6、ヒロのいなかった時間
ナツの過去編です。
『俺、菜摘のことが好きだ。』
中二の終わり頃のある日、私は元樹に生まれて初めて告白というものをされた。
元樹は茹蛸のように顔が真っ赤で、じっと私を見つめる目が真剣で本気だというのが直に伝わってきた。
だから、私もその気持ちと真剣に向き合って返事を返さなければならないと思った。
『ありがとう。嬉しいよ。でも、私小泉君のことそんな風には―――』
『一週間!!!』
私が元樹の気持ちが乗り移ったようにドキドキしながら返事を言いかけていたら、元樹がそれを遮って一本指を突き出してきた。
『一週間!一週間でいいから、俺の事ちゃんと見て、知って…、それから返事して欲しい。』
『え…、でも…。』
『菜摘、俺の事…そんなに知らねぇだろ!?小学校からの付き合いなのに今までずっと小泉君呼びだし…。とりあえず一週間俺の近くで俺の事、もっと知ってくれよ!な!?』
元樹は両手を合わせると私に拝むように頭を下げてきて、そこまでお願いされると断る事なんてできない。
『分かった…。一週間でいいんだよね?』
『おう!!一週間でいいよ!』
『じゃあ…、その間…ちゃんと考える。』
『マジで!?やった!!!やった!ありがと!菜摘!!!』
このときの元樹は付き合うという返事をしたわけでもないのに、すごく喜んでいたのを今でも鮮明に思い出せる。
私は自分の一言で誰かをここまで喜ばせた経験がなかったので、元樹がすごく喜んでいるのを見て、とても嬉しかった。
それと同時に元樹を悲しませたくなくて、きちんと一週間しっかり元樹を見て、考えようと決めた。
そして、その日からの一週間は元樹の傍で、目まぐるしく一日が過ぎていって、毎日がすごく楽しかった。
元樹の明るいキャラクターに引っ張られて、私は自然と『元樹』と名前で呼べるようになって、ヒロ以外にここまで仲良くなれる男の子の存在がとても新鮮だった。
だから、元樹と付き合えば楽しくなるだろうと前向きな返事を考えていた頃――――
私はその考えを覆す出来事を経験することになる。
元樹の告白から一週間が経った、返事をしなければならない日――――
私は友達と一緒にお昼を食べて元樹の所へ行こうとしかけたら、当時の友達の一人が私の耳に聞こえるように話を始めた。
『とうとう菜摘も彼氏持ちか~。このクラスじゃ一番だよね。』
私が元樹と付き合うと報告したときに、何度も元樹のことを好きなのかと聞いてきた友達が羨ましそうに言った。
それに同調するように他の友達も笑いながら話にのってくる。
『そうだね。でも、隣のクラスの明日香はもう3人目らしいよ?』
『あの子はあの体型だもん。男子が放っておかないでしょ。』
『あははっ。だよね~。経験豊富そうだし?』
『ちょっとやらしいよ!!』
明日香はこのとき女子からの妬みを買っていて、女子の間の噂の的だった。
そんな明日香と私は高校で仲良くなるわけだけど、このときは明日香のことをそこまでよく知らなかったので、そんなに可愛い子がいるんだという程度だった。
そして私は当時すごく考えが幼いというのもあり、分からない話の内容につい訊き返してしまった。
『明日香の何が経験豊富なの?それって付き合う事と関係あるの?』
友達たちはビックリしたように私を見ると、信じられないという顔をしながら言った。
『菜摘、何言ってるの?』
『そうだよ。これから小泉君と付き合おうって人が、まさか何も分からないの?』
友達たちは私を見下すように笑い出して、私は自分が無知なことに恥ずかしくなった。
『菜摘って案外子供だったんだね~。そんなんで小泉君と付き合うとか大丈夫なの?』
『あははっ。菜摘ってば、ずっと花崎君とばっかり一緒にいるからそうなるんだよ~。男の子じゃこんな話できないもんね。』
私は急にヒロの名前が出てきたことにビックリしながら、自分がそんなにヒロとばかりいたと思われてる事実も意外で驚いた。
そして男の子とはできない話というところが胸に引っ掛かる。
『でも付き合う前に知れて良かったよね。』
『うんうん。教えてあげるから耳貸して?』
私は分からない自分だけが蚊帳の外で疑問だらけだったので、教えてもらえることに安堵したのだけど…
私は聞かされた内容に心臓が縮み上がって、思いっきり赤面することになった。
『なっ!?ウソ!!!』
『ウソじゃないよ~。』
『そうそう、最初は友達みたいに遊ぶことが付き合うってことかもしれないけど、いずれはねぇ~?』
『好きな人と一緒にいるんだよ?そういう覚悟はいるよって話だよ。』
『菜摘。一番に経験したら報告待ってるからね。』
!?!?!?!
私は楽しそうに笑ってくる友達たちを凝視して、一気に付き合うってことが怖くなってしまった。
元樹とは一緒にいて楽しかったから、こんな感じで付き合えるならいいかっていう軽い気持ちだった。
だけど、男の子の付き合いたい考えの裏にそういう気持ちがあるなら…
安直に付き合うなんて言ってはいけない。
私はこの一週間の考えを友達から男女間の真実の話を聞いて、180°方向転換することになった。
そして、私は元樹には誠心誠意しっかりと断って、付き合うなんて考えられないということを伝えた。
元樹は最初こそ悲しそうな顔をしたけど、すぐいつもの顔に戻るなり、信じられない事を言った。
『俺、やっぱり菜摘が好きだ。この一週間一緒にいて…、前よりずっと好きになっちまって、簡単に諦められなくなっちまった。』
『え…?』
『菜摘、俺と一緒にいて楽しかったんだろ?』
『え、うん。』
『じゃあ、それでいいや。俺、菜摘と笑ってられればそれでいい。』
元樹は誰もが元気をもらう明るい笑顔を浮かべてそう言って、私は友達から聞いた話と元樹が合致しなくて、上手く返せなかった。
元樹は、私と笑ってられればいいって…
それって…皆が言ってた男の子の考え方と違うような…
私はこうして断ったあとも、元樹からの好意があって今に至るまで友達関係を築いていくことができている。
私はその状況に不満なんかなかったし、私の味方でいてくれる元樹の存在はヒロがいなくなった私の支えとなりつつあった。
だから私はそんな元樹に甘えて、ほぼ毎日元樹と一緒にいる生活を送っていた。
元樹も私といるときは楽しそうだったし、私も元樹といるだけで、いつの間にかヒロがいない寂しさを埋めていっていたような…そんな温かい幸せな日々だった。
だから私は気づかなかった。
私が元樹といることをよく思っていない人たちの存在に――――
学年が三年に上がり、これから中学最後の夏がやってくるという頃――――
私がクラスが変わった元樹に辞書を借りにいこうとしていたら、元樹が私の友達の一人と話をしていて、何かを断るなり教室へと戻っていくのを見てしまった。
友達はそんな元樹の背をじっと見送ってから、私とは反対方向へ歩いて行ってしまって、私はそのとき声がかけられなかった。
きっと何か頼み事でもあったのだろう…とあまり気にせずに、元樹から辞書を借りて足早に教室へと戻った。
そこで私は聞こえてきた女子たちの会話に自分の耳を疑う事になる。
『ダメ。小泉君、あんなに軽そうなのに全然靡かないんだけど。』
さっき元樹と話をしていた友達の声に、私は教室の扉の前で足を止めた。
『あー、なんかあの明日香でさえ駄目みたいだもんね。そんなに菜摘がいいのかな?』
『本当だよ。ちょっと付き合うってことの真意を教えただけで、コロッと付き合うのをやめちゃうような菜摘の何がいいんだか。そんなに可愛くもないのにさ。』
………なに…、これ……
私は自分の陰口を初めて耳にしていて、これは本当に友達たちの会話かと信じられなかった。
『確かに。可愛いかって言われたら、微妙だし。ぶっちゃけ中の下?ぐらいだよね。』
『だね。まぁ、話しかけやすい雰囲気があるっていうのは認めるけどさ。』
『それだけで小泉君にあそこまで好かれるわけないでしょー。』
『あ、あれじゃない?男女の付き合いも理解できない子供っぽい所がいいとか?』
『えーー!?なにそれ!!』
『まさか俺が攻略してやるとか、そういう系?』
『やめてよ!小泉君の印象が崩れる!』
『あははっ。ごめん、ごめん。』
話し声の音量も抑えずにバカ笑いしている友達たちに、私は何かが体の中から抜けていくような、そんな虚無感に包まれる。
『だいたいさー、小泉君ファン多いし、付き合ってもいない菜摘がちょろちょろしてんのウザいと思ってる子、山ほどいると思うんだけど。菜摘はそれ分かってんのかなー。』
『分かってるわけないでしょ。分かってたらあんなに仲良く見せつけるように一緒にいないって。』
『だよね。』
『お、ファンの一人が怒ってるね~。』
私はこれには流石に見て見ぬふりができなくて、扉の窓から少し中を覗き込んで誰が怒ってるのかと確認した。
そこには偉そうに腕を組んで顔をしかめる、さっき元樹と話をしてた友達がいて、細く息を吸いこんで口を閉じた。
『まぁ、菜摘と仲良くしておけば、自然と小泉君にも近づけると思って我慢してきたけど…もう限界近いかも。』
『なんで?あ、そういえばさっきも小泉君とこ行ってたね。』
『うん。今度の休みに一緒に遊ばないかって誘ったんだけど…速攻断られて…。』
『うわ~…。』
『小泉君と話せば話すほど、菜摘のことにしか良い顔しないとこにだんだんイライラしてきて…。』
『なに?なに言われたの?』
『菜摘も一緒?って…開口一番に聞かれた。』
『うっわ!!キツイね、それ!!』
元樹……
私はこんなに近くに元樹の事をこれほど想っている友達がいたなんて気づかなくて、自分のしたことを考えると胸がつまって居た堪れなくなる。
友達たちの悪口ももっともだと思うけど…、でもそれを陰で言われていたことが苦しくて目の奥が熱くなってくる。
『でも、菜摘が一緒なら遊んでくれるっぽかったし、菜摘が帰ってきたら誘おっかなって。』
『あれ、イライラしてたんじゃないの?』
『ま、背に腹は代えられないっていうか?まずは接点作らないとね。』
『お~!!頑張るね~!』
『当たり前でしょ。菜摘には、こういうときにこそ役に立ってもらわないとさ。』
『ありゃ、黒い発言が飛び出したよ。』
『ほっといてよ。これが私の恋愛に生きる道なんだから。』
『あははっ。じゃあ、せいぜい菜摘にはその腹黒さバレないようにね~。』
また皆で大笑いする声を聞きながら、私は扉に背を向けると泣きたくなる気持ちを抱えながらその場を後にした。
私と仲良くしてくれてたのは、元樹のことがあったから…
それがなくなったら、私は皆には必要ない存在なのかな…
ヒロのときみたいに…
こっちの気持ちだけが一方通行で、あるとき突然いなくなる…
そんなのもう二度と経験したくない
私はあの日、ヒロの乗った車の消えた寒い通りを思い返して、あのときの気持ちをぶり返しそうでぐっと奥歯を噛んだ。
だったら、最初から誰にもそういう気持ちは持たないでいるのがいい
私は苦しい気持ちの中、そう逃げ道を導き出した。
友達も上辺だけでいい
深く関わらずに無難に接する
恋愛なんてあり得ない
誰も私の中には踏み込ませない
私はこのとき、今に至る確たる自分というものを作り上げて、そういう自分をずっと演じると決心したのだった。
次話は現在に軸が戻ります。