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刹那の破片  作者: 緑青・薄浅黄
第三章 : ブルーポピー
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『 風の友人 : 後編 』

【 フレッド 】


 ユージン様とシエルの会話が終わりをつげ、

各々の胸に宿った小さな光に目を向けていたと思う。


「シエル」


声を発したのは王様だった。

普段の温和な声ではあったが、どことなく切迫した感じがしたのは、

僕だけではなかったようだ。

王妃様をはじめ日ごろの王様をよく知る者は皆、王様の表情をうかがった。

その想いに込められたものが何であるのかを探るかのように。

そのなかで、シエルは王様の呼びかけに柔らかな声音で「はい」と答えた。



王様からの呼びかけから始まった、王様とシエルの一対一の会話は、

"僕にはついていくことができないモノだった……。

"

話し始めた数分は、僕もついていくことができていた。

それが、話題が変わるごとに王様とシエルの思考の速度が増していく。

僕が考察している間に話題が変わり、もう次の話題へと移っていくのだ。


王がシエルの思考を読み、シエルもまた王様の思考を読む。

リペイド周辺の情勢の話だったかと思えば、税収のことに話が飛び、

一転して、兵の訓練の話となったかと思うと今までの話が結びついたりと。

そうして続けられる会話に、キース様ですら追うことができなくなったのだろう。

少し顔色を悪くしながらも、悔しそうに王様とシエルを見つめていた……。

お茶会の主客だったノエルとエリーに至ってはただただ呆然として、

二人を黙ってみているだけだ。


王様らしくないと思わずにはいられなかった。なぜこのような親睦の場でと。

いつもの王様なら、このような礼に欠く無粋な行為などするはずがないからだ。

しかしその感想とは別に、王様とシエルを見ていると、

王様の気持ちが何となく分かった気がした。

王様は、前から優秀な人材を切望していた。

自分と同等の知恵を持ち、自分の知らないリペイドの歴史を知り、

この国を現在の内情と歴史の文脈から俯瞰して考えることのできる、

国を導くことのできるような人材を。

キース様やユージン様ではまだ力不足だとお二人に話されていたこともあった。

戯れに将軍がセツナ君をといっていたが、

王様はあれは規格外だから別の者をといって、笑っていた。

その別の者をシエルに見たのだろう。

シエルが、ユージン様に歴史を説明しているときに。

……いや、セツナ君がシエルを連れてきたときかもしれない。

根拠はないが……。



不意に、いつまでも続くと思われた王様とシエルの会話に、

自然と本当に自然と王妃様が割りこんだ。

王様とシエルの気配に気圧されることなく、少し頬を膨らませながら、

王様に文句をいい始めたのだ。

ふと、将軍の方に視線を向けると、将軍もまた平然とお茶を飲んでいた……。


僕と王妃様や将軍との差は何なのだろうと考え、すぐに答えが出た。

しかし、……それは、微かに痛みを伴う解だった。

乗り越えてきた場数が違うのだ……。


王妃様と将軍は、ずっと王様と共にあった人なのだから。



頬を膨らませている王妃様に、王様が笑いながら王妃様の機嫌を取っている。

王様の穏やかな目を見て、王様とシエルの会話はこれで終わるのだと思った。

しかし、王様の想いは強かったようだ。王妃様とのやり取りがひと段落すると、

シエルに向き直って、唐突に彼女へ告げた。


「シエル。私の補佐として働く気はないか?」


王様がこの言葉を告げた瞬間、王妃様でさえ息をつめて王様を見つめていた。

シエルを勧誘したことに驚いていたわけではない。

王様が発する言葉に、

断らせまいとする威圧すら漂う強い意志が籠っていたからだ。


王様の言葉に、シエルが静かに体を王様の方へと向けた。

苦しいほどの静寂の中で、彼女は自然に体を動かしたのだ。

シエルのその姿は、何者にも屈しないというような気品に満ちていた。

内心であり得ないと呟く。彼女はいったい何者だ?


国を統べる王様と同じ視点で語ることができ、王様と同じ気配を持つ女性。

セツナはいったい、リシアからどんな重要人物を連れてきたんだ。

そんなことが頭の中を巡っていた。


「光栄なお話ではありますが、お断りいたします」


まさか断るとは、いや、断ることができるとは、僕は驚きを隠せなかった。

それは、この場にいた誰もが同じだったのだろう。

首をわずかに振ったり、目を開いたり、

王妃様に至っては、口に手を当てシエルを見つめている。


「このような場での勧誘はご遠慮ください」


「そうか、確かに私の勇み足であった。では、日を改めて……」


王様が非を認めて、新たに場を提案しようとしたその時、シエルが口を挟む。


「話の腰を折って申し訳ありませんが、

 この場での話だったということを差し引いても答えは変わりません。

 私がこの国に仕えた際に機密情報が漏れたとしたら、

 真っ先に疑われることになるでしょう。

 どうしてそのような場所に仕えることができましょうか?

 ここは、私が居ていい場所ではありません。

 それは、国王様が一番、ご存知だと思います」


「そうだな。

 だが、シエルはセツナを裏切れはしないだろう」


その言葉の意味は分からなかったが、シエルには分かったのだろう。

肯定も否定もせず無言を貫いていた。

自分が何かをいうことで不利な展開になることを嫌ったのだろう。

そうとなれば、勧誘している王様が動くしかない。

王様はシエルから視線を外し、全員を見渡してから口を開いた。


「よく聞くように。皆も知っている通り、セツナはこの国の恩人だ。

 そのセツナが身元の詮索はするなと告げ。その代わり何かあった場合は、

 すべての責を自分が負うとまでいって連れてきたのが、シエルだ。

 よって、今後、何かがあってシエルを疑うようなことがあるならば、

 それは、セツナを疑うということだと肝に銘じておくように」


そういうことかと、二人を除く全員が大きく頷く。

シエルは、外部の人間であることを盾に王様の勧誘を断ろうとし、

王様は、我々のセツナ君への信頼を矛として、

シエルがセツナを貶めるようなことはしないはずだから問題ないと、

暗に切り返していたということだ。

まあセツナ君ならば、

時と場合によって機密情報だろうと何だろうと盗みますけどねと、

平然といいそうで少し怖いのだが、そのことは横に置いておこう。


何にせよこれでシエルは、

王様の勧誘を断る口実を新たに探すしかなくなったと思う。


「……ここにいる方々は、セツナに縁故のある方々ばかりです。でも、王宮は……」


「問題ない、他の者達は私の名において黙らせよう」


「強引なことをいたしますね」


少しシエルの目つきが、鋭くなる。


「我が国が、豊かになるのなら

 シエルの知識が、我が国にとって糧となるのなら

 私は、躊躇することはない」


シエルは、何かを考えるためか虚空を見つめ、そして答えた。


「……お受けいたしかねます」


「駄目か。これ以上強引に勧誘すると、

 セツナに余計なことをいわれそうだな」


王様は、ため息をつきながらいい、

シエルもため息をついた。その言葉で王様が諦めたと思い安心したのだろう。

その表情はどことなく微笑んでいるようにも見えた。


「なら、数日に一度でいい。

 私の話し相手になってはくれないか」


しかし、王様は諦めずに淡々と自分の想いを語っていく。


「私は、この国を立ち上げた初代国王の名を

 先ほど初めて知ったのだ……。

 魔物との生存争いで、失ったモノもあるだろう。

 他国との領土争いで、失ったモノもあるだろう。

 そして、私が、王位を簒奪したことで失ったモノもある。

 例え、他国に残る記録だとしても、私はそれが欲しい」


後世に継ぐべきだった歴史を失ったことによる強い罪悪感と、

未来へ繋ぐ国力の懸念を切々と説いた。


「シエル。そなたが学び得たモノを、語れる範囲で私に語れ。

 それが、未来の我が国のためになる」


シエルはそれでも即答をせず、一瞬だけ視線を委縮しきっている二人に向けた。

ノエルもエリーもそのことに気付かず、ただ顔を下に向けている。


「……ひと月に1度、

 それと、何かあった場合はそれに左右されずにうかがうという条件であれば……」


王様もシエルの視線に気が付きノエルとエリーを見る。


「……そこが、落としどころかもしれないな」


もう一度、王様は深くため息をつくと、さらに付け加えていった。


「さらに、ソフィアとジョルジュの結婚式が終わり各国の招待客が帰るまでは、

 王宮にきても、私の前に顔を見せなくともよい」


その言葉は、シエルが王様に会うことによって、

ノリスとエリーに他国からの危害が及ばないようにするためだろうと、

僕は思った。もちろん、シエルにも……。


王様の言葉にシエルも納得したのか、深く頷く。

そして、彼女は静かに立ち上がり膝を折り頭を下げ、

綺麗な礼と共に……「承りました」と澄んだ声を響かせた……。



先日のことを思い出しているうちに、

いつしか、僕たちは目的地にたどり着いていたようだ。


「シエルちゃん!」


どこか切羽詰まったようにシエルを呼ぶ声が耳に届き、

声がしたほうへ視線を向けると、

ノリスとエリーがこちらに走って来るところだった。


店の方を見るとすべての明かりが消えている。

片付けが終わっても店に戻らないシエルを、ノリス達は心配していたのだろう。


「何かあったの? 大丈夫?」


エリーがシエルの姿を見てホッとしたように息をはいてから、

怪我をしてないか確認するためだろう、

視線を頭の上から足元まで移動させていた。


「心配をかけてしまって、ごめんなさい」


「ううん。何もないならいいけど……」


ここでやっと、シエルの傍にいる僕に気が付いてくれたらしい。

エリーが軽く目を見張って僕を見た。


「あ、フレッド様」


「ノリスさん、エリーさん、こんばんは」


「こ……」


「ノリスさん、エリーさん」


ノリスとエリーが挨拶を返そうと口を開きかけるが、

シエルがそれを止めるように二人の名前を呼ぶ。

彼女に呼ばれたことで、二人はピシリと背筋を伸ばした。


そして……。

二人同時に、貴族に対する礼を取り頭を下げながら僕に挨拶を返した……。


二人のその姿に、思わず息をのむ。

いつの間に、こんなに綺麗な礼をとれるようになったんだ?


「フレッド様」


「ん、なんだい?」


シエルに名前を呼ばれハッとして意識を彼女の方へ戻すと、

彼女がどこか誇らしげな表情を浮かべながら、僕に問うた。


「お二人ともすごく綺麗な姿勢だと思われませんか?」


シエルの言葉にノリスとエリーを見ると、

二人はどこか緊張したような表情を僕に見せていた。


二人の緊張を纏った姿と顔つきに、すべてを理解する……。

ノリス達は努力して努力して……礼儀作法を身に付けたのだ、

それもこの短期間に。

ソフィアとジョルジュのために……。

ソフィア達の顔に……僕達の家に泥を塗らないために……。

彼等は必死になって、シエルに教えを乞うたのだろう。

礼儀作法をものにする大変さは身をもって知っている。


自分の店と結婚式の準備だけでも大変だろうに……。

二人の心からの行動に、僕の胸が熱くなった。


だから……。

彼等の心意気に応えるために、貴族に対する騎士の答礼をすることで、

ソフィアの兄として感謝の気持ちを伝えた。


「え?」


「あわわわ」


僕の行動に、二人が慌てたように姿勢を崩す。


「礼儀作法を覚えるのは、大変だったでしょう?」


そう告げる僕にノリスとエリーがお互いに顔を見合わせてから、

同時に軽く頷いた。

愚痴の一つでも呟くかと思ったのだが、

二人は照れたように笑いながら、別の言葉を口にした。


「でも、シエルちゃんが何度も何度もお手本を見せてくれたから」


「シエルさんが、根気強く教えてくれましたから」


二人がそういってシエルに笑顔を向けたその時、

「キュウキュウ」と鳴く声がこの場に響いた。


その鳴き声にノリスとエリーが首を傾げながら、

シエルの腕の中をそっと覗きこんた。


「わー」


「子犬?」


エリーが子犬の姿を見て目を輝かせ、ノリスは不思議そうに目を瞬かせた。


「もしかして、シエルちゃんが帰ってこなかった理由は、

 この子達を見つけたから?」


シエルは子犬を見つけたところから、

僕に声をかけられ送ってもらうことになったことを丁寧に語った。

それを聞いて、ノリスとエリーは僕に対して頭を深く下げた。

シエルを連れてきたことへの礼だろう。

そのあとに二人は、路地裏で一人でいるなんてとシエルに少し怒った。


「申し訳ありません。これからは危ないところに長居しないようにします」


その言葉を聞いて、エリーは少しほっとした表情をみせた。


「悩んでいないで、帰って来てね」


エリーは、落ち着いたことで内心を吐露したようだ。


「見て見ぬ振りもできませんでした。

 でも、連れて帰ればご迷惑になることはわかっていたので、

 悩んでしまったのです。

 これからは、御迷惑になるかもしれませんが、相談させてもらえますか?」


「うん、相談してほしいよ。私もノリスも迷惑だなんて思わないから。

 それに、こんな寒い中に捨てられたら死んじゃう……」



一通り、シエルへの説教が終わると、エリーはシエルの腕の中を覗きこみ、

小さく鳴いている子犬を見て目を輝かせた。

今まで、ずっと我慢していたのだろう言葉をエリーが口にする。


「私も抱っこしてもいい?」


シエルはそんなエリーの態度に軽く笑みを浮かべて、

子犬に巻かれてあるストールをそっと外すと、

エリーが子犬を抱きやすいように位置を整えながら差し出した。

エリーは二匹の子犬を優しく撫でてから、

青みが強い灰色の毛を纏った子犬を恐る恐る抱き上げる。

片割れの温もりが離れていくのが不安だったのかピーピーと鳴く子犬を、

エリーが胸元につけるように抱きしめた。


抱きしめられた温もりに安堵したのか、

その子犬は小さな尻尾を振って甘えるように、

エリーの顔に頭を擦り付けていた。


「うわぁぁ、かわいぃぃぃ」


感極まったような声をだし、

エリーが満面の笑みを浮かべながら子犬に話しかけ潰さない程度に、

ぎゅうぎゅうと抱きしめ頬ずりしている。

そして、その満面の笑みのままノリスの名前を読んだ。


「ノリス!」


「うん?」


「お願いがあるの!」


多分、エリーが続けるであろうお願いの内容を、

ノリスは、もう正確に把握しているのだろう。

小さく笑い声を出す。


「なに?」


「私、この子育てたい!」


「絶対、そういうと思ったよ」


「いいでしょう?」


「いいよ。この子を育てることができるぐらいの稼ぎはあるからね」


「やったぁ!」


子犬を抱いてクルクルと周り無邪気に喜んでいるエリーを、

ノリスは、愛しそうに目を細めて見つめていた。


「シエルちゃんはどうする?」


「え?」


エリーが落ち着きを取り戻し、

はしゃいでいる姿を見られて恥ずかしかったのか、

耳を赤く染めながらシエルに話しかける。


「シエルちゃんも、一緒に育ててみないかなって」


「……私は……」


困ったように微笑む彼女に、エリーが首を傾げていった。


「あ、犬苦手だった?」


「いえ、動物は好きです」


多分その言葉に嘘はなく、シエルも子犬に愛情を抱いていると思う。

ノリスとエリーが顔色をかえるぐらいシエルの帰りが遅かったのは、

シエルが、子犬のために葛藤していた時間に等しいのだから。

それでもシエルが即答しなかったのは、一度は決心して戻ってきたものの、

やはり、お世話になっている身でと考え、ためらわれたからだろう。


「シエルさん」


そんな彼女の想いをノリスが察したのだろう。

二人の会話に口を挟むために、穏やかな声音で彼女の名前を呼んだ。


「はい」


「僕達のことは気にしなくて大丈夫。シエルさんのことだから、

 居候なのにとか考えているんじゃないかと思うんだ」


図星だったのだろう、シエルがそっと視線を伏せた。


「え!? シエルちゃん! 

 まだそんなことを考えていたの!?」


「はい……」


シエルの返事にエリーがぷんぷんと怒りながら、

ノリスとエリーの気持をシエルにぶつけていく。

はたから見て、エリーがシエルに投げかける言葉は真っ直ぐで、

エリーの優しい気持ちが感じられた。


「セツナ君がシエルちゃんのために用意したあの家は、

 シエルちゃんがのびのびと生活できるように、

 用意してくれたものなんだよ。

 確かに土地は貸しているけど、

 シエルちゃんには、それ以上にお世話になってる。

 それにそんなことは関係なく、私達は友達だよね?

 友達には気兼ねなく過ごしてほしいって思うよ」


シエルはエリーの言葉に、黙って耳を傾けている。


「シエルちゃんはすごく真面目だから、難しいかもしれないけど……。

 今は、私達が迷惑をかけているから無理かもしれないけど……。

 シエルちゃんは、もっと好きにしてもいいと思う。

 シエルちゃんが元気で笑ってくれていたら、私も嬉しいから……」


エリーはそこで一度口を閉じ、何かを思案したあと言葉をつづけた。


「シエルちゃんがね、辛い時や悲しい時は私がずっとそばにいるから」


シエルはエリーの言葉に、微かに目を見張ったあと小さな声音を響かせた。


「……ありが、とうござい、ます」


シエルの途切れ途切れの言葉は、優しい空気の中に溶けて消えた。

それと同時に彼女の頬を伝い流れ落ちた涙が、黒い毛並みの子犬へと落ちる。


彼女の涙に反応したのか、黒い毛並みの子犬がもぞもぞと動き出し、

シエルを慰めるように彼女の頬を軽くなめてから、

キュウキュウと声を上げた。


シエルは、そんな子犬の体を優しく撫でる。

目を細めて笑う彼女の笑みに……僕は……目を奪われ離せなくなっていた。


ノリスとエリーには、こんな優しい笑みをみせるのか……。

お茶会の席で彼女が微かに笑う顔も綺麗だと思ったが、今の比ではなかった。


「ね? だから、一緒に育てよう? 私一人じゃ不安だし!」


「エリー……」


「ふふ……」


エリーの誘いにノリスが呆れ、シエルが笑う。

多分、これが彼らのいつもの風景なのだろう……。


シエルが両手で子犬を抱き上げ、自分の目線にあわせた。

子犬はシエルと目線があったことが嬉しかったのか、

短い尻尾をピコピコと振っている。


「これからよろしくね……」


小さな声で子犬に話しかけ、

彼女は子犬の額にそっと口付けを落とした。


心からの笑みを浮かべながらのその光景に、

なぜか……僕の胸が高鳴った……。


「この子達の名前は何にする?」


エリーの声で、ハッとしてシエルから視線を外す。

ノリス達は、子犬に意識を取られていて僕の様子には気が付かなかったようで、

内心安堵して軽く息をはき、気持を静めた……。


「そうですね……ぽち……とか?」


「え?」


「え?」


シエルが考えた名前に、ノリスとエリーが同時に声を放つ。


「シエルちゃん、その名前はちょっと……」


「僕も止めた方がいいと思うけど……」


二人がいいにくそうにしながらも、その名前は反対だと正直に伝えている。

シエルはそんな二人に気を悪くした様子もなくどことなく楽しそうに、

微笑みながら二人の説得に耳を傾けていた。


「だいたい、どこからそんな妙な名前が出てきたの?」


「知り合いが……犬に付ける名前は、ぽちだと話していたので」


少し恥ずかし気にシエルは頬を染めて弁明していたが、

あまりにも不評だったからか、彼女が小さく咳をしたあと真面目な顔で、

別の名前を考えますと二人に約束していた。


「エリーさんは、何か良い名前を思い付きましたか?」


「まだだよ。名前……名前……。ノリス、名前どうする?」


「今ここで考えなくても家でゆっくり考えたらいいんじゃない?

 フレッド様にも悪いしね」


「あ……ごめんなさい!」


「申し訳ありません。

 お疲れのところを、送っていただいたのに」


僕の存在に思い出した二人が慌てて、僕に頭を下げながら謝り始める。


「いや、気にしないで。

 僕が好きでやったことだから。

 シエルさんは綺麗な女性だから……。

 あまり一人にならないほうがいいと思うけどね」


僕の忠告に、ノリスとエリーが深く頷いた。

そんな二人にシエルは困ったように笑いながらも、

やはり、どこか楽しそうだった。


結構、表情が豊かなんだな……。

そして、お茶会の時のことを思い出した。

王様に条件を伝えたあの時に二人を見たのは、二人の状況を心配したことや、

二人に及ぶ危険を気遣ったこともあるかもしれないが、

ただ二人と一緒にいる時間が愛おしく、離れたくなかっただけかもしれない。

ふと、そんなことを思う。


彼女はお茶会の席で一瞬たりとも、隙を見せなかった。

ピンと張りつめた糸のような空気をずっと纏っていて

どこか近寄りがたかった。

そして、王様と同じ気配を纏った時にこの人には近寄ることができないと、

意識に焼き付いたのだと思う。


なのに……今の彼女のそばはなぜか居心地がいい。

エリーと共に、女性らしい軽やかな笑う声が耳に心地良い。

本当に同一人物だろうかと思うほど、

彼女の印象がガラリと変わった数十分だった。



夕食を食べて帰るつもりだったようだが予定を変更して、

子犬達にご飯を上げるために、家で食べることにした彼らを見送って、

僕も引き返してきた道を歩き出す。


ノリスとエリーのこと。シエルのこと。

数十分の出来事を頭の中で纏めながら家へと戻った。


帰宅時間が遅れた僕に、ソフィアが心配そうにその理由を聞いてきた。

僕は帰宅途中で、シエルと会ったことや子犬のことを話し、

最後にノリスとエリーのことをソフィアに伝える。


ノリスとエリーの気持ちが心に響いたのだろう……。

ソフィアは静かに涙を落としていた……。

ノリスとエリーに苦労させていることで、

少し罪悪感を抱いていたみたいだがすぐに立ち直り、

エリー達を支えているシエルに感謝しているようだった。

そして……。

ソフィアがシエルに礼儀作法の教えを乞うため、

ノリス達の店が休みの日に、彼らの家に押し掛けるのは数日後のことだった。


ソフィアの切羽詰まった気持ちはわかるが……。

ノリス達はさぞや驚いたに違いない。いや、そうでもないか。

彼らはいつでもソフィアを、暖かく迎え入れてくれたいたみたいだから。

ソフィアは本当にいい縁を紡いだと思う。


本来ならば、僕達はノリス達と縁を結ぶことはなかったはずだ。

しかし、優しい菫色の目を持つ彼が、僕たちの縁を結び付けた。

いつも彼が運んでくれる風は、私達に新しい縁を結んでくれる。

今回、彼が運んできた風は……とても綺麗で優しい不思議な女性だった。




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僕達の小説を読んでいただき、また応援いただきありがとうございます。
2024年3月5日にドラゴンノベルス様より
『刹那の風景5 : 68番目の元勇者と晩夏の宴 』が刊行されます。
活動報告
詳しくは上記の活動報告を見ていただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。
+注意+

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