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視察とフルーツサンド

「リック様お迎えありがとうございます。今日は宜しくお願い致しますね」


 あっと言う間に市場へと視察に行く日がやって来た。

 朝早い時間なのにリックは嫌な顔をせず、ベルを迎えに来てくれた。それも侯爵家の馬車で。


 今日行く市場は南区と西区のちょうど間にある為、北区の端に住むベルの店からは遠い。

 一人ならば乗合馬車を使って出かけようと思っていたのだが、優しいリックが気を利かし馬車を出してくれることになった。ただの平民でしかないベルの為に。


 この方はどれだけ優しい人なのだろうかと紳士で思いやりがあるリックに感心するとともに、自分に気があるのでは……とピンクのチューリップの花を思い出し少しでけ恥ずかしくなる。


(勘違いしないのよベル。リック様は果物がお好きなだけ。そう、今日は仕事の一環! 視察、視察なのよ!)


 と、苦手な恋愛事から目を逸らし、自分の気持ちを誤魔化すようにそう言い聞かせる。


 そして平常心を装いリックに出迎えの挨拶を無難に掛けた。



「ベルおはよう。今日は一緒に出掛ける許可をありがとう。今日は一段と華やかで可愛らしい装いだね……って言うか、ベル。君、市場に行くときはいつもその服装で行っているわけじゃないよね? 可愛すぎて危険だと思うんだが……」


 今日は貴族であるリックとのお出掛けという事で、ベルはアップルグリーンの可愛らしいワンピースに白い帽子を合わせ、リックの隣を歩ける程度には着飾っている。


 昨夜は念入りに肌と髪の手入れをしたし、パンを焼くときに出来た火傷も薬をたっぷりと塗って治してきた。富豪の娘ぐらいには見えるはずの装いなのだが、確かにせわしない市場を歩くには少し向かないだろう。


 だがそれはリックと出かけるからの服装であり、一人で出かけるときは職業夫人らしい服装を心掛けている。先日市場へ行った時だって紺のワイドパンツに白いブラウス、そしてショールを羽織って、髪も簡単に一つまとめにして可愛らしさなど皆無だった。

 今日のように気合を入れて髪を編み込んだ上に着飾った服装ではいなかったのだが、それを知らないリックは眉根に皺を寄せてしまった。


 どうやらベルは女性の一人歩きの危険さを認識していないと思われているようだ。

 きっとあの事件のせいだろう。あれは避けようのない不可抗力なのに。

 もう相手に対し何とも思っていなかったのだが、少しだけあの男を恨んでしまったことは仕方がないだろう。


「も、勿論です。普段はもっと簡素で無難な服装で市場に行っておりますわ。今日はリック様とご一緒なので失礼にならないようにと……」


 そこまで言いかけたベルはリックを見て言葉を止めてしまった。

 目の前のリックが片手を顔に当て、俯いている。

 何か不敬な事を言ってしまったかしらとベルは心配になったが


「俺の為に着飾ってくれたのか……」


 とその一言で自分の顔が赤くなるのを感じた。


「嬉しいよ、ベル。とても可愛い。よく似合っているよ」

「あ、ありがとうございます」


 表情をとりつくろう事は長年の経験でなれているはずだった。

 これまでどんな事が有っても穏やかな表情を浮かべる事が出来ていた。あの断罪の日でさえもだ。


 けれどリックのたった一言で心が落ち着かなくなる。顔に堪る熱を誤魔化しきれない。ビリジアン王国にきて自由になった今、やっと人間らしくなれたからの動揺なのかもしれない。

 リックの「可愛い」というたった一言が嬉しくって恥ずかしくって顔が上げられない。お世辞だと受け流せない。エスコートされながらも口元がフヨフヨと動いてしまう。


 この感情が何なのかまだ私には分からない。


 いや本当は気が付いている。


 けれどその想いを認めることがまだ怖いベルだった。




「まあ、凄い人出ですねー」


 普段北区にある近所の市場に行くことが多いベルは、南区の賑やかな市場の大きさと人の多さに驚いた。

 商人の町と言われる西区と、貴族が住まい王城がある南区、その間にある市場なのだ。この国一と言える大きさだろう。


「あー……ベル、危ないから手を繋いでも良いだろうか」

「……はい、勿論です。宜しくお願い致します」


 エスコートなどは、これまで騎士や従者、そして元婚約者などに何度もされてきたベルだったのだが、平民として手を繋いで歩く行為はそれとはまた違ったものがあった。


 リックと手を握り、ぎゅっと握り返される。

 人が多いため護衛の為もあるのだろうが、人とぶつからないようにと、はぐれないようにとしっかり繋がれている手には安心感があった。


「フルーツが見たいって言っていたよね。先ずは一通り見て回ろうか」

「はい、ありがとうございます」


 声を掛けてくるリックの顔が普段より近くてドキリと胸が弾む。

 耳元に掛けられる言葉が何だかくすぐったい。


 夜会の場で元婚約者の耳元に助言を掛ける時はもっと距離が近かったはずなのだが、その時には何のトキメキもなかったし、出来れば自身で知識を入れ余り近づかないで済むようにして欲しかった。


 以前のベルは仕事としてエスコートを受けて来た。未来の王妃であるので当然だ。夜会も茶会も仕事の内。なので必然的に元婚約者との会話は仕事がらみのものだった。


 今だって視察という名の仕事なのだけど。

 でもベル個人としては、常連客というより恩人であり友人のようなリックと並んで歩くことは仕事ではなく、自分に与えられた自由な時間の楽しみの一つのようだった。


「あっちに行ってみよう。確か大きな果物屋があったはずだ」

「はい」


 美男美女のカップルの姿に周りから温かい視線が降り注いでいるが、デートだと思われている事にベルは気付かなかった。優しく微笑むリックの笑顔にまた口元が緩んでしまう。

 

(どうしましょう。ただ市場を歩いているだけなのにとても楽しいわ)


 リックの気遣いとの手の温かさと、そして少しだけ赤い頬を見て、ただのベルでしかない自分が大事にされていることを実感した。




「まあ、やっぱりこの国は葡萄が多いのですね。それもとても粒が大きくって立派ですわ」


 大きめな屋台を見つけた途端ベルの商売人としての目が光る。


 北区にある屋台よりも大きな果物屋の屋台には、色とりどりの葡萄が大々的に並んでいる。

 この国では葡萄が多く採れることはベルも知っていた。だが、黄色や赤、それにピンクなど、様々な色の葡萄が並んでいることを見て驚く。

 それに祖国では見られなかったフルーツも当たり前のように並んでいる。

 気が付けばベルはリックの手を引っ張り、フルーツ屋の屋台の前に陣取っていた。


「ごきげんよう。少し果物を見せて頂いても宜しくって?」

「へ、へいっ! どうぞ、いくらでもみていってくだせい」


 ベルが店主に声を掛けると、驚いたような表情を浮かべ頭を下げた。

 どうやら今日はリックがいる為貴族の子女に見えた様だ。緊張させてしまったらしい。


 ベルは自分が美人であると認識はしているがすっかり平民になった気でいる。その為自分が周りからどう見えているか疎い部分がある。


 華やかで美しいベルが朝の賑わう市場にいる。それだけでも目立ってしょうがないのだが、今日は可愛らしい服装の上、リックも一緒なのだ。

 貴族のご令嬢そのものだと店主が思うのも当然のことだった。


「良ければ味見をしてくだせい。あ、いや、それは失礼になるんっすかね?」


 少し腰が引けながら店主は恐る恐るリックに訪ねる。味見用の葡萄が入った籠を出したはいいが、貴族のご令嬢であるベルに渡して良いのか戸惑っているようだ。


 貴族令嬢は外で立ち食いなどしない。平民の店主だってそれぐらいの知識はある。不敬になって店に何か有ったら大変だ。店主の顔色は少しだけ悪くなっていた。


「まあ、ありがとうございます。では一粒頂きますわね」


 ベルは戸惑う事もなく店主が持つ味見用の籠に手を伸ばすと、食べた事の無いオレンジ色の葡萄を選び摘まんで口に入れた。


 味は紫葡萄よりもさっぱりとしていて、熟していない柿と葡萄の間のような不思議な味がした。

 これはこれで面白い味だと思いながら、遠慮なく次の葡萄に手を伸ばす。

 紫、緑、黄色と次々と口に入れてみた。


 流石葡萄大国と言われるだけあって、味見をしたどの葡萄もとても美味しかった。


 

(これは買いね!)


 モグモグと咀嚼しながらそう決意し頷く。

 開始から大満足の買い物が出来そうだと嬉しくなる。


「リック様も食べてみてください」


 ベルの様子を呆けて見ていたリックの口の中に、ベルは「あーん」と声を出し一粒入れてあげた。


「ね、とても美味しいでしょう?」


 微笑むベルに対しリックの顔は固いものだ。

 あれ? もしかして葡萄は苦手だったかしら?

 そう思っていると「……あ、ああ、うん、うまい、よ……」と返事が来た。


「でしょう。美味しいですよね!」


 葡萄を前に興奮気味のベルは、耳まで真っ赤になっているリックの恥じらいなど目に入っていなかった。今のリックはきっと葡萄の味など分かっていないだろう。可愛そうなことだ。


「リック様、次はどの果物を味見してみましょうか?」


 今のベルの頭の中はただそれだけ。

 おいしいパンを作る事しか頭にない。


 果物屋の店主が二人のいちゃつきぶりを前に、目のやり場に困っている事などベルは全く気が付かないようだった。


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