<序章>急な別れ
『ナツ』と『ヒロ』
そうご近所で一括りにされるほど、私、天野菜摘と幼馴染の花﨑大翔は物心つく前からずっと一緒だった。
家も隣同士で、お互いの部屋が窓を挟んでお向かい。
そんな状況だっただけに、よく夜遅くまで窓越しに話をしていて、お互いの親に怒られることもしばしば。
私は幼稚園、小学校、中学校とヒロと一緒に過ごしてきて、このまま大人になっても一緒にいるもんだと思っていた。
でも、それは私の想像上の未来の話で、実際にはそんな日は訪れなかった。
「俺、転校するんだ。」
中学一年の雪が降ったある寒い日――――私は一緒に下校していたヒロを見つめたまま足を止めた。
ヒロは寒さに頬も鼻の頭も真っ赤で、私はその顔をただじっと見つめて声が出なかったのを今でも覚えている。
「ナツ…。聞いてる?」
ヒロは反応のない私が気になったのか一歩私に近付いてきた。
そのとき、ヒロがいつの間にか私と同じ目線になってることに気づいて、私はこんな告白をされてるにも関わらず背が伸びてる…なんて呑気なことを思っていた。
ヒロはそんな私に怪訝な目を向けながら、反応がないままでも説明を始める。
「転校するの…ここから結構遠くて…、しばらくは向こうで過ごすことになりそうなんだ…。あの家は売りに出したりはしないみたいだから、いつかはこっちに戻ってくると思うんだけど…。」
「それって…いつ?」
私は頭で考える前に口をついて疑問が出た。
ヒロは少し目を見開いてから、悲し気に眉をひそめて首を横に振る。
「…分からない…。」
「じゃあ、どこに引っ越すの?」
「………田舎の方だって言ってた…。空気の綺麗な所だって…。詳しい場所までは教えてもらえなかったけど…。」
「そっか…。」
私は引っ越すまでにヒロのおじさんに住所を聞かないと…と思って、いつ引っ越すのかと聞こうとしたら乱入者に邪魔された。
「お前らこんなとこで何やってんだよ~?」
「やっぱこいつらできてんだって!!昔っから怪しいと思ってたんだよな~!!」
「マジ!?道理でいっつも一緒にいると思ったぜー!」
私とヒロは小学校からの同級生男子三人に囲まれて、口々に冷やかされた。
私は話の邪魔をされたことだけがムカついて、どこかに行ってもらおうと口を開きかけたら、ヒロが先に怒鳴った。
「そういうんじゃねぇし!!変な目で見んじゃねぇよ!!」
ヒロはさっきと変わらない真っ赤な顔で否定して、男子たちが聞く耳持たずに笑い出す。
「嘘つけよ!!あんだけ一緒にいて、ただの幼馴染とかあり得ねぇし!」
「そうそう。大翔は菜摘のことが好きなんだろ~?告っちまえよ~!」
私は小学校の頃からよく言われたからかいに、よくも毎度毎度飽きないな…と思っていたら、ヒロが急に私のことを思いっきり突き放すように押してきた。
私はその勢いのまま足がもつれて後ろ向きに地面にお尻をつく。
そして何が起きたのかとヒロを見上げると、ヒロが私を指さして言った。
「誰がこんな寸胴女!!告るならスタイルの良い明日香とかだろ!?」
明日香…?
私はヒロから出た同級生女子の名前にビックリして、目が渇くぐらいヒロを見つめた。
「うっわ!俺らの目の前で明日香に告りやがった!!」
「ビックリ!!お前ってそうだったのかよ!?」
「これ今度、明日香に言ってやろーぜ!?明日香なんて言うかな!?」
「はははっ!!もしかしたらカップル第一号できんじゃね?」
「マジ!?いいじゃん!!」
同級生男子たちはヒロを取り囲んでからかい出して、私はヒロに好きな人がいたことや引っ越しのことで頭の中がグルグルしていた。
冷たいアスファルトにお尻と手をついたまま、思考がまとまらない。
ただ男子たちにからかわれて真っ赤になっているヒロを見て、言葉が喉につっかえたまま何も言う事がでいきなかった。
いつも近かったヒロが遠い人になるようで…
私は不安を抱えた状態で、言いたい言葉を飲み込んだのだった。
それから私は騒ぐヒロを置いて一人で家に帰ると、次の日の朝までぐっすりと眠ってしまった。
衝撃的なことばかりで、すぐにでも休みたかったからだと思う。
そして寝たおかげでスッキリとした気分で目を覚ますと、外で話し声がしていて朝だというのに騒がしかった。
私は昨日の夜の記憶がほとんどなくて、いつ着替えたんだろうと寝巻姿の自分を見て首を傾げたら、外から「元気でね。」というお母さんの通る声がしたことに体が反射のようにビクついた。
元気で…って…、まさか…
私は背筋が冷えるような嫌な予感に、慌ててヒロの部屋と向かいの窓を開けた。
ヒロの部屋は真っ暗で、道路に目をやると引越しトラックが発車するのが目に入った。
私はその光景に目を剥くと、部屋を飛び出して階段を落ちそうになりながら駆け下り、靴も履かずに裸足で外に飛び出た。
「ヒロ!!!!」
外に出ると目を丸くさせた私の両親と妹の穂香がいて、私は道路の先を走っているヒロの家の車を見て裸足のまま追いかけた。
「ヒロ!!!待って!!ヒロ!!!!」
息も絶え絶えに走りながら呼ぶけど、ヒロの乗った車は止まってくれない。
私はヒロの乗った車が角を曲がって見えなくなってしまうと、ゆっくりと足を止めた。
そして見えなくなった通りの先をじっと見つめて、お別れも言わせてもらえなかったことに悔しくて目の奥が焼け付いた。
不思議と涙は出なかったのだけど、私はギュッと口を引き結んで、今になってやっと足が痛いことに気付き、その場にへたり込んだのだった。
その後、私は起こしてくれなかった両親に怒りをぶつけたりして、相当荒れたのだけど…
お母さん曰く、ヒロがもう別れは済ませたと言ってたらしく、それで私が落ち込んでるんだと思って起こさなかったと説明され、怒りを収めるしかなくなってしまった。
でも、それと同時に別れを済ませたなんて嘘を言ったヒロに対して苛立ちが募り、どうしてこんなギリギリまで引っ越すことを言わなかったのかと不満だらけだった。
ヒロのことを特別大事に思ってたのは私だけだったのだろうか?
ヒロの中の私の位置はその程度だったのだろうか?
あの一緒に過ごしてきた時間はヒロの中に何も残さなかったのだろうか?
こんなに寂しいと思ってるのは…私だけなんだろうか?
私は今も耳に「ナツ!」と私を呼ぶヒロの声が響いて、私はこのときずっと傍にいた幼馴染の存在の大きさに気づいた。
それと同時に大きなものを失った喪失感から、胸にぽっかりと大きな空洞が空いたような寂しさを、長い間抱えることになるのだった。