第6話「最初の仕事」
王立苦情処理局の朝は、今日もカビの匂いと澱んだ空気に支配されていた。
エリシアは昨日と同じ傷だらけのデスクに、真っ直ぐな姿勢で座っている。
昨日の投書整理でユリウスの評価を受け、今日から正式に案件補佐へ入る日だ。
純白の絹の手袋は昨日の作業で微かに黒く汚れている。だが彼女はそれを取り替えず、誇り高き戦いの証としてそのまま身につけていた。
ユリウスは自分のデスクで分厚い革手帳を開き、黙々と書き物をしている。
根拠のない悪意にさらされることなく、ただ事実だけに向き合えるこの場所は、今の彼女には何よりも静かで心地よかった。
「またこんなくだらない苦情かよ。本当に暇な連中だぜ」
奥の席で、無精髭の若い局員が一枚の薄汚れた紙片をつまみ上げてひどくつまらなそうに鼻で笑った。
「局内で備品がなくなるなんてネズミの仕業に決まってる。いちいちこんな報告をしてくるんじゃねえよ」
紙切れをゴミ箱へ放り投げようとした腕を、エリシアは滑らかな動作で制した。
「お待ちください。その書類を見せていただけますか」
若い局員がびくっと肩を震わせて紙片を差し出す。
受け取った紙には、局内で頻発している些細な備品紛失の記録が記されていた。
なくなっているのは紙束、蝋、封蝋、帳簿用の糸——どれも安価な消耗品ばかりだ。
しかしエリシアの直感が、その無機質な羅列に奇妙な違和感を覚えた。
ただのネズミなら、蝋をかじることはあっても紙束や糸まで均等になくならない。人間が意図的に持ち出しているなら、もっと価値のあるものを狙うはずだ。
その矛盾が彼女の頭に小さな引っかかりを生じさせた。
彼女は誰にも告げずに薄暗い備品室へと一人で向かった。
そこは局内の人間ですら滅多に近づかない、長年放置されたような陰鬱な空間だ。古い紙の湿った匂いがかすかに鼻を突き、少し動くだけで埃が舞い上がる。
白い手袋が汚れることも気にせず、備品が置かれているはずの木板に鋭い視線を落とした。
紛失の報告は一週間前と三日前の二回。外部からの侵入者なら金目のものを狙うはずで、価値のない消耗品だけを盗む理由がない。
分厚く積もった埃の表面に、何かが引きずられたような真新しい切れ目を発見した。
その形を脳裏に焼き付け、今度は過去の記録簿の束を開いて閲覧された日付を確認する。
備品が紛失した日と、特定の古い記録簿が不自然に持ち出された形跡が——完全に一致していた。
これは偶然ではない。
エリシアは備品室から戻り、局員たちの動きを注意深く観察し始めた。
ちょうど他部署から書類を運んできた庶務係の男が部屋に入ってくる。彼はエリシアの鋭い視線を認めた瞬間、不自然に目を泳がせた。
額に微かに汗が浮かび、そそくさと書類を置いて足早に去っていく。後ろめたさを隠しきれていない。
さらに壁際の保管箱を確認すると、数年前の古い年度の箱が一つだけ、手前に数ミリ引き出されていた。
誰かがごく最近、その中身を漁ったことは明白だ。
バラバラだった情報が、一本の線に繋がった。
なくなっているのは、公式な記録簿を新しく綴じるための道具——紙束と蝋と封蝋と帳簿用の糸だ。
つまり誰かが古い保管箱から不都合な記録を抜き取り、別の記録に偽装し直した。そのためにあの備品が必要だったのだ。
備品の紛失は、重大な記録改ざんという犯罪の痕跡に過ぎない。
この事実に気づいた瞬間、エリシアの頭は久しぶりに鋭く冴えわたった。
王宮の広間で感情を押し殺していた時とは全く違う、自分の論理が不正を切り裂く熱い感覚だ。
事実という強固な足場に立って世界を正しく見つめ直す、この感覚こそが彼女の本来の場所だった。
迷いのない足取りでユリウスのデスクへ向かう。
「次席、この備品紛失の苦情は単なる盗難ではありません。過去の重大な記録を改ざんするための、周到な偽装工作です」
ユリウスがペンを止め、ゆっくりと顔を上げた。彼の眼光が彼女の顔を射抜くように見つめる。
革手帳をパタンと閉じた。
「ほう。その根拠は」
エリシアは備品室の埃の切れ目、保管箱の乱れ、庶務係の不審な態度、記録簿の日付の一致——すべてを感情的推測を排し、物理的な痕跡と論理だけで積み上げた。
ユリウスは最後まで無言で聞き終えると、小さく鼻を鳴らした。
「ただの備品係の怠慢で処理するつもりだったが、どうやら本当に真っ黒な裏があるようだな。雑音の中に紛れ込んだ本物の悪意をよく見つけた」
擦り切れた外套を羽織り、大股で歩き出す。
「行くぞ。改ざんされた記録の正体を今から暴きに行く」
エリシアは微かに汚れた白い手袋を胸の前で強く握りしめた。
手袋の下の爪痕はもう無力感の痛みではない。不確かな空気の世界でただ一つの真実を掴み取るための、覚悟の痛みだ。
彼女はユリウスの背中を追って、埃まみれの部屋を後にした。
硬い靴音が廊下に冷たく響く。彼女の瞳には、どこまでも冷徹で澄み切った光だけが宿っていた。




