ベーコンエピとその中身
ウィスタリア公爵家で養子縁組の手続きを済ませたザックは、その足で定住宿へと向かい荷物をまとめることになった。
まとめると言っても荷物の殆どをアイテムボックスに入れており、宿へは寝るためだけに帰っているのだとロナルドに伝えれば、「ではすぐにでもこの屋敷に移れるね」と圧の強い笑顔で言い切れられてしまった。心強いともいえるが何とも怖い兄である。
「では私が帰るついでに宿へと送ろうか」
第二王子であるアレックスにそんな事を言われてしまったが、ザックは勿論丁重にお断りをした。
王子に送迎させるだなんて絶対に出来ないし、やりたくない。庶民しかいないあの宿に王子が出向けば大騒ぎになるのは確実だ。ザックの心臓がいくつあっても足りない。胃に穴が開きそうだった。
「アイザック、我々はいとこなんだから遠慮なんてしなくていいんだよ」
アレックスよ、これは遠慮ではない、周りへの気配りだ。
そんな言葉を呑み込んだザックに、出来る執事であるウォルターが声を掛けてくれた。
「イザベラお嬢様も屋敷にいらっしゃいますので、馴染みのあるマイクに馬車を用意させましょう」
ザックとマイクは顔見知りだ。
ベルの誘拐事件の事があって協力してからは、尚更気心が知れた気もする。
なのでウォルターの言葉には大きく頷いた。
どう考えても王子に送ってもらうよりマイクの方が良い。
アレックスはとても残念がっていたが、そこは譲れない。
周りの安寧の為にもアレックスには大人しく王城へ戻って貰おう。そう願った。
マイクの御者でザックの定住宿へと向かう。
ウィスタリア公爵家の中でも一番大人しめの馬車を願うと、良くベルが使っているという四人乗りの小さ目な馬車で宿まで向かってくれた。
それでも見る人が見れば高位貴族の馬車だとすぐに分かる。
これは漆塗りですか? そう聞きたくなるほど艶やかな車体は輝いている。
商人であるダニエルならば、この馬車とすれ違っただけで公爵家の馬車だと気付きそうだなとザックは思った。
「ザック様の荷物はこれだけですか?」
荷物持ちの為部屋までついて来てくれたマイクが、部屋にあるザックの小さな旅行バッグを見て驚いた顔をする。
「殆どの荷物をこのアイテムボックスに入れてるんだ」
「ああ、なるほど。それはダンジョン産のアイテムボックスですか、流石特級冒険者のザック様ですねー。持っているものが一流品だ」
「ハハハ、別に普通だよ。それにウォルターさんならダンジョンのアイテムなんて簡単に見つけられそうだし」
「確かにそうですが……あの方は特別ですからねー、誰にも真似できませんよ」
「ハハハ、確かにそうだよねー。ベルさんを探す時に俺もこの人やべーって思ったもん」
「私はいつだってそう思ってますよ」
軽口を叩きながら、荷物をまとめ部屋を出る。
今日でこの宿ともお別れだと思うと、やはり寂しさがある。
宿屋の店主に別れを告げ “自宅” へと向かう。
俺にも自分の家が出来た。
帰る場所が出来た。
お帰りと言ってくれる人が出来た。
ザックはその事が嬉しかった。
「あー……これからはザック様でなく、ザック坊ちゃんって呼ばないとですかねー」
自宅へ始めて帰るザックが緊張しているのが分かったのか、御者席からマイクがそんな事を言ってきた。
「マイクは、ベルさんのことは何て呼んでるの?」
「イザベラお嬢様かイザベラ様ですね」
「じゃあ、チャーリーさんの事は?」
「チャーリー様ですね」
「んじゃ、ロナルドさんの事は?」
「ロナルド様ですね」
「ねー、なのになんで俺だけ坊ちゃんなのさ、そこはやっぱりアイザック様でしょう?」
「ハハハ、そうですね、そうなんですけどね。でもザック様はザック坊ちゃんって感じなんですよ」
「ハハハ、なんだよそれ、ひどー」
マイクの気遣いで緊張がほぐれた。
でも呼び方というキーワードで、あることを思い出す。それはベルのことだ。
中身はともかく、見た目と実年齢はザックの方がベルよりも年上だ。
普通に考えると、今後ザックはベルを妹として扱い、「ベル」か「イザベラ」と呼び捨てにすることになる。自分にそれが出来るかと言われると、出来るけれど何だか違和感を感じてしまう。
「ねえ、マイク、妹をさ、姉さんって呼んだら可笑しいよね」
「はい、どう考えても妹に嫌味を言っているように聞こえますねー」
「じゃあさ、妹をさん付けで呼んだらそれも可笑しいかな?」
「ええ、他人行儀で馴染めていないように感じますねー」
「だよねー」
それはそうだ、妹を姉扱いするなんて絶対にやばいだろう。
養子に入ってすぐ、妹である養女をいじめる。
ザックの評判どころか、ウィスタリア公爵家の評価にまで関わりそうな案件だ。
「……ベル……」
小さくベルの名を呼んでみる。
思ったほど違和感はないが、大型犬のような騎士団長に睨まれそうで怖い。
それにやっと仲良くなれたのにまた敵視されそうだ。
リックとも親族になるのだ、それは避けたいところだろう。
「うーん……イザベラ、イザベラかなぁ……」
イザベラと呼ぶと悪役令嬢のイザベラ・カーマインを思い出すが、彼女はもうこの世界には存在しない。
ザックもそうだが、ベルも自分らしい生き方をしたお陰で物語の中の人物とは違う存在になれた。
結局前世の記憶は、占いやまじないと同じだったのかもしれない。
どう生きるかは自分次第なのだ。
決まっている未来はなかった。
努力した結果、ザックは自分が欲しかった家族を手に入れることが出来たし、ベルも愛する人を得て幸せになれた。
前世の記憶持ちという反則はあったけれど、それに胡坐をかいて何もして居なかったら、今頃ザックもベルも幸せにはなっていなかっただろう。
だからこそ他の登場人物達は上手くいっていないのかもしれない。
隠れキャラであり、聖女が攻略対象者達の好感度をマックスまで上げてから登場するアレックスは別だけれど、怠惰に生きて来た他の登場人物達は誰も幸せになっていない。
可愛そうだとは思うけれど、それが彼らが選んだ道だったのだ。
ベルが苦しんだ過去を知る身としては助けようとも思えないし、手を差し伸べようとも思えなかった。
「ここが、俺の、部屋……?」
ウィスタリア公爵家に着くと、既にザックの部屋は準備されていた。
今日養子縁組を結んだというのに、ザックの髪色に合わせた紺色で統一された部屋を見て、養子にすることは前から決定していたのだろうなと、何となく嬉しいような恥ずかしいような不思議な感情が湧く。
「アイザック様、いかがでしょうか、問題はございませんか?」
広すぎる部屋を十分に観察し終えると、察したようにウォルターに声を掛けられた。
「問題なんて何にもないよ。最高過ぎる部屋をありがとう」
素直にお礼を言うとウォルターの顔が少しだけほころぶ。
共同作業をしたせいかウォルターには親しみを感じていたが、どうやらウォルターもザックと同じ気持ちだったらしい。ザックは祖父のような存在もできて嬉しくなった。
「アイザック様、アイザック様付きの御者兼護衛を紹介いたします。ウィスタリア公爵家所属のトニーです」
「トニーです。アイザック様、よろしくお願いいたします」
良くベルを見守っていた護衛の一人であるトニーが、サッと頭を下げる。
自分には護衛はいらないと断ろうとも思ったが、鍛えて欲しいというウォルターの言葉と、トニーからキラキラした目を向けられれば、嫌だと断るわけにもいかない。身内からのお願いにザックは弱いのだ。
それに今後、ザックは貴族令息となるのだ。
一人でフラフラとするわけにもいかない。
冒険者であるザックにだってそれは理解できた。
麦の家に向かうベルだって、マイク以外にもたくさんの護衛が付いているのだから。
「それと、シャトリューズ侯爵家の騎士、ダミアンという者もアイザック様付きの護衛になりたいそうです。ダンジョンにも付いて行きたいそうなので、どうぞ宜しくお願い致します」
「あ、そうなの? じゃあ三人でパーティ組まないとだね」
「はい、それが宜しいかと、さすれば冒険者ギルド長も安心なさるでしょう」
ハハハ、と笑いが込み上げる。
ロナルドは一体どこまで用意が良いのか。
冒険者ギルド長のベンが、ザックが一人で行動することをずっと心配していたこともロナルドは把握しているらしい。
本当に恐ろしい情報網だ。
まあウォルターを見ていれば分かる。
規格外が従う程の主なのだ。普通の人間であるはずがなかった。
「へへへ、ウォルターさん、俺の兄さんって凄いね」
「はい、ロナルド様は我がウィスタリア公爵家の誇りでございますから」
「うん、そうだね。それじゃあ俺も甘えさせてもらおうかな。トニー宜しく頼むね」
「はい、アイザック様、お任せください!」
夜になり新しく出来た家族と晩餐を共にした。
楽しい会話に美味しい夕食。
堅苦しい服装はしているけれど、麦の家で食べる夕食に負けないぐらい美味しいと感じた。
「イザベラにアイザックが好きな料理を作って貰って我々もそれを食べてみたいな」
「そうだね、その料理をウィスタリア公爵領で流行らせても良いよね」
「ウフフ、私はお汁粉というものを先日頂いたわ。優しい甘さでとても美味しかったのよ。お汁粉はアイザックが好きな甘味なのよねー」
母とは思えない美しい笑みを向けられ、頬が熱くなるのを感じながらザックは頷く。
こんな綺麗な人が母親だなんて、贅沢過ぎるかもしれない。
「母上、ずるいじゃないですか。私はお汁粉を食べていませんよ」
「領地にいる時間が長い私はもっと損をしている気がする。イザベラ、今度から料理を送ってくれるかい」
ベルが笑い、ザックも笑う。
心強く優しい家族が出来て、ザックはこれまでにない程の幸せを感じた。
その日から、ザックはもう聖女を殺める夢を見ることは無くなった。
暗殺者になるアイザック・オランジュの道が途切れたのだと、自分でも分かった。
「俺、もうアイザック・オランジュじゃないんだなー」
朝起きてぽつりとそう呟いた。
ポロリと涙がこぼれたが、それは幸せからだった。
アイザック・ウィスタリア。
心の中でその名を何度も呟く。
嬉しくってくすぐったくって温かい。
名前を呼ぶだけで幸せだった。
身支度を整え部屋を出ると、ベルと会った。
ベル姉さんと心の中で呼びながら「イザベラ」とベルの名を呼んだ。
「ウフフ、ザックお兄様、今日のご予定は?」
「トニーとダミアンの冒険者登録をして来る予定だよ」
「じゃあ、その後は麦の家かしら」
「うん、イザベラ、麦の家に迎えに行くから一緒に帰ろうよ」
「ええ、待っていますね、ザックお兄様。気を付けて行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
ザックの浮かべる笑顔には、もう何の影も落ちてはいない。
家族が出来た。
その幸せがザックの進む道を、光り輝く方へと向けてくれたのだった。




