ウィスタリア公爵家とベーコンエピ②
「アイザック、私の子供になりなさい」
マティルダのそんな気軽な言葉から始まったザックとの養子縁組の話。
当事者であるザックは勿論、ベルも驚きを隠せない。
「あの、でも、俺は孤児で……」
書類に目を通しながら難しい顔をするザック。
嬉しさを我慢しているような、喜びを誤魔化そうとするような、何とも言えない表情を浮かべマティルダを見ることなくジッと書類を見つめている。
「申し訳ないが君の経歴については調べさせてもらったよ。イザベラの友人関係について我が家は少し過敏でね。君とイザベラが麦の家で出会ってすぐ、特級冒険者であるアイザック・オランジュについては詳しく調べさせてもらったんだ」
「ええ、はい。それは当然だと思います」
ベルは公爵家の貴族令嬢だ。そして侯爵家の子息リックの婚約者でもある。
新しく友人が出来ればその身辺を探るのは当然。
特にベルはセルリアン王国との因縁もある。
そんなセルリアン王国出身のザックを警戒するのは当然だと、ザック自身もそう思った様だ。
「君はセルリアン王国のオランジュ伯爵の落胤だね」
「はい、そうです」
ベルも聞いていたがザックはオランジュ伯爵の息子だ。
母親は誰だか分からないと言っていたが、ロナルドの捜査の結果、オランジュ伯爵家で働いていたメイドだったと分かった。
「君の母親は君を捨てたのではない。命の危険を感じ、仕方なく孤児院の前に君を置いた。伯爵夫人に睨まれては命の危険もあっただろうからね」
「……そう、なんですね……」
残念ながらザックの母親は既に亡くなっているそうだ。
彼女の実家の力では伯爵家からは守れなかったらしい。
あのセルリアン王国ならば仕方がない事だろう。
「君が商業ギルドと犬猿の仲なのはオランジュ伯爵家が関係しているね。まだ冒険者ランクがBランクだった際、君は実家のオランジュ家から声を掛けられた。だが君はそれを断った。その頃から商業ギルドとは上手く言っていない。そうではないかな?」
「はい、その通りです」
当時Bランクであったザックが商業ギルド経由できた貴族からの個人依頼を断った。
依頼を選べるという冒険者の当然な権利も、セルリアン王国内ではとても大きな問題になったようだ。
「ちょうどお金も貯まってセルリアン王国を出ようと思っていた時期でした。商業ギルドからの依頼はそれまで断ることなく受けていました。でもオランジュ伯爵家の依頼だけはどうしても受ける気にはなれなかった。断る権利が俺にはあったのに、その事で商業ギルドには目を付けられ、依頼未達成という嘘の記録を付けられた。多分ですがオランジュ伯爵家が手を回したのだと思います。自分の依頼を断るだなんてってプライドを傷つけられたのでしょう。所詮俺は自分たちが捨てた子供ですからね。ですから俺はそれから出来るだけ商業ギルドとは関わりを持たないようにしてきました。暫くはそれで上手くいっていた。でも俺が特級冒険者になった途端、手のひら返しをしたように商業ギルドは俺にすり寄って来た。散々嫌味を言ってきた商人たちも、急に態度を変えたんですよ。笑えますよね」
セルリアン王国を出ても、依頼未達成の記録は残る。
せっかく他国へ出たというのに、その件があってザックは一時冒険者の仕事を受け辛くなっていたようだ。
オランジュ伯爵家は自分たちが声を掛ければ、ザックが喜んで自分たちを受け入れるとでも思ったのかもしれない。もしかしたらザックの方から伯爵家の関係者だと認めて欲しいと頭を下げてくるとでも思ったのだろう。
だがザックはそれを拒否した。
孤児であり、ただの冒険者でしかないザックが、伯爵家である自分たちとの接触を拒否したのだ。
オランジュ伯爵はプライドを傷つけられたし、生意気だとそう思ったのかもしれない。
セルリアン王国の貴族ならば平民を下に見るのは当たり前の行為だ。
その上ザックはオランジュ伯爵家の関係者。
家の為に役に立って当然、とそう考えただろう。
ザックが逃げ出したくなる気持ちはベルには痛いほど理解できた。
あの国で育ったからこそ、分かるともいえる。
「今も君は、オランジュ伯爵家に絡まれているね?」
「……はい、以前とは違う形ですが、それでも度々声がかかります……その、結婚しろと……」
冒険者であるザックの居場所は調べればすぐに分かる。
特級冒険者ならば尚更だろう。
ザックがこれまで定住先を作らなかった理由は、二ホンの食品を探すためだけでなく。このオランジュ伯爵家からの嫌がらせも原因の一つだったのだろう。
「……だから……俺がこの家の、ベルさんの家族になる事は出来ないんです。俺がここにいたら必ず迷惑をかける。ベルさんは俺の恩人だし、大切な、家族のような人です。だから俺は、皆さんと家族にはなれません……ベルさんを、皆さんを、困らせる訳にはいかないから……」
悲し気な表情で俯くザック。
腿に乗せていた手をぎゅっと握り、何かに耐えているようだ。
「そうか、アイザックは我々の事を、いやイザベラの事をそこまで考えてくれているんだね」
ロナルドが優し気に微笑む。
冷酷だとそう噂されているロナルドだが、実際はとても優しく、包容力のある人だ。
ベルと兄弟になる前から、ベルのことは過保護気味に守ってくれていた。
そんな彼がこんな風に優しい笑顔を見せるということは、ザックの事ももう家族と思っているからだろう。
「アイザック。だったら尚更我々とは家族になった方が良い」
「えっ……?」
ザックが顔を上げると、その前には優し気に微笑むロナルド、チャーリー、マティルダの顔があった。
ベルにはその笑みの理由が解る。
ベルを守るため、そしてザックを守るためには、ウィスタリア公爵家の力に不足はない。
大国ビリジアン王国の公爵家。
その息子に嫌がらせをしたと知った時のオランジュ伯爵が、顔を青くする姿がベルには思い浮かぶようだった。
「ビリジアン王国はこの世界では大国と言われている。それも筆頭国と言える力を持つ。君ならその意味が解るね」
ザックはハッとすると、ロナルドを見つめ目を見開く。
ビリジアン王国の公爵家に刃向かう力が、今のセルリアン王国の伯爵家にあるとは思えない。
その事実にザックも行き当たったようだった。
「そ、それじゃあ、俺は、本当に家族になって良いの? ベルさんと、ベルさんの家族と、俺もその中に入って、皆の家族だって言って良いの……」
目を潤ませ、期待に満ちた顔でウィスタリア公爵家の皆を見つめるザック。
転生したことに気づいてから、ザックはこれまで孤独と戦い、自分の本当の家族と戦い、そして暗殺者になる可能性と戦ってきた。
けれどこれからはウィスタリア公爵家の庇護下に入り、一人で戦う必要がなくなる。
それどころかロナルドならばザックの事を守り、反撃までもしてくれそうだ。
これ程心強い味方はいないだろう。
ベルの顔にも安堵が浮かぶ。
「ハハハ、特級冒険者であるアイザックと家族になれるだなんて我々は光栄だな」
「そうだね、それにこれまでアイザックが冒険者として頑張って来たからこそ、こんなにスムーズに許可が下りたんだ。我々は一応王位継承権を持つ家の者だからね。普通の冒険者ならばこうはいかないよ」
「もう!貴方達そんな話はどうでもいいでしょう。アイザックっていう息子が私に出来たんだから、その事を喜びましょうよ」
笑顔のウィスタリア公爵家の家族の前で、ザックの瞳からポロリと涙がこぼれた。
けれどザックはベルと初めて会った時のように泣き出すことはしなかった。
冒険者らしく服の袖で涙をグイっと拭くと、ニッコリと笑顔を見せてくれた。
「アイザックです。兄さん、母さん、それとベルさん、不束者ですがどうぞよろしくお願いします!」
今日この日、ベルに新しい家族が出来た。
それは弟の様であり、兄になる、とても可愛い人。
ベルはその事実がとても嬉しく、そして不思議な縁が繋いでくれたものに感謝したのだった。