一巡目 最終日
【十二月二十四日 土曜日】
そして、約束の日。
約束の場所に美咲はやってこなかった。
いくら待っても美咲はやってこない。
連絡も通じない。
夜まで待ったが美咲は約束の場所に現れなかった。
――この日の朝、俺の家の隣で一家惨殺事件があったらしい。
【十二月某日】
実感が湧かない。美咲の遺体が眠る木棺を前に皆が涙を流す。もちろん俺の両親だってそうだ。クラスの連中も、俺の知らない美咲の親戚だって涙を流す。それらに比べて俺はどうだろう。ただ表情を変えず、涙も流さず、美咲の顔を見る事も出来ずにただ呆然と立ち尽くすだけだ。
涙が出ない。頭の中では幾つもの思い出がフラッシュバックしているのに、何度思い出をループしても涙が出てこない。何故なのだろうか。いくら考えた所で答えは出ない。
葬儀の帰り道、俺の頭の中にはある言葉が延々と巡っていた。
――もしも美咲が死ななかったら。
そんな事を考えても仕方が無いのはわかっていた。『もしも』なんて考えた所で所詮は幻想。あの人形も言ってたじゃないか、『世界は一つ』だと。全ては可能性であって現実ではない。それでも俺は諦め切れなかった。どうしても『もしも』を祈ってしまう。そして俺は一人家へと帰った。両親はまだやる事があるそうだ。
「――やあ、やっと会えたね」
俺が家に帰り、部屋のドアを開けた時、ファネッサと名乗るあの男が居た。
「ファネッサ……ピエルクリフ」
「あれ、覚えててくれたんだ。まぁ、僕の予想では尻餅くらいついてくれると読んでたんだけどな」
なぜだろう。不思議と落ち着いてる。
「なんだかこんな事がありそうな気がしてたのかもな」
もしかしたら本当に何かあるのかもと思っていたのかもしれない。だから俺はあそこまで祈るという行為を続けることができたのかもしれない。
「そう、じゃあとりあえず僕が君の前に居る理由を教えてあげる」
そう言ってファネッサは懐から一枚の紙を取り出した。赤い魔方陣の描かれた紙。紙の端には俺が指を切った時の血痕が残っており、魔方陣はそこから描かれたようにも見える。というかあれはお前のか。
「あぁ、この魔方陣は君に思っている通りだよ。この魔方陣は君の血で描かれている」
俺の心を読むんじゃない。いや、聞えているんだっけか。ってどっちも駄目だろ。
「俺は血でそんな痛々しいものを描いた覚えは無いんだがな」
「そりゃそうだよ。これはこの紙が勝手に描いたんだからさ」
俺が黙っていると男は「ちょっと長いかもね」と言い、説明を始めた。
「僕が君の前に居るのは今月の初めに君があの紙で指を切ったからだ。あの紙に付着した血によって君は一つ可能性に触れる事ができる。その可能性を与えるのが僕って事。あ、そういえば君は昨日エルネ様に会ったんだよね? クイ・エルネリア様」
どうやらこれが夢でない限りは昨日の出来事は現実のようだ。
「……あぁ、会ったぞ。パラレルワールドがなんだとか言ってた」
「なら話は早いね。僕達は契約者に可能性を与えるのが役目なんだ。わかりやすく言うと、別の世界へと導くって感じかな?」
「別の世界に導く? この世界は一つなんだろ? だからパラレルワールドの事を可能性と呼ぶんじゃないのか?」
「そう、この世界は一つだよ。それは変わらない」
「じゃあどうやって別の世界に行くんだ?」
「――そんなもの創り直せばいい」
ファネッサがそう言った時、俺は何も言えなかった。この男の瞳の奥底に身を潜めている闇が一瞬伝わってきた気がして、それに対する恐怖で俺は動く事すらできなかった。
「創り直すって言うのは、わかりやすく言うと、まずここに三角柱の容器に入った水があるよね」
そういってファネッサは懐から水の入った容器を取り出した。
「そしてもう片方の手には立方体の容器。そして三角柱の方に入っている水を立方体の容器に入れる」
ファネッサが容器から容器に水を移した。見た感じでは、三角柱のが小さそうに見えたのだが、移してみると、水は一滴として漏れる事はなく、かと言って量が足りていないと言う事もない。つまりこの二つは同じ質量って事になる。あぁ、その容器が世界って感じか。中々新しい考え方だな。
「内容量を変えずに形を変えるって事か」
「ご名答! あぁでも、魔法とか超能力とかそう言うこの世界のキャパシティを超えるようなものは無理なんだ。容量が足りないからね」
この点はパラレルワールドの一般論とは変わらないんだな。なんかホッとしたというか何と言うか。
「今のこの世界はね、一つ一つの小さな球体の集合体なんだ。それらの関係性を変える事によって世界を再構築する。関係性を変える事によって時を少し戻したり、死んでしまった人を死んで居なかった事にする事もできるんだ」
死んだ人間を死んで居なかった事に……。
俺の表情は大分わかりやすかったらしい。ファネッサは全てを見抜いた様な顔をして話を続ける。
「……君にはやり直したい過去があるかい? 僕は君にやり直すチャンスを与えに来たんだ」
これがそう簡単な事じゃない事はわかっている。しかし俺は、どんな代償を支払ってでも、美咲を助けたかった。あの楽しかった日常を取り戻したかった。
「答えなんて最初から決まっている。当然イエスだ」
なんの躊躇もなく答えた。美咲の為だったらなんだってやってやる。
「良いのかい? 僕はまだリスクについては何も説明してないんだよ?」
「んなもんこれからすればいいだろ?」
俺の言葉にキョトンとするファネッサ。そして少しすると顔を綻ばせた。
「良いね、面白いよ君。流石エルネ様が気にかけるだけの事はある」
「そういや結局お前達はなんなんだ?」
俺は思っていた事を聞いてみた。突然現れて、可能性だとか世界だとか言われてもいまいちよくわからなかった。
「久しぶり。僕の名前はファネッサ。ファネッサ・ピエルクリフ、道化師だよ。そんでもってエルネ様は僕達の王様。まぁ多分知ってるよね。それよりも君が知りたいのは道化師についてだったっけ?」
その通りだ。いきなり私達は道化師だ、なんて言われても理解が追いつかない。出来る人間は関係者か、相当頭のネジがぶっ飛んでる奴だけだ。この状況で落ち着いていられる俺も既にネジ飛んでるのかもな。
「僕達道化師はあるものを集めているんだ。これは言えないんだけどさ、まぁ一応それを集める為に君達人間を利用してるって感じさ。可能性と言う交換条件でね」
あるものを集めている。それは俺達人間からしか集める事ができない。やはり裏がある事に変わりは無いようだ。かと言って俺には関係ない。美咲の為になんでもすると決めたのだから。
「……へぇ」
「興味無さそうだね。聞いてきたの君なのに」
「あぁ、なんか聞いても俺結局選択を変えないしさ。思えばどっちでも良いかなって」
「うわーぶっちゃけたね君。流石だよまったく……」
呆れ顔のファネッサ。流石に今回は俺が悪かったと思っている。言わないけど。
「はぁ……まぁいっか。じゃ! とりあえず始めようか」
そう言ってファネッサは懐から拳銃を取り出し……俺に向けた。
「さ、レッツゴー」
のん気な掛け声と共に引き金を引く。銃声を聞く暇もなく、俺の意識は途切れた。




