一巡目 五日目 その2
「――ッ!」
勢い良く俺は身体を起こす。寝起き直後から呼吸が荒い。今までとは大分違ったが、これも相当心臓に悪い悪夢だ。できれは二度とあんな夢は見たくはないよ。
「……六時半か」
毎度毎度悪夢を見るたびにこの時間に起きている気がするな。ま、丁度いいから構わないのだが。
「んっ……飯食うか」
俺は寝巻きから制服に着替え、下へと降りていく。リビングでは、いつも通りお袋がテレビを見ていた。
「あ、守仁おはよう」
「あぁ、おはよう」
朝食を食べながらテレビに目を向ける。またなにかあったらしい。
『昨夜未明、今月十八日、――県――市で起こった殺人事件の犯人、眞田武容疑者が逮捕されました。また、その後の供述で十九日の事件も自分がやったと自供したもようです。では、続いてのニュースです――』
犯人が捕まった。これは俺からしてもとてもありがたい。この町から危険分子が居なくなったって事は、余計に警戒する必要がなくなるのだから。まぁ、俺がその警戒をしていたかと言われれば即答で否なのだが。
「ま、犯人捕まったの? よかったわね、美咲ちゃんに何事もなくてね」
その言葉を聞いて、俺の脳にズシンと何か重いものがのしかかったような感覚が襲う。今までとは桁違いに大きい違和感。俺はこれを見逃すような事はできなかった。
「ん? なんでそこで美咲なんだ?」
お袋は俺の言葉を聞き、首をかしげ、本心から訳がわからない、という表情をした。
「美咲ちゃん? 私そんな事言ったかしら……?」
「は……? いや、俺の聞き間違いかもしれない。今の質問はなかったことにしてくれ」
「え? え、えぇ……」
本人は言った事に気が付いていない? この事実が俺の中の違和感を更に大きなものとする。膨れ上がる違和感。しかしこの違和感の先の答えを導き出す為には今の状況では情報が少なすぎる。言っている事は普通の筈なんだよな。別に息子の彼女を心配して何がおかしいっていうんだ。あぁ、その通りだ。
俺が食事を終え食後の珈琲を飲んでいる頃、美咲が迎えに着た。俺は珈琲を一気飲みして急いで玄関へ向かう。流石に待たせちゃ悪いからな。
「守仁君おはよー!」
「あぁ、おはよう」
今日の美咲も元気一杯だ。俺達は当然の様に手を繋ぎ通学路を進んで行った。他愛も無い会話を繰り返し、俺達は学校に着いた。いつものように手を繋いだまま教室へ入る。毎度毎度クラスの連中が野次を飛ばしてくるのだ。どちらかと言えば勘弁してほしい。付き合いたての頃に一度美咲に『学校着いたら手を離さないか』と言った事があった。すると奴は涙目で『なんで?』って言いい出したんだよ。こりゃ無理だな。って瞬時に悟ったよね。それ以来俺は諦めて野次を受け入れる努力をする様になった。きょ、極力。
「あ、そうだ今日遊びに行っても良い?」
俺が席に着いた時、突然美咲がそんな事を言い出した。朝から放課後の話をするんだな君は。まぁ、俺の答えなんて決まっているんだけども。
「別にいいよ。にしても気が早くないか? まだ一時間目も始まってないけど」
「もし万が一にでも守仁君に予定を入れられたら困るからねっ!」
「本音を言うと?」
「えっ? 今日授業あんまり面白くないからご褒美つけて今日一日頑張ろうかと思って」
「よしよし、素直な良い子だ。よーしよし」
「えへへ……」
まんまと本音を言わされた事に気が付かず、頭を撫でられた事に意識が行っている美咲。俺からすると面白いし可愛いから何でもいいんだがな。美咲は俺が撫でるのを止めると、少し静止してから思いついたかの様に喋りだした。
「あ、あぁー! ナデナデで誤魔化そうとしたなー! もー!」
「い、いや、何を誤魔化すんだ?」
「もー! ずるいんだよっ! このこのっ!」
俺の言う事も聞かずに美咲は俺の脇腹をくすぐり始めた。実は言うと俺は脇腹がとても弱い。突付かれるだけで反応しちゃう位弱い。だから今凄くヤバイ。
「ちょ、み、みさきっ!? や、やめて……く……くはははははっ! やっ、やめてーっ! くすぐったい! ぎ、ギブ! ま、参った……!」
「ふっふっふ……そのくらいじゃ私の私服は肥やされないのだよ!」
え、私服を肥やすの? 傷ついた心は癒されないとかそう言うのじゃないの? 俺の必死の抵抗に聞く耳持たずに美咲は俺をくすぐり続ける。ちょっと本気でやめて欲しい!
「わ、わかった! な、何でも言う事聞くから! 何だって聞くからっ! だ、だからっ! やっやめて……!」
美咲の動きがピタリと止まった。自分が望んでいた答えが聞けたのか、美咲は何気に悪い顔をしていた。俺はそんなことよりもこの状況から回避された事に歓喜していて気になどしていられなかった。
「ふぅ……助かった……」
身体が美咲の魔の手から開放され、俺はやっと一息つく事ができると思った。しかし、現実はそう甘くない。
「美咲ー? イチャイチャするのは良いけど次体育だよー」
「あ、そうだっけ!? すぐいくー!」
「うそ……だろ?」
美咲が教室を出るのと同じタイミングで俺は膝から崩れ落ちる。嘘だろ。これから体育だと? つかホームルームどこ行ったの。え、もうやった? なに、お前ら俺が死にそうになってるのにのん気にホームルームなんて進めてたわけ? 引くわ、引きまくりだわ。
「あれで死ねるなら本望だろ? な、死んどけって」
「そうだな。それがいい」
誰一人として俺の味方はここに居ないらしい。次々に頷きながら教室を去っていく。実は言うと俺も着替え終わってるので教室を出る。
体育は男女別だ。だから俺は美咲と離れ、少しは休めると思ったんだ。だが、そんなものは淡い幻想だった。
「はぁ……なんだこれ……」
冬場の体育は校庭での持久走だった。しかも今日に限って十キロとか言い出した。どこのマラソン大会だよ。
「なんで十キロも走らないといけないんだよ……めんどくせぇ」
つらいのはつらいんだが、別に俺は運動神経が悪いわけじゃない。大体人並みにはこなせる。だから別に十キロくらいどうと言う距離ではないのだが。今校庭に何故かはわからないが女子が居る。女子の方の体育の担当と、こっちの担当ががっちり握手している。あんたらは何を考えているんだ。
「守仁くーん! 頑張ってー!」
美咲の声が聞える。あぁ、そうか。そういう事ね。
「おうっ!」
女子達は各々男子を応援している。まぁ、大体が各個人ではなく『男子』として応援されるのだが。幸い俺には美咲が居る。ここで無様な姿を見せるわけには行かないってね。
「奏真くーん? 美咲の前でかっこ悪い姿見せないでよー?」
「あははっ! そうだそうだ! がんばれー!」
などと美咲と仲の良い女子が俺に野次なのか応援なのかを飛ばしてくる。その台詞で俺の心に更に火が点いた。
「ふっ、ふっ……見てろよてめぇ」
どうやら俺は本気になってしまったらしい。一人、また一人と俺を見捨てた男共を抜き去る。男達は女子の前だから、と言うのと俺に抜かれた、と言うので躍起になって俺を抜こうとして速度を上げてきた。
「はっはっは! 甘いんだよ、馬鹿者共がっ!」
俺はよくわからん挑発をしながら走る速度を上げる。後ろから必死に俺に追いつこうと走る男共。
「うおおおおおおおおおお!! アイツにだけは負けられるかぁぁあああああああ!!」
「追いついてハッ倒してやらぁぁぁああああ!!」
男共は俺の挑発が相当頭に来たらしく、俺に追いつくという執念を大声で叫びながら迫ってきた。まぁ追いつけないんだが。
「そんな余計な体力使ってていいのかお前ら?」
と、俺は迫ってくる奴等に吐き捨て速度を上げた。俺の後ろに居た奴等は、次々に驚きの声をあげて次々に俺を追う事を諦めた。
「なんだ。気がついたらもう先頭か」
抜いては挑発、抜いては挑発、を繰り返して走っていたら気がつけば俺は先頭を走っていた。何人かの運動部が俺の少し後ろについて来てはいるが、これ以上速度を上げるのは無理そうだった。
「よし! ラスト一周! 頑張れお前等!」
そう担当が叫ぶ。それを聞いて俺の後ろに居た連中が次々に速度を上げる。最初の頃に俺に追いつこうと必死だった連中も、ただ単純にこの持久走が終る事が嬉しいのか、速度を上げる。
「…………」
周りが速度を上げた事を確認して俺は何も言わず、一気に速度を上げる。全力疾走、今残っている体力を使い切っても構わないと言わんばかりに俺は走った。
「えっ、ちょ、奏真速くないっ?」
「奏真君ってあんなに運動神経良かったんだ……」
「ちょ、ちょっとカッコいいかも」
「ふふんっ。守仁君は凄くカッコいいんだよっ!」
女子の所を通り過ぎる時に何かを言っていた様だが、ぶっちゃけ本気過ぎて聞き取ってる余裕が無かった。でもなんか美咲が偉そうにしてたのはわかった。顔で。
「よし、ゴール!」
俺は最後の一周を全力で駆け抜け、俺の十キロマラソンは幕を閉じた。なんというか、その、凄く……つらいです。
「はぁっ、はぁ、はぁ……」
「守仁君おつかれー」
「お、おぅ……」
と、美咲がタオルを持ってきてくれた。俺は受け取ったタオルを頭に乗せ、校庭にあるベンチに横たわる。走っている時はなんとなく平気な顔をしていたが、走り終わった途端に疲れがどっと押し寄せて来た。や、やばい……身体が動かん……。
「流石だねぇ、奏真くん」
美咲の後ろから立花がやってきた。立花奈緒美、一応小学校から一緒で、なんだかんだで一緒に居る事が多い。立花自身、俺を男として見てないと公言しているので美咲は何一つ心配せずに接する事ができるらしい。
「あん? 最初に俺を焚きつけたのお前だろ? 立花さんよぉ」
最初に俺に野次を飛ばしたのがコイツだ。それに周りが乗っかったせいで今の状況がある。つまりお前のせいだ立花。
「あ、バレてた? てへっ」
うわっ、あざとい……怖いわぁ……。
「そりゃわかるさ。何年一緒に居ると思ってんだよ俺達三人」
「ははっ、そりゃそうだ」
「でも守仁君かっこよかったよー?」
「まさか私もあそこからぶっちぎりで一位になるとは思ってなかったよ」
「……そうかい」
まぁ、最初俺はどちらかと言うと後ろの方に居たからな。あそこから先頭にでれるとか誰も思わないだろ。俺でさえ思っては居なかったんだし。
「そぉぉぉぉぉぉぉうぅぅぅぅぅぅぅまぁぁぁあぁぁああぁぁ……」
俺達三人が仲良く談笑していると、どこからか、低く、なんか凄い嫌な予感がする声が聞えてきた。しかし、生憎今の俺は動くことができない。もうちょっと休めれば別なんだがな。今そんな事言っても仕方ないか。
「ぷぷっ……ちょっとみなよあれ」
笑いながら立花が指差した方向、そこには……
「てめぇの血は何色だぁぁあぁぁぁあぁぁああ……」
ゆらり、ゆらりとゆっくり迫ってくる男達。何故こいつ等はここまで俺に執着するのだろうか。俺が挑発したからか。まぁ、そりゃそうだわ。……俺、死んだかも。
「…………」
言葉など出なかった。只迫ってくる男達を眺めているしか俺には出来なかった。しかし、突然二つの影が視界を遮る。
「お前ら、やるなら正面から正々堂々やらんかぁ!! まぁ、お前らが……どうしても、と言うなら」
一人は腰につけている竹刀の先を地面につけ、一人は指の骨を鳴らし、男共に睨みをきかせ、
「「俺達が全員まとめて相手をしてやろう」」
俺の目の前に現れたのは体育の担当二人。この二人はとても強い。俺達の担当は、剣道八段位で、女子の方の担当は空手七段だっけか? まぁ、確かそんなもので、この二人はとてつもなく強かった。そんな二人の強力な助っ人のお陰で俺は何とか生き延びる事ができた。
「ありがとうございます。先生」
「はっはっは! 今日は中々面白いものを見せてもらったからな!」
「これ位はな!」
何とも頼もしい二人だった。俺はこの時、なんとしてもこの二人は敵に回したくないと思った。これからも気をつけないとな。
しかし、この後の俺は酷かった。一時間目で体力を全て使い果たしてしまい、二時間目からに回す体力が残ってなかった。
「先生、保健室に行かせてください」
そしてそんな俺に残された最後の選択肢。保健室に逃げて昼まで寝る。だが、世の中そんなに甘くはなかった。体育の後で疲れたから寝かせろとか許される訳がないよ。まぁ、そりゃそうだよな。
「と、言うわけで保健室に行ってくる」
ニ時間目が終わり、休み時間になった直後に俺はそう言い残して教室を去った。
「……授業中寝てたしあんまり意味ないけどさ」
堂々と寝て起こされるより、保健室で寝て減点の隙を突いて寝たいんだよ俺は。
「失礼しまーす」
俺が保健室に着いた時、先生は居なかった。よし、さっさと寝るかな。もう疲れたよ……バルディッシュ。
「って誰だよバルディッシュ。かっこいいなオイ」
なんで俺は一人でんな事してんだよ。こえーよ。よーし、今度こそ真面目に寝る。おやすみなさい。