するのは決して難しくなかった。

そしてその想像は当たっていた。父はそのことを誰にも相談せずに苦慮し、悩んでいた。尋常な者には持ち得ぬ莫大な意思の強さと責任感を持ってしまったがゆえに発生する、責務に対する孤独な重圧だった。

話はまだ続いていたが、新太郎は事の重大さを知ってしまい、それ以降の話をよく覚えていなかった。四半刻ほどで話は終わり、まず父が席を立ち、次いで叔父が立ち、ひとり、またひとりと書斎からいなくなり、最後まで残っていたのは新太郎だけとなった。行燈の炎が、部屋の中にある物の影を壁に張り付かせている、そのくろぐろとした影に父の苦い表情が反射的によみがえってくるのであった。

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