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涙雨  作者: 030130
7/8

#7

 優しさとは何なのだろう?

 愛は地球を救うらしい。そんなことを信じたことはない。むしろ疑っているし、真っ向から反論してやる気持ちすらある。

 世界は繋がっている。誰かのやらかしたわずかなミスが他の誰かの人生を変えてしまう事だって、きっとまま在る。もちろん、逆も然りだ。誰かのちょっとした優しさが

 そう、誰かの優しさが、その誰かを滅ぼしてしまう事だって、充分に考えられる。

 何にもリスクとリターンがある。望んでも望んでいなくても。そして事実というのは得てして皮肉に満ちていて、望んでいないリスクとリターンの出現率の方が圧倒的に高い。

 そんな優しさは、止めさせないといけない。それが戦友なら、尚更だ。

 彼女は誰もいない街を背に、何も見えない海を眺めていた。

 曇天の空はただ黒く、海は静かに、それでも確かにうねっていた。この街の業を全て飲み込み、表しているような有様だった。

「何か見える?」

 大きな声でクロを呼ぶ。

 彼女は真顔のまま振り向いた。雨が涙のように頬を伝っている。

「何も見たくありません」

 澄んだ声。それは冷たく私の心に滑り込んでくる。

 もっと凄惨な表情をしていると思った。しかし彼女は、思いの他さっぱりした顔をしていた。まるで、何かをやり切ったようなそれだった。しかし私には、まるで自分を無理やり肯定しているような不安定さも同時に伺えた。

 何も知らないまま、この街での生活を終わることもできる。

 脳裏によぎった妥協案を掻き消しながら、私は言葉を紡いだ。

「タバコ屋のお婆さんに聞いた。あなた、大変だったのね」

「同情なら、やめてください」

 彼女はまた海の方を向いた。いや、私から目を逸らしただけだ。

「興味があるだけよ。ねえ。聞かせて、あなたのこと。あなたの口から聞きたいの」

 クロは基本的に無表情だ。そうだと思う。私に私の話をしてくれた時もそうだった。眉一つ動かさない。でも彼女は春人を“送った”時に微笑みかけてきた。そして今、肩で呼吸を整えている。

 気丈に仕事をこなしてきた彼女の心が、パンクしようとしている。

 詰まる息を細く吐き、私はクロの言葉を待った。

「・・・先生から消すべきだったのかも知れませんね」

 そう言うと、クロは腰をぺたりと落とした。

「思い出しました?わたしのこと」

 私は頷く。

「大原七海。私のことを考えてくれて、行動に移してくれた、現役大学生、そして、バイトの敏腕編集者」

 彼女は溜息をつく。

「先生が意識不明の重態、と聞いてから、私生活は荒れました。彼氏とも上手くいかなくなって、それも手伝って持病の発作が起こって、この街に来たんです」

 雨が緩やかになる。代わりに風が出てきた。


 わたしのことを初めに見つけてくれたのは、お婆さんでした。お婆さんは雨に濡れるわたしを家に連れて行くと、体を丁寧に拭いてくれました。

「お嬢さんが何でここにいるのか、わかるかい?」

「お嬢さんは寂しいのさ。だから、誰かに会いたくてこの街に来ちまったんだよ」

「可愛そうに。本当に優しい子なのに、不器用なんだね。その上不運だ。歯痒かっただろうに」

 わたしの心持ちを読み取るように言って、最後にこう付け足しました。

「弱みに付け入るようで悪いんだけど、一つお願いがあるんだ。その優しさで、わたしや街の連中を、救ってあげてくれないかい?」

 わたしはお婆さんのお願いを聞きました。それは、わたしが望んでいたことでしたから、断る理由なんかありませんでした。

 やっと、誰かの役に立てる。本当に嬉しかったんです。

 でもね、先生。わたし、本当にバカなんです。幼馴染の恋の相談に中途半端に乗って、返って悩ませてしまって、結果的に彼は事故に会ってしまった。同乗していた恋人は助けることができたけど、彼は救えなかった。それでむしゃくしゃして、恋人に八つ当たりのような真似をしてしまった。

 先生にしたってそうです。先生の為を思ってとは言え、とても最善とは言えない方法でしたよね?だから悩んで、それで転んで、こんな街に・・・。本当に、ごめんなさい。

 主観的に見ても客観的に見ても、わたしの行いは有難迷惑でした。結局わたしは、自分で思う優しさが全部裏目に出てしまう、バカな人間なんです。

 こんな自分に、本当に辟易していました。死のうと思ったことだって、数え切れないほどあります。

 でも、だから、決めたんです。この街で、迷い込んだ人を導こうって。ちゃんと心を読んで、過去を知って、最善の受け答えができるこの力と、この街で生きていこうって、決めたんです。

 だから―

 だから、ちゃんと、先生のことも送りますから。

 戻って、またいい作品を書いて下さい。向こうでは言えませんでしたけど、本当に、先生のことを待っている人が、たくさんいますから。


 何故、こんな街ができてしまったのだろう。

 誰も救うことのできないこの街を、誰が作ったのだろう。

 クロ・・・七海は、自分が不幸だなんて思っちゃいない。むしろ今の自分を幸せに感じている。やっと居場所ができたと、安堵している。

 でも。

「違うでしょ?」

 七海は目を見開いた。

「一緒に帰りましょう、でしょ?」

 手を差し出す。

 七海はかかとで砂を掻いた。

「やめてください」

「何で?未練、無いの?アンタのことを振った男のこと、殴ってやろうとか、思わないの?」

「やめて!」

 腹から声を出して、叫ぶ。

「止めないよ。アンタには見て欲しいプロットがあるんだ。アンタの酷評が無いと、私は書けないよ」

「そんなことありません」

「あるって言ってるだろ!」

 叫ぶと、七海は体をびくつかせて驚いた。

 怯えている。それは、つまり―

「ありません!わたしは、わたしは!!」

 彼女の目に涙が溜まり

「・・・わたしは、あの世界にはいらない人間なんです・・・」

 零れ

 る

 前に

 私は彼女を抱きしめた。

 強く、強く抱きしめた。

「人に向けられる優しさを、何故自分に向けてあげないの・・・」

 彼女の呼吸が伝わる。

 彼女の嗚咽が聞こえてくる。

 激しくなる鼓動が私を叩く。

 大切な人の涙は、どうしてこんなにも胸を打つのだろう。

「自分に正直に生きてるんでしょ?なら、それでいいじゃない。私みたいにきっかけがあれば、その素晴らしさに誰かが気がついてくれる。それを教えてくれたのは、七海、あなただよ」

 彼女の体は思っていたよりも小さく、細かった。

 私がもう少し大人だったら

 私にもう少し余裕があれば

 私が彼女の半分でも優しければ

 ここまで彼女を追い詰めるようなことはなかったかも知れない。

「だから、ね?諦めないで。一緒に、帰ろう?」

 私がそう言うと、七海は溜まった唾を飲み、溢れた鼻水をすすり、何度も瞬きをして涙を弾き出して、必死に呼吸を整えた。

「・・・できません」

 七海の右手が私の上着の裾を掴んだ。

「この力が使える理由は、この街と同調するから。だから、この街に来た人のことがわかるんです。この街に縛られたわたしには、この街を捨てることなんてできません」

 それは、決意に満ちた言葉だった。

 自分はもう、この街を出る気は無い、と。

―ああ、だから

 私は彼女から体を離す。

―また、雨が強くなったのか

 今までの私なら、ここで諦めてしまっただろう。人の決意を邪魔してはいけない、と、大人しく身を引き、おめおめと送ってもらうことだったろう。

 溜息を打つ。

 しかし、今は違う。

 昔の自分を客観的に見て、それがいかに愚かで、もったいないことだったのか、よくわかったつもりだ。

 春人の勇敢さが

 お婆さんの温もりが

 そして、“クロ”の優しさが、私を変えたのだ。

 私はもう一度七海を抱きしめた。さっきと違い、今度は頭を抱えるようにして。

「? 何を・・・」

「その力、私が貰うよ」

 七海が息を呑む。

「そんなこと、できませんよ・・・」

「やってみなきゃわからない」

「そんなことしたら、先生は・・・」

「帰るさ。言ったでしょ?一緒に帰るって」

「だからできませんって!」

 強く祈る。

 ねえ

 この子の心には

 ずっと雨が降っていたんです

 ねえ

 だから

 雲の切れ間からでもいい

 太陽を見つけるチャンスを与えてやってください

 強く祈る。

「戻れ」

 強く

「・・・うそ・・・」

 強く祈る。

「戻れ、戻れ」

「先生、もうやめて。先生が帰ってくれないと、わたし、何のために頑張ってきたのかわからない」

 強く。

「戻れ戻れ戻れ戻れ」

「ちゃんと、送り方を覚えて、それから先生を送ろうとしたのに。最後に話を聞いてもらって、また頑張ってもらおうと思ってたのに!」

 強く。

「戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ」

「やだ、こんなのやだ!先生、先生!」

 強く。

 そして

 優しく。

「戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ!」

「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


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