病み魔導士トールの冒険
◆
雷鳴が天地を揺るがした。
青白い稲妻が大気を切り裂き、巨大な岩竜の鱗を粉砕する。
山ほどもある魔物がたった一撃で灰と化した。
「なんて威力だ……」
剣士のカインが呆然と呟く。
A級冒険者でも苦戦する岩竜が塵となって風に散っていく。
トールは杖を下ろし震える手を見つめた。
今の雷撃は昨夜仲間から受けた罵倒で生まれた負の感情を変換したものだ。
"負の雷撃"のスキルが、彼の心の傷を途方もない破壊力に変えていく。
そして"共鳴"のスキルが、常に彼と仲間を繋いでいる。
剣士のカインが息を呑むが、すぐに顔をしかめる。
トールの心から流れ込んでくる虚無感に胸が締め付けられたからだ。
トールがこの後の事を考えているのだろう。
「トール……」
「すみません」
トールは振り返らずに謝った。
カインの同情と苦痛が、ダイレクトに伝わってくる。
それがまたトールの心を抉った。
宿への帰路は地獄だった。
全員が無言で歩く。
しかし心は繋がってしまっている。
トールの罪悪感。
仲間たちの葛藤。
それらが"共鳴"によって混ざり合い、増幅していく。
「今夜も、準備を」
ガルドが言いかけて言葉を飲み込んだ。
トールから伝わる諦念があまりにも重い。
「はい、お願いします」
トールの声は穏やかだった。
「明日はより強大な魔物との戦いです。もっと力を蓄えなければ」
その穏やかさの裏にある絶望を全員が感じ取ってしまう。
酒場の片隅。
いつもの拷問の時間。
「なあ、トール」
ガルドが重い口を開いた。
「なぜそこまでして力を求める?」
トールは少し黙った後、静かに答えた。
「『赤鬼』を倒すためです」
空気が凍りついた。
赤鬼。
その名は冒険者の間では伝説となっている。
災厄級の特殊個体だ。
「十二年前、僕の村を襲ったんです」
トールの声は淡々としていた。
しかし"共鳴"を通じて、その奥底にある憎悪と悲しみが伝わってくる。
「両親も、幼馴染も、みんな殺されました」
映像のようにトールの記憶が流れ込んでくる。
炎に包まれる村。
血の海。
そして、赤い肌をした巨大なオーガが笑いながら人々を引き裂いていく光景。
「うっ……」
ミラが口を押さえた。
トールの記憶があまりにも生々しい。
「だから、強くならなければならないんです」
トールは仲間たちを見た。
「皆さんを苦しめていることは分かっています。でも……」
「始めるぞ」
カインが拳を震わせた。
すでに始まっている。
トールの"共鳴"によって、カインの苦悩がトールに流れ込んでいる。
(言いたくない、言いたくない、言いたくない)
カインの心の叫びがトールを打ちのめす。
「大丈夫です、カイン」
トールが優しく言った。
「僕のためにお願いします」
(なぜそんなに優しいんだ)
カインの慟哭が"共鳴"を通じて響く。
「トール、お前は……役立たずだ」
声が震えた。
瞬間、トールの心に激痛が走る。
言葉の刃だけではない。
カインの自己嫌悪も一緒に突き刺さってくる。
「そうですね」
トールが微笑む。
その微笑みに込められた悲しみがカインに逆流した。
共鳴のスキルは非常に有用だが同時に厄介でもある。
自身の感情を相手に伝え、影響下にある相手の感情を自身にフィードバックしてしまうのだ。
トールがなまじ善良なのがタチが悪かった。
そのせいでトールの被害者感が増してしまう。
トールはまぎれもなく加害者なのだが──。
「まだ足りません」
トールの声が響いた。
「もっと……もっと酷いことを言ってください」
懇願するような眼差し。
カインが歯を食いしばった。
「てめえみたいな奴がいるから、俺たちまで狂っていくんだよ!」
その通りであった。
トールはこれまでいくつものパーティを壊している。
それに対して罪悪感も抱いている。
怒鳴り声と共にカインの自己嫌悪がトールに流れ込む。
トールは小さく震えた。
しかし、まだ足りない。
「もっとです」
「ふざけるな!」
ガルドが立ち上がった。
拳でテーブルを叩く。
酒瓶が倒れ、床に転がった。
「なんで俺が……なんで俺がこんなことを!」
椅子を蹴飛ばす。
木製の椅子が壁に激突し、砕け散った。
「お前は仲間じゃない、ただの呪いだ! お前と出会ったのが間違いだった!」
本心ではない言葉がガルドの心を引き裂く。
その苦痛が"共鳴"でトールに伝わり、二重の傷となって刻まれる。
「まだ……まだ足りません」
トールが震え声で言った。
青白い光が強くなってきている。
「足りない!? 足りないだと!?」
ガルドが咆哮した。
「ふざけるなよ、トール!」
別の椅子を掴み、床に叩きつける。
「お前は……お前は俺の命を救ったんだぞ!」
ガルドの目から涙が溢れた。
「あの時、ワイバーンに囲まれて、もう駄目だと思った時! お前が雷撃で救ってくれた!!!」
拳を震わせながら、ガルドは続ける。
「ミラが毒にやられた時も、お前が一晩中看病して、薬草を探し回って!」
声が掠れた。
「カインが罠にはまった時、知恵を巡らせてそれを解除してくれた! お前は優秀だ! 仲間の為に傷つける優しい男だ!」
ガルドの慟哭が"共鳴"を通じてトールに流れ込む。
感謝と、罪悪感と、やり場のない怒りが混ざり合った感情の奔流。
「なのに! なのになんで俺が! 恩人を罵倒しなきゃならないんだ!」
壁を殴りつける。
拳から血が滲んだ。
「お前のおかげで、俺たちは何度も生き延びた! お前は最高の仲間だ!」
ガルドは膝をついた。
「なのに……なのに俺は今、お前を『呪い』だと言った」
嗚咽が漏れる。
「クソッ! クソッ! なんでこんなことに!」
トールは静かに立っていた。
ガルドの感情が、波のように押し寄せてくる。
怒りの奥にある深い友情と、それを裏切らざるを得ない苦痛。
「ガルド……ありがとうございます」
トールの感謝の言葉が、ガルドを完全に壊した。
「謝るな! 感謝するな!」
ガルドが叫んだ。
「俺はお前を傷つけてるんだぞ! なんで……なんでそんな優しい顔するんだよ!」
「もう無理よ!」
ミラが立ち上がった。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、トールを指差す。
「あなたなんか大嫌い! 気持ち悪い! なんでそんな風にしか力を得られないの!?」
絶叫しながら、ミラは嗚咽を漏らした。
「こんなことさせないでよ! なんで私があなたを傷つけなきゃいけないの!?」
ミラの怒りと悲しみが濁流のようにトールに押し寄せる。
トールの目から涙が溢れた。
それでも彼は言う。
「ありがとうございます……もっと、お願いします」
「死ねばいいのに!」
ミラが叫んだ。
次の瞬間、ミラは自分の言葉に打ちのめされた。
トールの心に刻まれた深い傷が、そのまま"共鳴"で返ってくる。
死ねばいいと言われた時の、トールの絶望が。
「あ……ああ……」
ミラが崩れ落ちた。
自分が何を言ったのか、それがどれほどトールを傷つけたのか、全て感じ取ってしまった。
青白い光がトールを包む。
負の感情が雷撃の力に変換されていく。
その光は今までになく強烈だった。
その夜、トールは一人部屋で膝を抱えていた。
(一人でやればいいのに)
自分を責める声が頭の中で響く。
(誰も傷つけずに済むのに)
でもそれは不可能だった。
赤鬼について調べれば調べるほどその恐ろしさが明らかになっていく。
災厄級の再生能力。
複数の上級魔法を同時展開する知能。
そして、特級──S級のさらに上の冒険者のパーティを単独で壊滅させた戦闘力。
(一人では勝てない)
トールは震える手を見つめた。
(僕には仲間が必要だ。僕を罵倒しても壊れない、強靭な心を持った仲間が)
でも、そんな都合のいい人間がいるだろうか。
自分の"共鳴"に耐えられる精神力を持ち、なおかつ赤鬼と戦えるだけの実力を持つ者。
(見つけるしかない)
トールは拳を握りしめた。
(何人傷つけても、何人壊しても)
その決意がまた自己嫌悪を生む。
終わりのない苦痛の螺旋だった。
翌朝は誰も目を合わせなかった。
お互いの心が分かりすぎる。
トールは皆の苦痛を知っている。
皆もトールの絶望を知っている。
◆
そして今日、彼らは双頭竜と戦うことになっていた。
街一つを平気で滅ぼす大怪獣である。
戦場でトールは杖を掲げた。
昨夜蓄えた負の感情が凄まじい雷撃となって解き放たれる。
天を貫く雷柱。
大地を抉る稲妻。
双頭竜の片方の首が、一撃で消し飛んだ。
「すげぇ……」
カインが震えた。
これほどの威力は見たことがない。
しかし同時に、この力がどれだけの苦痛から生まれたかも知っている。
ついで二撃目で双頭竜の残った首を吹き飛ばす。
当代の勇者にすらこんな真似はできないだろう。
しかし誰も勝利を喜ばなかった。
この後は拷問がまっているからだ。
◆
三週間後、限界が来た。
「トール」
ガルドが震え声で呼んだ。
トールは全てを察していた。
ガルドの決意も、苦悩も、申し訳なさも、全て"共鳴"で伝わっている。
「分かっています」
「まだ何も……」
「でも、伝わっています」
トールは静かに微笑んだ。
その微笑みに込められた諦めと理解が、ガルドの心を粉々にした。
「すまない、本当にすまない」
ガルドが崩れるように頭を下げた。
「もう、みんな限界なんだ。毎晩お前の悲しみを感じて、罪悪感で眠れない」
「知っています」
トールの声は穏やかだった。
「皆さんの苦しみも、全部感じています」
「赤鬼のことは……」
「大丈夫です」
トールは荷物をまとめ始めた。
「まだ、僕は十分に強くありません。もっと力をつけなければ」
その言葉に、ガルドは息を呑んだ。
まだ足りないというのか。
あれほどの雷撃を放てるのに。
「なぜ一人でやらない? お前ほど強ければ──」
ガルドの問いに、トールの手が止まった。
「……赤鬼は、一人では倒せません」
トールの声は苦渋に満ちていた。
「調べれば調べるほどわかるんです。だから僕は……」
(仲間を求め続ける)
その言葉は口に出さなかった。
しかし"共鳴"でガルドには伝わってしまう。
トールの終わりなき探求。
自分の罵倒に耐えられる鋼の心を持った仲間を求める旅。
「そんな奴、いるのか……」
ガルドの呟きに、トールは答えなかった。
ただ深い孤独だけが伝わってきた。
◆
そして新しい街でも。
「『共鳴』持ちで『負の雷撃』使い……」
冒険者ギルドの受付嬢が青ざめた。
「あなたが噂の『病み魔導士』ね」
「はい」
「赤鬼討伐が目的だと聞いているけど」
「はい」
受付嬢は書類に目を通した。
「確かに実績は凄まじいわね。古龍種まで倒している」
「仲間の犠牲の上に成り立っています」
トールの言葉に込められた自己嫌悪が受付嬢にも伝わった。
「っ……」
受付嬢が息を詰める。
心臓を鷲掴みされたかのような苦悩が受付嬢を襲った。
「や、やめて──分かったから、探すから……許して……」
トールは頷き、ギルドを去っていく。
◆
数日後、トールを受け入れるパーティが現れた。
だがまあ結果はお察しだ。
それからも幾度もトールと組みたいというパーティは現れる。
赤鬼討伐という目的に共感して。
あるいは、その圧倒的な戦闘力に魅力を感じて。
しかし結果はいつも同じだった。
二十番目のパーティでのことだった。
リーダーが土下座していた。
「頼むから……頼むから出て行ってくれ」
「分かりました」
トールは静かに頷いた。
心から漏れる安堵。
(ようやくこの人たちを解放できる)
その思いが"共鳴"で伝わり、リーダーは慟哭した。
「お前の両親の仇のことは分かる。だが、俺たちを巻き込まないでくれ」
「申し訳ありません」
トールの謝罪は心からのものだった。
それがまたリーダーの心を抉る。
◆
そんな日々が繰り返され、トールは今、最北の街にいた。
ここは赤鬼の目撃情報が最も多い地域だ。
「三十二番目、か」
ギルドの受付嬢が書類を見つめる。
「平均在籍期間、二十三日」
「はい」
「それでも諦めないのね」
「諦められません」
トールの瞳には消えることのない炎が宿っていた。
両親の最期の光景が今も脳裏に焼き付いている。
「次のパーティの紹介を、お願いします」
受付嬢は深いため息をついた。
「また同じことの繰り返しよ」
「違う人がいるかもしれません」
トールの声には、かすかな希望が込められていた。
「僕の『共鳴』に耐えられる、強い心を持った人が」
「そんな人、いるの?」
「いなければ、赤鬼は倒せません」
トールは真っ直ぐに受付嬢を見た。
「だから探し続けます。僕を罵倒しても平気でいられる、本当に強い人を」
受付嬢は言葉を失った。
トールの瞳に宿る狂気じみた決意に息を呑む。
彼は分かっているのだ。
自分が求めているものがどれほど非現実的か。
それでも探し続ける。
仲間を壊しながら。
自分を責めながら。
今日もまた新たな犠牲者が生まれる。
トールは分かっている。
自分が仲間を壊していることを。
それでも止まれない。
赤鬼を倒すまでは。
両親の仇を討つまでは。
たとえ、その道程で無数の心を傷つけようとも。
雷鳴が遠くで響いた。
まるでこれから起こる悲劇を予告するかのように。
病み魔導士トールの旅は今日も続く。
(了)