廻らない世界
僕は時を止める力を持っている。当初僕の能力に気づいた周囲の人たちは驚き、もてはやしたが、次第に気味悪がって僕に近づかなくなった。得意顔で僕を見世物にしていた両親も、自らにまで誹謗中傷の声が浴びせられるとわかったとたん、すぐに僕を手放した。その後僕は施設を転々とし、最終的に国の管理下に置かれることになった。大人たちは、国や自らの利益のために僕を利用しようとした。ただ、僕に危害を加える大人は一人もいなかった。僕を叱る人さえいなかった。大人たちが表面上優しくしてくれるのは、自分を恐れているからだとわかっていた。
時間の止まった世界にいるのが好きだった。そこは僕だけの世界。僕は考える。生きる意味ってなんだろう。富を得ること?社会で成功すること?自分の夢を叶えること?そんな地上的なものは死の前に無価値だ。それでも社会は人の注目を死からそらせる。大人たちも死から目をそらし、その前に転がっているゴミを集めるのに夢中になっている。大人は嫌いだ。地上的なものに縛られる事が大人になるということなら、僕はこのまま時を止めて子供のままでいたい。みんなつまらない。だから僕は時間の止まった世界にいるのが好きだ。つまらないやつらのために、時計の針を動かしてあげる必要なんかないんだ。
生きるってなんだろう。時の止まった世界にいる僕は生きているのだろうか。生きることが死に一歩一歩近付くその歩みだとしたら、時の止まった世界にいる僕は生きていない。死ぬことが僕の精神がなくなることだとしたら、時の止まった世界にいる僕は死んではいない。生きてもいないし死んでもいない。そんな世界にいる僕の存在理由って何なんだ。生きる意味を見つけることと、生き甲斐を見つけることは似てるようで全然違う。生きる意味とは僕の存在理由であり、生き甲斐とはそれのためになら生きられるもののことだ。僕にはそのどちらも欠けている。からっぽだ。だから僕は時々時計の針を動かして、その両方を探してみる。
うすうすはわかっていた。生きる意味と生き甲斐、その両方を兼ね備えたものがなんであるかを。からっぽの僕を満たすことのできるものがなんであるかを。それは愛と呼ばれるもの。それは一人では得ることのできないもの。愛が何か、考えることは一人でもできる。でも心は乾いたまま。その答えは愛することでしか得られない。そんなことを考えていたとき僕は彼女に出会った。
彼女は美しかった。地上的なものを持たない芸術と同じであった。彼女は音楽であった。彼女は絵画であった。彼女は唯一、僕の時間を止めることのできる人間であった。僕は彼女を愛さずにはいられなかった。やっと見つけた生きる意味。心の渇きを潤すために僕は彼女を求めなければならなかった。そうでもしなければ僕の絶望を止めることはできなかった。
そして今、目の前に彼女の死体がある。血は滴らない。彼女の体は一秒も時を進めていないけれど、僕の心は永い時間を越えている。時を止めたまま彼女の前でずっと考えていた。もう考えることにも飽きてしまった。だから僕は今から自殺する。もちろん時を止めたままで。さようなら。