《魔法使い・カフェ・雪》
久々の投稿です。
おかしな点があれば、教えてください。
からん、からん。
喫茶店のドアを開けると、珈琲の匂いが立ち篭める店内が目の前に広がる。
店内はアンティーク調で、どこか古めかしい雰囲気が漂う。その雰囲気は、僕に安らぎを与えてくれる。
「いらっしゃいませ。1名様ですね。ご案内いたします」
いつもの女性の店員が席に案内してくれる。
カウンターの奥では、白いYシャツに緑のエプロン姿の小夜子さんがお皿を拭いていた。
黒く美しい結んだ髪を腰まで下ろし、黒い瞳の奥にきらりと光をちらつかせる彼女。
どこまでも凛々しくて、常に大人でいようと背伸びをしている彼女。冷たい態度とは裏腹に、あたたかくて、やさしい彼女。
そのすべてが、彼女であり、小夜子さんだ。
小夜子さんは、僕がいることに気がつくと、どこか表情の堅い笑みで、軽い会釈をした。
僕は微笑みながら、会釈を返す。
「あっ、カウンターでお願いします。それと、コーヒーをいただけますか」
僕が慌てて言うと、さっきの女性の店員は「かしこまりました」と言って、お辞儀をする。
カウンターの席に腰掛けると、僕は店内を見回した。
平日の昼間だからだろう。お客は、そこまで入っていない。
僕は、再び小夜子さんに視線を向けた。相変わらずどこか強ばった愛想笑いで接客している。僕は、そんな彼女に話しかけた。
「こんにちは、小夜子さん。今日も良い天気ですね」
「そうですか。このところ、ずっと雨で困ってるぐらいです」
「知ってますよ」
小夜子さんが僕の相手をしてくれたことが嬉しくて、つい口元がほころぶ。
窓の外は、土砂降りの雨で、ここ3日間はずっと降っている。秋なのに、まるで梅雨の季節に逆戻りしたみたいだ。
窓ガラスに、誰がとんとんっと、小さくノックするような音が聞こえる。その雨音は、僕にとって心地のよい音だ。音のない世界は、ちょっと怖いと思ってしまうから。
「……煩わしいわ」
小夜子さんは、お皿を拭き終わると、下を向いたままぼそりと呟いた。
「人によっては、そう感じるのかもしれませんね」
「朝から濡れるし、洗濯物は乾かないし、お客さんも来ないし」
「ええ、確かに」
「あなたは、そんな風に憂鬱にはならないのですか」
「名前で呼んでくれないと答えません。この前、教えましたよね」
と、少し意地悪を言ってみる。
「そうでしたか。覚えていませんね」
小夜子さんは、何事もなかったようにさらりと言い、お皿を棚に仕舞い始める。
「雅也です」
「……」
「ちょっと、無視しないでください」
小夜子さんは、ふふっと笑う。
その無邪気に笑う姿を見ると、少しだけやわらかい気持ちになる。
最後の一枚を仕舞おうと、背伸びをする小夜子さん。その姿が、また可愛らしいのだ。
「あっ……!」
小夜子さんが、突然小さな声で叫んだ。小夜子さんの手元から皿が滑り落ちるのが見えた。
視界から皿が消えようとしたその時、パチンっと指を鳴らす。
まるで時が止まったみたいに、落下していたはずの皿がピタリと止まり、床に吸い込まれるようにして静かに落ちた。
「だ、大丈夫、小夜子さん!!ケガはない?大きな声がしたから……」
と、小夜子さんよりも年上の女性の店員が駆けつける。
「い、いえ。ちょっと、虫が………」
ぎこちない表情で、小夜子が笑う。心なしか、僕の方を睨んでいるようにも見える。
「あら、そうなの。てっきり、お皿を落としたのかと……」
「気のせいですよ。本当に大丈夫ですから」
「じゃ、私は仕事に戻るから。何かあったらすぐ言ってね」
そう言うと星野さんという女性は、また忙しそうに店内に戻って行った。あの様子だと、多分この喫茶店の店長さんなのだろう。
「……雅也さん」
眉を寄せて、ムッとした表情で僕をじっと見る。余計なことしないで、と言っているかのようだ。
怒った時の小夜子さんは、雪女よりも鋭くて冷たい目をしている。正確には、小夜子さん自体が、雪女みたいだ。
でも、そんなことを言ったら僕は首を絞められるどころでは済まされない。多分、そのまま窒息死だ。いや、凍死が正しいのかもしれない。
「ははは……。だって、小夜子さんがケガをすると思って。そんな鬼の形相で睨まないでくださいよ。せっかくのきれいな顔が台無しですよ」
「茶化さないでください」
床から皿を拾い上げると、何とも言い表せないような悔し気な顔で言った。その怒りは、僕に向けたものでもあるが、もしかしたら小夜子自身に向けたものでもあるかもしれない。
小夜子さんは、ひどく自分自身の失敗を嫌うからだ。
「くだらないことに使わないで、もっと必要な時に使ってください」
「僕にとっては、くだらないことじゃないです」
店員が運んできた珈琲を一口飲むと、僕はそう言った。
「煩わしい雨も、小夜子さんが嫌だと思うなら……」
「利己的ね」
「いいえ、むしろ利他的です」
「相手を思う利他も、利己と同じ。だって、それは、ただの自己満足にすぎないですから」
「僕には、難しいことはわかりません」
素直に降参するしかないようだ。
小夜子の言いたいことは何となくわかる。簡単に考えたら、多分お節介だと言いたいのだろう。
「つまり、それぐらい僕は小夜子が好きだということですよ」
「…………」
「え、ちょっと!今、重要なこと言ったんですけどっ」
「……だったら、ここにはいない人も生き返らせてくれるの」
つぶやくようにそう言った。毅然としていた小夜子さんが、苦し気に笑みを浮かべた。
「小夜子さん、それは……」
小夜子さんは、大好きだった人をなくした。前に、僕が好きだと言った時に、ふと話してくれたのだ。
とても幸せそうな顔で、懐かしそうに話す小夜子さんを見ていると、僕はここにはいない誰かに嫉妬してしまいそうになった。どうしようもなく焦がれる思いがあふれて、苦しくなるのだ。
多分、小夜子さんは何度も好意をぶつけてくる僕に嫌気がさして、すっぱりあきらめてほしかったのだと思う。
「出来ないなら、やめて下さい。私は誰も好きになりません。こんな子供騙しの手品なんて誰も信じないわ」
黙り込む僕に、切り捨てるように言う。
有り得ないことが起きること。それが、魔法であることを、あの彼女は決して信じない。
それは僕にとっては、とてもつらいことなのだ。
自分の存在さえ、否定されているみたいで、なんだか胸が苦しくなる。
小夜子さんはうつむき、低い声で「……失礼します」と言って、休憩室に入っていった。
あぁ、また、怒らせてしまったみたいだ。
僕は、「はぁ……」とため息をついて、また珈琲を飲み始めた。
さっきの案内をしてくれた女性の店員が、パタパタと駆けてやってきたかと思うと、いきなり「すみませんっ!」と頭を下げてきた。
僕は、いきなりのことで何のことかわからず、珈琲カップを持ったまま茫然としていた。
「えっ?」
「何かもめていたように見えましたのでっ、えっと、つい……。すみません!」
「いやいや、そんなことは……」
「お客様は、常連の方なのに。本当にすみません。あの、よかったら、これ」
女性の店員が差し出したのは、珈琲の無料券。
「わたし、アルバイトの身なんで、これくらいしかサービスできないんですけど……。その、えっと」
焦っている彼女を見ていたら、なんだかふっと気持ちが楽になって、笑ってしまった。
「うん、ありがとう。今度、ぜひ使わせてもらうよ。日比野さん」
「えっ!」
「ほら、名札に書いてあるから。間違ってる?」
「いえいえ、合ってますよ!あの、お客様の名前は……」
「篠原雅也。好きなほうで呼んでくれたらいいからさ。あと、仕事の邪魔しちゃって悪かったね。会計、頼めるかな」
「はいっ、かしこまりました」
顔を赤くして焦っている彼女の姿に、小夜子さんとは違った子どもっぽさが見えた。
それは、多分、彼女の素直さが僕にそう思わせたのだと思う。
会計を済ませ、店から出る。雨はまだ降り続いていた。
目の前で行きかう人々は、皆、傘をさし、下を向きながら家路に急ぐかのように早足で通りすぎていく。
からん、からん、と背後から誰かが店から出てきた。
ふっと振り返ると、パチッと目が合った。小夜子さんだ。
「あっ……」
僕に気づいた小夜子さんが長い髪をかき上げ、こちらを見つめてきた。黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「傘、ないんですか?」
と、小夜子さんが青い傘を広げながら僕に言う。さっきの出来事を忘れたかのように、いつもと同じそっけない口調だった。
「誰かに持ってかれちゃったみたいです」
「きっと、何かの罰ですよ」
「傘ぐらいで許されるなら、僕はラッキーですね」
「能天気ですね」
「そうかもしれません」
僕が笑うと、小夜子さんも少しだけ口元をほころばせる。
「帰りはどちらの方面ですか。送っていきますよ」
「笠松駅までお願いできますか」
「ええ、もちろん」
そう言って、小夜子んは、ほんの少し頬を緩めた。
雨は激しく降り注ぐ。傘にあたる雨音だけが、二人だけの空間に響いていた。
しばらく無言のまま歩いていると、突然小夜子さんの方から話しかけてきた。
「……彼がいなくなってしまった日も、やっぱり雨が降っていたわ。暑さと湿った空気がまとわりついて、本当に嫌な日だった。
いつもみたいに何の前触れもなく、電話がかかってきた」
『もしもし、小夜子?さっき、新しい珈琲を買って来たんだ』
『まだ封切ってないのがあるじゃない。そんなに飲めないわよ』
『ははっ。それもそうだな。小夜子のために牛乳も買ってきてあるし、大丈夫だよ。
今日は暑いし、アイスコーヒーでもいいな』
『そうね。氷と甘いものを用意しておくわ』
「……本当にいつも通りの会話だったんです。それなのに」
小夜子さんは、うつむいた。唇をきつくかみしめて、小さな肩を震わせていた。
『……小夜子は本当になんでもできる子だから、大丈夫。友達は少ないけど、いい友達ばかりだし。
唯一、料理だけが心配なんだよなぁ。この前も、料理作るって張り切っていたのに、フライパンを真っ黒焦げにしたりさ。アパート、燃やす気かよって思ったんだからな』
『なぁに?急にどうしたのよ』
『強気なくせに、寂しがり屋だし。
小夜子が行きたいって言っていた、海にも行きたかった。もっと遊んで、喧嘩して、笑って、ずっと一緒にいたかったんだ。
でも、これでさよならだ。しばらく、遠いところの行くんだ。ごめんな』
『ちょっと、何言って……』
『小夜子が好きだ。だから、連れていけない。
小夜子にはもっとたくさんのきれいなものを見て、美味しいものをいっぱい食べて、ずっと笑っていてほしい。
幸せになってほしいんだ。
ごめんな、わがままで。……じゃあな』
「彼からの電話は、そこで途切れました。なぜ、急に別れを告げられたのか分からなかった。どうして、私を置いて、遠くに行ってしまうのか、全く理解ができなかった。
しばらくして、病院から電話がかかってきたんです。そこで、彼が交通事故に巻き込まれて……、即死だったと伝えられました。
信じられなかった。今さっきまで電話で話をしていた人が、もうこの世にはいないだなんて」
小夜子さんが、笑った。その笑みは、深い深い悲しみに満ちていて、とても苦し気だった。
大切な人を失うのは、本当に一瞬のことで、心に負った傷の痛みはずっと続いていくのだと思う。
僕ではだめなのだ。僕では、彼女を救うことはできない。
彼女を救うことができるのは、彼女自身。そして、もうここにはいない彼。
「……彼からの言葉は、まるで自分の死を予期するような言葉ですね」
僕がそう言うと、小夜子さんがまた小さく笑った。
「ええ、そうです。後から不思議に思って、自分の携帯の着信履歴を調べたんです。彼からの着信履歴はありませんでした。
……ほんと、笑っちゃいますよね。なんか、自分がばかみたい。きっと頭がおかしいんです、わたし。
でも、だからこそ、彼を忘れてはいけない。
もしかしたら、彼は私について来てほしかったのかもしれません。だから、わざとあんな電話を……」
「それは違います。彼は、あなたに生きていてほしかったんです」
「どうしてそんなことが言い切れるの。わたしのことなんて何も知らないくせに」
歩みを止め、僕を見つめてくる小夜子さんの黒い瞳は、涙で濡れ、揺れていた。涙をこらえるように、唇をきつく結んでいる姿に胸が締め付けられた。
こんな時まで彼女は強く、大人でいようとする。
その強さが、時に彼女を苦しめていることも知っている。
「確かに、僕はまだ小夜子さんのことを何も知りません。それでも、自分だったら大切な人に生きていてほしいって思う。彼と同じように、小夜子さんに笑っていてほしいって思うんです。
僕は、あなたと一緒にいたい。小夜子さんのことをもっとちゃんと知っていきたい。
小夜子さんが彼のことを想い続けていても、好きなままでいても……僕はあなたが好きだ」
僕たちがいる空間だけが、時が止まったみたいだった。
雨は上がっていて、水たまりに夕日の光が反射して、きらきらと輝いていた。
「……本当に……どこまでも真っすぐな人ね」
その瞬間、一粒の滴が落ちた。
気がつくと、小夜子さんは、はらはらと涙をこぼしていた。子供みたいに顔をくしゃくしゃにして、泣いていた。
それから、今までに見たことがないほどのやわらかな微笑みが広がり、僕まで目頭が熱くなった。
僕の言葉が小夜子さんの心に届いたような気がした。やっと自分の存在を認めてもらえたような気がした。
つられて泣きそうになるのをぐっと抑え、僕も笑った。
夕焼け空から、きらきらとした羽毛のようにやわらかな雪が降ってくる。
その雪は、夕日の光に照らされ、小さなダイヤモンドみたいに光っていた。
「あれ、なんで……」
と、驚いた表情をした小夜子さんが、僕を見上げる。
「本当の魔法使いは小夜子さんみたいですね」
「え?」
「だって、僕は何もしてないですもん」
小夜子さんのきょとんとした顔があまりにもおかしくて、可愛らしくて、僕はまた笑った。
多分、この雪は、僕の魔法かもしれない。
でも、そうさせたのは小夜子さんの笑顔。
僕にとって小夜子さんは幸せをもたらす魔法使いなのだ。
誤字脱字がありましたら、教えてください。