『 エレノア 』
【 ウィルキス3の月30日 : エレノア 】
夜の空に、次々と描かれる美しくも儚く消えていく
花火というモノに心を奪われていた……。
セツナは今までも、様々な美しいモノを
創り出していたが、彼が創り出すモノは総じて
静かに零れ落ちていく刹那の寂しさを
閉じ込めた美しさを、表現していることが
多いような気がする。
この花火にしても……。
精霊とのダンスの舞台演出にしても。
美しいと感じ、寂しいと感じ、そして儚いと感じる。
なのに、最後に残るのは焦燥ではなく豊かさだ。
私は、その感情に……言葉を当てはめることが
出来なかった。ただ、黙って見つめて心に焼き付ける。
それが正しいような気がした。
今日という日が、終わりに近づいているのを
寂しがっている子供達を見て、彼等のような感情を
私はいつ頃失ってしまったのだろうと、ふと考えた。
楽しければ楽しいほど。
愛情で満たされれば満たされるほど
終わりというモノは、とても寂しく哀しいものだ。
それが、また明日会えるのだとしても。
自分の心の内に、入ろうとした瞬間
立て続けに、盛大な花火が何十と重なるように
夜空を彩っていく光景に、視線と心が一瞬にして奪われた。
それが、寂しがる子供達の為だと
大人達は気が付いており、子供達が花火に
夢中になっている間に、セツナが子供達の
保護者に「花火が終わりしだいすぐに転移で
家に送ります」と告げていた。
友人と別れて、自分の家に帰ってしまえば
緊張がほぐれて、すぐに寝てしまうだろう。
寝てしまえば……楽しい朝がまたやって来るのだ。
寂しさを感じる暇もない。
セツナも、アルトが寝落ちたことで家に戻り
私達は、黒達の待機場所として用意された場所へと
戻ることになり、今日は剣と盾が夜番に
入ることから、セツナが置いていった妙に体に馴染む
クッションの上で、ゆるりと息を吐き出し体の疲れを
とるように座っていた。
少し、熱が上がってきたように思うが
これぐらいならば、問題がない範囲だ
セツナも疲れているだろうから、わざわざ起こしに
行く事はないと考え、このままここに居ることに決める。
詳しい話を聞きたいが……。
今日は黒としての役目がある。
話は明日以降だなと、ぼんやりと考えていると
私の目の前に、セツナが転移魔法で現れた。
いきなり現れた彼に、周りが驚いている様子が
気配で届いている。私も内心驚いてはいるが
自分の驚きよりも、彼がここに来た理由の方が気にかかり
彼と視線を合わせて口を開こうとするが、セツナの方が
一瞬早く言葉を落とした。
『僕は、体調がおかしいと感じたら
申告してほしいと話したはずですが?』
私の体調の変化に、どうして気が付いたのかと
疑問に思いながらも、大丈夫だと告げようとした瞬間に
彼の魔法で、意識を強制的に落とされたのだった……。
意識が落ちる瞬間……。
風の上位精霊の優しい声が、聞こえたような気がした……。
『いろいろ手伝ってもらったから
私達からのお礼かなって……』
『……』
『祝福ともう一つ……。
彼等が残した、魂の分身を貴方に届けてあげるかなって』
私の意識はとけかけていて……。
彼女の言葉の意味を、理解することはできなかった。
懐かしい夢を見ている。
夢の中で夢だと気がついている不思議な感覚。
『冷静であれ、*****』
騎士になると決めて、教えを乞うたときに
私が父から最初に教わった言葉だ。
父から教えられた言葉が
何時も自分の心を落ち着ける鍵だった。
冷静さをかけば、隙が生まれる。
隙が生まれれば、生存の可能性が薄まる。
まずは生きることを考えろ、と父は繰り返し私に言った。
その時の私は、父の教えに素直に頷いていたと思う。
それが、騎士にあるまじき考え方だと知るのは
苦笑を伴った兄からの教えで知った。
騎士は自分の命よりも、主の命を一番に考えるべきだと
兄が話してくれた日の事を、今も深く覚えていた。
兄は『父上は、*****を騎士にしたくないのだね』と言い
少し悲しそうに笑い、優しく私の頭を撫でてくれる人だった。
幼い頃は、父の気持ちを理解できずに
『嘘をついた、父さまなど嫌いです』と告げ
父を落胆させたが、今なら父の気持ちが痛いほど解る。
父は、命を賭けた凄惨な場所に私を導きたくは
なかったのだろう。それと同時に、王のそばに近づけるのを
厭うていたのだと……。
それからは、騎士としての教育を受けることができたが
たまにおかしい言葉が混ざるのは、父の愛情なんだろうと諦めた。
ガイロンドの貴族にしては、子煩悩な父だった。
父が伴侶に選んだ母は、とても落ち着いた人だった。
そして兄は、そんな二人から良いところを継いでいた。
私の家は、これからも末永く続く……。
そう思わせる家族だった。幼い私は家族が大好きだった。
ファライルに、子供の頃の話を語れば
『義父殿は、*****が可愛くて仕方がなかったのだな』と
大笑いしていた事を思い出す。
優しい家族がいて、尊敬できる夫がいて
年齢差のある政略結婚だったのだが、ファライルの家族は
私にも優しくしてくれた。自分の娘のように愛してくれた。
沢山の愛情の中で暮らし、騎士であることに誇りを持ち
ファライルと第二騎士隊の仲間たちと日々を過ごす。
王が領土を広げるために、他国への侵略を繰り返す中
凄惨な光景も見て来たし、私もその戦いの中へ身を投じた
こともある。他国にとっては理不尽な侵略に……。
心をすり減らしながら、戦ったこともある。
もうこの頃から、私の心は王から離れていたのだと
冒険者になってから気が付いた。
王から心が離れても
私は……ガイロンドの国が好きだった。
竜から守護された私達の国が好きだった。
民を想い、命を賭けた勇敢な王の血が私の中にも
流れている。誇り高き血が少しでも私に継がれて
いるのならば、私の道はこの国を守ることなのだと
この時の私は、信じて疑わなかった。
この国を、父や兄……そしてファライルと共に守る。
ファライルに深く愛され、ヤトを身ごもり
愛する人達の傍で、生きていけることが幸せだった。
守るべき国があり、守るべき家があり、守るべき家族がある。
この時の私は、本当に幸せだったのだ……。
夢は、時間や場所を選ぶことなく
変化しているようだ。
『*****……』
実家の母と一緒に、お腹にいるヤトが
使うことになる物に、刺繍を刺している時のことだった。
父が、普段よりも暗い声で私を呼んだ。
私は、この後の父の言葉を知っている……。
見たくない……。
聞きたくない……。
見たくはないのに……。
無情にも、夢はその続きを私にみせた。
『*****、ファライル殿が亡くなった』
『え……?』
そんな私の幸せは、王によって壊されてしまった……。
そう壊されてしまった。もう、私の幸せはここにはない。
ファライルを殺され、ヤトまで奪われるのは
到底我慢できることではなかった。
生きるためにあの王に抱かれるなど
死んでも嫌だった。
『私は、この国を出ます』
両親や兄に迷惑をかけると知っていても
私は、この国を出ることを決めた。
ファライルから貰った剣を父に手渡した。
本当は、手放したくはなかったが
身元が割れる可能性があるものは
持って出ることはできない。
『そうか……』
父はそれ以上何も言わなかったが
その瞳に、様々な感情を浮かべていたのを私は知っている。
父も兄も、私が逃げる時間を稼ぐように王からの監視を
それとなく分散してくれたが、それでもこの国から逃げるのは
一筋縄ではいかなかった……。
見ている場面がまた変わる……。
『貴方、大丈夫?』
逃げて、逃げて、逃げて、逃げて、逃げて……。
もう駄目かと思った時に、ココナさん達と出会った。
ココナさん達に、姿を見られた時に
ヤトと共に、ここで死のうと覚悟を決めた。
捕まって、ヤトを奪われ傀儡のように
生きるぐらいなら、ここでヤトと共に水辺へと……。
だけど、ココナさん達は私が逃げないように
周りを固めてはいたが、まず私の体を慮ってくれ
温かい飲み物を与えてくれ、そして話を聞いてくれた。
私の話を最後まで黙って聞いて
私の為に涙を流してくれたんだ……。
私は、ここで優しい人達に拾われる。
私が嘘をついているかもしれないと伝えれば
死を覚悟した人間が、嘘をつく道理はないと
拳を握ったままの、私の手をそっと撫でて
自害することはないと、伝えてくれた……。
そこからは、私の気が緩み意識を失っている
間に、ココナさん達が秘密裏にギルドに掛け合い
私がリシアへと入国できるように手続きを
してくれていた。
ココナさん達と共に、楽団の一員として
雇われているという形にして、名前も髪の色も目の色も
髪型も変えて、眼鏡をかけ別人のように化粧をされ
何処の国へ行っても、疑われることなく
入国できるようになった。
どうして、こんなに用意周到なのかと
尋ねれば、権力者から狙われている人間を助けるのは
時々あることなのだと、苦く笑っていた。
ギルドに引き渡されるかもしれないという
恐怖はいつもあったが……ココナさん達は
私が持つ魔導具や武器を、奪うことなく
私を自由にさせてくれていた。
この場所が、嫌なら逃げてもいいのだというように。
色々と悩みながらも、私は体調を崩すことが
多くなり、多大な迷惑をかけているのに
ココナさん達は、邪険にすることもなく
見捨てることもなく、甲斐甲斐しく面倒を見てくれた。
正直どうして、出会ったばかりの他人に
それも、指名手配されている面倒な女に
手を差し伸べるのか、理解できなかった。
それが、リシアに生まれた者の性なのだと
言われても理解できず、リシアという国の在り方を
語られても、嘘だとしか思えなかった。
そんな私の態度に、ココナさん達は楽しそうに笑って
『最初は皆、同じ顔をするわね』とまた笑うのだ。
私が悩んでいるうちに、海を渡り
遠い遠い地へ……私はたどり着くことになったのだ。
この時の自分を振り返ってみると
若いなぁ……と苦笑が落ちるが
それが良い結果につながったのだから
それで良かったのだろう……。
どうあがいても、あの時の私では
ココナさん達に出会っていなければ、遅かれ早かれ
死んでいただろうから。
次の場面は、ココナさんに冒険者になることを
告げているところだった。
『冒険者? 私は反対だわ』
冒険者になると告げた時
ココナさんに反対された事を思い出す。
冒険者になりたい理由を問われ
騎士として生きてきたのだと。
戦う為に生きてきたのだと
ココナさん達に話した気がする。
だけど、本当の理由は誰にも話さなかった……。
本当の理由……。
伝えなければ。彼が生きた証を伝えなければ。
私達の子供に、彼の全てを伝えなければ……と。
その為には、戦い続けて自分の腕を磨くしかない。
無様なモノを伝えたくはなかったから。
この想いが、私の生きる目的になった……。
時系列が、酷く曖昧で混乱してきた……。
私は……。これは、今日の大会での出来事か。
『彼が生きた証を君に伝えたい……』
ファライルを想って、涙を落としたのは
今日が初めてだったと、今見ている夢で気が付いた。
ファライルの訃報を聞いた直後に、王からの召喚があった。
涙を落とす暇などなく、逃げる算段をつけなければいけなかった。
逃げている時も、拾われた時も
新しく生活を始めた時も、その日の事で一杯だった。
それでも、ファライルを想って泣く時間は
あったと思う。だけど、泣けなかった……。
ヤトが生まれた時。
私の指を握ってくれた時。
笑いかけてくれた時。
初めて、母と呼んでくれた時……。
その折につけて、彼の顔や声が頭をよぎったけれど
彼が傍にいればと想う事はしなかった。
一度でも、想ってしまえば
一度でも、泣いてしまえば
きっと、心の箍が外れてしまう。
立ち止まってしまえば、もう動くことが
出来ないかもしれないと怖かったんだ。
自分の感情が、酷く薄くなっていることに
気がついていたが、どうしようもなかった。
過去を振り返らず、ファライルの面影さえ
心の奥底に沈めて、前に、一歩でも前に
進むことを考えていた。
ヤトが、生まれるまでは。
ヤトが、話せるようになるまでは。
ヤトが、成人するまでは。
ヤトが、家庭を持つまでは……。
そして、ヤトにファライルが残したものを
自分の手で、渡すまではと……。
だけど、自分が不幸だったのかと問われれば
胸を張って、そうではないと言える。
私を、拾ってくれたココナとジャンがいて。
私を、導いてくれたザルツや一番隊がいて。
私を、助けてくれたバルタスがいて。
私を、困らせ怒らせるアギトとサフィールがいて。
私の為に、泣いてくれるサーラとナンシーがいて。
私の隣を、一緒に走ってくれたレイファとクラールがいて。
私の気持ちごと、愛してくれているアラディスがいて。
そして、彼の忘れ形見のヤトが居てくれた。
何時も、私の傍には誰かがいてくれた。
私と一緒に、ヤトを見守り……育ててくれた人がいた。
冒険者になってから、私の周りは
時が経つほどに、賑やかになっていったのだ。
私の感情も、少しずつ解れていき
薄くなった感情を少し取り戻せたような気がした。
私が感情を見せることで
ヤトがとても楽しそうに笑うのが嬉しかった。
そして、今日……。
その根本を、私の命とファライルの忘れ形見を
私が知らない形で、守り助けてくれていた人達がいたことを
私は知ったのだ。
オウカは、私が国に追われているから
ヤトをリオウやサクラに近づけなかったと
皆に話してくれていたが、そうでないことは
きっと気が付かれているはずだ。
この国リシアと、オウカ達には
恩を感じてはいる。
だが、それ以上に
私は、国というモノが怖かったのだ。
理不尽に、全てを奪い壊していく
国というモノが怖かった。
リシアは、そんな国ではないと知ってはいても
頭では、違うとわかっていながらも
心では、いつ裏切られるかわからないと。
だから、国からの援助金はすぐに返済し
できるだけ、借りを作らないように気を付けた。
リシアは、何処の国よりも強い。
戦争になれば、冒険者が居なくとも
楽に勝てるだけの、国力がある。
それだけの力を、この国は持っている。
他国の人間を、自国の住人に変えてしまうほどの
魅力を持つ国に、感心すると同時に恐怖も覚えた。
そんな国を、敵に回してしまえば
今度こそ、逃げることは叶わない……。
今度は、本当に全てを奪われるかもしれない。
そう思ってしまったから。
私を受け入れてくれた国なのに。
その恩恵を享受しておきながら
信じるのが怖かった……。
そんな、私の心の動きを
オウカは気が付いていたはずだ。
気が付いていながら
ずっと私とヤトを見守ってくれていた……。
なのに、どうしてオウカが私に謝る必要がある。
どうして……そんなに、優しくあれるんだ。
この国の王族だろう……。
オウカ達のような、王族なら私達は……。
近くで、誰かが動く気配がする。
意識を向けようとしたが……。
私のすぐそばに
ずっと逢いたかった人が立っていた。
驚きに目を見張る私を
ファライルは、楽し気に私を見て目元を緩めていた。
『罪悪感を覚える必要はない』
『……ファライル』
『私の一族が粛清されたのは
王が私達の一族の存在が目障りだったからだ』
『……』
『……お前は、もうリシアの民だろう?』
『……私は!』
『一度、認めることができた』
『っ……』
『この国の王族に、家族に恩義を感じる必要はないと
言われて、素直に返事ができただろう?』
『……』
『なら、心のままに生きろ。
己が道を真直ぐ進め』
『……私は……』
『*****、ここが、お前の守るべき国だ。
そして、お前の帰る場所だ。
もっと前に、気が付いていただろうに』
低い声で、クツクツと彼が笑う。
その懐かしい声に、懐かしい笑い方に胸が締め付けられる。
『お前はもう、ここに大切なモノが沢山できたんだろう?
守るべきものが、守りたいものが。
お前が、出会った縁と繋いできた絆を
これからも大切にしていけよ』
彼の言葉に、涙があふれる……。
『……ごめんなさい』
『なぜ、謝る』
『……ごめんなさい』
『謝るな。エレノア』
*****ではなく、ファライルはエレノアと呼んだ。
『……ごめんなさい』
彼が愛した国を、私は捨ててしまった。
彼と共に、守っていくと誓った国を逃げてしまった。
私は、国とヤトを天秤にかけてヤトを選んだのだ。
その事に、後悔はない。
だが、彼と二人で交わした騎士の誓いを
私は、もう……守ることができない。
『泣くなよ。泣くな』
私の心は、もうこの国にある。
もう、とっくの昔に魅せられていることに
気が付いていた。
ここは、自分の祖国ではないと
心の中で呟きながらも……。
リシアの民達から、リシアの騎士だと
呼ばれるたびに、心が躍ったんだ……。
裏切られる恐怖を抱きながらも
この国の騎士でありたいと、願ってしまった。
だから、オウカに家族になるのだからと
言われたときに頷いてしまった。
私はこの瞬間に、ファライルと交わした
騎士の誓いを、破棄したことになったのだ。
『馬鹿だなぁ。エレノア。
馬鹿で可愛い奴だ……』
ファライルはそう言いながら
私の涙を拭ってくれた。
都合のいい夢だと思いながらも
私が、ファライルの優しさに浸っていると
『夢ではないぞ』と彼が私の目を見て告げる。
『風の上位精霊が、魂の分身を届けてくれると
話していただろう?』
そういえば……。
気のせいではなかったのか。
『……魂の分身とはなんだ?』
『簡単に言えば、私達一族の能力だな。
水辺へと旅立つ時に、もう一度話したい人と
会話をするための能力、といったところか』
詳しい話は別に必要ないだろうと省略された。
『……どうして今なんだ』
『お前が、剣を手放したからだ』
『……』
『剣は私達と繋がっている。
絶対に手放すな、と教えただろう?』
確かに……。
『あの剣には、各々の魔力を刻んであった。
水辺へと旅立つ時に、もう一度話すために
魂の分身の帰る場所に設定されていた』
『……すまない』
『お前のせいではない』
『……』
『風の上位精霊に頼まれて
私達を、連れてきてくれた精霊が
魂がひしめきあっていると
ちょっと引いていたな』
その時の様子を思い出したのか
ファライルが、楽しそうに笑った。
『ファライルの母上と父上とは
最後に話すことができたのか?』
『ああ、できたぞ。
最後まで残っていたのがお前とヤトだ』
『……すまない』
『なぜ謝る?』
『……水辺へといったお二人に
まだ会えていないのだろう?』
『いや、私の魂はちゃんと生まれ変わったぞ』
『は?』
『今、ここにいる私は分身だから。
お前と話し終わったら、元の魂へと戻る。
多分つつがなく、吸収されると思うのだが』
『……大丈夫なのか?』
『精霊は問題ないと話していたから
大丈夫だろう』
『……そうか』
『私達の一族は
そうやって想いを継いできた。
まぁ……お前で最後になるのだが』
『……ヤトは』
『この能力を引き継ぐには
手順が必要でな』
『……』
『落ち込むな、エレノア。
ヤトは、いい青年に育っていたな。
リシアの総帥とか、ありえないだろう』
ははははは、とファライルが楽しそうに笑う。
『あいつは、この国の想いを継いでいく。
それでいいだろう』
『……そうか』
『エレノア』
『……』
『私の子供を産んで、育ててくれて
ありがとう。本当に本当に嬉しかった。
こうやってお前に会えたことも
成人したヤトを見れたことも
あいつの伴侶を見ることができたことも。
そして、お前が笑えていることが私の喜びだ』
『……ファライル』
『それに、強くなった……。
お前とあの青年の戦闘は素晴らしかった。
今のお前と、戦いたかった。心からそう思った』
『……生まれ変わったのだろう?
私に会いに来ればいいだろう?
好きなだけ戦ってやる』
『無理だろうな』
『……どこに』
何処に生まれ変わったのか聞こうとして
躊躇する……。私は、その事を聞いて
会いたい欲求を抑えることができるだろうか……。
『この国にいるぞ』
『は?』
『私が水辺に行くときに願ったのは
お前の傍に行きたいだったからな。
願いを聞いてくださったのだろう』
『……私が知る人物か?』
『それは、言えない』
『……』
『ただ、性別は女だ』
『え?』
『性別までは願わなかったからな。
私の魂が誰に生まれ変わったのかは
お互いに知らないほうが、幸せだ』
『……そうだな』
『お前が、この国に来てくれたから
私もこの国に生まれることができた。
感謝している』
『……そうか』
この国の子供として生まれたのなら
幸せになれる可能性が高い。ファライルの魂ならば
努力も厭わないだろう。なら、幸せになれる。
『お前は、お前らしく生きればいい。
私は私らしく生きるだろう。縁はありそうだから
そのうち出会うこともあるだろう』
『……楽しみにしていよう』
もしかしたら、わかるかもしれない。
多分、わかる気がする。
『さて、そろそろ時間だな』
『……』
『本来ならば、一晩ぐらいの時間は
とれるはずだったのだが、その時間を対価として
今のお前と話すために、お前の情報を教えてほしいと
精霊に願ったからな。そろそろ時間がつきそうだ』
『……』
『そんな顔をするな。私はもう生まれ変わっている。
家族関係もよさそうだ。伸び伸びと育つだろう』
『……そうか』
『私よりも、アラディスを大切にしてやれよ。
犬みたいな奴だと、思っていたが
お前への執着が酷過ぎて、腹を抱えて笑ったぞ』
『……』
『まぁ、妬けはするが
最後まで、お前を大切にしてくれるやつだ』
元夫に、今の夫の話をされるのは
微妙な気持ちだと思いながらも、素直に頷いておく。
『それと、クラールだがあいつ枷をつけられているから
外してやってくれ、お前と戦った青年なら外せるだろう。
呪いのように難しいものではない。
コルドでも外せるものだと話していた』
『枷?』
クラールから聞いたことはないが。
魔導師のコルドか……懐かしい名前だ。
『本人も知らないのではないか?
多分、幼少期につけられたのだろう。
長男よりも、素質があったのかもしれん。
確かあいつは、母親の連れ子で家を継ぐ資格が
なかったから、当主が封じたのだろう』
『……いつ知ったんだ?』
『入隊してきた時からだな』
『……知っていて放置していたのか?』
『他家の事に口を挟めないだろう?
枷を外すなと、命令が来ていた。
それに、枷をつけられていたのは
クラールだけではない……』
『……そうだった。
私達は、貴族だったな』
『連れ子を殺す当主も多い中で
クラールは、命は助けられていた。
母君が当主と契約でもしていたのだろうな。
母君が亡くなってからは、追い出されていたが』
どれもこれも、よくある話だ……。
あの国にいる時は、そういうモノだと受け入れていたが
今ではもう無理だ……。
『……そうだな。
頼んでみよう』
私がそう返答すると、ファライルはホッとしたように
優しく笑った。ずっと、気に病んでいたのかもしれない。
静かに笑うクラールの姿を思い出す。
自分の息子であるアルヴァンに、先を越されても
腐ることなく、強くなるために剣の腕を磨いている。
手合わせをするのが楽しみだな……。
『レイファは、心が強くなったようだ。
もう、魔物を見ても泣かないのだろう?』
『……いつの話だ。
私達は、冒険者だ』
『そうだったな……』
ファライルの目に、罪悪感と労わるような
光が宿った。
『お前が……どれほど苦労して来たのか
私にはわからない……』
『……苦労も多かったが
喜びも多かった。ヤトも私を支えてくれた』
『そうか。そうだな。
私達の息子なのだから、当然だな』
ファライルは、くしゃりと表情を歪めてから
一度俯いて、静かに涙を落とし暫くして顔をあげた。
『さようならだ。*****』
ファライルは最後に
私の本当の名前を呼んでくれた。
行かないでほしいと。
そう告げても無駄なことはわかっていた。
今の彼と私の人生は、もう交わることがないのだから。
私を慈しむように、ファライルはふわりと
背後から抱きしめ。それが合図だったように
仲の良かった人達が、私に言葉をかけ
頭を撫で、肩を叩き、抱きしめて消えていく。
私も、笑おうと努力するのだが
会いたかった人達の姿と声を聞き
涙があふれて止まらず、言葉を返すこともできない。
彼等は、次々に言葉を落としては
笑いながら光となって消えていく。
そして、最後に私の前に立ったのは
ファライルの両親だった。
『……申し訳ありません。
ごめんなさい。ごめんなさい』
ずっとずっと、言いたかった言葉だ。
許してもらえなくても、言いたかった言葉だ。
ヤトを選んで、国を捨てたことで
ファライルの一族が粛清されたのかもしれない。
『*****のせいではない』
『そうよ。前王を慕っていた
私達が、目障りだったのよ』
『……それでも』
『遅かれ早かれ、私達は殺されていたよ。
それでも、逃げなかったのは前王との約束を
最後まで守りたかったからだ。子供達だけは
逃がす算段をしていたのだが、王が動くのが
思ったよりも早かった』
『そうよ。貴方のせいではないのだから
もう、気に病むのはおやめなさい』
『……』
『私達は感謝しているよ。
*****が、私達一族の血を守ってくれた』
『ええ。立派な孫を見ることが叶ったわ。
リシアの総帥とか、笑ってしまったけれど』
ホホホと、母上が上品に笑った。
『君の人生を、君らしく歩みなさい。
私達もそのうち、この国に生まれてくることだろう』
『そうね。皆で願う事を決めていましたからね』
『……』
『君の御父上が、君の居場所とヤトのことを
教えて下さったのだよ』
『……そうですか』
『ファライルが、貴方の傍に生まれ変わることを
知っていたのよ。なら、私達もあんな愚王の所ではなく
リシアという国で生まれ変わったほうが楽しいと思ったの』
『……』
『エレノア。姿形は違っても
私達はまた会える。泣くな』
『……はい』
『幸せにね。エレノア。
また会いましょう』
二人は笑ってそう告げてから、光となって消えた。
『さて、私もそろそろ行くよ』
『……』
ファライルがそっと、私から離れ
私は、最後にファライルを見るために振りかえる。
『君に幸あれ。エレノア』
行かないで、という言葉を
必死に飲み込むために、歯を食いしばった。
そんな私を慰めるように、優しく私の頭を撫で
少し目を細めてから、ゆっくりと最後の言葉を落とした。
『またな』
『……はい。また』
笑いながら、光となって消えていく
彼の姿を、自分の心に焼き付けた……。
涙が止まることなく溢れる私の前に
フィーがそっと、姿を現した。
『……フィー?』
『そうなのなの』
『……精霊は、夢の中にもはいれるのか?』
『ここは、夢の中であって夢の中ではないのなの。
説明するのは面倒だからしたくないのなの』
『……そうか』
『ちゃんと、お別れはできたのなの?』
『……できた』
『よかったのなの?』
『……あぁ。上位精霊様にもフィーにも
とても感謝している。ありがとう』
もう二度と会えないと。
言葉を交わすこともないと……思っていたのだ。
『楽しませてもらった対価なのなの』
それは、激しく微妙だ。
私は楽しませた覚えない……。
『……それで、用があるのだろう?』
『そうなのなの。他言できないように
フィーがここに来たのなの』
『……話してはいけないのか?』
『精霊が関与したことは
話さないでほしいのなの。
エレノアとの対価は、あくまでも
風のお姉さまの祝福だけなのなの。
セツナにも話してはいけないのなの』
『……どうして』
『その理由を知る必要はないのなの』
知る必要がないと言われてしまえば
それ以上、追求することはできない。
それでも、どうして彼の魂の欠片が
水辺に行かずに、剣に留まっていることを
知っていたのかが気になり、答えてくれないかも
しれないと思いながらも、フィーに尋ねた。
『風のお姉様が
ヤトの剣を見て気が付いたのなの』
フィーは、私の顔を数秒眺めて
軽く溜息を吐いてから、私の問いに答えてくれた。
『ヤトの剣に、そういった魔法が刻まれているのなら
エレノアの剣にも、刻まれているかもしれないと
お姉さまに伝えただけなのなの。
他の精霊を動かし、手配をしてくれたのは
お姉さまなのなの。だから、お姉さまにお礼を
忘れてはいけないのなの』
『……もちろん、上位精霊様にも礼はする。
だが、フィーがその言葉を伝えてくれなければ
私は、ファライルに会えなかった。ありがとう』
『別に、エレノアだけの為ではないのなの』
『……』
『こういった案件は、時々あることなの。
水辺に行く前に、大切な人とお別れをするために
何かを残す能力を持つ人間は、珍しくはないのなの。
ただ、残された本人が手の届かない所に居て
願いを叶えられない状態で解放してしまうと
そのまま彷徨って、魂が消滅する恐れもあるから
本来なら、手を出すことなく見守るだけなの。
エレノア達の場合だと、エレノアが生きている限り
あの剣に刻まれた魔法はとけることがなかったのなの。
だから、お姉さまが動かなければエレノアが水辺へと
旅立った後に、他の精霊が解放していたと思うのなの』
私は、運が良かったということか……。
いや違うか。
『……感謝する。
フィーが口添えしてくれたのだろう?』
『……』
フィーは何も言わなかったが
きっと、彼女が頼んでくれたのだろう。
これ以上、私と話す気はないというように
軽く溜息を吐いてから、フィーが口を開く。
『このまま、朝までぐっすりと眠るのと
起きるのとどちらがいいのなの?』
『……まだ、夜だろう?』
『夜明けはまだ先なのなの。
でも、アラディス達はお揃いの衣装を着て
セツナと話をするために、出かけたのなの』
『……そうか。
なら、私も行く事にしよう』
『わかったのなの。
私から聞いたという事は、秘密なの』
『……了承した。
気配で起きたと告げておく』
『それでいいのなのなの~』
この言葉を最後にして、私は夢の世界から目が覚めた。
目元に残る涙をぬぐい、溜息を一つ吐き出す。
思ったよりも、自分の感情が落ち着いているのは
それだけの月日が流れていたからかもしれない。
寂しさはあるが……。
今の私はもう、*****ではなくエレノアだから。
ベッドから抜け出し、衣装棚へと向かう。
お揃いの衣装を身に纏っていたという事は
騎士隊の服を着ていったのだろう。
ファライルも、そして彼の両親達も
私の幸せを願ってくれた……。
ファライルと共に過ごした微睡の時間を
終わらせることに、胸が痛んだが……。
それを振り払うように、騎士隊の服を手に取った。
「過去に留まるな」そう自分に言い聞かせ
濃紺色の隊服に、袖を通す。
アラディス達と新しい朝を迎えるために……。