『 風の友人 : 前編 』
『 風の友人 』
【 フレッド 】
どんよりと曇る空を見上げながら吐き出した息は白く、
曇り空ということもあり、晴天の日よりも薄暗くなるのが早いようだ。
身を切るように冷たい風を肌に感じ、早く家に帰ろうと決意する。
昼頃には、賑わっている通りも今は家路を急ぐ人達が、
まばらに歩いているだけで、閑散としていた。
きっと、考えることは皆同じなのだろう。
ノリスとエリーが経営している花屋の前を通るが、
二人は、店の片付けをしているようで仕事の邪魔をしては悪いと思い、
声をかけることなく通り過ぎた。
黙々と歩きながらも騎士としての性か、
暗がりなどの場所に目を向け、確認しながら歩いていく。
そして……路地を少し入った場所で、
誰かがうずくまっているのを発見したのだった。
騎士が巡回しているとはいえ、犯罪が完全になくなることはない。
帰宅時間が遅くなることを覚悟して、
うずくまっている人の方へと足を向けた。
「何かありましたか? 大丈夫ですか?」
襲い掛かられるのを避けるために、二歩以上の間隔を開けて声をかける。
その人は驚いた様子をみせることなく、肩越しに僕を見てから声を発した。
「大丈夫です。何も問題はありません」
フードを目深にかぶっていたので男か女か分からなかったが、
その声と軽く振り向いた彼女と視線があったことで、
うずくまっていた人物が、最近知り合ったばかりの人だとわかった。
「シエル?」
「はい」
僕の呼びかけに、彼女は返事をするが立ち上がる気配はない。
本人は大丈夫だといっていたが確認のために近づくと、
彼女は視線を僕から外して下へと向けた。
彼女に近づき、彼女の視線の先に目を向けると……。
そこには、木箱の隅で寄り添い震えながら眠っている二匹の子犬がいた。
「子犬?」
「そうみたいです」
「どうして、こんなところに」
「わかりません……」
ざっと周りを見てみるが、
親犬がいた気配もなく、誰かが面倒を見ている気配もなかった。
僕が周りを見ている間も、
その場から動くことなく彼女は、じっと子犬を見つめている。
僕達の声で子犬たちが目を覚ましたのか、
キュウキュウと何かを……誰かを探すように鳴き始めた。
「……」
必死に鳴く子犬の姿に、彼女は手を伸ばそうとするが、
その手が子犬に触れることなく戻される。
そんな彼女を見て、シエルがここにいる理由を知る。
子犬を見つけてしまった彼女は、
子犬たちをここに置いたまま帰ることができなかったんだろう。
このままこの場所に置いて帰ればこの寒さだ……、
凍えて死んでしまうのは目に見えている。
だけど現在、彼女が住んでいる場所はノリスとエリーの敷地内の家だ。
生き物を飼うにしても、彼らの許可がいるだろう。
連れて帰ることもできずかといって、置いて帰ることもできない。
そんな葛藤が、彼女の背中から見えたような気がした。
「そろそろ、日が暮れる」
「私のことは、お気になさらずお帰り下さい」
「こんな場所に、残して帰れるわけが無い。店まで送っていくよ」
「いいえ、大丈夫です」
こちらに視線を向けることなく僕に帰れという彼女に、
内心でため息をついた。
シエルは、とても綺麗な女性だ。
将軍の友人の娘で、将軍に大事にされているという噂を広めたために、
彼女に手をだそうとする男共は少なくなったが、
それでも、諦めきれていない奴がいることも確かだ。
そんな彼女を、こんな暗がりに一人残せば何がおこるか分からない……。
彼女を、ノリス達の所へ帰すには、子犬をどうにかするしかない……。
僕が、子犬を連れて帰るのがいいだろうか?
父も母も、動物を嫌ってはいないが、
愛情をかけた分死に別れるのが辛いといって、
家に向かえることは避けていた。
それに、もうすぐ、ソフィアとジョルジュの結婚式も迫っている。
考えれば考えるほど、置いていくという答えしか見つからなかったが、
彼女の窮地を見捨てることは、僕にはできなかった。
小言をもらいそうだが、仕方がないと覚悟を決める。
だが、僕よりもシエルのほうが覚悟を決めるのが早かった。
彼女が肩にかけていた、暖かそうなフード付きのストールを外し
軽く折りたたむと、自分の膝の上にのせる。
それから、彼女は木箱の中で鳴いている子犬をそっと持ち上げ、
子犬をストールの上にのせた。
同じようにもう一匹もストールにのせると、
柔らかく微笑んでから、二匹を包む。
そして意を決めた強い表情とは逆に、優しく子犬達を抱きつつ立ち上がった。
ストールにくるまれ、彼女に抱かれた二匹の子犬達の鳴き声は、
安心したのか、先ほどよりも小さくなっていた。
片腕で、ストールに包まれた子犬達を抱えながらシエルが、
空いているほうの手で、スカートを少し持ち上げ綺麗な礼を見せる。
「お気遣いいただき、ありがとうございました」
「特に、何もしていないけど」
「いえ、そんなことはありません」
「君の役に立てたのなら、良かった」
僕の軽口に、シエルは軽く微笑んでもう一度頭を下げた。
「それでは、これで失礼いたします」
彼女がそう告げ、両手で子犬達を抱え直し僕に背を向けようとするが、
間もなく日が落ちようとしていた。
この時間に、彼女を一人で歩かせることなどできない。
「店まで送っていくよ」
「いえ……」
「僕と歩くことで、シエルが困るなら、
少し距離を置いて歩くので、他人の振りを」
僕が引かないことを知ると彼女は素直に頷いて、
大事に子犬を抱え直してから僕の隣へとおさまった。
「お店まで、よろしくお願いします」
彼女の言葉に今度は僕が頷き返して、今歩いてきた道を引き返す。
二人並んで歩いてはいるが、
彼女の意識は僕ではなく、彼女の腕の中にいる子犬に向かっていた。
時折、寂しげにキュウキュウと鳴く子犬に彼女は、
優しい声音で子犬に話しかけている。
彼女のそんな姿を見て、僕の中にあったシエルの印象が変化していった。
こうしていると、普通の女性のように見える。
普通のといっても、一般市民ではなく貴族側ではあるが。
彼女が纏うモノは、僕達と近い。
いや……。僕達というよりは……。
彼女と子犬の会話を聞き流しながら、
先日開かれた王妃様主催のお茶会で、
彼女が紹介された時のことを鮮明に思い出していた。
ノリス達を招待してのお茶会は、王妃様の思い付きで開かれることが多い。
月に一度多くて二度、王妃様がノリス達やソフィアを呼んでお茶会を開くのは、
セツナを中心にして紡がれた縁を王妃様が守っていきたいからだと、
あの時の関係者は気が付いていた。
しかし最近は、お茶会を開かれなくなっていた。
ソフィアとジョルジュの結婚式が近いこともあり、
皆がみんな忙しい状況のなか、そんな余裕がなかったのだろう。
しかもそれは、ただの結婚式ではなく、
同盟国を招待し互いに盟約を強固にするという、もう一つの目的があった。
そのため、式を失敗させないようにと、
城の中の空気は張りつめていて、ピリピリしていた。
一介の貴族の結婚式がなぜ、そのような場になったのかといえば、
それには、当然のように訳があった。
元々は、結婚式を隠れ蓑にして同盟各国の重鎮がリペイドに集まり、
影で結束を確かめるだけの予定のはずっだった。
表立って同盟諸国が動けば、敵国であるガイロンド帝国を刺激し、
どのように報復されるかわからなかったためだ。
しかしここ数カ月、ガイロンドは内戦が多数勃発しており、
国内の鎮静化に神経をとがらせており、国外に干渉する余力はなさそうに見えた。
そこで、各国の王は同盟の力を顕示するまたとない好機と考え、
急遽、結婚式の場で各国の重鎮が列席することになり、
それを布告することになった。
こうして、二人の晴れ舞台は、政治利用されることになってしまった。
僕個人としては、生涯に一度である結婚式に……と思わなくもない。
各国の王侯貴族がリペイドを訪れると知らされ、街は活況に包まれた。
一方で王宮の中は結婚式の準備に追われ、
王様も王妃様も、心を休める暇がない日々を過ごされていた。
それは、僕達も同じで……。
ガイロンドが何かを仕掛けてこないとしても、当然警戒を怠ることなどできず、
警護や警備のための訓練が繰り返し行われていた。
僕は息をするのも苦しいくらいの張りつめた空気の中で、
皆が疲れをにじませているのを感じていた。
その様な中で王様からもたらされた情報に、
少し疲れた表情をしていた王妃様が、一転して目を輝かせ始めたのを、
王様の周りにいた僕をはじめとした全員が目にした。
そして、全員が同じことを思ったはずだ。
王様にお茶会の開催をねだるだろうなと……。
王妃様が王様に願い、王様は仕方がないと苦笑しながら頷かれていたが、
お疲れ気味の王妃様の息抜きもかねて、王様はお茶会の許可をだされたのだと思う。
ただしお茶会を開く開かないにかかわらず、
彼女がこの国に居る理由やシエルの素性を詮索することを禁じると、
同時に下知された。
シエルはセツナ君が精霊の力を借りて、
リシアからリペイドへと連れてきた女性なのだといったきり、
王様はそれ以上のことは、何も話されなかった。
王妃様やキース様や大臣達が王様に対して、
何を聞いてもお答えになることはなかった。
キース様は眉間に深く皺を寄せていたが、
彼女については、王様預かりとなったため、
キース様とユージン様は口をだすことができなくなり、
王様がここまでするからには、何かあるに違いないと不満気に話していた。
そのような経緯で開かれたお茶会だったが、そうそうたる顔ぶれが集まった。
ノリス達が招かれるお茶会の参加者はその時々で多少違う。
王妃様の希望もあり、セツナ君やノリス達とかかわりを持った人間は、
その日できるだけ、時間を空けるように調整してはいるが、
王様やキース様そして将軍は、参加しない日の方が多い。
僕はキース様の騎士として、そばにいることが多いため、
ユージン様の騎士であるサイラスやジョルジョより参加日数は少なかった。
だけど今回は、王様だけではなく将軍も参加を希望し、
キース様も苦労しながらも、お茶会に参加する時間を捻出していた。
多分……。セツナ君が連れてきたという人間を、見ておきたかったのだろう。
いつもならば、お茶会の10分前には王様と王妃様以外の人間が揃い、
和やかな会話をしながら王様と王妃様を待つことが多い。
だが、この日は王様と王妃様が部屋に訪れた後に、
ノリスとエリーが到着したと連絡が入った。
時間に遅れた二人は王様と王妃様に頭を下げていた。
ジョルジュ達の結婚式のことを他の商家と話し合ったため、
時間がのびたということだった。
しかし、その話をまともに聞いていたものは何人もいなかっただろう。
第一印象は、綺麗な女性だと思った。
自然と彼女に視線が向いてしまうほど、綺麗な人だった。
ノリス達と共に静かに頭を下げている女性は……。
王様がお茶会に遅れたことに対して、気にすることはないとノリス達を許し、
そのまま、シエルを僕達に紹介する。
今、その彼女を目にして素性を探るなと告げた理由が理解できた気がした……。
頭の先から、足の先まで……。
ここまで、美しく洗練された礼は見たことがなかった。
その姿だけで、彼女の素性が少し垣間見える。
彼女は、ここまでの教育を受けることができる環境にいたということだ。
十中八九……彼女はリシアの貴族の息女だろう……。
それも、国王様が守ろうとするほどの。
だとすると……。
下手に首を突っ込むと、国同士の問題に発展するかもしれない。
セツナ君が、彼女を連れてきたということは……。
彼女に何かあった場合、
セツナ君が僕達の敵に回る可能性があるのかもしれないな……。
だから、王様は彼女の素性を探ることを固く禁じたのかもしれない。
僕の憶測でしかないが。
王様は彼女の紹介を終えると、
逆に今度は、この場に居る人間をシエルに紹介していく。
王様に名前を呼ばれると、
それぞれが頷く程度の挨拶を交わすだけだったのだが……。
サイラスの名前が呼ばれると、
サイラスが彼女に挨拶するために一歩前へ足を進め、
彼女はサイラスが進んだその分だけ、サイラスから距離をとった。
「……」
シエルのその行動にこの場の空気が冷えたものに変わるが、
そんな空気を気にすることなく、彼女が口を開いた。
「申し訳ありませんが、私に近づかないで頂けますか?」
彼女のこの言葉に、サイラスは思うところがあったのか複雑な表情をした。
「シエルちゃんどうしたの?」
この場の空気に耐えかねたのかエリーが小さな声で、彼女に問う。
「サイラス様が近づくと……。魔法が発動しそうな気配がして……」
彼女の言葉にノリスとエリーが何かを思い出したのか、
二人同時に、彼女を隠すようにシエルを自分達の後ろへと下げた。
「そうか……」
ノリス達のその行動に、サイラスは何かを悟ったかのように、
足を元の場所に戻すと、王様に話しかけた。
「どうやら、俺がいると騒ぎが起きて迷惑をかけることになると思いますので、
今回は、出席を控えたいと思います」
王様がそれを許すと、サイラスは深くお辞儀をしてから、
シエルにもう一度話しかけた。
「貴女がセツナに大事にされているかただと分っただけでも、
ここに来たかいがありました。
お迎えして早々で申し訳ありませんが、俺は帰らせてもらいます。
もし、セツナと連絡を取ることがありましたら、
サイラスは元気だとお伝えください」
サイラスはシエルにも会釈をすると、静かに出口の扉へと歩いていった。
サイラスが部屋の外へ出ていったのを見届けてから、王様はシエルに問いかけた。
「セツナは、そなたに何か魔法をかけたのか?」
王様の問いに、ノリス達以外の人間が驚いたように王様へ視線を向け、
その後すぐにシエルへとその視線を戻す。
「多分、そうだと思います。
彼が私にどのような魔法を刻んだのかは、
教えてもらっていないので、わかりません」
「そうか、セツナは、本気でサイラスをシエルに近づけたくないのだな」
王様がここで深くため息をつき、全員に席に座るように促した。
そこで僕はその場を離れることを願いでて、急いでサイラスの後を追った。
部屋の扉を開け階段を駆けおり、一階の広間でサイラスに追いつくと、
一体どういうことなのかと、問いかける。
「セツナ君と一体何があった?
お前は飄々としていて、女にだらしないところはあるが、
根はいいやつだというのは、僕がよく知っている。
セツナ君の機嫌を損ねるようなことをしたのなら、
友人として一緒に謝ってやるから」
「いや、お前に一緒に謝ってもらって解決するようなことじゃない。
お前のいった通り、女にだらしないというのが駄目だったんだと思う。
以前セツナに手紙で女を紹介しろと書いたことがあった」
そこまで聞いて、僕は察した。
女性を紹介しろと書いた手紙の後に、セツナ君がシエルをリペイドによこす。
セツナ君としては、サイラスがちょっかいを出してくることを想定して、
予防策を張るというのは当然のことだろう。
僕がセツナと同じ立場になったとしたら、
僕もソフィアに、切々といい聞かせる気がする。
「今、お前が考えているようなことを、俺もさっき思い至ったわけだ」
納得している僕を見て、サイラスは苦笑して続ける。
「まぁ、身から出た錆だな。今後こういうことにならないように、少し慎むか」
サイラスは女性と同時に付き合うことはしていないし、
手を出す相手はわきまえているようだが……。
それでも、どこそこの令嬢と噂が広まるということは頻繁にあり、
キース様やジョルジュから、注意されていることもあった。
確か……セツナには『いつか刺されますよ』といわれ、
サイラスは、セツナに『そんなへまはしない』と答えていたような気がする。
「そんなわけだから、お前は戻ってお茶会を楽しんできてくれ。
できれば、シエルに最近のセツナの様子を聞いてきてくれるとありがたい。
今日来た一番の目的は、それだったからな」
そういうと残念そうな顔をしつつ、サイラスは王宮から外へ出ていったのだった。