誘拐と食パン③
ウィスタリア公爵家の執事ウォルターは、少し変わった経歴を持っている。
出身はセルリアン王国。
田舎の子爵家生まれの、三男坊。
嫡子の予備の予備であるが故、長子に子が出来た時点で要らない者となる存在。
なのでウォルターは早い時点で自分の将来が見えていた。
幼いころから物事を自分の目で判断できる才能があったともいえる。
嫡子である長兄は子爵家を継ぐのは自分だと、幼いころから自負していた。
両親が跡取りだと可愛がり尊大な性格に育ててしまったともいえる。
ただの田舎の子爵家の長子。
そんなものは王家の都合で簡単に消される存在でもある。
大した領地でも無く、何も発展もしていない。
それなのに長兄は楽をする事を覚え、何も成していない時点で自分は優秀だと勘違いをしていた。
セルリアン王国の男によく見られる気質。
ある意味両親の惜しみない愛情の犠牲者。
だが大人になっても自分が平凡で有ることに気付かなかったのは本人の責任。
ウォルターは長兄をどこか冷めた目で見ていた。
一番の予備である次兄は、そんな長兄を近くで見て来た人物だろう。
両親には予備として扱われ長兄との待遇は違う、使用人からもあからさまに長兄とは差別して接された。
いずれ自分は家を出されるか、長兄の補佐としていいように扱われるか、それとも自ら逃げ出すか。
無口で何を考えているか分からない次兄は、色々と考える人だったのだと思う。
「お前も賢く生きろよ」
次兄に言われたこの言葉は忘れない。
これは後になってからの感想だが、次兄は長兄よりも目立たないように上手く立ち回っていた。虎視眈々とも言える行動だろう。
結局家を継いだのは次兄であり、長兄の婚約者と結婚したのも次兄だった。
長兄は女性関係で問題を起こし除籍され、両親は蟄居となったのだ。
実家の子爵領は今は次兄のお陰で以前よりも豊かになったと聞く。
領民の心をいつの間にか掴んでいたのも次兄だった。
そしてそんな兄たちを見て来た三男坊のウォルター。
兄二人よりも少し歳の離れていたウォルターは、良いように言えば比較的自由に育てられ、悪く言えばほぼ放置して育てられた。
「本当は女の子が欲しかったのよ」
これは母がよく言っていたセリフであり、母との想い出の最初の記憶。
「笑わぬこの子は気味が悪いな」
これは父がよく言っていたセリフ、勿論こちらも父との最初の記憶だ。
ウォルターはこの家では要らない物だと扱われ、自分も幼いころからそれを自覚していた。
なのでウォルターは遠慮なく知識を貪った。
少ないながらも家にあった本を、ウォルターだけが全読していたのは確かだろう。
『神童』
周りにそう呼ばれても、既に婚約者を持ち安定した跡取りがいる両親は、ウォルターの事など気にしなかった。
それよりも勉学で成績を伸ばせば王城に勤められる。
高給取りになり家に給金も入れてもらえ、貴族としての自分たちの評価も上がる。
そんなあからさまな欲を持った両親は、ウォルターのやる事には益々何も言わなくなった。
とても有難かったが、幼いウォルターは両親に都合のいい話が出た時点で家に見切りをつけた。
王都に出たらこの家にはもう戻らない。
そう簡単に決意出来るほど、ウォルターは家族からの愛情を知らなかった。
そして成人したウォルターは王城の事務官の試験を受けた。
勿論成績はトップクラス。
無事合格した。
だが、そこでウォルターの予定が狂う。
試験に合格した者の身体検査で引っ掛かったのだ。
なんと魔力判定に反応が出てしまい、魔法研究団に配属されてしまったのだ。
本来、魔法使いは幼い頃の魔力判定で診断される。
だが予備の予備として放っておかれたウォルターはその判定を受けていなかった。
長兄、次兄は魔力判定受けていたが才能は無く、当然三男のウォルターにも魔法の才能など無いだろうと両親は勝手に判断した。まあ、要らない息子には金貨を惜しんだ。その可能性は非常に高いだろう。
仕方なく魔法研究団に所属したウォルター。
だが周りは幼いころから魔法の訓練をしてきた魔法使いばかり、ウォルターが出遅れの役立たずであることは確かだった。
その上成人しているウォルターの魔力が延びる可能性はとても低い。
なので当然役立たずのウォルターは雑用ばかりを押し付けられた。
実践好きで書類仕事が苦手な先輩方の仕事をウォルターは数多く肩代わりした。
お陰で知識だけは誰にも負けない程に付いたといえる。
魔法書を自由に読めたこともウォルターの知識を増やした一因である。
ただしそんな事は誰にも言わなかった。
セルリアン王国では出る杭は打たれるからだ。
常に底辺の魔法しか扱えないウォルターが知識を自慢しても笑われるだけであっただろう。
いつか王城を辞めて魔道具師にでも弟子入りしようか。
そんな考えが浮かんだ頃、とある指令を受けた。
「末姫の輿入れについて行くように」
上司からの辞令、当時のウォルターに断ることは出来なかった。
これは本格的にやめる時期がきたのだろうかと考える。
だが命令から逃げたと判断されれば、次兄が継いだ実家にも被害がある可能性は高い。
噂で聞く末姫は我儘で横暴、奔放過ぎて婚約者も手を焼くほどの感情が激しい姫だと王城内では有名だった。
そんな人物の輿入れについて行く。
それはすなわち体のいい追い出しだ。
魔法も満足に使えないウォルターなど魔法研究団には要らない、という判断だろう。
賢く生きろ。
急に次兄の言葉が脳裏に浮かんだ。
そこでセルリアン王国内で正しい評価がされるだろうかと考える。
もし末姫の噂話がただの噂でしか無かったとしたら。
ウォルターと同じく、要らない者として末姫が扱われているのだったら。
一目会ってから逃げることを決めても良いのではないだろうか。
次兄の事を考えればビリジアン王国へ行ってから逃げ出したほうが都合が良い。
そんな考えのすえ会った末姫は、周りの評価とは全く違う人物だった。
そしてウォルターはマティルダと共にビリジアン王国へとやってきた。
魔法の無い国で表立って魔法を使う訳にはいかず、ウィスタリア公爵家では諜報の仕事を受け持つこととなる。
そこでウォルターは非常に役に立った。才能が開花したとも言える。
ウォルターが出来る最低限の魔法を使っただけで、それがウィスタリア公爵家の役に立ったのだ。
ちょっとだけ耳を聞こえやすくし、ちょっとだけ目を良くし、ちょっとだけ力を強くした。
そんな出来損ないの魔法がビリジアン王国では重宝された。
その上知識だけは賢者並みにあったウォルターは、簡単な魔道具も作ることが出来た。
髪の色を変えるだけの魔道具、目の色を変えるだけの魔道具、声色を変える魔道具。
セルリアン王国では笑われ役に立たない魔道具が、ウィスタリア公爵家では喜ばれ調査活動の役に立ったのだ。
当然ウォルターの地位は登って行った。
他国出身であることは関係ない。
実力主義。
ビリジアン王国内では、いや、ウィスタリア公爵家ではそれが当然のことだった。
「ねえ、ウォルター、イザベラは面白くて可愛くて、強い子ね」
マティルダが公爵夫人として盤石の地位を持ち、ウォルターが諜報員を引退し執事の仕事のみに専念した頃合いで、セルリアン王国にいるとある少女から手紙が届いた。
彼女はあのセルリアン王国でもがき、自分の道を進もうとしていた。
ウォルターやマティルダが出来なかった、自分の力を認めさせセルリアン王国から逃げる。
そんな大それた計画を立て実行したのだ。
「私、あの子の母親になろうと思うの……きっと私は自分の母のようにはならないわ、あの子を見てそんな自信が出来たの」
マティルダは自分が母親になる自信が無かった。
自身の母親が酷い人物だったのだ、その血を引くマティルダは母親になる事に自信が持てないのも当然だった。
だが前公爵の愛を得て、母親になる勇気を持った。
そして幸いなことに生まれた子は二人共男の子であった。
マティルダは息子を深く愛し、子供たちは愛情深い人物に育った。
そんな子育ての自信がベルを引き取る勇気になった。
娘を愛する。
自分の母が出来なかった偉業を、マティルダは熟すことにしたのだ。
「愛しい私の娘」
イザベラが来てから、マティルダは今まで以上に楽し気になった。
イザベラの薬で背中の傷も癒され、やっと母親の呪縛から逃れられた。
美味しいパンやお菓子のお陰で、また貴族間の交流を持ち若返った。
前公爵が亡くなってから気落ちしていたマティルダは、イザベラのお陰で元気を取り戻したと言える。
そんな恩人であり、マティルダの大切な娘をウォルターが娘のように愛するのは当然だった。
自分の持つ力を全て使い果たしてもイザベラを助けて見せる。
諜報員の一人ジムが屋敷に “イザベラ誘拐” の報告に来ると、ウォルターはすぐさま飛び出していた。
魔法を使い素早く拉致現場に駆け付けたウォルター。
「ザック様、でしたら私がその魔法陣を確認いたしましょう」
絶望的な表情を浮かべるザックたちに、ウォルターは希望の言葉を掛けたのだった。