誘拐と食パン②
「失礼いたします。書類をお届けに参りました」
どこにでもいそうな平凡な事務官が、王城内にあるウィスタリア公爵の執務室にやってきた。
王太子と第二王子の補佐をしているロナルドの執務室は入室できるものは限られているため、ロナルドの護衛が一瞬動いたのが分かる。
「ああ、君か、書類を見せて貰おうか」
護衛を制し、ロナルドは立ち上がると自らその事務官の下へと書類を受け取りに行く。
『イザベラ様、不明、魔法可能性大』
たったそれだけの言葉が書かれた紙が、書類の間に挟まれているのをロナルドは確認し、笑顔を浮かべる。
「有難う、助かるよ。君はもう下がっていい、自分の仕事に戻ってくれ」
「はい、失礼いたします」
言外に次の準備をしろと伝えたが、それはきちんと伝わったようで事務官はすぐに退室していった。
ロナルドの執務室にやってきた事務官が、ウィスタリア公爵家の諜報員であるジョーだということはすぐに分かった。
ロナルドはウィスタリア公爵として当然侯爵家の諜報員の特技は把握している。
ジョーの変装は何度も見た事が有り、どこにでもいる人物に変装することも、目立つ人物に変装することもお手の物。
変装の名手と名高い男が、わざわざロナルドの仕事中に訪ねて来たのだ。何か有ったと察するのは簡単なことだった。
「ああ、私は第三騎士団に例の事件のことで話がある。少し席を外すよ」
部屋にいる補佐官たちにそう声を掛け、ロナルドは一番信頼する護衛の一人を連れて執務室を出た。
ここでイザベラの名を出せばイザベラに不名誉な噂が出回る可能性もある。
何事も無かったことにするか、それとも第三騎士団との囮捜査で囮役をかって出たことにするか、どちらかだろう。
人目もあった事を考えれば、今日が囮作戦の決行日であった、とした方が都合が良い。
国王陛下からの承認はすでに降りている。
ならば第三騎士団にベルの話を伝えるだけでいい。
ただし、焼きもち焼きで忠犬なベルの恋人がどうでるかは、ロナルドにも分からなかった。
「失礼するよ」
「ロナルド様!」
第三騎士団団長室へ向かえば、会いたかった人物であるリックは都合よく執務室に籠っていた。
副団長のイーサン・ジグナルも側に居て、自分の運の良さをロナルドは感じる。
騎士団で有れば訓練や見回り等で席を外している事が多い、なのに丁度この場に話がしたかった二人が揃っているのだ、神が自分に味方しているようなそんな錯覚さえも覚えた。
「やあ、マーベリック、ジグナル、少し相談があるのだが、今時間は大丈夫だろうか?」
現ウィスタリア公爵にそう願われて断れるものは居ない。
それに今は行方不明事件の事で協力体制にあるため、ロナルドの願いは通りやすかった。
「ええ、勿論大丈夫です。皆少し席を外してくれ」
リックが自身の補佐官たちに声を掛け、皆が直ぐに部屋を出て行く。
その間に席を勧められ、イーサンがお茶を入れてくれた。
優雅にお茶を傾けながら、皆の足音が遠ざかって行くのを確認する。
薄いお茶を一気に飲み干すと、ロナルドは声を落とし二人に話を始めた。
「騒がず聞いてくれ、イザベラが攫われたーー」
ガタッ!と大きな音を立ててリックが立ち上がる。
今すぐに飛び出して行きそうな猛犬をイーサンが体を張って止める。
「リック、落ち着け、閣下がいらっしゃった意味を考えろ」
「だがっーー」
小声でリックを諫めるイーサン。
流石王家の情報部隊であるジグナル家出身とあって頭の回転は速い。
イーサンはベルを助けた後の事まで瞬時に考え付いたのだろう。
第三に居なければ自分の傍に置きたい者だ。
ただし、お茶の入れ方はもう少し勉強した方が良いだろう。入れてもらったお茶は薄すぎた。
そんな事をロナルドが考えていると、深呼吸をして冷静になったリックが席に着く。
ロナルドはその姿を確認すると、これからの行動を二人に伝えた。
「本日を囮を使った作戦の決行日とする。それを踏まえ二人には迅速に行動してほしい、良いな?」
「「はい」」
「イザベラはどうやら魔法を使って攫われた可能性が高い。我がウィスタリア公爵家の諜報員の仕事ぶりを考えれば、既に現場に辿り着き対策を施しているだろう。我々もすぐに現場に向かうが、イザベラの名誉の為にも他の部署の者に気取られてはならない。良いな?」
「「はい」」
「ではすぐに平民服に着替え我々も現場に向かおう。これからは時間との戦いだ。イザベラを救う為二人共覚悟を持って動いてほしい」
「「はい」」
「では五分後に馬車乗り場で、我がウィスタリア公爵家の者が準備しているはずだ」
「「はい」」
声を揃え返事を返す二人に、こんな時なのに笑いが込み上げる。
猛犬二人を教育している調教師のような気分になったからだ。
ロナルドがリックの執務室を出ると、馬車乗り場までの通り道で準備されていた部屋に入り平民服に着替える。
余りの似合わなさにここでも笑いたくなったが、ベルを攫った馬鹿者たちのことを考えれば、浮かんだ笑みは悪魔公爵に似合うものになっていた。
「閣下、お気持ちを抑えてください。それでは全く平民に見えません」
強すぎる圧が出ていたからか、護衛騎士にそんな事を言われてしまう。
「フッ、心配するな、どの道私は平民には見えない。だったら心底おののかせてやるさ」
後ろに控える護衛騎士は息を吞んだだけでもう何も言わなかった。
イザベラを攫った者たちに後悔させてやる。
ロナルドの冷たい笑みは、そう言っている様だった。
「ロナルド様、こちらです」
馬車乗り場に着くと、家紋のない小さな馬車が既に準備されていた。
御者は勿論変装を解いたジョーだ。
現場までの案内は彼が行う。
そこへリックとイーサンが馬にまたがりやって来る。
王城内という事もあり、早掛けではなく駆け足程度のスピードだが、主だけでなく馬までも気合が入っているのかヒュンと鼻を鳴らしている。
「さあ、イザベラを迎えに行くよ」
「「はい」」
忠犬二人に声を掛けロナルドは馬車に乗り込む。
必ずイザベラを助け出して見せる。
ウィスタリア公爵家の名に懸けて、可愛い妹を無事に救出するためロナルドは現場へと向かったのだった。
短いので今日も投稿します。