さて、
「なんで今なの?」
などと思うような悲劇的サムシングは、何の変哲もないごくごく一般的な生活を送っていれば、
さも当たり前かのように起こるものであることは、周知の事実ではなかろうか。
人はそれを不幸や不運などと、言い得て妙な形容し難い便利な言葉でカテゴライズする。
時として、それを嘆き。
時が流れ、それを嘲笑い。
時にして、それを回顧する。
今こうして、映えある1ページ目に「それ」を書こうとしようとしていると言うことは、
「それを嘆き終え、嘲笑える程に視野が確保でき、
回顧できる程に頭が働かせられる」くらいには、
時の無駄遣いを済ましたことに他ならない。
...おっと、いけない。
悪い癖が文章にまで出てしまっているではないか。
「報告は結論から言いなさい」
「じゃあ、結論だけで決裁してみろよ」
...おっと、いけない。
無駄話は好きだが、前置きは嫌いだ。
「自分がされて嫌なことは、他人にやってはいけない。」
「じゃあ、自分がされて嬉しいと思えることを増やせば、バリバリ最強No.1ってことで良いかしら?」
...もう良いか、時間稼ぎは。
強がっても、自分の気持ちの整理というのは、
結局、時間だけでは解決できそうもないようだ。
さて。
どうやら明日、私はネイブル(星の臍)に行かなくちゃいけないらしい。
明日は、卵の特売日だというのに。