誘拐と食パン
暫く不穏な回が続きます。
「イザベラ様!!」
突然、ベルの周りが黄金色に輝きだしたかと思うと、ふわりと体が宙に浮いた。
マイクはどうにかベルを掴もうと手を差し伸べるが、金色の見えない壁に邪魔されてその手が届くことは叶わなかった。
「マイク……」
ベルの姿が薄れていくとともに、マイクを呼ぶ消え入りそうなベルの声だけが残像のように残る。
ここは人通りの少ない北区の端。
それも今は夕暮れ時、辺りに人はまばらだ。
けれどマイクがイザベラの名を何度も呼んだため、少なくない人数がマイクの傍へと集まって来た。
なんだなんだ?と集まる野次馬など気にすることなく、マイクは地面を叩きベルの名を呼び続けた。
「マイクさん!」
ウィスタリア公爵家の諜報員の一人、若手のトニーに声を掛けられマイクはハッと我に返る。
集まって来た野次馬たちの中には、どうやらベルとマイクの動きを見守っていたウィスタリア公爵家の諜報員たちの姿もあるようだ。
消えた魔法陣の跡に声を掛けてもベルが返ってくるわけではない。
意味のないことで時間を無駄にするな。
名を呼ばれ諜報員としての落ち着きを取り戻すと、マイクは振り向くことなく周りにいるであろう自分の仲間に声を掛けた。
「トニー、ジョー、ジム、イザベラ様が何者かに攫われた。その方法は魔法だと思われる。トニーは俺と共に麦の家に、ジョーは変装してロナルド様のところへ、そしてジムはウィスタリア公爵家へ、我らが知らぬ魔法の事だ出来ればウォルター様の力を借りたい。事情を話したら皆またこの場所へ、分ったら各自直ぐに行動してくれ」
「「「ハッ!」」」
風を切るかのように諜報員達は動き出す。
一番早く目的地に到着できるのは麦の家の傍にいるマイクだ。
ベルの大切な麦の家に何か有っては申し訳が立たない。先ずは彼らの安全確保が大切だ。
まだ若手の部類に入るトニーを連れて、大急ぎで麦の家に向かう。
(イザベラ様、どうかご無事で)
そう強く願いながら、マイクはこれまでで一番素早い走りを見せた。
麦の家が見えてくると、間もなく営業を終えるところだったらしく、店内に人はおらず、片付けを始めているミア達の姿が見え、マイクはホッとする。
駆けた勢いのまま麦の家の扉を開けると、従業員のミアが驚き目を丸くする。
するとそんなミアの前に特級冒険者のアイザック・オランジュが守るように素早い動きで立ちふさがった。
本当ならば今日はベルが麦の家にいる日だ。
ザックはそれを目当てに店に来ていたのだろう。
心強い特級冒険者の登場にマイクの期待が高まる。
「あれ? あんた、えーと、マイクさん? 確かベルさんのごえぃ……じゃなくって御者さんだよね?」
マイクの顔を見て、ベルの御者(護衛)だとアイザック・オランジュはすぐに気が付いてくれた。
そしていつもは隠れて見守っているはずのトニーが遅れて店に入ってくると、ザックの顔つきがすぐに変わる。
「もしかしてベルさんに何かあった?」
マイクとトニー、二人の表情を見ただけでザックは何かを察知したらしい。
特級冒険者。
勘の良さにその名が伊達でないことが分る。
「イザベラ様が突然光に包まれて消えてしまいました」
マイクの報告にザックの顔つきが変わる。
ベルに危険が迫った事で、本来の冒険者らしい姿が現れたらしい。
ザックの圧で店内の空気が張り詰めたように感じた。
「俺を現場に案内してくれ! ミアちゃん、ルカ、すぐに店仕舞いをして鍵を閉めて! 誰か来ても絶対に開けちゃダメだからね!」
ミアとルカの息をのむ音が聞こえる。
了解の合図で何度も頷いて見せる二人の顔色は悪い。
特級冒険者であるザックの怒気にあてられたのか、それともベルが心配だからか二人は震える体を支え合うように寄り添っている。
「マイク、行くよ!」
「はい! トニー、お前はここを守るんだ!」
「は、はい!」
トニーを麦の家の護衛に残し、ザックとマイクは店を飛び出す。
諜報員の中でも自慢の足を持っているマイクだが、前を走るザックはもの凄いスピードで一瞬で置いて行かれそうになる。
「孤児院へ向かう道だよね?」
「は、はい、そうです!」
「分かった、魔法を使うから気を付けてよ」
「えっ?」
魔法?と疑問が湧いた瞬間、背中を誰かに押される様な強い力を感じると共に、足が信じられない速さで回転を始める。
「うぉぉぉぉぉー!」
自分の体が自分のものではないように感じ、掛け声のようなものが勝手に飛び出す。
「マイク、中々やるね、普通の奴はぶっこけたりするんだよ」
平気な顔で隣を走るザックから褒め言葉のような物をもらったが、バランスを取るのに精一杯でマイクは答えることは出来ない。
「ザ、ザック様、ここ、ここです」
余りの早さに危なく現場を通り過ぎそうになり、マイクがどうにか声を出すと、ザックは綺麗に急停止をし、マイクはその場に転がった。
「ここだね?」
「はい!ここです!」
ベルが消えた場所に着くと、ザックが地面を触って何かを確かめる。
ザックが魔力を注いだからか一瞬だけ地面が光ってみえた。
「たぶん転移の魔法陣だね……」
ぎゅっとザックの眉間に皺がよる。
魔法陣と分かっても、それをどうにか出来る訳では無いようだ。
「クソッ、誰か魔法陣に詳しい人がいれば……」
ザックの憤りを感じてマイクも怒りが湧く。
セルリアン王国内ならばきっと魔法陣に詳しい者もいるのだろう。
けれどここはビリジアン王国。
魔法使いさえ少ないのだ。魔法陣に詳しい者など都合よくいるはずがない。
ザックの焦りがマイクには良く分かった。
だがあの国に頼る事だけはあり得ない。
ベルを苦しめていたあの愚かな国に頼るなど、考えたくもないことだった。
「ザック様、でしたら私がその魔法陣を確認いたしましょう」
「えっ……?」
俯くザックとマイクの下に音もなく近づき声を掛けて来た人物は、ウィスタリア公爵家の執事ウォルターだった。