第5話「苦情の山」
王立苦情処理局の薄暗い部屋に、埃っぽい空気が漂っている。
エリシアは与えられた投書の束を前にデスクへ向かっていた。ユリウスが乱暴に置いていった雑多な苦情の山だ。
「明日までに分類しろ」という指示に対し、「一時間で十分です」と答えた以上、その言葉を証明しなければならない。
地方から届いた陳情書や匿名の投書はどれもひどく汚れ、泥の跳ねた跡、油じみ、手垢の汚れが紙の表面を覆っている。
華やかな王宮の書簡とは全く別の、生活の泥臭い残滓だ。
一枚目の紙を手に取り、鋭い視線を落とす。
くだらない隣人トラブルの文句や役人への不満が書き殴られている。同じ話を繰り返す支離滅裂な訴えもあり、一見するとただの感情的なゴミの山だ。
しかしエリシアの頭脳は、文字の羅列の奥に潜む物理的な痕跡を見抜いていた。
紙の質、インクの匂い、言葉の選び方——それらの断片が彼女の中で結びついていく。
誰かが耐えきれずに上げた切実な声なのか、単なる鬱憤晴らしなのか。彼女の目は欺瞞を許さない。
「これは南部の穀倉地帯からの、税の取り立てに関する訴えですね」
部屋の奥で様子を窺っていた二人の局員が、びくっと肩を揺らして彼女を見る。
「文面はひどく乱暴でただの言いがかりにも見えます。だが筆圧が異常に強い」
指先でインクの滲んだ文字の裏側をなぞり、紙に刻まれた深い窪みを確かめる。
「紙の端に何度も折り直した跡がはっきり残っています。代書屋に頼む金もない者が、悩み抜いた末に村で一番字が書ける者に託したのでしょう。文面の拙さに反して、切迫度は極めて高い」
彼女はそれを緊急案件の束へ迷いなく置いた。
カサリという乾いた音が、埃っぽい部屋に重々しく落ちた。
次いで数枚の書類をまとめて抜き出した。上質な羊皮紙に美しい飾り文字で書かれている。
「こちらは複数の街から届いた、特定の商会の流通独占を憂慮する投書です。名義も文面も異なりますが、すべて弾きます。ただの偽装工作に過ぎません」
ユリウスがペンを止め、背中を向けたまま根拠を問うた。
「その理由は」
「インクの滲み方と文末の跳ねの癖がすべての書類で一致しています。さらにどれも、市場の公正を憂慮するという大仰な正義感を声高に掲げている」
真の苦痛を持つ者は自己の救済を求めるのであって、見も知らぬ他人の利益まで案じる余裕などない。
「どこかの対立商会が民意を偽装して行政を動かそうとしているだけです。我々が民意として扱う価値は全くありません」
偽装された投書を無価値な雑音の束へ冷酷に放り投げる。束は机の端に音を立てて落ち、二度と顧みられることはなかった。
それからわずか数十分後、積み上がっていた投書の束が完全に処理されていた。
無価値な雑音と、直ちに救済すべき本物の悲鳴とが、見事に二つの束へと分けられている。
部屋は完全な静寂に包まれた。二人の怠惰な局員は、幽霊でも見るような目でエリシアを眺めている。
ユリウスが静かに立ち上がり、仕分けられた書類の束に手を伸ばした。
紙をめくるカサッという乾いた音だけが不気味なほど大きく聞こえる。
彼の指先が紙の折り目や筆圧の強さを確かめるようになぞっていく。
やがて彼の手がピタリと止まり、書類を静かに置いた。
「なるほど」
沈黙を破る、乾いた短い一言だ。
「雑音と本物の悲鳴を分けられるのは便利だ」
称賛でも哀れみでもない。ただ実力のみを測る、絶対的な評価の言葉だった。
「明日から本格的に案件補佐に入ってもらう。絶対に足手まといにはなるなよ」
それだけ言い残すと、彼は再び自分のデスクへ戻り実務に没頭し始める。
エリシアは自分のデスクに座り、小さく長く息を吐いた。
手元の純白の手袋の指先に、黒いインクと埃が付いている。
取り替えようとして、その動きを止めた。
手袋の下の爪痕が、時折ズキズキと熱を持つ。誰にも理解されず、空気に切り捨てられた屈辱の傷だ。
しかし今日、この埃まみれの場所で彼女は事実を処理する能力だけで評価された。
好かれる必要も、微笑む必要もない。ただ隠された悲鳴を拾い上げ、正しく対処する人間として——あの無愛想な男は自分を認めてくれた。
その事実が、エリシアの強張った胸の奥に奇妙なほど温かい安堵をもたらしていた。
「ええ、お任せください」
誰にも聞こえない小さな声で呟き、微かに汚れた白い手袋をそっと握り直す。
薄暗い部屋の窓から差し込む一筋の光が、彼女の机の上の書類の山を白く照らし出していた。
彼女は姿勢を正すと、新たな書類の束へ静かに手を伸ばした。




