『 甘い記憶 』
海が綺麗に見える丘があるんだと、フィーが教えてくれた。
季節は冬。日暮れがはやく、空には薄く月が見えていた。
「ここなの~」
フィーの案内で、3人でゆっくりと坂を上り目的地にたどり着く。
「おぉぉぉぉぉ!」
アルトが、昨日と同じように感動を叫び声で表している。
アルトが、手すりのあるほうへと走っていく背中を
僕はゆっくりと追いかける。
「すげー!」
小高い丘から見える海は、とても綺麗だった。
アルトに追いつき、手すりに手をかけた瞬間。
僕の頭に、入ってくる記憶。
記憶の中の景色は、手すりなどなく明かりもまばらだった。
丘の上に、花井さんが1人立ち静かに海を眺めている。
僕からは背中しか見えない。夜の海は何処か不気味だ。
それでも、大きな満月が海の表面をほんのりと照らしていた。
『シゲト』
軽く息を弾ませながら、花井さんを呼ぶ声はリシアさんのもの。
花井さんは、ゆっくりと振り返り、リシアさんの姿を瞳の中へと入れた。
『どうした?』
『どうしたじゃないわよ!
ご飯の時間になっても、戻ってこないから探しに来たの!』
『ああ、それは悪い』
『何をしていたの?』
『何をしていたわけでもない。
ただ、海を見ていた』
『ふーん』
『戻ろうか』
『私は、いまきたばかりよ!』
リシアさんの少し拗ねた様子に、花井さんは目を細めながら笑った。
『夕食はいいのか?』
『後で、暖めなおせばいいことだし』
『そうか』
『夜の海より、昼間の海の方が綺麗なのに
どうして、夜に来るの?』
『昼間は、人が多いだろう?』
『確かに多いけど』
『静かに、海を眺めたい時もあるという事だ。
私は、夜の海も好きだしな』
『なら、私はお邪魔だった?』
『そんなことはない』
そう言って、花井さんは視線を海へと戻す。
リシアさんは、そんな花井さんをじっと見つめそして
海に視線を向けた。
2人に会話はなく、ゆっくりと時間が過ぎているようだ。
リシアさんの視線が、下から上へと移動する。
『シゲト』
リシアさんが、花井さんを呼ぶ。
花井さんが、静かに視線をリシアさんへとうつした。
2人の視線が交わる。見つけた宝物を花井さんに教えるように
楽しそうな声で、リシアさんが言葉を紡いだ。
『今夜は月が綺麗だわ』
『……』
リシアさんは、見惚れるような笑みを花井さんに見せ
もう1度空へと視線を戻す。
『ああ、私は死んでもかまわない』
『え?』
『死んでもいい』
『ええ!? どうして!?』
花井さんの言葉に、驚いたようにリシアさんは
花井さんを凝視する。その目は不安げに揺れている。
『君が、私の目を見つめて
月が綺麗だと言ったから』
『えー!? 月が綺麗だと死んでもいいの!?』
2人のかみ合わない会話に、花井さんが小さく笑った。
『ああ』
花井さんが、リシアさんの細い腕を取り
自分へと引き寄せ、その腕の中にリシアさんを閉じ込めた。
『シゲト?』
動揺している、リシアさんを胸の中に閉じ込めたまま
花井さんが、リシアさんの耳元で囁くように告げる。
『私以外の男の目を見て、月が綺麗だとは絶対に言うなよ?』
『どうして!?』
意味がわからないという瞳を向けているリシアさんに
花井さんは、その意味を楽しそうに教えた。
見る見るうちに赤くなっていくリシアさん。
そんなリシアさんを、花井さんは愛しそうに見つめていたのだった。
『この世界で、知っている人間は居ないだろうが
私の胸中が、穏やかではなくなるからな』
リシアさんは、真っ赤になりながらコクコクと頷いている。
『ああ……。もう1度言ってくれないか?』
『え……』
『このまま、先程の言葉をもう1度言ってくれないか?』
『あ……えー……』
恥ずかしさからか、瞳に涙を薄っすらと浮かべながら
リシアさんは、花井さんを見つめているだけで
口を開く事が出来ない。
花井さんは、そんなリシアさんに甘い笑みを見せ愛の言葉を囁いた。
『今夜は、月が綺麗だな。リシア』
『……』
リシアさんは赤い顔のまま、花井さんにギュッと抱きつき
花井さんの胸の中で小さく頷いたのだった。
「……なの~」
「……う?」
「セツナ!!」
「師匠!!」
アルトとフィーが、僕を呼ぶ声で我に返った。
「大丈夫なの?」
「大丈夫?」
僕を何度か呼んでいたのだろう
2人が心配そうに、僕を下から見ていたのだった。
「大丈夫だよ」
「よかったのなの」
「師匠、辛いなら我慢しないでね!」
「うん、ありがとう」
アルトとフィーは、僕の言葉に安心したのか
興味のあるものへと視線を移動させ、走っていった。
暫く2人の様子を眺め、そして海を見る
今の僕の胸の中にある感情は、懐かしさと切なさ。
そして……少しの羨望。
僕もいつか、トゥーリの瞳を見つめながら
月が綺麗だと伝える事が出来るだろうか。
手に取ることを諦めた、首飾りを思い出し
海から月へと視線をうつす。
青みを帯びてきた月を眺め、僕は彼女を想った。
夏目漱石 【月が綺麗ですね】
二葉亭四迷 【死んでもいいわ】を参考にしています。