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涙雨  作者: 030130
6/8

#6

 雨の中を傘も差さずに街をさ迷い、行き着いたのはタバコ屋だった。行き着いた、というよりは足が向いた、と言った方が正しいかもしれない。

 私が足を向けたのはいくつか理由があって、まずは手持ちのタバコが切れてしまったこと。これが一番大きな要因。そして同じくらいの重要さで、人の姿が見えたのがその店だけだった、ということ。おや、どうやら行き着いた、と言った方が正しいようだ。

 上から押しつぶされたような、可愛いお婆さんがこちらを優しく眺めていた。自販機が一般的なこのご時勢に手売りとは珍しい。

 雨がしのげる申し訳程度の軒下に潜り込み、銘柄を言いながら指を二本見せた。

 お婆さんはまるで用意していたかのように、腰元から二つ取り出すと、私に渡した。私がライターを取り出すと、お婆さんは使い古された銀色の灰皿を出した。つられる様に微笑んで、私は新品のタバコに火をつけた。

「わたしも、いいかね?」

 と言うと、お婆さんは懐からくしゃくしゃになったタバコを取り出した。私は何も言わずライターを差し出し、お婆さんがタバコを咥えてから火をつけた。

「お婆さんは、もう長いことこのお店を?」

「ええ、タバコ屋になって、もう三十年くらいになるかねえ」

「へえ、老舗ってことか。道理で慣れてますね」

「ふふ、そうかい?ありがとね、そう言われると救われるよ」

「・・・」

「何か訊きたそうな顔だね?」

「訊いてもいいことなのかどうか・・・」

「かまやしないよ」

「・・・お名前は?」

「・・・なるほどね、そういうことかい」

「・・・?」

「どうしたんだい?」

「いや、猫の鳴き声が聞こえたような・・・。気のせいですね、ごめんなさい」

「気のせいなんかじゃないさ。しばらく前にこの街に来て、飲まず食わずで雨を眺めていた傷だらけの白猫。その最後の一鳴きだよ」

「最後・・・」

「そうさ。なんだい、アンタ全部知ってるってわけじゃないのかい?」

「名前を思い出したらクロに消される。そう思っていました」

「クロ?ああ、あの子のことかい」

「クロのことを知っているんですか?」

「アンタはどこまで知ってるんだい?こんな時に会ったのも縁だろう、わたしが知ってることは教えてあげるよ」

 望んでいた状況だ。

 私は知っていることを話した。気がついたらこの街に来ていたこと。初めは何も不思議に思わなかったこと。彼女が来ることを当たり前だと思っていたこと。彼女が私の過去を知っていたこと。春人という青年がやって来て、クロが街の人を消して回っているということ。そして目の前で、彼が彼女に消されてしまったこと。

 話している間に、私は二本、お婆さんは四本のタバコを灰にした。私が三本めのタバコに手をかけると、お婆さんはシワだらけの口をゆっくりと動かし始めた。

「一番わかりやすいのは、その春人って子かねえ。その子は早いうちにあの子の不思議な所業に気がつき、その秘密を探ろうとした。そして自分以外で残っていたアンタに協力を仰ぎ、アンタが話に乗った時、あの子に消された。そういうことだね?」

「はい」

「その子はきっとひどく安心しただろうねえ。わけもわからないままここに飛ばされ、ひとりで何かを成し遂げようと思っていた。そこに仲間ができようとしていたんだ。嬉しかっただろうねえ」

「?・・・あの」

「彼は幸せだったんだよ。だから消された、いや、消されることができたんだ」

「・・・」

「彼が本当に幸せかどうだったかはわからない。所詮他人の考えることだからね。でも、消されたってのはそういうことなんだよ」

「消された、というのは、つまりどういうことなんですか?」

「この街からいなくなった、ってことさ」

「そのまんまなんですね」

「考えているほど単純じゃないかもしれないけどねえ」

「え?」

「この街に来た、ってことは、現世では死んだも同然、いや、死人の予備軍ってところかねえ」

「それはどういう・・・」

「アンタも見たり聞いたことくらいあるだろう、意識不明の重態って状態」

「え、ええ」

「その意識はこの街に来るのさ。そして行き場もなくうろつく。やがて自分のことに気がついたり、思い出したり、誰かと出会うことで元の世界の体に帰って行く」

「・・・思い出せなかった人は?」

「帰るより、逝く道のほうが短いんだよ。帰る気力を無くしたやつから死んでいく。・・・顔色が悪いよ、大丈夫かい?」

「・・・はい。それよりも、そうなるとわからないことがあります」

「あの子の存在と行いだね?」

「はい。この街のことにはもちろん驚きましたけど、身に覚えがないわけではないので。それよりも、今のお婆さんの説明だと、蘇生も死亡も本人の意思と努力次第、と取れます」

「努力ってのは一人でするもんじゃないよ」

「・・・」

「思えば長いこと生きてきた。いろんな人間を見てきたよ。額に汗を浮かべて走り回るサラリーマンも、退屈そうな若い女の子も、独りで生きてるわけじゃない。隣に誰かがいて、知らないうちに互いに助け、関与しながら生きている。言ってみれば、そういうのを優しさ、と言うのかも知れないねえ」

「・・・じゃあ、クロは」

「あれは優しい子だからねえ。生きている間に自分が与えてもらえなかったものを、ここぞとばかりに与えて回っているのさ」

「そんな・・・」

「例えばさっきの春人って子。あの子がもし蘇生したとしても、その後に待っているのは冷たい現実だけじゃないのかねえ?」

「・・・そんなことは誰にも決め付けられませんよ」

「彼が決めたさ」

「・・・」

「誰もがこの街に迷い込むわけじゃない。向き合わなければならない現実を置いて来た連中だけがやってくるのさ。そのことすら忘れた状態でねえ」

「・・・」

「あの子は春人君に聞いたはずだよ。何も覚えていないのか、と。そして彼はその言葉で記憶を取り戻した。自分のことをまざまざと思い出した。でも、そのときにあの子には、もう全部わかっていたんだよ。そういう子なんだ」

「そういう、とは?」

「そこだけは特別なのさ。あの子は人の痛みがわかってしまうんだよ」

「そんな馬鹿な・・・」

「本当だよ。その力を与えたわたしが言うんだから、間違いない」

 訪れた沈黙は長かった。私は何を言っていいかわからず、お婆さんは私の言葉を待っているので口を開かない。雨も小降りになってきた。

「お婆さんが、この街を作ったんですか?」

「突飛な発想だねえ。作っちゃいないよ。ただ管理しているだけさ」

「管理?」

「そう。迷子をちゃんと送り出す仕事さ」

「その仕事を、今はクロが・・・」

「独りで、ね」

「何故、彼女に?」

「人の痛みがわかる子だったからさ」

「? でもそれはお婆さんが彼女に与えたって・・・」

「力を与えたところで、理解できない子には理解できないよ。あの子は傷つけられ、裏切られ、捨てられ、見放された挙句、流れてきた子だ。事実、今回の波の消化は初仕事とは思えないほど早い。それはつまり、あの子がより早く、正確に人々の心に触れられる、ということ。悪気は無いんだけれど、逸材としか言えないねえ」

「・・・クロは、どうなるんですか?支えるだけで、助けるだけで、誰にも助けてもらえない彼女は、この街に独りになってしまった後、どうなるんですか?」

 お婆さんの指からタバコが落ちた。暗くてよくわからなかったけれど、彼女の体は徐々に透き通ってきていた。きっと、私と話し始めた時から、少しずつ、ゆっくりと消えていたのだ。

「さあ。わたしはのんびりやってきたから間が開く、なんてことなかったしねえ。これから起こることがどうなるか、わたしにはわからないねえ」

「それって・・・」

「もうすぐ、わたしは消える。やっと休むことができる。あの子が来てくれたから。仕事を引き受けてくれたから」

「・・・」

「そして、お嬢さんが最後の一人。お嬢さんをこの街の外へ導けば、彼女の仕事もひとまず終わる。次にこの街に人が来るのがいつになるか、それは誰にもわからない」

「・・・」

「泣かないでおくれ。そして考えておくれ。なんであの子が、お嬢さんを見逃し、最後まで残したか」

 私はタバコを消し、涙を手で強く拭った。お婆さんは微笑んで私を見上げてくれていた。

「クロは、今どこに?」

「海の見える丘に行ったよ。あの子のお気に入りの場所さ。この道をまっすぐ進めば、すぐに見えてくるだろうよ」

「わかりました」

 お婆さんは一層強く微笑み

「毎度ありがとうございました」

 気の利いた言葉を残して、消えてしまった。

 まだ私が「ありがとう」を言っていない。なのに、勝手に消えてしまった。

 雨脚が増した。

 土砂降りだ。

 雨の音に嗚咽を隠しながら、私はクロの元へ急いだ。


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