Revival Hero
01
幼い頃に夢見たヒーロー。
悪と戦い、世界を守るヒーロー。
僕はヒーローになった。
そこには胸踊る物語が待っているはずだった。世界のために戦い、悪を倒して弱き者を守る。それこそがヒーローで、僕自身、ヒーロー物の特撮を見て、ずっとそう思い信じてきた。
「なんだ……これ……」
目の前にいるのは、巨大な目玉の化物だった。小さな家ならまばたきだけで壊してしまいそうな目玉の化物が浮かんでいる。黒い皮膚(?)からは無数の触手が伸び、それらの先端には鋭い刃がきらめていている。目玉は不気味に漂いながら、僕をまじまじと見つめている。
「なんだよ……これ……」
この世界に踏み込む前までは、ただの人間にしか見えなかった。化物が人間に擬態しているだけだとは知っていたのだが、しかしこれほどまでの化物だとは想像もできなかった。
僕の後ろには擬態した化物に襲われていた女性が、頭を抱えてうずくまって静止している。今この世界で色を持ち、体を動かすことができているのは、僕と目の前の化物だけだ。
いや、もうひとりというかもう一匹というか、後ろの女性の頭の上で無表情で僕たちを見ている、出来の悪いうさぎのぬいぐるみのような、不気味な生物のようなものがいる。
「どうしたんだい? 戦っておくれよ。きみはただの人間じゃない。この世界を守るヒーローなんだから」
ヒーロー。
その言葉が聞こえて、僕はもう一度自分の姿を見た。そこには純白のヒーロースーツを着ている自分がいた。
かつて見たヒーローには、こんなカラーリングのヒーローはいなかったように思う。関節部分に金の装飾が施され、かなり高貴な印象を受けるスーツだ。武器は何もなく、僕の肉体こそが武器だ。
これこそヒーローだ。
しかし、僕の体は動かない。
「きみが戦わないと、みんな死んじゃうんだよ?」
うさぎは平然とそんなことを言ってのける。僕がどれだけ怖がっているかも知らずに、いや、知っていてなお、平然としているんだ。
拳を握ると、じっとりと汗をかいていることがはっきりとわかった。
怖い。
怖い。
「ぐぎゃあああ!」
目玉の化物から触手が伸びてきていて、気づけば僕の体はズタズタに裂かれていた。かわすことも、いなすことも、受けることも、とにかくあらゆる対応ができないまま、いつの間にかやられていた。
「あ……がっ――」
痛い。
怖い。
こんなはずじゃなかった。ヒーローっていうのはもっとカッコ良くて、敵を華麗に倒すんだ。苦戦することがあっても、彼らは決して――負けない。
負けないんだ。
02
友達とケンカをした。それは珍しいことではなくて、僕はことある毎に些細なことでケンカをした。イラつきを収めることもできずに二階の自室に駆け上がり、カバンをベッドに投げる。なんとなく片づけそびれている黒いランドセルが目に入り、少し前まで通っていた小学校の思い出が蘇ってきた。中学生になったからといって、すぐに何かが変わるわけではないのだと、そんな当たり前のことになんとなく気づいて、なんとも言えない気持ちになった。
「何か面白いこと、ないかな」
そんなことを呟く時、僕はいつも決まって同じ妄想をした。世界に突然モンスターが現れて、自分が颯爽とそのモンスターたちを対峙していく物語。そこには剣や魔法があって、僕は剣で敵を斬り倒していく。
非現実に憧れていた。
剣と魔法――ファンタジーの世界に憧れていた。
どうしてこの世界はこんなにも平凡なのか。それが不思議でしかたなくて、そして、どうしようもなく腹立たしい。もっと刺激的なことがあってもいいじゃないか。
「もし敵がいたら、僕が倒してやるのに」
「本当かい?」
その声は、唐突にして自然に、僕の耳に届いた。
「え?」
声は確かに聞こえていて、しかもそれは部屋の中だった。後ろを振り返ると、特撮ヒーローのイラストシートが敷かれた勉強机の上に、出来損ないのうさぎのぬいぐるみのようなものがあった。
こんなものを買った記憶なんてないし、こんなデザインのぬいぐるみはこれまで見たこともない。不気味で不細工なぬいぐるみだ。
「本当に、敵を倒してくれるのかい?」
うさぎのぬいぐるみの右側は黒く、左側は白い。機械を思わせるようなカクカクとしたデザインのそのぬいぐるみは、確かにその口を動かしてそう言った。
「な……なんだ……」
突然舞い降りた非日常に――それを求め続けてきたはずなのに、僕の思考はうまく安定しない。
「質問に答えてよ。きみは世界を守るために戦ってくれるのかい? それとも戦ってはくれないのかい?」
うさぎは二本足で立ち上がり、人間のような動作で歩いた。そして机の端まで来ると、じっと僕を見上げた。無表情なぬいぐるみの顔は、その見た目と相まって、かなり不気味だ。
「敵って?」
僕の頭に浮かんだのは、特撮物の敵だった。たくさんの手下を連れていて、手下は弱く、そのボスはやたらと強い組織の幹部。
「人を襲う悪いやつさ。普段は人間に変装してるんだけど、実はそれは人を油断させるためのもので、近づいて人を襲うんだ」
「悪いやつ?」
悪の組織でもあるのだろうか。
「ああ、そうさ。だから誰かがそれらと戦って、人々を守らなくちゃいけない」
うさぎは無表情にそう言った。
「いいよ。僕が戦う」
これはチャンスだ。この退屈な日常から脱出し、待ち望んだ非現実の世界に行くことができる。しかもヒーローとして、だ。僕が憧れ続けたヒーローとして、悪と戦うことができる。
「良かった! ちょうど今も人が襲われているんだ!」
「え? なんだって!」
うさぎは無表情だが、それでも焦っていることが伝わってきた。うさぎは窓枠に移動して、またこちらに向いた。
「詳しい説明は移動しながらするよ。きみはとにかく、すぐに外に出てきてくれ」
「わ、わかった!」
状況はさっぱり理解できていないが、これが僕のヒーローとしてのデビュー戦だということは理解できた。
制服のまま部屋を飛び出し、階段を駆け下りてお気に入りのスニーカーを履いて外に出た。うさぎは門扉の上に立っていて、僕が出てきたのを確認するとぴょんぴょんと跳ねた。そして僕に向かって跳躍し、頭の上に乗った。
「早く早く!」
うさぎに急かされ、僕は走った。
「ぼくたちは敵のことを〝ビースト〟と呼んでいる」
「〝ビースト〟?」
それは英語で、獣という意味だったはずだ。
「〝ビースト〟はまあ正体不明の敵でね、何が目的なのかも――実はよくわかってないんだ」
「正体不明?」
「そ。で、とにかく襲われるのは困るから、ぼくたち〝サーチャー〟がヒーローに相応しい人物――つまりきみのような人を探しているんだ。っと、そこ右だよ」
僕のような人間。
ヒーローに相応しい人物。
「で、僕はどうやってその〝ビースト〟ってのと戦うんだ?」
今の僕は制服を着ているだけの、ただの中学生だ。その〝ビースト〟というものと戦う武器もないし、制服で戦うのはそもそもヒーローっぽくない。この際特撮ヒーローでなくてもいいから、戦闘用の服や装備は欲しい。
「それに関しては心配しなくてもいいよ。とにかく走ってくれ。その角を左だ」
「……わかったよ」
細い道を抜け、この辺りでは広い部類に入る道に出た。辺りに民家はあまりなく、ちょうど通り道としてだけ整備されている場所だった。
「あそこだよ!」
うさぎが頭の上で指を指す。指差す先には若い女性を襲う男がいた。女性は持っていたカバンで男を殴っているが、男のほうは構わずに女性に手を伸ばして掴みかかろうとしている。
「あの男が〝ビースト〟だよ! はやく駆けつけてあげて」
「わ、わかった」
わけがわからないし、どうやって戦うのかもさっぱりわからないし、そもそもどう見ても人間にしか見えないけれど、僕はふたりの元へ走った。いい加減息は上がっているし、体力的にもつらいものがあるのだが、ヒーローたるものそんなことは言ってられない。
「おい!」
すこし離れたところから、僕は思い切り叫んだ。ふたりの視線がこちらに集まり、男は憎らしそうに僕を睨んだ。
「ガキはすっこんでろ!」
男が叫ぶ。擬態は言葉にも及んでいるようだ。
「いいかい? きみはこう叫ぶんだ」
うさぎが僕の耳元にささやきかける。それは確かに日本語なのだけれど、よく意味のわからない言葉だった。難しい言葉がいくつも並んでいて、知らない言葉があまりにも多すぎた。
「どういう意味?」
「いいから早く」
僕はうさぎに言われた通り、その意味はわからないままにその口上を口にした。
瞬間、世界は僕を中心に色を失っていった。白と黒だけで世界が再構成され、色を持っているのは、僕と――
「なんだよ……あれ……」
男が立っていた場所、そこにいるのは巨大な目玉の化物だった。その化物は目玉が本体で、無数の黒い触手が目玉から伸びている。その触手の先端には刀剣のようなものがあり、それで僕を攻撃しようとしているのは考えるまでもない。
「あれが〝ビースト〟だよ。そして今のきみの姿を見てごらん」
そう言われてはじめて、僕の着ている服が制服ではないことに気づいた。
特撮ヒーローが着ているような、ぴったりと体にフィットするヒーロースーツを着ていて、しかもその色は純白。手首や肩などの関節部に金色の装飾があって、高級そうな印象を受ける。
「スノウ。ヒーローとしてのきみの名前だよ」
03
「やめろ! 痛い! 痛い!」
純白のヒーロースーツは、いつの間にか血で真っ赤に染まっていた。全身どこにも痛みのないところがない。
「ぎゃあああ!」
くっそ! こんなはずじゃなかった! 痛い! 痛い痛い!
もうあの〝ビースト〟と呼ばれる目玉の化物が、どういう攻撃を僕に仕掛けてきているのかわからない。ただただ痛みだけがどんどんと増幅し、僕の思考を、意識を、戦意を奪い去っていくばかりだ。
死ぬ。
これは絶対に死ぬ。
ヒーローとかいう以前の問題だ。この〝ビースト〟とは戦ってはいけない。人間が戦って良いような相手じゃない。
「寝言を言わないでくれないかな?」
混沌とした思考の中、うさぎの声だけははっきりと聞こえた。
「ヒーローは人間じゃない。ヒーローはヒーローさ。人間が戦うべき相手じゃないから、ヒーローが戦っているんだ」
冷たい目で僕を見下ろす――否、見下すうさぎに手をのばす。その手には無数の赤い川があった。
「生きたいかい?」
うさぎが言う。
「……たい」
「なんだって?」
「生きたい!」
叫んだ。
それが最後の力だった。
叫んだ後に、また体を触手が貫いて、人のものとは思えないような声が出た。自分もこんな声を出せるんだなと、どこか冷静な自分が思った。
「なら勝て」
04
「だらしないな」
モノクロのうさぎは人の原型を保っていない、もはや肉塊となった元ヒーローを見下ろしてため息をついた。
目玉の化物はその肉塊から、そのウサギへと標的を変更した。うようよと、剣を装着した触手がうさぎを取り囲む。絶体絶命の状況の中で、うさぎは焦った様子もなく、ただその場でじっとしている。
「いい加減に戦えよ」
うさぎが呟く。
瞬間。
うさぎを取り囲んでいた触手がその場に、ぼとり、と落ちた。触手から吹き出した血がうさぎに降り注ぎ、モノクロのうさぎは赤色に染まった。落ちた触手はビチビチと地面をはね、本体の目玉は真っ赤に充血している。
「うおおお!」
鮮血の海の中に立っているのは、漆黒のスーツに身を包んだひとりのヒーローだった。マスクの奥では狂気さえ感じられる、鋭く剣呑な光が輝いている。
黒のヒーローは〝ビースト〟との距離を一気につめ、その巨大な血走った目を殴りつけた。ぶちゅっ、という水音がしたと同時、殴ったところから血が吹き出した。眼球がどんどんと茶色く変色し、最後には動かなくなった。
黒のヒーローは拳を目玉から引き抜き、うさぎに向き直った。
「お疲れ様。スノウ――いや、今はダーカーと呼ぶべきかな?」
「僕は……死んだんじゃないのか?」
彼は確かに何度となく触手に貫かれ、断末魔の叫びと共に絶命した。そしてただの肉塊になりさがった。はずだった。にも関わらず、彼は今こうして立ち上がり、〝ビースト〟を倒している。
「死んだ?」
うさぎは不思議そうに首をかしげた。
「死ぬわけないじゃないか。ヒーローは不滅だよ。不滅だからヒーローなんだ」
無表情なうさぎは、やはり無表情に元人間を見上げる。
「きみはひとりでふたり。死ねば死ぬだけ強くなる――不死身のヒーローさ」
05
世界は色を取り戻し、襲われていた女性は何度も何度も僕にお礼を言って、逃げ出すようにこの場を去っていった。そこには男も化物も、どちらの姿もなく、学生服を着た中学生――つまり僕がいるだけだ。
達成感も何もあったものじゃない。
いつの間にか終わっていた。
いつの間にか死んでいて、いつの間にか敵を倒していた。
そんな間抜けなヒーローはいない。
「あいつ……〝ビースト〟はどうなった?」
「きみが倒したんじゃないか」
「そうじゃないよ。こっちに帰ってきたら消えてるじゃないか。〝ビースト〟の死体だったり、擬態してた男の死体だったりがあってもいいはずなのに」
なのに、死体どころか、女性にはその記憶さえもなかった。道を歩いていたらトラブルがあって、それを僕がなんとかした――そういう認識だった。男に襲われていたことを完全に忘れている――なかったことになっている。
「〝ビースト〟ってのはそういうヤツなんだよ。だから人間が敵対者にはなれない」
僕が今も〝ビースト〟を知っているのは、僕がヒーローだからということだろうか。
「〝ビースト〟は一般人には認識できないんだ。だからヒーローが戦わなくちゃいけない」
つまりヒーローの存在さえも――認識されない。
賞賛が欲しいわけではないけれど、それはとても悲しい事実だった。ヒーローとして戦っても、それを知るのは自分だけで、どこまでも孤独な戦いだ。
「ヒーローってのは孤独なものだよ。最近の特撮は必ずしもそうじゃないみたいだけどね」
「昔だって孤独じゃなかったと思うけど」
「そうかい? それでもきみは孤独なんだよ。いいじゃないか。理解者がいないなんて、とってもヒーローめいてる」
その理屈はよくわからない。
「で、どうなんだい?」
「どう、とは?」
「これからもヒーローであり続けてくれるのかい?」
ガードレールに座るうさぎが僕を見上げる。それはやっぱり無表情で、何を考えているのかわからない。もしかしたら本当に何も考えていないのかもしれないけれど、さすがにそんなことはないだろうと思う。そうであってほしい。
どう返事をするべきなのだろう。
このままヒーローになっても良いものなのだろうか。しかしこんな現実を知っても、また現実に戻ることができるのだろうか。いざ戻ったとして、そのままのんきに生活できるだろうか。
「僕は――」
そうやって悩んだふりをしてみたところで、まあ、あんまり意味は無いだろう。
「――ヒーローを続けるよ」
「死ぬかもしれないよ?」
「今日も死んだ」
「誰にも感謝なんてされないぜ?」
「身に覚えのない感謝なら、さっき一応してもらった」
「本気だね?」
「うん。僕がこの町を守る」
うさぎもうなずいて、あまり長くない手を僕に差し出した。その手を取って、固く結ぶ。
「よろしくね、スノウ」
「こちらこそ」
「うん。じゃあ、もう一回さっきの口上を」
「……? わかった」
理由はよくわからなかったけれど、ひとまずあのよく意味のわからない口上を言い終える。世界の色は失われ、僕はまた白いスーツを身にまとう。
「前方四百メートル先に〝ビースト〟だ。さっそく倒しに行こう」
「了解」
〝ビースト〟がいるところにスノウあり、なんて、そんなことを言われる日が来るのだろうか。無論来ないわけなのだけれど、思うのは自由だ。
今まで知らなかった風を感じながら、〝ビースト〟のところへ走る。まだその姿は見えないけれど、どうせまたグロテスクな外見なのだろう。
「さあ、さっきのは練習試合ってことにしよう! これが本番だ。スノウ」
「任せろ!」
威勢よく言ってみたけれど、たぶん、また死ぬんだろうな――諦め混じりにそんなことを思いながら、僕は拳を振るう。
お粗末さまでした。
本当はもう少しカッコ良くて、もう少しさっぱりとした、爽快な終わりにしたかったのですが、こんな形に落ち着きましたとさ。