ウィスタリア公爵家とベーコンエピ③
「やあ、ロナルド、遅くなってすまないな」
ザックとの養子話が一段落し、ベーコンエピとお菓子と美味しいお茶に舌鼓を打っていると、ビリジアン王国の第二王子であるアレックス・ビリジアンがやって来た。
ロナルドと双子のようによく似た容姿に、今日はご機嫌な笑顔を浮かべている。その理由は簡単だ。
ベルが新作のパンや菓子を作るとウィスタリア公爵家に顔を出すアレックス。
第二王子という事で行動には制限があるようなのだが、ウィスタリア公爵家は王弟邸ということもあり特別枠らしく、週に一度は勝手に来て居る。
けれど今日はロナルドが呼んだらしい。
「アレックス、いらっしゃい」
「叔母上、お邪魔致します」
「アレックス、遅かったな」
「君が居ない日は仕事が進まないからね、まあ、仕方がないよ」
「アレックス兄上、お久しぶりです」
「チャーリー、久しぶりだね、会いたかったよ」
いつまでたっても可愛い弟枠であるチャーリーをぎゅっと抱きしめ、満面の笑みを浮かべるアレックス。その様子を見てザックが「ツンデレのデレしかない」と呟き、ベルは笑いそうになる。
「イザベラ、大変だったようだね。体は大丈夫かい?」
いつもベルにも優しいアレックスが心配気にベルを見つめ抱きしめる。
きっと誘拐事件の事を心配してくれているのだろう。
リック達にすぐに助けてもらえたので何の問題もないと、ベルは笑顔で「はい」と答えた。
「さて、こちらがアイザック殿だね」
「はい、第二王子殿下、お会い出来て光栄です。私は冒険者のアイザック・オラ……」
名乗りを上げようとしてザックがピタリと止まる。
そして周りに視線を送ると、ちょっとだけ恥ずかしそうな顔をした後「アイザック・ウィスタリアです
」と新しい名を名乗った。
ニコニコと嬉しそうに笑うウィスタリア公爵家の家族の前、ザックは耳まで真っ赤にして照れている。
なんだかベルまで面映ゆくなって頬が赤くなっているように感じた。
「フフフ……冒険者だと聞いていたけれど、新しいいとこ殿は随分可愛らしい子のようだ。私と君は今後は身内になるからね、第二王子とか他人行儀な呼び方ではなくアレックスと気軽に呼んでくれ」
「ええ? えーと……」
ザックの視線が泳ぐ。
知識で持っていたアレックス・ビリジアンの印象と目の前のアレックスが余りにも違い過ぎるからだろう。
ロナルドやチャーリーに視線を送り、頷いているのを見て「アレックス兄上?」と呼び直した。
良く出来ましたと、犬の子を撫でまわすかのようにアレックスにワシャワシャと頭を撫でられて、ザックは益々照れている様だ。
アレックスはツンデレキャラだとザックから聞いていたけれど、身内に見せる姿は優しさしかない。
ウィスタリア公爵家へ来るといつもロナルドやマティルダ、それにベルと会話をし、お茶を楽しみ、リラックスして過ごしている。
幼いころから王城からウィスタリア公爵家へ遊びに来ていたので、きっとこの場が実家のような物なのだろう。
だからこそザックの戸惑いは理解できた。
知識と現物にあまりの差があるからだ。
けれど「こっちのアレックスのがいい」
そう呟いたザックの言葉に嘘はない様だった。
「さて、今日のイザベラのパンはどんな味なのかな」
アレックスが待ちきれないとばかりに席に着く。
それと同時にウォルターがテーブルの上にベーコンエピと菓子、それとお茶を素早くセットする。
新しいパンを見たアレックスの目が輝いた。
「イザベラ、今日のパンも凄く美味しそうだ。ウィスタリア公爵領のベーコンも使っている様だね」
ベルの返事を待たずアレックスは早速ベーコンエピを頬張る。
所作はとても美しいがパンを食べるスピードはとても速い。
少しだけリックとイーサンの事を思い出してしまったが仕方が無いだろう。
あの二人の食べる姿は騎士特有のものだと思っていたが、どうやら王子様もその枠にハマるようだ。
まあ、パン好きのアレックスが特別なのかもしれないが。
「ああ、私は結婚しないと決めていたが、イザベラだったら結婚したかったよ。毎日このパンが食べられるようになるマーベリックが本当に羨ましいよ」
「あのね、君に大事な妹を嫁がせる訳が無いだろう。イザベラが不幸になる」
「そうねー、『君の作るパンが食べたいから結婚したい』って言われてもねー。イザベラだって嬉しくないと思うわよ」
「兄上、母上、アレックス兄上は一応王子なのですから、結婚したいと言われれば誰でも嬉しいのではないのですか? そんなに虐めないで上げて下さい」
ウィスタリア公爵家らしいいつものやり取りを、ザックが目を白黒させて聞いている。
慣れてなければ王子に何て不敬をと思う所だが、ここではこれが普通だ。アレックスだって全く気にしていない。
それにロナルドとマティルダだけだったならもっとキツメな軽口が交わされている事だろう。
その姿を知っているだけに、ザック以外は落ち着いたものだった。
「アレックスお兄様、パンを褒めて頂いて有難うございます」
「ああ、イザベラ、君の作るパンは本当に素晴らしいよ。そうだ、今度は私専用のパンも開発して欲しいな、私は甘いパンがいい」
ぺろりとベーコンエピを平らげ、お代わりを要求しながらアレックスがそんな事を呟く。
それはつまり麦の家を王家御用達の店にすると言っているのだろうか。
良いのだろうか?とチラリとロナルドに視線を送ると「毎日イザベラのパンが食べたいそうだ」と苦笑いを返された。
ウィスタリア公爵家、シャトリューズ侯爵家、そして王家がバックについたパン屋麦の家。
どれ程強靭な守りだろうか。鉄壁な防壁と言える。
その上今後は特級冒険者のザックも身内になる。
以前のようにベルに手出しを仕掛けて来る者などいなくなるだろう。
「褒めて下さって有難うございます。アレックスお兄様にピッタリなパンをお作りしますね」
笑顔で答えながら、心の中で家族に感謝する。
ベルと麦の家を守る。
皆からそう宣言されているような気がした。
「そうだ、イザベラ、求人の件だけれどね」
お代わりのパンを食べ始めたアレックスに呆れたような視線を送りながら、ロナルドが声を掛けて来た。
麦の家の第二店舗を作る話が出たと同時に、ベルは商業ギルドへと求人の募集を掛けていた。
けれど店舗の話しがどんどん進む中、求人については何の音さたもなかった。
孤児院の子供であるビルとジョージに声は掛けたが、店長を任せるのならばやはり大人でなければならないだろう。
ミアかルカのどちらかに第二店舗をとも考えたが、あの二人は結婚する予定だ。あのまま第一店舗を任せたい。
でもその弟のレオはまだ幼いので、やはり店長候補だけでも早めにと、再度求人のお願いをしていたのだが、ミアの時とは違い良い返事は来なかった。
ロナルドはそれを気にしてくれていたようで「商業ギルドから店長候補が見つかったと連絡が来たよ」と教えてくれた。
「お兄様、有難うございます。これで新店舗の話しが進みそうです」
「ハハハ、私は何もしていないよ。アイザックのことでちょっと商業ギルドに顔を出しただけさ」
「いいえ、全てお兄様のお陰ですわ」
何でもないとロナルドは笑っているが、絶対に商業ギルドに声を掛けてくれたことが分かる。
一般的にまだベルがウィスタリア公爵家の娘で有ることは知られていない。
だからこそロナルドがわざわざ出向き、商業ギルドに話しを付けてくれたのだろう。
兄の愛情の深さにベルの心は温かくなった。
「イザベラ、ロナルドでダメだったら私が出向くから安心して良いよ」
アレックスが軽口を叩く。
その手にはベーコンエピが乗っている。
「いやいや、アレックス、君が商業ギルドに顔を出したら職員の心臓が止まるだろう。絶対にダメに決まっているじゃないか」
苦笑いのロナルド。
アレックスの食べっぷりに釣られたからか、手を止めていた菓子を食べ出した。
「ご存じないようですが、兄上もこの国を代表する公爵なのですからね。兄上の登場に商業ギルドの職員は心臓を傷めたのではないですか? 同情しかないですよ」
クスクスと笑いチャーリーがそんな事を言う。
ベルも商業ギルドの面々が心配で思わず頷いてしまう。隣のザックもだ。
「だったら私が行けば良かったかしら? 元公爵夫人ですもの、そんなに目立たないでしょう?」
どこまで本気なのか、一番目立つだろうマティルダがそんな事を言い出した。
頬に手を当て貴族夫人らしく優雅に首を傾げているが、本気でやめて欲しい。大騒ぎになる事間違いなしだろう。
「はぁー、楽しいなー」
ザックの言葉にベルも頷く。
和気藹々と語り合うウィスタリア公爵家の家族たち。セルリアン王国の貴族家では見られれない仲の良さ。ザックもこの家族の一員になれて嬉しそうだ。
ただし、商業ギルドの面々には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。ザックに迷惑をかけていた大部分は、セルリアン王国の職員や商人だろう。
なのに公爵であるロナルドに責められたのだ。
気の毒過ぎて仕方なかった。
「まあ、このメンバーだと誰が行っても目立つけどね」
ベルの隣でそう呟いたザックの顔には、ウィスタリア公爵家の子息らしい、楽し気で悪戯っ子な表情か浮かんでいたのだった。