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涙雨  作者: 030130
2/8

#2

「追う恋愛と追われる恋愛、どっちがいい?」

 まだ学生だった頃、友人と呑んでる時に出てきた話題だ。

 当時はちょうど、ストーカーって人種が社会で流行っていて、それを題材にした連続ドラマとかやっちゃってたのを覚えてる。まあ、興味がなかったから観てなかったけど。

 オレは追われる方がいいな、って答えたんだ。やっぱり愛されたいし、特別扱いにも飢えてた。誰かを夢中にさせるだけの魅力があるって信じたかったし、実際その辺の野郎よりは顔もスタイルもセンスもいいはずだ。どういうわけか恋人はいなかったけど。アレだな、オレの良さに気がつく女がいなかったんだよ。

 そんなことを酔った勢いもあって泣きながら友人にぶちまけた。そしたらアイツは哀れむように笑って、氷とウイスキーしか入っていなかったグラスを空にして、強めに机に置いて言った。

「どう考えても、アンタは追う側でしょ」

 自慢にもならないけど、アイツは親友って呼べちゃう仲だった。性別なんか飛び越えて、本当にお互いを判り合えちゃった、唯一の人間だったんだよ。ソイツが断言しちゃったんだ。オレとしては受け入れるしかないじゃないか。

「そうかな」

「そうだよ。そうじゃないと、アンタ燃えないでしょ」

 まあまあ図星だったから、オレは黙っておかわりをグラスに注いだ。

「飽きっぽいってか気分屋だからね、翼は。自分に振り向いた人間には興味がなくなるじゃん。そういうのは恋愛って言わないよね」

「それは違うぞ?」

 オレは冷酒で喉を熱く湿らせてから反論した。

「彼女には、オレのことをずっと見ていてほしいんだよ。オレにとって彼女ってのは、いつか戻ってくるところなんだよ。だから、早く帰って来い、とか言われると冷めるの。オレはオレで他に見たりやりたいことあるし、それを邪魔されるのは誰だって冷めるだろ?」

「自分に真面目なようにも、筋金入りのわがままにも聞こえる」

 小さく笑い合っていると、店員が料理を運んできた。ちょっとドギマギしていたけれど、割と可愛い女性だった。

「そうだ。なあ、お前は追う側と追われる側、どっちがなんだよ?」

 テーブルの向かいで肘を付きながら酒を飲んだ親友は、不敵な笑みで言い放った。

「アンタになら、追われてもいいかもね」


 運命を信じられたのは、翼君のおかげだ。

 アルバイトの最中に接客した人が、女連れだったけれどかなりタイプだった。だから私は意を決して、レシートの裏に連絡先を書いてお釣りと一緒に渡した。そしたら翌日、連絡があって、付き合うことになった。

 今まで恋人なんてできたことがなかった。初めての人がこれ以上ないほど運命的な出会いで、しかも絵に描いたような理想のヒト。私は強く心に誓った。この愛を不滅のものにしようと。誰もが羨むような、甘くて熱いものにしようと。

 翼君はとってもクールな人だったから、この誓いをそのまんま共有しよう、なんて言えなかった。おまけにいつだって難しい顔をして何かを考えているから、浮かれた軽い言葉を投げてそれを邪魔するのも嫌だった。ううん、そうすることで、彼に嫌われるのが嫌だったんだ。

 付き合って三ヶ月目の日曜日。この日のデートコースは山道をドライブ。本当は山の向こうにある温泉に行こうって予定だったけれど、峠のドライブインで翼君が予定を思い出して、折り返すことになった。

 天気が悪かったせいもあって、翼君はずっと機嫌が悪かった。まるで自分を、ううん、世の中の私以外の全てを恨んで憎んでいるような顔で運転していた。

 雨はどんどん強くなっていった。ワイパーは最速で動かしても、まるで海底を走っているような景色だった。

 豪雨が車を叩く音と、翼君が時々打つ舌の音だけが車内を占領していた。

 突然目の前が明るくなった。カーブを曲がったところに、運転の下手な大型トラックが走ってきたんだ。

 翼君は飛び切り強く舌を鳴らして、勢い良くハンドルを切った。私は反動で頭をガラスにぶつけた。

 豪快な音がして、エアバックが開いた。ジェットコースターと同じ衝撃を感じて、車が谷底へ落ちていくのがわかった。

 私は祈った。私は助からなくてもいいですから、翼君だけは、どうか助けてくださいって。私なんかどうなってもいいから、彼だけは助けてくださいって。そして、こんな私に同情してくれたら、私も助けてくださいって。

 もう一度車に衝撃が走ると、私の意識は真っ暗な世界に塗りつぶされた。


 足音が聞こえる。

 聞こえる、ということは、オレはまだ死んでいないらしい。それとも死んでも聴覚だけは残るのでは、という実も蓋もない発想が生まれたけれど、試しに指を動かしてみたら見事に感覚があった。

 目を開けてみる。

 観たこともない世界だった。いや、見覚えのない世界だった。流行よりちょっと古い、昭和の映画の港町みたいな景色だった。大小様々なもので作られた石畳の上で、オレはうつ伏せになって寝転んでいた。

 いよいよ生きているか怪しくなってきた。オレと由利はドライブをしていて、向かいからトラックがやや大回りに入ってきたから、オレがそれを避けるようにハンドルを切ったら、思いのほか道が細くて、ガードレールをぶち破って谷底に落ちたんだった。だってのに、なんでこんな観たことのない街にいるんだろう。常識で考えればありえないことだ。天国にしても地獄にしても、不似合いだ。川がないから三途ってわけでもなさそうだ。

 曇天の下、オレはのろのろと立ち上がった。なんと、五体満足だった。

 前で誰かが動いた。家の角からひょっこりと顔を出してオレを観ている。

「・・・・・・・・・あ」

 女は口元だけで笑うと、顔を引っ込めてしまった。

 考える前に走っていた。何故ここにアイツがいるのか、結局ここはどこなのか。わからないことだらけで頭は混乱したままだけだったけれど、自然と口の端が釣り上がった。


 とうとう翼君が動き出した。ずっと見守っていた、私の愛が届いたに違いない。必死で神様に祈った甲斐があった。

 目が覚めたとき、彼はうつ伏せになったままぴくりとも動かなかった。私が大慌てで駆け寄ろうとすると、正面から黒ずくめの女の人が歩いてきた。

 私は本能的にその場を離れた。そして漬物用の樽の陰に身を隠して、事の成り行きを見守った。

 女は翼君の頭の前で膝を曲げると、不躾なことに彼の頭を両手で挟むように掴んで持ち上げた。そして自らの顔に近づけると、私という恋人の目の前にも関わらず、綺麗なキスをした。

 そう、綺麗だった。思わず息を呑んでしまうほどに。

 同時に、黒い感情が胸に溜まっていく。私だってまだしてもらってないのに、それを奪うだなんて。

 しばらくそのままにしてから口を離すと、女は私を一瞥して立ち上がった。

 挑戦状、ということなのだろうか。私に翼君は渡さない、と。確かに彼はかっこいいから、ライバルが多いことは感付いていた。でも、今日に限って、それもこんなところで、しかもこんな状況で喧嘩を売られることになるとは。

 私が翼君みたいに舌打ちをしてから彼女を追いかけようとしたとき、やっと翼君が意識を取り戻した。しばらくぼうっとして辺りを見回していた。その間も女はどんどん離れ、とうとう家の陰に身を隠してしまった。

 翼君は、恋人と変な女に両サイドから観察され、でもそれに気が付いていない様子で立ち上がった。

 彼は私のほう、背後など一回も気にせず、迷わず女のほうへ走り始めた。

「・・・」

 まさかビハインドで始まることになるとは思っていなかったので、この街に来て初めて混乱した。

 なんで今まで平気だったかって?

 だって、どこにいたって翼君がいれば大丈夫だから。

 翼君も陰に消えた。私はそれを追いかける。足跡は立てない。浮気現場を目撃したときの鉄則だって、雑誌の小コーナーに書いてあった。

 浮気という言葉を使ったけれど、よく考えてみたら違うかもしれない。

 あの女が唇を奪っただけ。きっと翼君は、勝手にそんなことをされて怒り心頭、鬼のような形相でいるに違いない。


 道を曲がると、別の道を曲がる女の姿が辛うじて見えた。そんなことがさっきからずっと続いている。女は一貫して歩いていて、オレは終始走り続けている。なのに距離は一向に縮まらない。

 そして、どうやら誰かに見られているらしい。それはひどく温かいようで、冷静なものだ。ガキの頃、遊んでいるところを近所の婆さんに観察されていた時のような気分だ。けして居心地のいい代物じゃない。見ているやつを見つけて捕まえて、何らかの制裁を加えてやりたいところだけど、今はそれどころじゃない。

 また、すんでのところで道を変えられてしまった。先回りするか?いや、土地勘のないところで下手な小細工を弄し、見失いでもしたら目も当てられない。かなりカッコ悪いけど、素直に追いかけるしかない。でも、それにも段々うんざりし始めていた。

 もう二桁ほど目になる門を曲がると、鼻を懐かしい匂いがくすぐった。

「・・・海?」

 目の前には長い下り坂があった。

 果てにあるのは行き止まり。

 道の両脇には、そこまで丁寧に家が並び、申し訳程度に柵、その奥に海原が広がっていた。

 いつの間に現れたのか、あの黒い女が行き止まりに向かって移動している。歩いているのだけれど、普通じゃない。まるで映像をコマ送りにしているような違和感があった。

 乳酸が溜まって熱を持った膝を叩いて、オレは彼女を追いかけた。

 今更だけれど、オレはひとつ自分ができることをやっていなかったことに気が付いた。

「待ちやがれ!」

 爆発寸前の肺で目いっぱい叫んだ。喉が渇いていたから、ガラガラの声が飛び出た。

 女は海の手前で止まって振り返った。短い髪が潮風に揺れる。

「何か?」

 女は眉ひとつ動かさず言った。やっと口を開いたか、という落胆が感じられた。

 呼吸を整えながら、オレは女を観察した。

 年上のような、年下のような。ひょっとしたら男かも知れないが、胸がある。

 そして、別人のようだったが、知っている顔だった。

「・・・やっぱ七海ななみか」

 学生時代の盟友だ。

 七海はノーコメント。じっとオレを見ている。

「何故、私を追いかけて来たのですか?」

「目を覚ましたらお前がいたから」

 二人の距離は十メートルほど。雲は少しずつ色濃くなってゆく。

「それだけの理由で?」

「ああ」

「そうですか」

 七海は体を横に向けた。

「まだ寝ぼけているようですね」

「あ?」

「そんなどうでもいいことの為に、汗を流して息を切らせて。貴方のイメージするスマートな人物像からは随分遠いのでは?」

 頭の中身がすっと冷めていくのを感じた。何言ってやがる。

「お前こそ、その口調は何だよ?鳥肌が立つぞ」

 七海は海に向かって歩いていく。オレはこれ以上距離が開かないようについていく。道は断崖になっていた。

「貴方には恋人がいたはずです」

 七海は海と空の際を見た。

「恋人?由利のことか」

「貴方、自分たちが交通事故に逢ったことは覚えていますか?」

 嫌な事を訊く。

「・・・ああ」

「車に乗っていた貴方がここにいるのに、恋人はいないと判断したのは何故ですか?」

「なあ、よせよ」

 オレは胸の前で腕を組んだ。

「久しぶりにお前に会えて嬉しいんだ。つまんないことから音信不通になっちまっただろ。話したいこともたくさんあるんだ」

「恋人もこの町のどこかにいますよ」

「いいんだ。オレは、自分に嘘をつきたくない」

 なんでこんなことが言えるんだろう。

 なんでこんなに、本音を言うことが気持ちいいのだろう。

 七海は振り返ると、懐かしい笑みを浮かべて両手を広げた。

「・・・バカヤロ、遅いんだよ」

 オレはよたよたと歩いていき、七海に身を任せた。

 忘れていたことを思い出した。

 七海は、オレが世界でただ一人、心を許した人間だった。

 喧嘩して、自棄になって彼女を作って、連絡が途絶えても、オレはずっと七海のことを必要として、求めていたんだ。

 幸せとはお世辞にも言えなかったけれど、それなりに緩やかな日々の中で忘れるようにしていたこと。心にかけていた鍵を、七海の体温とぬるい潮風が打ち破った。

「燃えたよ」

「そう。よかった」

 七海の腕に力が入った。心地よさに目を瞑ると、体が浮き、強い風が皮膚を打った。

 強くなる海の匂い。オレは七海の首元に顔をうずめると、頬肉を上げて笑みを伝えた。


 何もできなかった。

 翼君が女に抱きついた時も、女が彼を抱えて飛び降りるときも、私は遠い物陰からただ見ていることしかできなかった。

 やっと体が言うことを聞いた。私は急いで岸に走―

 目の前に黒い影が現れた。

 走ってきた?

 降ってきた?

 飛び出した?

 どれも違う。文字通り、突然現れた。

「愛は世界を救うらしいですよ」

 甘く見積もっても二十代後半の女は涼しい顔で軽く言うと、私の横を通り過ぎた。

「貴女に見守られて死んだ彼は、さぞ幸せだったことでしょうね」

 女の言葉は私の耳に入らなかった。

 私は走っていた。さっきまでの彼のように。

 飛び降りた女が生きていたんだ。翼君も生きているかもしれない。

「そうだよ、大丈夫。絶対大丈夫。大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」

 崖の下で、世界の終わりみたいな海がうごめいていた。私が落ちたら助からないけれど、翼君ならきっと大丈夫。

 私は膝を付いて、崖の下の翼君を呼んだ。

 ゆっくりと、雨が降ってきた。翼君が飛び上がってくるのにはもう少し時間がかかりそうだ。私は雨に濡れながら、意識がなくなるまで彼の名前を叫び続けた。


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