誘拐と食パン⑤
「ねえ、フレッド、お腹は空いていないかしら?」
ベルの唐突な言葉を聞き、フレッドはきょとんと驚いた顔をした。
その表情は幼いころのフレッドを思い出させるもので、いくら面が変わろうとも懐かしく感じた。
見た目が変わってもそうした癖は変わらないらしい。
ならば幼い頃からベルの味になれていたフレッドはベルの味に飢えているはず。
ベルの作るパンの味を想像できてしまったのか、フレッドはごくりと喉を鳴らした。
「イ、イザベラ、君、何言ってるか分かってる?自分の状況見えてる?」
眉間にしわを寄せながらも、フレッドはどこか期待したような視線をベルに向けている。
ベルがセルリアン王国から出てもう一年以上が経った。
ビクス商会がセルリアン王国から手を引いてしまった今、ベルの作る味と同じパンや菓子を手に入れることは難しい。
王城の料理人ならば模造品を作ることは出来るだろうが、到底ベルの味には敵わないだろう。
それにフレッドのこの痩せこけた様子を見てみると、満足に食事をとっていないことは分かる。
ビリジアン王国に来てからずっと隠れ住んでいたのだろう。
朝寄りの営業をしている麦の家にこれほど目立つ容姿のフレッドが来ればすぐに分かる。
それにクランプスの偶像団のメンバーも朝から活動してパン屋に来るような者たちでは無いはずだ。
周りを見れば酒瓶などが転がっている。
普通の食事を摂れていないことはその様子でも良く分かる。
そこにベルの味を知るフレッドに甘い言葉を吐けば、どうなるかはベルにだって想像ができた。
「ええ、勿論分かっているわ。けれどまだ日が落ちないうちにセルリアン王国へ向けて出立することが難しいことだって分かるの。それにここにいる人達が私に食事を用意してくれるのかしら?」
チラリと周りに視線を送る。
ベルの食事の事など誰も考えていなさそうだ。当然だろう。
私は食べなくても大丈夫だけど、どうせなら美味しい物を貴方達も食べたいのではないの?そう付け加えればフレッドの目が泳ぐ。
そんなフレッドの様子を見て、先程自分がクランプスの偶像団頭領のジンだと名乗った男が興味深そうな様子でベルを見て来た。
「あんた、貴族の娘だろう?それもかなり位の高い家の娘だ。本当に料理なんて出来んのか?逃げたくて適当な事を言ってんじゃねーのか?」
ジンの言葉にベルは何も答えず、貴族の笑みを浮かべただけにした。
どうぞフレッドに聞いてみたら?そんな意味を込めた笑みだったのだがジンには無事通じたらしく、ジンは少しイラついた顔をすると「おい」とフレッドに声を掛けた。
「えっ、ああ、うん、そうだよ、イザベラは料理が出来るよ。ヒカリが僕たちの下に来てからヒカリに合う食事を用意していたのはイザベラだからね。それに僕たちが小さい頃は良く差し入れもしてくれてたしね」
フレッドが懐かしい想い出を口にする。
幼い頃、剣の稽古で仲良く汗を流す幼馴染達に、イザベラは差し入れとしてお菓子を持っていったり、軽食になればとサンドイッチを持っていったりしていた。
けれど彼らが年頃になるとベルを避けるようになり、持っていったお菓子やパンにも文句をつけるようになった。
わざわざ嫌われることをする必要はないなと差し入れをやめたのだが、やめれば止めたで文句を言われ、嫌な思いをした。
そしてそんなころ聖女が降臨した。
王城の贅をつくした食事が振る舞われたのだが、聖女の口には合わなかった。
豪華ではあるが味が濃すぎたり肉ばかりと、そんな食事が毎日続けば聖女も嫌になる。
聖女に令嬢教育をしろと命令されたベルは、何故か聖女に合う食事も用意しろと、そんな理不尽なことも命令された。クリスタルディの婚約者であり聖女の教育係なのだから、ベルが率先して動くのは当たり前だと彼らはそう思っていたようだ。
なのでベルは聖女の為に毎日自分で食事を準備した。
二ホン食を理解していない王城の料理人たちには陰で粗末な料理と笑われたりもしたが、聖女の食欲は無事に戻ってきた。
今、聖女がどうしているかは知らないが、二ホン食は絶対に食べれてはいないだろうと想像できる。
貴族令嬢でありながら自ら厨房に入り料理をするベルの事を、セルリアン王国の料理人達は冷めた目で見つめるだけで、誰もレシピを知ろうとはしなかったのだから。
「ふーん、あんた、面白い女なんだな……ハハハ、益々気に入ったぜ」
ジンはニヤリと愉快気に笑うとベルの顎に手をおき、顔をまじまじと見つめてきた。
手を後ろ手に縛られていなければ、パシリとはたき落したいところだが、残念ながら今のベルは大人しくなされるままでいるしかない。
「なあ、あんた、イザベラ?だったか?」
名を聞かれたがベルは答えない。
答える気がない、そんなそぶりを見せる。
すると何が嬉しいのか、ジンは今度はクックックと楽し気に笑い出した。
先程までは体を求めるような気持ち悪い視線を向けていたが、今は違う。
面白い宝物を見つけた、ジンの視線はそんな様子だった。
「もう一度言う、あんた、俺の女にならないか?これは本気だ。この言葉がどういう意味か、賢いあんたなら分かるだろう?」
意味は俺の女になればセルリアン王国には送らない。
フレッドの手からも逃がしてやる。
そんなところだろうか。
「お断りしますわ」
冷たい笑顔を浮かべハッキリ断れば、ジンは益々嬉しそうに笑いだした。
彼の要求を呑んで何が変わるのだ。
セルリアン王国で奴隷になるか、ジンの下で奴隷になるかの違いだけだろう。
「フハッ、アハハハハ、気に入ったぜ。おい、イザベラ、俺をジンと呼んでいい、お前は特別だ」
「あら、そうなの? では無事に戻ったら警備隊に貴方の名をしっかり伝えておくわ、ジン。それで宜しいかしら?」
ニッコリ笑って嫌味を言えば、ジンはまた大きな声で笑う。
性格がキツメな女性が好きなのか、悪役令嬢っぽい言葉が嬉しい様だ。
「ちょっと、ジン、勝手なこと言わないでよ!イザベラはクリスタルディ様に渡すんだからねー!」
フレッドや周りの男たちが何やら騒いでいるが、耳には入らない。
今のベルは “どうにかしてでもパンを作らせてもらう” その事しか考えていなかった。
「フハハハ、いいぜ、イザベラ、好きにしな。パンを作りたきゃ作ればいい。だがな、俺はあんたを逃がす気はねー、そこだけは覚えておけよ」
ジンが真剣な顔でそう言い、ベルの頬にまた口づけを落す。
ベルを見る視線が先程とは変わり、獲物を見るような鋭いものになった。
さすが大きな盗賊団を率いるだけあって、ジンのその目力にはゾクリとする。
けれどこれでどうにかパンを作ることが出来る。
ジンを睨み返しながら、内心ホッとしたベルだった。