パン粥とその中身
ビルとジョージがベルと出会ったのは、麦の家が開店する少し前のことだった。
街に新しい店が出来る。
そんな嬉しい情報が孤児院に入ってきたのは、街で噂が広がるよりもずっと前のことだった。
ビリジアン王国の街中では北区の孤児たちの多くが働いているため、街の噂を手に入れるのはとても早い。
自分たちがいる北区に新しい店が出来る。
それも食べ物屋のようだ。
そんな情報を聞き、当然子供たちの多くが新しい店に興味を持った。
北区は飲食店が少ない。
ただ北区の門は多くの冒険者が行きかうため、宿屋と飲み屋は多くある。
その為冒険者の街とも呼ばれることもあるが、他の区に比べると雑多なイメージがあり、王都民で住み着くものは少ない。
なのであんな北区の端、それも自分たちのいる孤児院の傍に飲食店が出来ると聞いた時は耳を疑った。
やって行けるのかと心配になったぐらいだ。
けれど新しい店が建ち、そこから香ばしい香りが漂うようになると、ワクワクした気持ちが抑えられず、仕事帰りや何も用事の無い日は、特にやることもないのにその新しい店を見に行き、空想膨らませるビルとジョージだった。
「なあ、今日もいい香りがするな」
「うん、たまんねー、早く店がオープンしてくんないかな」
孤児である自分達が店に入れば嫌がる店は少なくない。
支給された服を着て、身なりだって最低限は整えているが、孤児であることは何となく分かる様で、嫌な顔をされたことは数えるほどにある。
ビルやジョージよりもずっと年上の孤児たちは、十分の寄付金も無く、泥棒まがいの行為をしていたそうなので、親世代の人たちにはそんな孤児たちの記憶が残っているのだろうと、孤児院の先生は言っていた。
なので以前よりはマシになったとはいえ、孤児を雇ってくれる店はとても少ない。
見習いではなく仕事の手伝いという形で安い賃金で雇ってくれるところもあるが、対応は余り良くない。
運よく就職できても、一人で生活していけるほどの給料が出ることは少ない。
ただ今の孤児院の先生が貴族出身で、読み書きも多少は出来るようになってからは少し待遇が改善されたように思う。
だから自分達がやりたい仕事というのが、ビルもジョージも良く分かっていない。
間もなく孤児院から巣立つ年齢を迎えるが、何がやりたいか、何が出来るのかも良く分かっていない。
生きて行くために働く。
仕事とはそう言うものだと思っていたからだ。
「おいみろよ、誰か出て来たぞ」
「ほんとだ、女の人? あ、その後ろにいる人、前に見たことある、商業ギルドの人かも」
白い帽子を被った女性と、他にも数人の職人らしき人たちが出てきて、ビルとジョージは何だか嬉しくなった。
あの人達がこのお店の人?
いったい何を作るんだろう。
そう思うとワクワクして、どんな人なのか尚更気になった。
「あっ!帽子!」
強い風が急に吹き、女性の被っていた帽子が飛ばされる。
鍔が広い帽子だったので、風の煽りを受けたようでそのままコロコロと転がり、ビルとジョージの前にまで転がって来た。
帽子を被っていた女性に近づき帽子を渡す。
孤児が掴んだ帽子なんて嫌がられるかなと思ったけれど、その女性は優しく微笑んで「ありがとう」と言ってくれた。
ただその女性が余りにも綺麗すぎてビルとジョージは驚いた。
孤児院にはたまに貴族のご令嬢って言う訳の分からない人達が慰問とかにやって来るけれど、その人たちよりもずっと綺麗で女神さまかと思うぐらいだった。
それに何より孤児院に来る貴族の女の人たちは香水臭いけど、女の人からは甘くていい香りがした。
絶対にこの人が店長だ。
女性から香る甘い香りの誘惑に、そんな確信を持った二人だった。
「これ、帽子を拾ってくれたお礼よ。私が焼いたお菓子なの良かったら食べてみてね」
女の人はそう言ってビルとジョージにお菓子をくれた。
お菓子は高級で、ビルとジョージは滅多に食べれない代物だ。
その上女性はわざわざ膝を折り視線を合わせ、もう一度お礼を言って頭を撫でてくれた。
それもとっても可愛い笑顔付きで。
ビルとジョージは一瞬でその女性が好きになった。
「おねーさん、ありがとう」
なんだかお礼を言うのもちょっと恥ずかしかったが、どうにかお礼を言いその場を離れた。
貰ったお菓子は焼き菓子で、見たことのない赤ちゃんの手みたいな形をしていた。
本当は孤児院に帰るまで食べるのは我慢するべきだろうが、食べ物の数が少ないと孤児院では喧嘩になる。
チビたちを泣かせないためにも今食べようと、そんな言い訳を二人でして早速口に入れてみた。
「「ーーっ!!」」
余りの美味しさに叫びそうになった。
だけど口に入れたお菓子が飛び出さないように口を押えた。
旨いな!
うん、めちゃくちゃ旨い!
ビルとジョージは視線だけでそんな会話をする。
今まで食べたどんなものよりこのお菓子は美味しかった。
これは孤児院に持って帰らなくって正解だったなと頷きあった。
きっと持って帰っていたら殴り合いの喧嘩が起きていただろう。
それぐらいこのお菓子は衝撃的な味だった。
「試食のパンが焼けましたわ。宜しければお召し上がりください」
女の人が今度はパンを配り出した。
ビルとジョージは目配せをしてすぐに列に並ぶ。
配られたパンを手にするとまだ温かく、そしてお菓子に負けないぐらいいい香りがした。
バクッ、そんな音がする勢いでパンに齧りつく。
一口食べて「美味しい!」と今度は声に出して叫んでしまった。
「院長先生のパンとマジで違う」
「あんな石みたいなパンと比べるなよ」
「確かにそうだな、このパンがパンならアレはパンじゃない石だよな」
「うん、俺達への愛情が無ければあんなパン、嚙み切れないよな」
院長先生のことは大好きだし尊敬しているが、それはそれ。このパンとは比べてはいけない。
院長先生の料理下手は覆らない。
自分たちで作ったスープのが断然マシ。
いつもそう思う。
「このパン、毎日食べられたらいいのになー」
「お金貯めて店に買いにいっても嫌がられないかな?あのお姉さんなら大丈夫だよな?」
そんな話をしながらビルとジョージは孤児院へと帰る。
なんだかいつもより体が軽い、背に羽が生えちょっとだけ浮いているような気がする。
甘くてふわふわで優しい味のあのパン。
アレが食べられるなら辛い仕事でも頑張れる。
お小遣いだって貯められるし、どんな事でも頑張れそうだ。
ウキウキしながら二人でそんな話をした。
いつか絶対にまたあのパンを食べに行こう。
そんな約束をした。
翌日になり、あの店で会ったお姉さんが孤児院にやって来るとは、この時のビルとジョージは分からなかった。
お店の掃除の仕事。
孤児院にそのお願いに来たお姉さんに、ビルとジョージは「はい、俺がやります!」と一番に手を上げた。
「私はベルよ。二人共宜しくね」
女性がそう言って手を差し伸べる。
笑顔があまりにも綺麗で、二人はまたドキドキしてしまった。
「うん、ベルお姉ちゃん、俺はビル、掃除頑張るから宜しくね」
「俺はジョージ。ベルお姉ちゃん、俺にも任せてよ」
この日から、約束した “いつか” がずっと続くことになる。
毎日ベルの作る美味しいパンを食べたいという夢も。
そしてやりたい仕事を見つけるという夢も。
ベルと出会ったことで叶えることが出来たビルとジョージだった。